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第70話 分岐点

 ソルダードは頬に押し付けられている鉈を右手で掴んで避け、ティアナに左手を伸ばした。右手からポタリと血が落ちる。


「……お願いです……!家族を……家族を助けて下さい!」


 その目は強い意思を帯び、ティアナの心を締め付ける。


「ソルダード! やめろ!」


 ザイールが鉈を振るうと、それを握っていたソルダードはそのまま床に叩きつけられた。

 そして、這いつくばったまま、血に染まった右手をティアナに伸ばす。


「家族が……国が……火の海で……! お願いです! 助けて下さい!」


 血を吐くような懇願はティアナを戦慄させた。確かに、本来の彼女の能力(ちから)を以ってすれば、一国を火山の噴火から救うことも出来たのかも知れない。


「ソルダード!」


 ザイールはいたたまれなくなって声を荒げる。


「この娘はただ、色彩を帯びただけの子供じゃ!」


「そんな馬鹿な! 陛下ですらあれだけのお力をお持ちだった! そこにいる娘は……完璧ではありませんか!」


 ズルリと立ち上がり、剣を抜く。ザイールは舌打ちして鉈を構えた。


「なぜ……邪魔をするのですか?」


 ソルダードの刃がギラリと光る。

 ティアナは恐怖で動く事が出来ない。剣戟の結界すら張れない。自分を守ろうとしているザイールは動くことすらままならないと言うのに!


 ソルダードは剣を構えた。目が狂気に染まる。


「ザイール殿、貴方がこの娘を手に入れたのは火の国の為ですよね……それともまさか……」


「この娘にはそのような能力(ちから)はない!」


 金属がぶつかる音がする。何も出来ずに守られる事が怖くて、ティアナは両目を瞑ってその場にうずくまってしまった。

 能力(ちから)がない、それがこれ程心細い物だとは知らなかった。自分の無力を痛感し、ザイールの無事を祈りつつも何も出来ない。目を逸らしてはいけないとは分かりつつも、見るのが怖い。


「ぐぅっ……!」


 ザイールのくぐもった声にハッと顔を上げると、自分を守ろうとしていた背中から剣先が出ていた。

 ポトリ、と赤い雫が剣先を伝って床に落ちる。


「あ……!」


 ティアナの頭が真っ白になる。どうしよう! 助けなきゃ! そう思うのに感情だけが虚しく渦巻く。


「親父っ!」


 突然ドアを蹴破るようにアルスが部屋に飛び込んで来た。

 彼は一瞬で状況を悟り、手にした鋤でソルダードを薙ぎ飛ばした。ゴキリ、と骨が砕けるような鈍い音がして、ソルダードはもんどり打って倒れ込む。

 アルスはその場に鋤を投げ捨てると、ザイールがその場に崩れ落ちるのを横目で見ながらティアナを抱き上げた。


「こいつ以外には見つかってないな?」


「……」


 ティアナは震える唇から言葉を紡ぎ出せず、ただコクコクと頷いた。


「よし。逃げるぞ!」


「えっ……でも」


「この村の連中はこいつらを迎え入れることにしたんだ。俺達が手出ししてしまった以上、一緒には居られないだろ?」


 言いながら隣室に駆け込んでティアナを下ろす。自分の剣ともう一振りの剣を腰に差して手早く装備を整えるとティアナに帽子をかぶせ、目に包帯を巻いた。

 纏めてあった荷物を担いで窓から外に投げ出し、ティアナもそっと外に下ろす。

 ティアナが荷物を引きずって少し場所を作ると、今度は小さな窓からその巨体を無理やり押し出した。

 アルスはなんとか外に出ると、荷物を担いでティアナを抱き上げる。


「……ザイールは?」


 ティアナの疑問にアルスは首を振った。


「仕方ない。あいつらに任せよう……」


 腹を貫通したからと言って、あのしぶとい父親が死ぬとも思えない。一応ザイールは彼らの指揮官だったのだ。生きているならば治療くらいしてくれるだろう。

 アルスは村人の目から逃れる為に、宿から充分距離を取ってから物陰に隠れた。


「……あの男は?」


 ティアナは差し伸べられた血だらけの手を思い出して身震いした。自分に救いを求めて来たあの男は死んでしまったのだろうか。


「頭は殴ってないから多分死んではいないな……気付けば追って来るかも知れん。その時は迎え撃つ」


 故郷を奪われた彼らにとって、ティアナの存在はさぞかし魅力的だろう。例えその能力(ちから)がなくても、崇拝する者は出てくるに違いない。

 アルスは大きな体を小さくしてティアナを抱え込み、その耳元に囁いた。


「夜になるまでここで待つぞ。大丈夫か?」


「……うん」


 ティアナは頷きながら、何も出来ない自分がもどかしくて唇を噛み締めた。涙がポロリとこぼれる。


「ごめん……。私がちゃんと隠れてなかったから……」


「仕方ない。俺もまさか、火の国の奴らが山を越えて来るとは思わなかったからな」


 アルスの顔は厳しい。今までの旅とは違い、ティアナは完全に戦力外の上、不貞な輩を誘き寄せる。流石に一人で守りきるのは難しいだろう。


「せめてツグミが戻ればなぁ……」


 そろそろ戻ってもいい筈だが、まだ彼女が戻ってくる気配はない。レイモンドへの連絡に手こずっているのだろうか。


 二人は息を潜めて夜の帳が下りるのを待った。


 ◇◇◇◇◇


 夜の闇に紛れてこっそりと村を出た二人は月明かりを頼りに細い道を下っていた。

 来る時は上空からペガサスで来たので、その道が思いの外傾斜があることに驚きつつ、足元に注意して歩を進める。


「……大丈夫か?」


「うん」


 包帯を外しているティアナは下を向いたまま、黙々と歩き続けている。食事も摂らずにこの小さい体で歩き続けることがどれだけ大変なのか分からないが、彼女に休む気はないらしい。


「湧き水だ」


 アルスの耳が水の音を捉え、二人は道を外れた。倒木に腰を下ろし、ティアナは深い溜め息をつく。

 アルスは水袋を補充して、荷物から干し肉を取り出した。万が一に備え、いつでも動けるように荷物を纏めておいて良かった。アルスは干し肉をティアナに差し出す。


「少し休憩しよう。これだけ離れたら大丈夫だろう」


 あの男達が追って来る気配はない。ザイールの手当てに追われていると思いたいところだ。ティアナはコクリと頷いて干し肉を受け取った。


 二人が向かい合ってただ干し肉を食べると言う異様な雰囲気の中、ふとティアナがアルスの腰の剣に目線を向けた。アルスの愛剣ともう一つ、簡素な皮の鞘に収まった剣がある。


「……アルス、その剣……」


「ああ、これはお前が持って帰ったフィアードの剣だ」


「……そうなんだ……」


 フィアードが消え、剣を抱えて崩れ落ちたあの時の絶望が蘇り、ティアナの視線が揺れる。


「これも魔剣だからな。抜き身って訳に行かないから、適当に調達した鞘に収めたんだ」


 ようやく会話が出来た。アルスは少しホッとしたが、ティアナの口数は極端に少ない。

 アルスは気まずさを誤魔化すように白み始めた空を見上げた。小鳥の囀りが聞こえ始める。


「……ツグミと入れ違いになるかもな……」


 ◇◇◇◇◇


 村外れ、弓矢を飾った墓標の前に花を添え、一人の少女が佇んでいた。頭の高い位置で結い上げた空色の髪が風に揺れている。

 彼の死を伝えた時、暗褐色の髪の友人が自分の事のように泣いてくれた。彼等の責任者の少年は複雑な顔で黙り込み、その後の報告で完全に顔色を失ってしまった。


 今回の出来事を報告してみて、改めて事の重大さに気付いた彼女は、これからどうしたらいいのか分からなくなった。

 混乱する気持ちを整理しようと、この地に到着すると同時に夫の元に来てしまったのだ。


「……ヨタカ……どないしたらええんやろ……」


 守ろうと思った相手に拒絶され、心の支えを二つとも失った彼女にとって、これからのことなど考える余裕は無い。

 春が訪れるまで、この村で彼女とあの気まずい空気の中で暮らして行く自信が無くなってきた。春まで彼等とここにいるのだ、と思うと、それに付き合う必要があるのかという疑問が浮かぶ。

 ツグミは飾ってある弓矢に触れながら、ゆっくりと息を吐いた。


「……春に……また会いに来るな」


 ツグミは墓標に微笑み掛けると、小さな鳥の姿になって舞い上がった。

 石造りの建物が立ち並ぶ村を見下ろしもせずに、ただ雲を見上げて飛んで行く。何も考えずに、風の導くままに。


 避難民を受け入れて騒然としている村人達や、建物の陰で息を潜めている二人の姿をその目が捉えることは無かった。


 ◇◇◇◇◇


 ツグミからの連絡は無い。

 風の魔術を使えば、相手の所在地が分からなくても連絡することが出来る筈なのに連絡が無い、ということは、二つの可能性を意味している。

 一つは彼女の身に何かあった場合。

 そしてもう一つは彼女が自ら連絡を絶っている場合。


 ティアナはツグミが自分から連絡を絶ったのだろうと直感した。だとすると、こちらの現状を知らせる術が無い以上、彼女の助けは無いと思った方がいい。


 秋の寒空の下で野宿すること三日。ようやく人里に辿り着いた。

 宿に荷物を置くと、アルスは必要な物を揃えに出掛けてしまった。


 ティアナは寝台に腰を下ろし、気だるそうに荷物から着替えを引っ張り出した。いくら暑い季節ではないとは言え、流石に三日間着の身着のままだと辛い物があった。


 温泉のあった村で譲ってもらった服だ。

 丁寧に畳んであった服を広げ、ティアナは目を見張った。


「……男物だわ……」


 思い掛けない事であった。

 他に服は無いのでどうしようか少し考え、自分の髪に手を伸ばす。

 生まれてからずっと伸ばし続けた髪は、もう腰まで届いている。それを二つに分けて編んでいるのだ。

 これならば、例え男物を着ていても男の子に間違えられることはないだろう。


 そこまで考えて、ティアナはふと立ち上がった。


 壁際に立て掛けてあるフィアードの剣を手に取った。剣は一瞬震えてからその重さを失って、ティアナの手に馴染む。

 柄に手を掛けて一気に抜き放つと、冴え冴えとした美しい刀身に自分の姿が映った。


 自分の姿をしばらく眺め、ティアナは意を決してその刃を髪に当てた。


 ザクリ、という手応えの後、パサ、と薄緑色の髪が床に落ちた。

 もう一方も同じように切り落とす。


 刀身を覗き込んだ彼女はフフッと自嘲した。


 剣を鞘に収めると、服を脱ぎ捨て、床に落ちた髪と一緒に袋に詰める。


 大きく息を吸って、男物の服に手を伸ばした。



「ただいま……えっ?」


 宿に帰って来たアルスは、部屋の中の人物を見て息を飲んだ。

 部屋を間違えたかと思い、扉を閉めようとすると、聞き覚えのある声で名を呼ばれた。


「アルス……私よ」


「……ティアナ……か?」


 アルスの赤銅色の目はこれでもかという程大きく見開かれ、目の前の子供を見つめていた。


 身軽な男物の服に身を包み、耳に届くかどうかという長さに切り揃えた髪。形の良い漆黒の右目、そして左目は包帯で覆われている。

 小さな隻眼の少年が皮の鞘に収まった剣を背負った姿は凛々しくも見える。

 その漆黒の目が強い光を放ってアルスに向けられていた。


「私に……剣を教えて!」

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