第79話 名前と祖先
ティアナ達は荷馬車を降り、酪農で栄える村に立ち寄った。
「へぇ、牛の乳って美味しいんだ!」
ティアナは宿で提供された牛乳を美味しそうに飲んでいる。母乳の味も覚えているが、それよりもずっと美味である。
「そうか、お前は初めてか」
アルスは何度か飲んだ事があるが、それ程得意ではない。リュージィはゴクゴクと普通に飲んでいるが、モトロは訝しげに白い液体を眺めている。
「これが、特産品になるんですね?」
「そうなんだろ?」
この土地に着いてすぐに名付けを試したが、案の定、土地の反発にあった。もう少しで大怪我をする所だったが、モトロの機転でなんとか怪我は回避出来た。
そして、とりあえずは土地への理解を深めよう、と、特産品を口にする事にしたのだ。
「……滞在期間が関係してたらお手上げだね……」
ティアナは口元を拭いながら溜め息をついた。とりあえず、この土地には一晩泊まるだけなのだ。
「まあ、他にも条件は考えられるだろ?」
時間帯のせいか、宿の食堂には他の客はいない。リュージィがティアナの顔を覗き込んだ。
ティアナは首を傾げる。
「……例えば?」
「村を一周してみる……、村人と知己を得る……程度ならば、一晩でも出来るのではないか?」
リュージィの提案は一理ある。ティアナは頷き、宿の馬を借りて村を一周する事にした。
「思ったより広い村だな」
手綱を握るアルスに後ろから声を掛けられ、ティアナは頷いた。
「本当だね」
宿の主人は、日没まではまだ時間があるから大丈夫だと言ったが、酪農の為の牧草地が広がり、村全体はかなりの広さであった。
「宿の主人でも全貌を把握できてないって事……?」
ティアナは呟きながら、夕陽に染まる空を見上げた。馬で村外れを駆け抜けるのは中々爽快だ。
「まぁ、このままぐるりと周っちまおう。少し速度を上げるぞ」
アルスが手綱を捌き、馬が速度を上げる。ティアナは馬のたてがみにしがみつきながら、牛や羊、それを世話する人や犬の姿を目に焼き付けた。
「あ……なんか、この土地の事……少し分かったかも……」
土地の空気を思い切り吸い込み、瞑目する。住民は家畜を大切に育て、その恩恵に預かって豊かに暮らしている。
しかし、この土地をどう呼ぶべきか、と問われると難しい。
「……でも……もう少し滞在した方が良さそう……。せめて、村の人たちとじっくり話したい」
ティアナの言葉に、アルスはしばらく考え込み、ふと何かを思い出した。
「確か……あの鍛冶屋はこの近くだったな。お前に合った剣を探そう。それじゃ戦えんからな」
「えっ……? じゃあ、この剣はどうするの?」
「お前が大きくなるまでは無理に使わない方がいい。……とりあえず、ちゃんとした鞘を用意する。その間、この村に滞在すればいい」
アルスの提案にティアナは唇を噛み締めた。フィアードからの借り物の剣を使いこなせない事が悔しい。流石は魔剣ということで重さは感じないが、やはり身体の大きさと合わないのはどうしようもない。
「じゃあ明日、鍛冶屋に寄って相談だね」
ティアナはアルスを仰ぎ見て言った。
「おう。そうしよう」
◇◇◇◇◇
鍛冶屋の扉を叩くと、見覚えのある男が出てきた。
「お……お前さんは確か……フィアードの連れだったな」
「ああ。久しぶりだなヴァンホフ」
アルスはニヤリと笑う。ティアナ、リュージィ、モトロが続いて店に入ると、ヴァンホフは目を丸くした。小さな隻眼の少年剣士に黒髪の美少女、そして白髪の美少年。中々不思議な取り合わせだ。
「随分と愉快な仲間だな。フィアードはどうしてる?」
「あ〜、いや、あいつはちょっとな……」
アルスはガリガリと頭を掻き、苦笑いする。
ティアナは無言で背中の剣を外し、ヴァンホフに渡した。
「……うん? この剣は?」
「鞘を……無くしてしまいました。お願いします」
ティアナは唇を噛み締め、ヴァンホフを見つめる。
「……これは……フィアードの剣だな。……そうか」
彼は多くを語らずに剣を受け取ると、ティアナを手招きした。
「お前さんに合う剣を買いに来たって訳だな」
ティアナはコクリと頷いた。アルスはその察しのよさに片眉を上げる。
ヴァンホフはティアナの手を取り、その手の平を見てニヤリと笑って、彼女の頭を撫でた。
「親父さんにしっかり指導されてるな。……いい手だ」
「……ありがとう……」
ティアナの頰がほんのりと赤らむ。最近、アルスと親子である事を誰も疑わなくなっている。嘘をついている後ろ暗さもあるが、本物の親子以上の時間を過ごしているという自負もあり、複雑な気分になる。
「おい、えーと……お前……!」
ヴァンホフは立ち上がり、アルスを指差し、名前を聞いていなかった事を思い出す。
「アルスだ」
「そうだ、アルス! 坊主に合う剣を調整するのと、鞘の作成には五日くらいかかるぞ。いいか?」
それを聞いてアルスとティアナは目を見合わせた。願ったり叶ったりである。
「ああ、構わない。頼むぜ」
「……あ……それと……フィアードは……」
ティアナが言い掛けて口籠ると、ヴァンホフは瞑目して首を振った。
「……言いにくい事なら聞きたくないな」
「違う! 絶対に……助けてみせるから! 時間は掛かるかも知れないけど、絶対に……!」
ティアナの強い口調にヴァンホフは目を見張った。
「……そ、そうか。死んだ訳じゃないんだな……」
「死んでない! だからっ……!」
思わず感極まって涙が滲む。
「落ち着け。分かってるから……」
アルスがティアナの肩を抱き寄せ、その背中をポンポンと叩いた。
「あの……僕も、何か持った方がいいでしょうか……」
気まずい雰囲気をなんとかしようと思ったのか、モトロがおずおずと前に出てヴァンホフに話し掛けた。
「お……おう。護身用か?」
ヴァンホフは助かったとばかりにフィアードの剣を手に、モトロを工房に連れて行った。
ティアナはその後ろ姿を見送りながら項垂れる。
「……ごめん」
「ま、気持ちは分かるから……落ち着け。お前の覚悟も分かってる」
アルスはティアナの頭を撫で、そっと抱き寄せた。
リュージィは我関せず、という態度でしばらく物色していた懐剣から何本か選び、工房に入って行く。
「お前も護身用か?」
アルスは目を丸くした。彼女が懐剣を忍ばせているとは思いもしなかった。
リュージィは紫色の目をキョトンと見開き首を傾げた。
「いや、これなら斬れ味が良さそうだからな。治療用の小刀を探していたところだから、加工して貰えるのならと思ってな」
「……はぁ……」
どこまでも自分を失わない美少女にティアナは毒気を抜かれ、ペタリと座り込んだ。
「……私だけ……子供みたい……」
ポツリと呟くと、アルスが豪快に笑い飛ばした。
「子供だからいいんだよ!」
「……ふん……だ」
ティアナは唇を尖らせ、頬杖をついて工房を見やった。
◇◇◇◇◇
村に戻り、彼らは酪農の手伝いをしたり、村人たちと様々な語らいをしながら五日間を過ごしたが、これと言って決め手に欠け、ティアナは名前の候補を幾つも書き出して唸っていた。
「仕方ねえな。俺がなんとかしてやろう!」
途方に暮れるティアナの頭を撫で、アルスはドンッと自分の胸を叩いた。
最後の晩、アルスは大勢の村人を宿屋の食堂に呼び、大宴会を催した。ただ単に飲みたかっただけだろう、とリュージィは冷やかしながら杯を傾け、モトロは早くも酔い潰れた者の介抱に回っていた。
「村の名前か……。時々来る外の奴らは酪農の村って呼ぶな」
食事が終わり、その場にいる殆どがほろ酔いとなった頃、仲良くなった酪農家にアルスがそれとなく話を振った。
「へぇ……。その名前には誰も不満は無いのか?」
「いやぁ、俺たちはあんまり好きじゃないな。だって……安直だろ?」
「……確かに……」
温めた牛乳を飲みながら、一瞬それでいいかも、と思ったティアナは口元を引き攣らせた。
「じゃあ……どんな名前がいいんだ?」
「この村はな……やっぱり牛乳が美味いから……乳の村だろ!」
「……」
「……」
男の言葉を聞いて、周りで聞き耳を立てていた村人たちも皆黙り込んだ。
「……品性を疑うな……」
リュージィの冷たい言葉が響く。
「なっ! なんだと! 乳は命の源! 女性の象徴だ! これ程美しい言葉は無いだろう!」
一人で興奮する男に、周囲は白い目を向けている。ティアナは深い溜め息をついた。
「……聞く相手が悪かったらしいな……」
流石のアルスもバツが悪そうに顔を顰める。
「あの……そもそも、この村で最初に酪農を始めたのはなんと言う方なんですか?」
モトロがおずおずと口を開くと、男は嬉しそうに立ち上がった。
「よくぞ聞いてくれました! この村の創始者は我が祖先、シャウルス様だ!」
その瞬間、村人たちから盛大な野次が飛び交った。
「シャウルス様は私の祖先だよ!」
「わしの祖先だ!」
「お前だけの祖先じゃないぞ!」
一気に騒然とした宿屋の食堂で、よそ者のアルス達は呆然と皆を見渡した。どうやら、村人殆どが創始者の子孫らしい。
宿屋の大女将らしき老婆が酒瓶を持って現れ、空になったアルスの杯に波々と酒を注ぎ、口を開いた。
「……シャウルス様は十一人の奥方と五十人余りの子供がいたんだよ」
「……ヨシキリみたい……」
ポソリと呟いたティアナの頭をリュージィが小突く。
「その内の何組かが双子でね、母乳が足りなくて牛を飼い始めたらしいよ」
「へぇ……」
アルスは楽しそうに杯を呷りながら話を聞いている。
「だから、この村の者は皆、シャウルス様の子孫なのさ」
「じゃあ……村の名前は決まりだな」
アルスはティアナにニヤリと笑い掛け、村人に向き直った。
「おい、お前ら……、この村の名前を『シャウルス』として地図に載せていいか?」
食堂がざわめく。
「……そりゃ、私たちはシャウルス様の名前が他の土地の者に知って貰えるのは嬉しいが……そんな事が……」
「地図に書いちまえばいいのさ。な、フィード」
アルスが言うと、ティアナは持っていた地図を広げ、サラサラと名前を書き込んだ。
「うん。この村の名前は『シャウルス』だよ」
ティアナが頷くと、村人の喜びと共に、土地から湧き上がる力が宿全体を包み込み、そしてティアナに魔力として蓄えられた。
「……恵みに感謝……だね、父さん」
村人が望む名前を付けることが出来て、ティアナは胸を撫で下ろした。
「ああ。全くだ」
アルスは大盤振る舞いされたこの地独自の牛乳の酒に舌鼓を打った。
◇◇◇◇◇
翌朝、二日酔いのアルスを引きずるようにティアナ一行は鍛冶屋に向かった。
入り口の長椅子に腰を下ろすと、モトロはアルスに解毒を掛ける。
「よう、坊主。いいのが出来てるぜ」
ヴァンホフはティアナを工房に招き、細身の剣を手渡した。
「……軽い……!」
鞘から抜くと、白銀の細い刀身が美しく輝く。
「これなら、修行の成果も発揮できるだろ」
試しに少し素振りをして、ティアナはその馴染みの良さに感動した。手の平に吸い付くようだ。この調整に時間が掛かったのかと思うと納得できる。
「ありがとう!」
頰を上気させ、ヴァンホフに向き直ると、彼はティアナの頭をグリグリと撫でた。
「いい剣士になりそうだな。お前さんは」
職人として、いい剣士に出会えるのが一番の喜びだ。ヴァンホフは真新しい鞘に包まれた剣をティアナに渡しながら、ニヤリと口元を歪める。
「この剣の本当の持ち主は……多分フィアードじゃねえな。まだ本当の持ち主に会ってないって駄々をこねてるぞ。お前さんが探してやれ、坊主」
ティアナはゴクリと息を飲んだ。そう言えば、フィアードは最初、この剣を抜く事が出来なかった。恐らく神の力で無理やり説得したようなものだったのだろう。
「……うん。分かった……!」
気持ちを切り替えて剣を受け取ると、今までとは違う感触がした。じんわりと温かい。
「……よろしく……って言ってる?」
「おお……お前さんも分かるか。よろしく頼んだぞ」
「うん!」
ティアナは腰に細剣を挿してフィアードの物だった剣を抱え、ヴァンホフに一礼した。
「辻馬車を呼んである。乗って行くといい」
モトロが短剣を一本、リュージィが治療用の小刀を五本購入した頃、辻馬車が到着した。湖畔の村の辻馬車よりも一回り大きく、四人で乗って荷物を乗せても余裕がある。
「お、それから、レイモンドに宜しく伝えてくれ」
「ああ。分かった」
見送りに出たヴァンホフにようやく復活したアルスは手を振った。




