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第76話 変身

 カーン……コーン……。


 薄っすらと雪化粧した水車小屋のすぐ脇で、二つの人影が剣を交えている。

 聞こえてくる音が金属音ではない事と、大人と子供の影が交差していることから、子供を大人が鍛え上げているのは明白だ。

 少し風変わりなのはその子供が眼帯をしていることぐらいだろうか。


 二人は白い息を吐きながら、木剣を打ち合わせていた。


 少年は地を蹴り、木剣を素早く一閃するが、対する青年は大した反応も見せずに剣先を跳ね上げる。

 体勢を崩しかけた少年はすぐに踏みとどまり、青年からの攻撃をしっかりと受け止めた。

 程よく手加減された攻撃だったが、両手が痺れ、木剣を取り落としそうになった所で、青年がニヤリと笑った。


「よし、ここまでだ」


「……ありがとうございましたっ!」


 少年は悔しそうに唇を尖らせながら木剣を収めた。


「中々良くなってるな。二ヶ月でこれは上出来だぞ」


 赤毛の青年は白い歯を見せて笑う。


「……そうかな……」


 少年は少し不本意なようだ。


「少なくとも、フィアードよりは筋がいい……」


 その言葉に少年は苦笑した。

 差し出された手拭いで汗を拭う。何もしなければ凍えてしまいそうな寒さだが、激しい稽古の後なので指先がジンジンする程赤くなっている。


「朝っぱらから精が出るな!」


 突然声を掛けられ、少年が驚いて振り返ると、そこには毛糸の帽子を目深に被った少女が立っていた。


「リュージィ! おはよう!」


 少年にしてはいささか高い声だ。


「うむ。約束の物を持ってきたぞ。試してみるか?」


 リュージィと呼ばれた少女は紫色の目を細め、荷物を掲げて見せた。

 少年は目を見開き、大きく頷いた。


「もちろん! アルス、場所借りてもいい?」


「おお。ついでに朝飯も食っていけよ」


 アルスは木剣を受け取り、水車小屋の扉を開けた。


 ◇◇◇◇◇


 朝食を終えると、アルスは事務所に出掛け、リュージィは荷物を開けた。

 色とりどりの粉末が入った瓶を並べ、布包みを開けて、一束ごとに様々な色に染め上げられた髪を取り出しては、取り付けられた札を確認しながら瓶の前に並べた。


「……こんなに?」


「ティアナから預かった髪を実際に染めた物だ」


 ティアナは切り落とした髪を処分できずに持って帰っていた。焚き火にくべようとして強い匂いが出るから、とアルスに止められたのだ。

 そして、髪を染める方法を醫師(いし)であり薬師である彼女に相談していたのだ。


「これって、どのくらい保つの?」


「そうだな……」


 リュージィは少し考えながら、二つの瓶を取り出した。


「この二つは比較的保ちがいい。石鹸で洗っても落ちなかったな」


 赤い粉と青い粉だ。

 ティアナはそれに対応する髪束を手に取った。一つは鮮やかな緑である。


「緑じゃ……せっかく染める意味がないわね……」


「となると、やはりこちらか……」


 残った髪束は、赤茶けた色だ。


「この色なら不自然じゃないわね」


 ティアナは髪束を色々な角度から確認し、綺麗に染まっている事に感心した。


「……あら、アルスの髪色に似てるわね」


 それまで黙って見ていたこの部屋の住人、ヒバリが食事の後片付けを終えて興味深そうにティアナの手元を覗き込んでいた。


「……そうかも知れんな。じゃあ、これにするか? 他の色と混ぜる事も出来るぞ」


 リュージィもその髪束をしげしげと見ている。


「混ぜるとか、自分では無理そうだから……。簡単で自然な色がいいわ」


「ふむ……。眼帯だけでも充分目立つからな……。その上薄緑色の髪……狙ってくれと言わんばかりだ」


 リュージィは荷物から別の瓶を出し、その中身を椀に空けた。フワリと粒子の細かい白い煙が立つ。

 そこに先程の瓶から匙に二杯ほどの赤い粉を入れて混ぜる。


「ヒバリ、少し水をくれ」


「はいはい」


 ヒバリは杯に半分ほどの水を入れてリュージィに渡すと、リュージィはその水を少しずつ椀に注ぎながら匙でかき混ぜ始めた。


「ねえ……それ何?」


 興味津々といった顔でティアナが覗き込む。


「これは泥だ。妙齢の女性が肌や髪の調子を整えるのに使う。これに染料を混ぜるのが一番馴染みが良くてムラになりにくい。間違っても水で溶いて直接塗ったりするなよ。真っ赤なマダラになるからな。

 ……よく見ておけ。道中はお前が一人でやるんだぞ? だいたい、二ヶ月に一回くらいか。その長さならこれくらいでいいが、髪を伸ばすなら量も増やさなくてはならんな」


「……当分はこの長さでいいよ。楽だしね」


 ティアナは短く切り揃えた髪に触れて肩を竦めた。短い髪は何かと楽だ。濡れてもすぐに乾くし、編んだり結ったりする必要がない。


 全体がよく混ざり、匙で掬い上げて傾けるとポテッと落ちる程度の硬さに練り上げると、持って来ていた獣毛の刷毛でその赤く染まった泥を混ぜた。そして荷物をゴソゴソと漁って別の瓶を取り出した。


「生え際が染まるとみっともないからな。これを塗る」


 獣から取った脂だ。傷の保護などにも使うそれは薄っすらと黄色がかっているが匂いはない。

 それを指先で掬い取って顔の周りの生え際に塗っていく。


「耳には気をつけろよ。耳が赤く染まったら、しばらく色が落ちないからな」


 いいながら、脂を塗りこんだボロ布で耳を覆う。もう少し髪が長いと耳を避けることが出来るのだが、この長さではどうしても耳に染料が付きやすくなる。耳を保護する為に編み出した苦肉の策のようだ。


「よし、いいか。塗るぞ」


 ティアナを姿見の前の椅子に座らせ、泥に混ぜた染料を刷毛で髪に塗っていく。この姿見はアルスの結婚祝いにフィアードが何処かから取り寄せたものだ。これだけ大きな鏡は相当高価な筈だが、フィアードが自ら出向いて購入したのだろう。


 リュージィは革手袋をはめ、ティアナの髪に少しずつ染料を塗り込んでいく。全体に塗り終わると、油紙で髪を覆う。


「これは?」


「しばらく置かないと馴染まないからな。乾かないようにするんだ」


 リュージィは色々と試し、この方法に行き着いたらしい。


「忙しいのに、こんな研究もしてたのね……。道理で最近、お父さんの機嫌が悪いと思ったわ……」


 ヒバリはリュージィの手際の良さに呆れている。


「毛染めは女性の憧れだからな。先日も若くして白髪になった女性の髪を染めてやった所だ。醫師(いし)の仕事が少ないのはいい事だろ」


 確かに、醫師(いし)がいないと困るが、醫師(いし)が暇なのは悪い事ではない。


「お前やグラミィがいれば、私の仕事は限られてるからな。お陰で研究もはかどるって事だ」


「ねえ、どれくらい置くの?」


 ティアナは早く染まった髪を見たいのでどうしても気が急いてしまう。リュージィは肩を竦めた。


「まあ……半刻ほど置けば充分だろう」


「半刻……!」


「それから泥を流して定着させる為の薬をつけてしばらく置く。その後で洗髪して完成だ」


「……大変だわ……」


「だから、一人で染める時は半日は余裕を見ておけ」


 リュージィは染料を片付けながらニヤリと笑った。


「簡単に染まる染料は落ちるのも簡単だ」


「分かったわ……動いても大丈夫?」


「ああ。大丈夫だ」


 リュージィの言葉を受けてティアナは頭に油紙を巻いたまま立ち上がり、身体を動かした。


 時間を持て余し、掃除の手伝いを始め、床を拭こうとしてリュージィに止められた。下を向くと油紙が取れてしまうからだ。


 仕方なく机を片付けていると、部屋の奥でラキスの泣き声が聞こえてきた。ヒバリがなかなか来ないので、ティアナはラキスの様子を覗き込んだ。


「あっ……大変。ラキス、怪我してるわよ」


「えっ?」


 駆け寄ってきたヒバリが覗き込むと、ラキスのふっくらとした白い頰に赤い線が走っていた。


「ああ……また自分で引っ掻いたのね……」


 ヒバリの言葉を聞いてティアナはラキスの手を見た。確かに爪が伸びている。


「ねえ、私に切らせてよ!」


 ティアナはラキスを抱き上げ、ヒバリが手にした小さな鋏を受け取って、その小さな手をキュッと握った。


「大丈夫? ちょっと切りにくいわよ?」


 ヒバリが心配そうに覗き込む。


「そう? 大丈夫よ」


 ティアナは慣れた手つきで小さな指先の余分な爪を切っていく。


「あら、上手いのね」


 ヒバリは意外そうに目を見張った。


「ちょっと巻き爪なのね。私の爪とよく似てるから、平気。切り慣れてるわ……」


 ずっと兄弟が欲しかったティアナにとって、ラキスは可愛い弟のような気がしてならない。生まれる前から知っているというのはこういう気分なのか、としみじみと感じて少し切なくなる。


 爪を切り終わり、ラキスをヒバリに渡すと、リュージィがそっと油紙の隙間から髪の様子を覗き込んだ。


「良さそうだな。ヒバリ、水洗いしてやってくれ」


 ガサガサと油紙を外すと、フワリと水の精霊が泥を洗い流した。


 ティアナは慌てて姿見に駆け寄る。


「……あれ?」


 薄っすらと茶色っぽくなっただけのようだ。リュージィがニヤリと笑う。


「これが定着させる薬だ」


 リュージィが瓶を傾けると、ツン、と鼻をつく匂いがしてティアナは顔を顰めた。


灰汁(あく)だ」


 先ほどとは違う刷毛で灰汁を髪に塗っていく。鼻が曲がりそうだ。


「ねえ、この匂いはなんとかならない?」


「無理だな。定着させる為だ。我慢しろ」


 リュージィは淡々と異臭を放つ液体をティアナの髪に塗り込み、また油紙で頭を覆った。

 ヒバリがすかさず周りの空気を入れ替え、大きく息をついた。


「これって、宿でやったら迷惑なんじゃない?」


「モトロが一緒なら、なんとかなるだろ? 詠唱式の風魔法があるらしいじゃないか」


 リュージィはケロリとしている。彼女にとって、この程度の匂いなど無臭に近い。


 テキパキと片付け始めたリュージィを見ながら、ティアナは溜め息をついた。これを自分でするのかと思うと気が重い。


「ティアナ、待っている間に私の研究でも読むか?」


 リュージィは紙束をティアナに突き出す。フィアードと研究していた治療法だ。


「ありがとう……」


 レイチェルの治療については彼女にも責任がある。ティアナは頷いてその紙束を受け取った。


「町に行く時は……私も連れて行け。その娘の診察をしてやろう」


「……うん……」


 ちゃんと彼等の顔を見られるかどうか自信はない。だが、彼の末妹だけはなんとしても助けたい。リュージィが一緒だと心強い。


 ティアナが資料を読み始めてしばらくすると、リュージィがまた油紙の隙間から髪の様子を覗き込んだ。


「頃合いだな」


 ニヤリと笑い、油紙を取り払う。ラキスの授乳を終えたヒバリを呼びつけてティアナの髪を洗わせる。今度は石鹸も用いて念入りに洗う。


 ようやく灰汁の臭いが取れ、サッパリとしたティアナは大きく息をついて姿見の前に立った。


「うわぁ……!」


 薄緑色だった短い髪が、赤みがかった茶色に綺麗に染まっている。なんだか馴染み深いその色に思わず顔がにやけてしまった。


「……アルスとラキスとお揃いだぁ……」


「本当。これで並んだら親子にしか見えないわね。彼の帰りが楽しみだわ」


 ヒバリはクスクス笑いながら、赤毛になったティアナの髪を優しく撫でる。


「あと二ヶ月もすれば出発だな。その前にもう一回染めればいいだろう。じゃあ、私はこれで失礼するぞ」


 リュージィは纏めた荷物に油紙を放り込み、慌ただしく帰って行った。

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