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第75話 拠り所

 燭台の蝋燭は既に尽き、真っ暗な部屋に赤ん坊の泣き声が響き渡った。すぐ隣の寝台で、モゾモゾと毛布が蠢いている。


「……ちょっと、ねぇ、離して……、ラキスが泣いてるわ……」


「やだ」


「もうっ! アルスったら……」


「久しぶりに会ったんだぞ。俺とラキスとどっちが大事なんだよ……」


「馬鹿っ!」


 パチン、と音がして毛布がめくれ上がった。寝台から降りた少女が燭台に火を灯し、子供用の寝台から赤ん坊を抱き上げる。


「待たせてゴメンね」


 赤ん坊はそのまま母親の胸に吸い付き、コクコクと食事を始めた。

 ふと気がつくと、空いている方の胸に大きな手が伸びている。


「……アルス……」


 ヒバリが呆れてその大きな手をつねると、今度は唇を覆われた。

 後ろから夫に抱き締められ、唇を奪われながら我が子に授乳していると、なんだか訳が分からなくなってくる。


 しばらく朦朧としていると、ラキスがウトウトとし始めたので、ヒバリはまとわりつくアルスを振り払って立ち上がった。

 体を拭いて下着を替えてやり、我が子を寝台にそっと寝かせてから、夫を振り返った。


「……何て顔してるのよ……」


 まるで捨てられた子犬のような顔で、赤毛の大男がシュンとうなだれて寝台に座り込んでいた。


「……ゴメン……」


 落ち込んでいる理由はヨシキリから聞いている。ツグミやティアナの手前、相当無理をしていたのだろう。

 ヒバリはそっとその赤毛を撫で、額に口付けた。


「こちらこそゴメンね。一緒に居てあげられなくて……」


 ヒバリの言葉にアルスは無言で頷き、その細い身体を抱き締めた。甘い乳の香りが、傷付いた心を癒してくれる。


「怖かったんだ……。多分……」


「そう……」


「ヨタカを見送るなんて、考えた事も無かった。だから……」


「そうね……」


 アルスはヒバリの胸に顔を埋め、肩を震わせている。


「お前も……また、逝ってしまうんじゃないかと思って……」


「馬鹿ね……。貴方とラキスを残して、何処に行くのよ?」


 アルスは優しく自分の頭を撫でる細い手を掴み、頰に当てる。


「アルス、愛してるわ」


 ヒバリの囁くような声に、アルスの目が潤む。


「ヒバリ……」


 アルスはヒバリを抱き締めたまま、ゆっくりと身体を返して寝台に倒れこんだ。


 ◇◇◇◇◇


「世界……」


 ティアナの発言に、その場にいた(しろ)の魔人三人は息を飲んだ。

 彼等は殆どこの村から出た事がないのだ。世界中を回るという事がどういう事なのか想像すら出来ないだろう。


「世界中……というのは大袈裟かも知れないけれど、行けるところは全て行って、名付けを行いたいの。

 冬の間はこの村でゆっくり勉強と修行をさせて貰うわ。春になったら出発するつもりよ。

 あ、別に貴方達に一緒に来て欲しいって言ってる訳じゃないのよ。貴方達に了承を得たいのは、この地への名付けについてだけよ」


 アナバスは腕を組み、しばらく唸っていたが、やがて顔を上げてモトロに向き直った。


「モトロ、お主が同行しろ」


「えっ? でも、それでは門番が……」


 モトロは指名されて目を丸くした。村から出る許しを得られた喜びよりも、戸惑いの方が大きい。


「ノビリス、お主がモトロの代わりに門番を務めるがいい。家族であの家に住め」


「ええっ!」


 ノビリスは驚いて立ち上がり、アナバスとモトロを交互に見た。


「モトロ、お主はティアナ様と共に世界を回り、見聞を広げて参れ。お主の力は必ずやティアナ様のお役に立つじゃろう。

 ノビリス、お主は少し楽をしすぎだ。外界との接点で家族を守り、意識をもっと高めるのじゃ」


 アナバスの言葉にモトロの頰は上気し、ノビリスは青ざめた。


「アナバス、じゃあ……」


 ティアナはモトロと共に旅が出来るなど考えた事もなかったので、驚きを隠せない。


「ふむ。適任じゃと思うがの。それに、わしとて名付けには興味がある。して、いつ名付けるのじゃ?」


 そうだ。この族長は案外気が短いのだった。ティアナは苦笑した。


「魔力の増え方を確認したいから、その方法を考えないと……」


「ふむ……魔力量の測定か……」


 アナバスの言葉を遮るように、モトロが持って来ていた真っ白に白濁した水晶の角柱を机の上に置いた。


「これは……?」


 ティアナが首を傾げる。角柱はモトロの手を離れた途端、その濁りが消えて透明になった。


「ティアナ様、フィアード様から頼まれていた魔力の測定器の試作品です。これを使われてはどうでしょうか?」


 ティアナがその水晶を手に取ると、右手から水晶に魔力が吸い込まれ、それが左手から体内に戻ってくる感覚があり、水晶の一割ほどが白濁した。


「あ、凄い」


 ティアナがノビリスに水晶を渡すと、今度は水晶の七割ほどが白濁した。アナバスが持つと八割ほどであった。


「やっぱりモトロの魔力量って多いのね」


 先ほどモトロが持っていた時は全て白濁していた。恐らくグラミィやヒバリ、ツグミもその程度だろう。


「これ、目盛を付けたらもっと分かりやすいわね。使わせて貰うわ」


 フィアードはいつの間にこのような物を考えていたのだろう。早く彼の残した資料を読まなければ。

 ティアナは今まで知らなかった彼の一面を知った気がして、胸が高鳴っていた。


「他にも何か頼まれていた物は?」


「後は、離れた土地と連絡を取る機器を作るように言われまして……。一対一ならば出来ているんですが……」


 恐らく商会で使うつもりだったんだろう。最終的には連絡先を選べるように出来るのが理想だと考えられる。


「じゃあ、冬の間にもっと研究してちょうだい!」


 ティアナはその可能性に目を輝かせた。モトロにそのような才能があったとは驚きである。


「分かりました!」


 モトロはフィアードの不在で研究が頓挫する事を懸念していたので、ティアナの言葉に胸を撫で下ろした。


「モトロ、お主……コソコソと何をやっておるのかと思えば……!」


 ノビリスは明らかに不愉快な顔でモトロを見た。モトロは顔を赤らめ、少し誇らしげに微笑んでいる。その顔はあの少女に瓜二つで、あらゆる感情を掻き立てられる。

 ノビリスはモトロから目を逸らし、大きく溜め息をついた。


「して、土地への名付けは……」


 アナバスは話を元に戻す為に、少し大きめの声を出した。

 ティアナはハッとして肩を竦めた。すぐに話題をすり替えてしまうのは良くない事だ。


「アナバス、貴方は何か希望の名前はあるの?」


「いや……皆目……」


 アナバスの目が泳ぐ。そもそも土地に名を付けるなど、考えた事もない。


「あ、皓の村(ヴァイセスドルフ)と言うのはどうでしょうか」


 モトロの一言で、その場が静まり返った。

 ティアナは会心の笑みを浮かべ、大きく頷く。


「決まりね」


 大人達は頷いた。




 四人は地上に出て、すり鉢状の地形の丁度真ん中に位置するモトロの小屋から外に出た。

 敵を欺く為の藁葺き屋根のこぢんまりとした村を見渡し、ティアナが宣言する。


「この地を皓の村(ヴァイセスドルフ)と名付けます」


 強い意思を纏い、まだあどけなさの残る高い声で発せられたその言葉は言霊に乗り、大地に吸い込まれていく。

 土地そのものの持つ熱量(エネルギー)がブワリと湧き上がり、ティアナの小さな身体に集中した。


「……!」


 その力の奔流に魔人達は圧倒され、水色の目を見開いた。


 名付けられた歓びに震える大地が落ち着きを取り戻し、今まで以上に平穏な空気が辺りを包み込むまで、三人は言葉なくその場に立ち尽くしていた。


「……成功ね!」


 ティアナは懐から真っ白に白濁した水晶を取り出し、モトロに笑い掛けた。


 ◇◇◇◇◇


「よし……っと」


 ヒバリの身体を堪能してようやく調子を取り戻したアルスは、寝台から降りて服を着ると木剣を手に取った。

 ヒバリは授乳しながらも彼の要求に精一杯応えた為か、まだ眠っている。

 アルスはヒバリを起こさないようにそっと扉を開けた。


 階段を上がると、左目に眼帯をして木剣を持ったティアナが待っていた。


「おはよう、父さん」


「おう、待たせたな」


「もういいの?」


「子供は余計な心配するんじゃない」


 アルスはティアナの頭を小突く。ティアナはクスクスと笑いながら扉を開けた。

 二人は水車小屋から出ると、特に何も話し合うこともなく、並んで素振りを始めた。




「よし、明日からは形の稽古に入ろう」


「ありがとうございました!」


 ティアナは汗を拭い、アルスを見上げた。首筋に赤い跡があるが、見て見ぬ振りをする事にする。


「朝食はどうする?」


「……わ……僕はいいよ。(しろ)の村で食べるから」


「……え?」


「家族水入らずの邪魔はしないよ」


 まるで悪戯好きの少年のようにニヤリと笑い掛け、ティアナは皓の村(ヴァイセスドルフ)に転移した。


「え……? もう魔力……戻ってるのか? あいつ……」


 たった一晩で何があったのだろう。アルスはティアナがいた場所を呆然と眺めていた。


 ◇◇◇◇◇


 皓の村(ヴァイセスドルフ)の地下、フィアードがかつて使っていた部屋で、ティアナは紙に埋もれていた。

 彼が残した研究はどれも興味深く、素晴らしいものばかりで、それを彼が成したのかと思うと、目を通すだけで胸がときめく。


 そして、彼がデュカスを封じた魔術についての記録を見付けたティアナは長椅子から跳ね起き、姿勢を正して読み進める。


「……薄緑(みどり)の力で空間を遮断して、白銀(ぎん)の力で時間を止めると、その空間は時空の狭間に取り残される……」


 あくまで仮説として書かれているが、あの場でティアナが見て感じたものそのものだった。


 この地に名付けて得られた魔力はモトロの魔力を超えていた。

 モトロはすぐに測定器の上限を上げた物を作り出し、ティアナの魔力を測った所、モトロより一割ほど多い事が分かった。

 この一割は隣の地、湖畔の村(ボーデュラック)からの魔力と考えられる。

 名付けた土地から離れると、その魔力も少なくなるようだ。実際、山岳地帯の辺りでは、湖畔の村(ボーデュラック)からの魔力は微々たるものだった。だが、ゼロではない。

 つまり、多くの土地に名付ければ名付けるだけ、得られる魔力が増える事に違いはなく、世界中に名付けて回れば、彼女の本来の力に限りなく近い魔力を得る事が出来るのである。


「後は……名付けの条件ね……」


 他所者が勝手に名付けて、土地からの反発を受けない保証はない。

 ある程度の期間を暮らした湖畔の村(ボーデュラック)皓の村(ヴァイセスドルフ)ならば問題はないだろうが、他の土地にも数年単位で暮らしてから名付けるとなると、途方も無い時間が掛かる。


「……まぁ、とりあえずは所縁のある土地から回ることにして、途中の土地で確認するしかないわね」


 ティアナは今後の計画を書き記し、ふうっと溜め息をついた。


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