第66話 死の山
突然視界に飛び込んできた白銀の光に驚いてアルスはそちらを見た。
フィアードと薄緑色の髪の青年が対峙しており、その脇にサーシャがいる。
誰も剣を構えてはいないが、恐らく何か魔術を展開しようとしているのであろう。
その姿をアルスが確認した刹那、光は溢れ、視界を焼き尽くした。
「うわっ!」
アルスは思わず目を瞑る。
魔力の流れを感じることは出来ないが、それでも何か途方もない事が起こっているのは分かった。
「……成る程な……これが秘策か……」
腕の中のヨタカが弱々しい声で呟くのが聞こえて、アルスはハッと目を開けた。
先ほどまで三人の欠片持ちがいた筈の場所からはその姿が忽然と消えていた。
「……どういうことだ……?」
何処かへ転移したのだろうか。それだけとは到底思えない程の光だったが、アルスには全く見当もつかない。
「……封じたんだろ……自分もろともな……」
「なんだって……?」
「そうするしか無かったんだろ……」
ヨタカは乱れる息の中でもいつものように冷ややかに言い放つ。アルスはその冷静さに安心したが、傷口からは相変わらず鮮血が溢れている。
「ヨタカ、喋るな」
「……最期くらい好きにさせろ……。これで……お前の死に顔を見なくて済むと思うと……せいせいするぜ……」
ニヤリと笑う口元からは血の気が完全に引いている。
どんどん冷たくなる従兄の身体を感じ、アルスの心が不安に押し潰されそうになる。ヨタカの表情が死を受け入れているように思えるのが怖い。
「何言ってるんだ……ティアナに治して貰うから……」
「いらん」
「なっ!」
「これで……いい……」
口元に笑みを刻んだまま、空色の目からは光が消えていく。
「ヨタカ……?」
ヨタカの全身の力が抜け、その重さが腕に伝わる。
「おい……ヨタカ……」
アルスの声が震える。実の兄よりも兄弟のように育ち、親友でもあり、仕事の相棒でもあった従兄の身体からはもう生命の息吹を感じられない。
アルスは叫び出したい気分に襲われながら、呆然とその亡骸を抱きしめていた。
◇◇◇◇◇
「……う……」
ツグミは痛む身体をゆっくりと起こした。いつの間にか結界は消えている。
一体どのくらい意識を失っていたのだろう。
周囲を見渡すと、先ほどの場所から然程離れてはいないようだが、どうもフィアード達の気配が感じられない。
アルスの前には一人の男が倒れ、その腕の中には黒髪の人影が見える。そして足元には血溜まりが広がっていた。
「……え?」
ツグミは自分の目を疑ったが、とにかく何も考えずに風に乗ってその場に駆けつけた。
アルスの前に倒れているのは恐らくザイールだ。全身に風刃によると思われる傷がある。まだ息はあるようだ。
そして、アルスに抱えられている人物は彼女のーー夫であった。
「ヨタカ……?」
「……」
アルスはツグミに気付いて顔を上げた。その顔はまるで、親を見失った子供のようである。
「ツグミ……」
「なんでなん? ヨタカ?」
ツグミはアルスの前に座り込み、ヨタカの頬に触れる。肩から胸にざっくりと斬られた傷を見て呆然と呟いた。
「なんで……?」
ツグミの目から涙が溢れる。
「なんであんたが倒れてるん? おかしいやろ?」
「……ツグミ……」
アルスの赤銅色の目が宙を彷徨う。ツグミにどう言ったらいいのか分からない。
「俺を……庇って……」
「……そうか……アルスを庇ったんか……」
ツグミはアルスの腕の中で笑みを浮かべたまま眠る夫を見て、何かに納得したらしい。
「それなら……しゃあないな……」
「……なんのことだ?」
ツグミの言葉の意味が分からず、ヨタカの身体を抱いたまま呆然とするアルスの耳に、かすかな声が聞こえた。
「……アルス……」
ハッとして二人でヨタカを見るが、ヨタカは沈黙したままだ。目の前で倒れているアルスの父親の声であった。
「親父!」
生きていた! アルスの目に安堵が浮かぶ。
「……わしが本気なのにお前は手合わせのつもりだったじゃろ……。馬鹿にしおって……」
言い当てられてドキリとする。よく見ると傷は多いが全て浅い。起き上がれない所を見ると、腱を切られたのだろう。
「ヨタカ……お前も手加減しおって……。それで自分が死んでおっては話にならん……ぞ」
そうだ、ヨタカは自分を守る為にザイールの大剣の前に飛び出したのだ。無防備な鳥の姿で。
「親父……俺……」
「あのデュカスという男は恐ろしい奴じゃ。ヨタカは恐らくお前を殺せと命じられた筈じゃ」
「……そうや。それで変身して飛んで行ったんや……」
ツグミが頷くと、アルスはゴクリと息を飲んだ。
「……え……?」
ザイールは倒れたままアルスを見上げる。
「奴は、自分の能力の及ばんお前を毛嫌いしとったからな。わしを将軍にすると言ったのも、お前を殺す為じゃろう」
「じゃあ、なんでヨタカは……」
ザイールとの戦いの最中に弓で射られたら間違いなく死んでいた。なのに何故、自分を助けようとしたのだろう。
「わしもあの瞬間、目の前が晴れたような気がしたからな。こいつも咄嗟に攻撃の相手を変えたんじゃろう……」
その時、デュカスがフィアードによって封じられた、ということか。
「……フィアードは?」
ツグミは何故この場にフィアード達がいないのか気になっていた。何処かへ転移したのか、と思いたかった。
「ヨタカは、自分もろとも封じたって……言ってた……」
「封じた?」
アルスの言葉にツグミは眉を顰める。ヨタカに分かったということは、自分がこの目で見ていれば分かった筈だ。
「……うちは見てへんねん。フィアードにぶっ飛ばされて、気い失っとったから……。ティアナもぶっ飛ばされた筈……」
そうだ。彼女なら何か分かるかも知れない。記憶は無くても、何か方法がある筈だ。ヨタカも助けてくれる。
ツグミの心に一筋の光が差し込んだ。アルスもそれは同じらしく、先ほどティアナを確認した辺りに視線を向ける。
「……あっ!」
ツグミもつられてそちらを見て、思わず声を上げた。
「ダルセルノ!」
黒髪の男が、ティアナに手を伸ばしている。
ツグミは迷わずティアナの元へ飛んだ。
◇◇◇◇◇
耳障りな声でティアナの頭は冷静さを取り戻した。
「さあ、お前の為に玉座を用意したぞ。わしと一緒に来るんだ」
差し伸べられた手。ティアナは冷ややかな目でそれを見て、そして父親を睨み付けた。
「相変わらずですね。お父様。私の気持ちなど関係ないんですか」
その態度にダルセルノは眉を釣り上げた。今までにない反応だ。これは恐らく……
「おや……、記憶が戻ったようだな。ならば話が早い。もう国の土台は出来ているんだ。わしと来ればすぐにでも……」
ティアナはゆっくりと立ち上がる。
「お父様にお伺いしたい事があります」
「なんだ?」
「お父様は、デュカス様、サーシャ、そしてご自身の蘇生の為に、何人の子供を犠牲にしたんですか?」
その質問にダルセルノは一瞬目を見張った。
「くくく……、それを聞いてどうする?」
「どうやって子供を集めたんです?」
ティアナの声は低い。
「この辺りは不毛の土地でな。口減らしなどしょっ中だ。金貨一枚で子供を差し出す親も多いのだぞ?」
ダルセルノがくだらない事のように言うのを聞いて、ざわり、とティアナの心に負の感情が芽生える。フィアードの剣がその気持ちに反応して軽く振動している。
フィアードを持ち主と選んだ魔剣だが、水晶でフィアードと繋がっていたティアナを主と認めることにしたらしい。
杖代わりにしていた剣をゆっくりと下ろし、その柄を握り直す。
「……どうした。ダイナ。そんな物騒な物はしまいなさい」
ダルセルノの声は心なしか緊張している。
ティアナは剣先を迷うことなく父親に向けた。
「……どうしたんだ……」
「もっと早く、こうすれば良かったんです」
ティアナは憎しみを込めた目でダルセルノを睨み付け、剣を構え直した。
「あかん!」
いきなり飛び込んできたツグミに抱きつかれ、ティアナはバランスを崩した。
「何するの! 離して!」
暴れるティアナをツグミが押さえつけ、突風がダルセルノを吹き飛ばした。
「あんたは人を殺したらあかん!」
続け様に放った風刃がその体を切り刻む。崩れ落ちる姿を見届けて、ツグミは振り返った。
「汚れ役はうちらに任せとき」
「……ツグミ……」
ティアナの呟きにツグミはハッとしてその色違いの双眸を見つめた。
「ティアナ……記憶……」
「……」
ティアナは苦しそうに目を逸らし、こちらに歩いてくるアルスに気付いた。
血に塗れ、ヨタカを背負いながらボロボロの父親に肩を貸して歩いている。
「ヨタカ……もしかして……死んだ……の?」
ティアナの目がアルスの背中に釘付けになる。明らかにヨタカの様子がおかしいのだ。そして、この場で自分に何を期待されているのかにも気付いてしまった。思わず全員から目を逸らす。
ツグミが何かを言いかけた時、グラリ、と地面が揺れた。
「……何だ?」
アルスは必死にバランスを取りながらティアナの元にたどり着いた。
「地震……?」
ツグミは辺りを見渡す。小刻みな揺れが身体に伝わってくる。
「違う……これは……」
ザイールの顔が恐怖に引き攣り、空を仰いだ。全員の目が空に向き、そして、赤く染まる空に息を飲んだ。
「火山が……噴火する……」
ザイールの呟きに、ティアナは膨大な知識を引き出す。火山が噴火したらどうなる? この辺りの噴火の記録は無かったか……?
「この洞穴から逃げましょう! この辺り一帯が火の海になるわ!」
ティアナの声に全員が身構えた。
確か、彼女が帝国を築いた時、この辺りは溶岩に覆われた死の土地だった筈だ。
ひときわ大きな揺れがあり、轟音と共に空に赤黒い煙が立ち上る。
ツグミはザイールを支え、アルスはヨタカを背負ったまま、元来た洞穴に転がり込むように逃げ込んだその直後、赤く燃える火山灰が一帯に降り注いだ。
「……!」
不毛の大地が赤く染まり、僅かに育まれていた植物達が炎を上げて燃える。洞穴の入り口にもその欠片が転がり込んできた。
「……早くここを抜けましょう! 崩れるかも知れないわ!」
ティアナはフィアードの剣先で赤く燃える欠片を突き刺し、それを松明代わりにして先頭を走り始めた。
僅かな明かりを頼りに暗闇の中をツグミが起こした追い風に乗って走る。
ツグミはザイールを背負い、アルスはヨタカを背負ってその小さな背中を追った。
背後からは凄まじい熱気が襲ってくる。
ティアナは考える事を放棄して走り続ける。途中何度も揺れが襲い、パラパラと粉塵が降り始めた頃、出口の明かりが見えてきた。
ツグミが起こした風に乗って全員が飛び出したのを確認するかのように、洞穴は轟音と共に崩れ落ちた。




