第6話 旅立ちと道連れ
赤毛の巨漢が廊下を走る。家人達は慌てて道を開けて、困った顔をしていた。
今にも蹴破りそうな勢いで扉を叩き、返事を待たずに入室する。
「親父! どうしよう!」
この家の主ーーザイールは書斎机から動かず、ただ書類から少し視線をずらし、溜め息をついた。この馬鹿息子は昔から思い込みと直感で動くので、周囲はただひたすら振り回されるのだ。
このように一人で騒ぎ立てることも対して珍しいことではない。彼の不在中は例の客人が来るまでは平和そのものだったというのに……。
「アルス……、手短に説明しろ」
いつもよりも狼狽したその姿に若干嫌な予感を覚えたが、仕方がない。話の長い息子に釘を刺してから話を聞いてやることにした。
端的に言うと、アルスは例の客人を泣かせてしまったことに動揺していた。その経緯を聞いて、ザイールはふむ、と考え込む。訳ありだとは思っていたが、その話を併せて色々と考察してみる必要がありそうだ。
「女子供を避難させた後の村を襲撃した……と言うことは、あの母子がその避難した女子供である可能性を考えなかったのか?
例えそうでなかったとしても、育児中の母親はそういう話題に敏感だ。お前はもう少し考えてから喋るべきじゃな」
アルスは雷に打たれたように立ち尽くしていた。自分は彼女に何を言ったのか……、彼女がどんな気持ちで涙を流したのか……。顔色がみるみる青くなっていく。
「俺……なんてことを……!」
「お前が馬鹿で浅はかなのは今に始まったことじゃない。これからせいぜい気を使うことじゃな……」
うなだれた息子に、ザイールは静かに諭した。しかし、数日後、家人からもたらされた情報を聞き、我が耳を疑うことになってしまった。
「……何も日参しろとは言っていないんだが……」
息子は毎日のように客に何か届けては話し込んでいるらしい。
全く、何を考えているのだ、あの馬鹿息子は! いや、何も考えていないのかも知れない……。ザイールは頭を抱えた。
明らかに訳ありの母子。当人でさえそのことをわきまえて、極力関わらないように努力しているというのに……だ。
ザイールは仕方がない、と愛すべき馬鹿息子のために、腹を括った。独自に推理したことを併せて、かの客人とは慎重に関わっていくべきだろう、と結論付けた。
だが、その直後にとんでもない爆弾発言が飛び出し、ザイールはこの息子との縁を恨んだのであった。
◇◇◇◇◇
「えっと……アルス様はなんて?」
フィアードは混乱していた。
「うむ……、そなたの亭主を殺したのは自分かも知れんから、責任を取る、と息巻いておったわ」
「殺すも何も……亭主って……」
「まぁ、事情は自分で話してくれ。わしはもう知らん。あのアルスを連れて行ってくれても構わん。立派な跡取りがおるから、そもそも奴には居所がない。それに腕は立つから護衛としては役立つじゃろうしな」
ザイールは卓上のベルを鳴らして呼び付けた家人に息子を呼びに行かせた。
「でもっ! どうやって説明するんですか!? 男だから結婚出来ませんって言っても分かってくれますか? 厄介払いにしか見えないんですけど!」
「まぁ、餞別と思って受け取れ。わしは知らん。そなたが紛らわしいことをしたから悪いんじゃ。自業自得じゃ」
どうしよう……あの人の話を聞かない馬鹿にちゃんと説明できるだろうか。ちゃんと説得して村に留まってもらえるだろうか。フィアードは短い付き合いながら、彼の性格をかなり把握していた。
慌てふためくフィアードの耳に大きな足音が響く。足音は徐々に大きくなって、まるで体当たりされたかのように大きな音を立てて扉が開いた。旅支度をした赤毛の大男がズカズカと入ってきてザイールの目の前で止まる。
「親父……! 結婚に反対しても無駄だからな! 今日出立って聞いたぞ! 俺も行くからな!」
凄まじい剣幕である。一方、ザイールは呆れ顔でちょいちょい、と顎をしゃくった。
怪訝な顔でその視線を追い、真横に立っている客にようやく気付いた。
「……あ! フィーネさん!」
思い人の思いがけない登場ーー最初からいたのだがーーに硬直し、その顔がみるみる赤くなる。気持ちの変化が手に取るように分かる。呆れ顔のザイールは、ひらひらと手を振った。
「例の件……わしは止めんから、さっさと行け。これからのことはお前らでしっかり話し合うことじゃな……」
「ええっ? それじゃあ……!」
何か誤解しているらしく、アルスの顔が喜びで満たされ、その手がフィアードの手首を掴んだ。ギョッとするフィアードを尻目に、アルスは満面の笑みで父親に向き直る。
「親父……ありがとう! 行ってきます! 兄貴によろしく!」
「えっ? ちょっと……!」
フィアードは驚き過ぎてろくに話しも出来ないまま、アルスの馬鹿力に引きずられるように村を旅立つことになってしまった。
◇◇◇◇◇
村外れの丘でティアナが目覚めたので、ようやくアルスによる強制連行は終了した。
汚れた衣類を取り替えている間、アルスはそわそわとフィアードの周りを歩き回っている。なんとかして誤解を解かなければ、本当に結婚させられてしまうのではないか……フィアードは背筋が寒くなる。涙目でティアナに救いを求めるが、完全に無視されてしまった。
ティアナの着替えが終わりアルスを振り返ると、赤毛の青年は破顔した。怖い! 早く……何とかしないと……! フィアードは意を決して声を絞り出す。
「あの……アルス……様」
「アルス、でいい。俺もこれからはお前のことを……」
なんだか陶酔しているアルスの言葉に悪寒が走る。言葉の続きを必死で遮る。
「フィアード! です。すみません、親子ということにしないと不自然なので、偽名を使いました! ……フィーネというのは、この子の本当の母親の名前です」
フィアードは深々と頭を下げる。怖くてアルスの顔を見られない。
「本当に申し訳ありません! 村の皆さんを騙すことになってしまって……」
アルスはキョトンとして、ティアナとフィアードを見比べる。最近ようやく支えなしで座れるようになったティアナは二人に背を向けて、草をむしって遊んでいるーーふりをしている。
「え? 親子じゃない? じゃあ、結婚してないのか?」
しまった! 根本的に勘違いしてる! どうしよう!
未婚の女性なら問題ないじゃないか! と顔に書いてある。フィアードは身の危険を感じた。名乗ったはずなのに、女性だと信じて疑わないとは……そんなに女装が板についてしまったのか!
「そうじゃなくって! 俺、男なんです! すみません!」
勢いよく上着を脱ぐ。薄手の旅装束からは身体の線が分かるはずだ。しかし、筋肉の少ないフィアードは、痩せた女性にも見える。
「はぁ〜?」
つくならもっとマシな嘘を……と言いたそうな顔である。この馬鹿にどうやって説明したらいいんだろう。父親はきっと反対したり説明するのが面倒だから押し付けてきたんだ。
「だ〜か〜ら〜!」
一番手っ取り早い方法ーーフィアードはアルスの大きな手を掴み、自分の身体を触らせることで納得してもらうしかなかったのである。
「……と、言うわけだから、俺はあんたの嫁にはなれない。おとなしく村に帰ってくれ」
フィアードはグッタリとして乱暴な口調で言い放った。アルスはまだ信じられない、という風に呆然としている。
「……帰れよ……!」
思わず怒鳴ってしまい、居心地が悪くなる。勘違いさせたのは自分で、そのことに責任を感じないわけでもない。
「男……だったのか……」
アルスはしばらく自分の掌を見つめていたが、やがて瞑目して少し考え込み、いきなり顔を上げた。
「いや……でも、あの村の人間なんだろ?お前も……あの子も……」
付き物が落ちたような顔でフィアードに向き直る。
「俺があの村を襲ったのは事実だ。何人か村人を斬った。お前達の家族も斬ったかもしれん。その償いをさせてくれ。俺がお前達を守る!」
その赤銅色の目に迷いは無い。フィアードが草むらで遊んでいるティアナに目線をやると、彼女は小さく頷いた。腕の立つ護衛は確かに欲しい。多少のことであれば自分が我慢すればいいことだ。
フィアードは溜め息をついて、赤毛の大男を見た。嘘の付けない誠実な男なのは知っている。信頼に足る人物だ。
「……あれだけ騒いで出てきたんだ。今更帰ったら格好悪いからだろ? まぁ……分かったよ。じゃあ、ティアナの護衛を頼めるか?」
「任せておけ! フィーネ!」
「……フィアードだ……」
◇◇◇◇◇
馬鹿は強かった。
コーダ村を旅立って一週間。道中、様々な獣や野盗に襲われたが、その殆どを一撃で沈めるのだ。しかも無茶な深追いなどもしない、分別のある馬鹿であった。
アルスが敵を切り崩し、フィアードは結界で防御を担当し、ティアナがコッソリと回復をする。非常にバランスのいい一行であった。
さらに、彼がいると家族連れと思われるので、余計な干渉を心配しなくてもいいのも大きな利点であった。家族として扱われる時、アルスが必要以上に張り切っているような気はするが……。
フィアードが剣を持て余しているので、毎日のように稽古を付けてくれるのもありがたい。お陰でこの一週間で動きが良くなった気がするのだ。
そして馬鹿は細かいことを気にしないのである。
ティアナやフィアードがかの一族でどのような位置付けであったのか、何故姿を偽っているのか、説明しようとしたのだが、
「あ〜、いや、俺はもうお前達を守ると決めたから!」
と、聞こうともしない。傭兵の護衛としては正解なのかも知れないが、不安なことこの上ない。
お陰でティアナは彼の前でどう振る舞うか決めかねている。アルスの目を盗んで、フィアードの背中でコソコソと打ち合わせするしかない。
「ねぇ、手っ取り早く碧の魔人の村に行こうよ。転移でちゃちゃっと!」
「やめておいた方がいい。遠見に反応する奴がいた。空間魔術を阻害する何かがあるのかも知れない。俺たちだけで転移するのならなんとかなるかも知れないけど……」
「そっか……馬鹿が、いるからなぁ……。途中で落っことしたら大変だもんねぇ」
「あぁ。それに万が一戦いになったら、俺たちだけじゃ、あっという間に切り刻まれるぞ」
仲間を弔ってくれた恩人、と思っていたが、あの時の雰囲気から、油断ならない連中、と考えておいた方がいいだろう。
「おっ! こんな所に……!」
下品な声がいきなり聞こえた。しまった、割と道幅のある山道だからと油断していた。ティアナとの会話の時は念のために消音の結界を張っていて、外部の音も若干聞き取りにくくなってしまう。苦々しい顔でフィアードは声の方を向く。
野党……というよりは、どこかの逃亡兵かも知れない。武装した男が数人、木陰から現れた。ジリッと後退ると、男達は素早く広がり、背後の繁みからも一人現れる。
「いいねぇ、赤ん坊とその母親!」
醜悪な笑みを浮かべた男達が舌舐めずりしながら二人を取り囲んだ。周囲に村や集落はなく、アルスは今晩の野営地を探しに行っている。こいつらがここにいるということは、少し離れた場所まで行っているのだろう。
フィアードは周囲を警戒しながら仕方なく腰の剣を抜いた。五人……六人か……、かなり厳しい。その覚束ない構えを見て、男は嘲笑する。
「くくく……! いいねぇ! せいぜい抵抗しろや!」
男達もそれぞれ腰の武器を抜き放った。白刃が陽を受けてギラリと光る。彼らは哀れな獲物をいたぶることができる喜びに身を震わせた。