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第71話 再出発

 ヒュンヒュン……


 何かが風を切る音が、ヒヤリとした早朝の空気を震わせる。


 小さな人里からすぐの少し開けた草原で、赤毛の大男と小さな少年が並んで木剣を振っていた。

 縦、斜めと様々な形の素振りを次から次へとこなして行く。

 青年の木剣は空気を切る音を立てているが、その振り始めから振り終わりまでは剣影はおろか、肘から下すら見えない。

 一方、少年は時々よろめき、木剣に振り回されているような印象を受ける。だが、肩で息をしながらも必死で食らいついている根性は大したものだ。


「よし、最後は横薙ぎ三十回だ」


「はいっ!」


 男の声に声を振り絞って答えるのは左目を布で覆った少年。まだ六歳くらいだろうか。

 息を切らせながらも凛々しく眉根を寄せているその横顔には玉のような汗が浮かんでいる。


「……二十八……二十九……三十!」


 素振りを終えて男を仰ぎ見ると、師匠と思われる赤毛の男は白い歯を見せて笑った。


「初めてなのによく着いてこれたな。中々筋がいいじゃないか! 強くなれるぞ!」


「本当?」


 少年の顔がパアッと輝いた。


「ああ。ちゃんと毎日続けられればな!」


「続けるわ……、さ!」


 慌てて口調を治そうとする少年の頭を、青年の大きな手がわしわしと撫でた。


「無理するなよ。……少しずつ……だ」


「ええ……、じゃなくて、うん!」


「じゃあ、朝飯にするか!」


「うん!」


 少年は木剣を片手に、師匠の後をパタパタと追いかけて行った。



 宿の小さな食堂で黙々と食事をしていると、宿主が少年に声を掛けて来た。


「おう、坊主。朝から剣の修行か。偉いじゃないか」


「……あ、ありがとう……」


「親父さんにしっかり鍛えてもらえよ!」


「……うん……」


 少年は曖昧に頷くと、チラリと赤毛の男を見た。彼は軽く宿主に会釈して、特に何も気にせずに食事を進めている。

 宿主は満足気に頷いて、食堂の奥に歩いて行った。


「……親父さんだって……」


「そういうことにしとけ。ややこしいからな」


 二人は顔を近づけてコソコソと話す。そう言えば、最初はあの少年が母親でこの赤毛の青年が父親の役回りだったな、と思い出して少し切なくなる。


「ホラ、早く食えよ」


「うん」


「それから、どう呼んだらいいんだ?」


 赤毛の青年は困った顔で少年を見る。この姿ではちゃんと男名でなければ不自然だ。

 少年は少し考えて、ポツリと言った。


「……フィード……じゃダメ?」


 青年は吹き出しかけて、慌てて口を覆う。ニヤニヤしながら少年の頭をポンポンと叩いた。


「……ま、いいんじゃね?」


「じゃ、そういうことで……父さん(・・・)、今日の予定は?」


 少年の言葉に赤毛の青年はニヤリと笑う。


「とりあえず、天幕を譲ってもらえるらしい。今日午前中で支度して、午後には湖畔の村(ボーデュラック)に向かって出発したいんだが、どう思う?」


「明日の朝出発にしない理由は?」


「冬も近い。少しでも早い出発にしたいからな。野営を減らしたいなら、明日朝の出発にしようか」


 宿代もタダではない。出来るだけ節約したいところだ。

 少年は少し考えてからその隻眼で目の前の青年を見据えた。


「……いいよ、大丈夫。じゃあ昼までに準備だね」


「ああ。その後の事はお前が考えとけよ」


「うん。湖畔の村(ボーデュラック)で冬を過ごすのは決定だね。わ……僕は(しろ)の村でフィアードが残した資料を調べないといけないし」


「そうだな……。これ以上の話はここでは止めておこう」


 青年は空になった食器をまとめ、炊事場にいる宿主に手渡した。


「ごちそうさん。じゃあ、出発の準備するんで」


「はいよ。天幕は出る時までに準備しておくよ」


 気さくな宿主は余計な詮索はしてこないので正直助かる。

 昨日この宿に来た時に連れていた女の子の事を聞かれないかとヒヤヒヤした。大きな上着を羽織っていたからあまり覚えていないようだが、長居すると思い出しかねない。出来るだけ早く退散したいところだ。

 赤毛の青年は少年を連れて足早に食堂を後にした。


 ◇◇◇◇◇


 少年は部屋に戻ると左目を覆っていた布を取り払った。白銀の目をシバシバさせながら伸びをしていると、その頭を軽く叩かれる。


「気を付けろよ。何処で見られてるか分からないんだからな。フィード(・・・・)


「……ごめんなさい……」


「言葉遣いもな。昨日のお前を思い出させたら、俺達が訳ありだって暴露してるようなもんだからな」


 いつになく厳しい青年の言葉に息を飲む。


「うん。分かってる……」


 わざわざ剣の修行を今日から始めたのも、宿泊しているのが少年だと印象付ける為だ。

 今までのように消音の結界を張ることも出来ないのだ。用心するに越したことはない。


 少年は再び布で左目を覆った。


「片目にも慣れておけよ。……何処かで眼帯を用意しないとな」


「ごめん、アルス」


「乗り掛かった船だ。付き合うさ。ただ、移動が徒歩なのはキツいけどな……」


「……ツグミは多分来ないよ……」


 これまでの経緯を思い出し、少年は溜め息をつく。アルスも諦めたように頷いた。


「仕方ねえな。次の村で馬を買うか」


 この里は小さく、売りに出せるような馬はなかった。返すあても無いので、借りるという訳にもいかない。結構な出費になりそうだ。アルスは頭を抱えた。


「でも……本当は少し嬉しいの。私、自分の足で歩いた事が殆ど無かったから。……剣だってそう。魔術以外で身を守る術なんて考えた事なかった。だから……アルスには申し訳ないけど、本当の意味で生まれ変わった気がしてる……」


 自分の荷をまとめながらポソポソと言う少年の頭をアルスはグリグリと撫でた。

 耳までの長さの髪はグシャグシャに乱れてしまう。


「ちょっ……! ひどい!」


 青年に抗議の目線を向けると、彼は肩を竦めた。


「俺も出来るだけの事はする。だからティアナ、言葉遣い……気を付けろよ」


「あっ! ごめんなさい!」


 ティアナはハッとして口を覆う。


「まぁ、そう簡単に変えられないだろうから、俺と二人の時も意識しておいた方がいいだろ?」


「そうだね、父さん」


 ティアナは苦笑しながら、アルスをチラリと見上げる。


「俺も嘘が下手だからな。お前を息子と思っておかないとボロが出そうだ……」


 彼女が赤ん坊の時は家族を振る舞うのは簡単だった。最初にフィアードを見た時の印象のまま振る舞えばよかったからだ。


「やっぱり、長居は無用だね……」


「だな」


 あまり人目につかないように、ひと所に留まらないように目的地に向かうしかなさそうだ。


 ◇◇◇◇◇


 二人は宿主から天幕を譲ってもらい、食料と着替えを背負って山道を歩いていた。

 慣れない山歩きでティアナの足は大分疲れてきた。ふくらはぎがピクピクして足の裏が痛い。朝の剣の修行も相まって、きっと明日は筋肉痛だな、と冷静に分析しながら歩を進める。


「大丈夫か、フィード」


「うん。父さん……」


 少し照れながら、アルスの顔を見上げた。彼はちゃんとティアナの事を考え、歩調を合わせてくれている。

 それにしても、アルスを父と呼ぶ事になろうとは。ティアナは胸がジンワリと温かくなった。彼のような人物が父親だったらどんなに幸せだっただろう。実際のあの父親とは雲泥の差だ。


(しろ)の村に行けば何か分かるんだろ?」


 行き交う人の姿が見えなくなった途端、アルスが切り出した。


「多分。フィアードがデュカスの対策を考えて研究してたから、その記録がある筈……なんだ」


「俺にはよく分からないが、魔力がなくてもなんとかなるのか?」


「……分からない。でも、なんだか少しだけ魔力が戻った気はするんだけど……」


 歩きながら、ティアナはフィアードに教えてもらった魔法の詠唱を唱えた。するとふわりと優しい風が一瞬だけ沸き起こる。


「おっいけるじゃないか! じゃあ目くらましは?」


「目くらましの結界は張れなかった。結界を維持するのは簡単な筈だから、もう少し魔力が無いと出来ないのかな」


「そういう物なのか? 随分簡単そうにやってたじゃないか」


「魔力量はそこそこ使うし、割と複雑なのよね。フィアードも最初は苦労してたわ。目の色を変える方が難しいけどね」


「じゃあ……例えもう少し魔力が戻っても、その長さで染める方が良さそうだな。染料があったら買っておくか……色々入り用だな……」


 アルスは喋りながらも道端の草や茸を採取しては腰の布袋に入れていく。恐らく食用や薬用になる物なのだろう。


「今日はどのくらい進むの?」


「そうだなぁ、この天幕の張り方もよく分からないから、日の高い内に野営地を探しておくか。それから、言葉遣いな」


「あ、ごめん」


「村まで二日……三日ってところか。まぁ、無理は禁物だな」


 突然駆け出してスルスル、と木を登り、赤い木の実を取って降りて来るアルスを見て、ティアナは舌を巻いた。

 ティアナは歩調を変えずに歩いていただけで、木の実を持ってそのまま合流したのだ。


「すごい……、いつもそんなに色々採ってた?」


「今まではツグミやフィアードに楽させて貰ってたからな。野営も最小限だったが、これからはそうはいかないだろ。採れる時に採っておかないとな」


 自分の足で歩いて旅をする、という事がどういう事なのか、ティアナは初めて実感した。


「その草や茸の事も教えてくれる?」


「おう、もちろん」


 基本的にお喋りなアルスは、採取した草や茸、木の実を一つ一つ説明し始めた。そしてやがて天幕が張れそうな少し開けた場所を見つけたので、譲ってもらった天幕を広げ始めた。


 宿主が書いたと思われるメモを見ながら、部品を確認してテキパキ設営する姿はとても頼もしい。


「薪でも拾って来るね……」


 いても邪魔になる気がして、ティアナはその場を離れた。


 魔力が戻ってきたのは嬉しいが、なぜ僅かに戻ったのかは分からない。

 神の力は根こそぎフィアードと共に封じられている。ならばこの魔力はなんだろう。

 アルスのような例外を除いて、殆どの人間が魔力を帯びていると、フィアードは言っていた。それではこの魔力は神の力ではなく、本来自分が持っていた力なのだろうか。


 薪になりそうな乾いた枝を拾いながら、ティアナは考える。片目では距離感が掴めず、中々はかどらない。

 誰もいないから、とそっと布を外し、薪を拾っていると、ガサッと音がした。


 ーーしまった!


 ティアナが身構えると、立派な角の鹿が一頭、悠然とその姿を現した。

 ティアナはホッとして木陰に隠れて鹿をやり過ごすと、元来た道を戻った。


「おまっ! どこ行ってたんだ!」


 ティアナの姿を見るなり、アルスは彼女を怒鳴りつけた。


「……薪を……」


「薪なんて後でいいだろうが! 心配させるな!」


 一応声を掛けたつもりだったが、どうやら聞こえていなかったらしい。

 これまではティアナを探すのはフィアードの役目だったのだ。アルスは無力になったティアナを見失って生きた心地がしなかった。


「……ごめんなさい」


 ティアナは素直に頭を下げる。自分でも浅はかな事をしたと思った。さっき現れたのが動物だったから良かったようなものだ。山賊に遭遇する可能性とて大いにある事を失念していた。


「まあ、無事ならいいんだけどな」


 アルスはホッと息を吐いてガリガリと頭を掻いた。無力な連れがいるというのはこんなに不便なものか、と感じながら、組み立て終わった天幕に荷物を入れた。

 しっかりした支柱に支えられた小ぶりの天幕は、二人で寝るにはちょうど良さそうだ。


 ふと、鳥の羽音が聞こえ、二人は同時に空を見上げた。

 アルスは何を思ったのか、足元の石を拾ってその羽音に向かって石を投擲した。


「……え?」


 突然のアルスの行動にティアナは目を丸くした。


「よっし! 手応えあり!」


 バサバサ、と音がして鳥が力なく落ちてきた。

 天幕の向こう側に落ちた鳥を拾い、得意げにティアナに見せる。


「今晩はこいつで晩飯だ!」


 その余りにも無邪気な笑顔に、ティアナの頰が引きつる。


「ん? どうした?」


「その鳥……ツグミじゃなくて良かったね……」


 ティアナの言葉にアルスはハッとして青ざめた。

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