第61話 告白
久しぶりの天翔る馬は爽快だった。地上だと五日かかる山岳地帯の麓まで半日である。
しかし、その先は火山の噴煙で進むことが困難なので、グラミィが立ち寄ったという村を探す事にした。
「石造りの家の村か……、すぐ分かりそうだけどな……」
ヨタカが鳥の姿で先回りしている。人里にペガサスで近付くのは目立ちすぎるので丁度いい。
ヨタカは山岳地帯の麓を低空飛行しながら辺りを見渡し、それらしい村を見付けた。少し離れた所に降り立ち、人の姿になって村の様子を探る。
「おんやぁ、珍しい。旅の者け?」
村の外れで洗濯をしていた老婆がヨタカに声を掛けて来た。ヨタカは笑顔を作る。
「少し物を尋ねてもよろしいですか?」
「およ? なんだね?」
「以前、栗色の髪の女戦士と白髪の若い女性がこの村に滞在したことがありますか?」
目立つ組み合わせなので、もしこの村に滞在したのならば誰かが覚えているだろう。老婆は少し考え込んだが、やがて何かを思い出したように頷いた。
「来おった来おった! 立派な馬に二人で乗って……!」
「……正解!」
ヨタカはしてやったりとほくそ笑んだ。
◇◇◇◇◇
「気持ちいいね~!」
ペガサスの背中で上空で風を受け、ティアナは上機嫌ですぐ前のツグミに笑い掛ける。
「そうか……そりゃよかったなぁ!」
ツグミは複雑な表情で誤魔化して、眼下を見下ろす。記憶が戻っていないとは言っても、苦手意識はどうしても払拭出来ない。そして、時々後ろから感じる視線が肌に刺さるようで落ち着かない。
ティアナの背中を守るようにフィアードが乗り、その背中に相変わらず上空が苦手なアルスが目を固く瞑ってしがみついている。
フィアードは基本的に景色を見ようとしてはいるが、時々視界の端に映る白いうなじやしなやかな腕が気になって仕方が無い。その空色の髪が触れた瞬間は心臓が止まるかと思った程だ。
このまま一緒にいるのは精神的に辛すぎる。ヨタカの代わりに自分が偵察に行けば良かった、とひどく後悔していると、ヨタカが戻って来た。
「村を見付けたぞ。宿も取ってある。……こっちだ」
ヨタカは無愛想にそう言って、鳥の姿のまま先導して村外れに降り立った。ペガサスも空中で溶けるように姿を消し、乗っていた者達はフワリと着地する。
「山岳地帯は予想以上に大変そうだぞ。馬を帰して正解だな」
ヨタカはグッタリしているアルスに肩を貸しながら、村に向かって歩き出した。フィアードがティアナの手を引いて慌ててその後を追い、ツグミは少し悩んでから鳥の姿になってヨタカの肩に止まった。
「どうしたんだ?」
「別に……」
「ちゃんと人数分部屋を取ったから、人型に戻っていいぞ」
ヨタカに言われ、ツグミは渋々人型に戻る。後ろを気にしながら歩く姿をヨタカが冷ややかに見ていた。
◇◇◇◇◇
この村は火山の影響で温泉が豊富に湧く、近隣では湯治で有名な土地であった。無論、湯治の為の施設も多く、その殆どが宿を併設している。
ヨタカが取った宿もその一つであった。
「お、ティアナは寝たのか?」
湯上りでサッパリとしたアルスが部屋に戻って来た。
「ああ。大分興奮してたからな。……温泉ってどうだった?」
湯浴みならしたことがあるが、温泉に浸かる機会などそうそうあるものではない。
アルスは食後にそそくさと温泉に行ってしまったのだ。
「気持ちいいぜ~。お前も行ってこいよ」
「へぇ……じゃあ、行ってくるよ」
アルスに勧められ、フィアードもワクワクしながら着替えを手に浴場に向かった。
脱衣所で服を脱ぐと、手拭いを持って引き戸を開ける。ヒヤリとした秋の風が肌を撫で、浴場が外にあることに気付かされる。
火山性の黒い石が嵌め込まれた床は濡れていて少し滑る。注意しながら湯けむりの方に歩みを進めると、立派な池のような露天風呂があった。
源泉が小川のように直接流れ込み、溢れ出た湯に月明かりが煌めく。見上げると、空には満天の星が瞬いていた。
「……すげぇ……」
フィアードは感嘆の溜め息をついた。風呂の温度は然程高くない。備え付けの手桶で身体を流し、ゆっくりと身を沈めていく。
思いの外身体が冷えていたらしく、足先がジインとした。血流が一気に良くなり、全身が弛緩するのが分かる。
「……こいつはいいや……」
湖畔の村や、商会のある町にもこのような施設が欲しいな、と考えながら、広い風呂の中をゆっくり移動していると、湯けむりの向こうに人影が見えた。
他に人がいるとは思っていなかったので、慌てて姿勢を正す。人影もこちらに気付いて動きを止めた。
その時、突然風が吹いて二人の間の湯けむりが一瞬途切れる。お互いの姿が露わになった。
「……ツグミ……」
「……フィアード……」
◇◇◇◇◇
バタバタバタバタ、と廊下を走る音がしたかと思ったら、いきなり部屋の扉が開いた。フィアードだ。
「おいっ! ティアナが起きる!」
アルスは慌てて扉を抑え、フィアードの様子がおかしい事に気付いた。
「おい、大丈夫か? のぼせたのか?」
それにしては顔色が悪い。汗もかいているし、湯当たりだろうか。よく分からないが、酷く具合が悪そうだ。
「とりあえず休め!」
アルスはフィアードを寝台に座らせ、水差しの水を杯に注いで手渡した。
「飲め!」
「……」
フィアードは黙ってそれを飲み干し、一息ついてから蚊の鳴くような声で言った。
「……ツグミがいた……」
「あぁ……それで……」
人騒がせな奴だ。アルスは溜め息をついた。一緒に旅を始めた初日からこれでは先が思いやられる。しかも、彼女の夫も同行しているというのに……。
拭かずに戻ってきたのだろう。せっかく温泉に入ったのに身体が冷え切っている。アルスは手拭いで濡れた髪を拭いてやった。
しばらくすると隣室の扉が閉まる音がして、何やら話し声が聞こえてきた。
アルスはフィアードをチラリと見る。
「なぁ……フィアード、消音の結界張らないのか?」
フィアードは少し考えたが、弱々しく首を振った。
「……いや、多分……気になって維持出来ないと思う……」
アルスは舌打ちした。何でヨタカは続きの部屋を取ったのだろうか。フィアードに対する嫌がらせとしか思えない。
話し声が途切れ、やはりと言うか、案の定、激しい男女の営みの音が聞こえ始めた。
二人の間にも気まずい沈黙が横たわる。思わず聞き入りそうになって、アルスはハッと我に返った。
「あのさ、フィアード……明日からのこと、相談しようぜ……」
アルスが焦ってフィアードの気を逸らそうとするが、フィアードは壁を睨みつけて舌打ちする。
「ヨタカの奴、わざと音をこっちに流してるよな……」
「……そうなのか?」
そう言われてみれば、壁を隔てているとは思えないほどによく聞こえている。
「どうやら俺は相当嫌われてるみたいだな。……ツグミにも嫌われてるのかも知れないな……」
こんな当て付けのような事をする男と何故一緒になったのか理解に苦しむ。
音はいっそう激しさを増し、その息遣いの合間に時々声が聞こえるようになってきた。
「……いや、ツグミは……」
アルスが何か言いかけた時、フィアードの耳があり得ない声を拾った。
「……え?」
思わず壁の向こうを見そうになって慌てて自重する。
「……フィ……アード……」
途切れ途切れではあるが、はっきりとツグミの声が聞こえた。
フィアードは信じられない思いでアルスを見る。アルスは息を飲んでいる。
「なあ、今……」
「ああ……」
「なんでツグミは、俺の名前を呼んだんだ?」
「……! ……!」
声にならない声がだんだん大きくなってくる。物音も激しさを増していて、聞いている方がどうにかなりそうだ。
「おかしいだろ? 他の男の名前を呼んでるんだぞ? なんでヨタカは平気なんだよ!」
「……あいつの考えは俺にも分からない。けど、ツグミは……多分……」
「……フィアード!」
一際苦しそうな声が聞こえ、隣室が静まり返った。フィアードは胸が掻き毟られる気がした。
「どういうことだよ……、お前、何を知ってるんだ?」
フィアードの苦しそうな顔に、アルスは深く息を吐いた。
「お前には言うつもりは無かったんだけどな……」
「……どういうことだよ……」
「ティアナがな……記憶を失う前に言ってた事がな……」
このままではツグミが不憫すぎる。アルスはあの時、何故ツグミにだけ話してしまったのか後悔していた。
フィアードとツグミの運命とティアナの想い。その全てをフィアードに受け入れる事が出来るかどうか分からないが、アルスはそれを打ち明ける事にした。
「……じゃあ、お前はツグミにだけ……その話をしたのか……」
フィアードの目は怒りに染まっている。アルスは観念したように瞑目した。
「そうだ。あの時点ではそれが一番いいと思ったんだ。まさか、ティアナの記憶が無くなるなんて思ってなかったからな……」
殴りたければ殴れ、と両手を組んで床に座り込んだ。
「……ツグミはティアナの為に俺の前から消えたのか?」
フィアードの声が少し落ち着きを取り戻したのでアルスは目を開けた。
「そうなんだろうな。結局、こうやって再会しちまったけど。ヨタカはそれを知ってて受け入れてる。俺には理解出来ないが、あいつはそれでいいらしい」
「俺は良くない!」
「……だよなぁ……」
「だって変だろ? なんで俺の名前を呼びながら他の男に抱かれてるんだよ! 俺はここにいるのに!」
「だからって、お前に他の男に抱かれたあいつを受け入れてやれる度量があるとは思えないがな」
いつの間にか、ヨタカが扉の前に立っていた。フィアードが殺意を込めて睨みつける。
「で、お前はどうするんだ? ツグミは戻る気はないらしいぞ。お前の名前を呼んでる事には気付いてないしな」
「……わざと聞かせたのか?」
「流石に毎回ああだとな……聞かせたくもなるだろ? ……ま、どういう経緯でお前達が別れたのか分かったから、俺は構わないけどな」
「……お前はツグミをどう思ってるんだ?」
フィアードの言葉をヨタカは鼻で笑った。
「別に……好きでもないし嫌いでもないな。ただ……お互い必要なのは確かだ」
「おいヨタカ、いくら何でもそれは……」
アルスが焦る。旅の仲間でこうしたイザコザがあるのが良い訳が無い。
「あのな……アルス。誰もがお前達みたいに単純じゃないんだよ。思っている相手と一緒に居られない奴らだって大勢いるんだ。自分の尺度で人を測るなよ!」
何故か矛先がアルスに向けられた。ヨタカは忌々しそうに舌打ちし、扉を開けた。
「ああ、俺はちょっと出掛けてくるから、ツグミをよろしくな。風邪引かないようにしてやってくれ」
ヨタカは振り向きもせずに言い捨てて扉を閉めてしまった。
「風邪って……」
フィアードは慌てて立ち上がり、ヨタカの後を追うように部屋を出、隣の部屋の扉を開けた。
ムワッと男女の匂いが鼻について、フィアードは顔を顰める。寝台にツグミが眠っていた。
寝間着を着せられ、毛布を掛けられている。
「……嵌められた……」
フィアードはがっくりと膝をつき、その寝顔を眺めた。出会った頃と変わらない、あどけない少女のような顔だ。
「そいつな……お前と別れてからしばらく、一人では眠れなくなってたんだ。目覚めた時、お前の後ろ姿が見えたのが辛かったらしいぞ」
ヨタカの声だ。フィアードは振り向かなかった。思いも掛けていなかった事だった。
「せっかく風呂で二人きりにしてやったのに、何も話さなかったらしいな。こうでもしないと話すつもりもなかった訳だ……手間掛けさせやがって。
お前ら、ちゃんと話し合え。俺もいい迷惑だ。そいつとの関係は別に嫌じゃないが、お前が絡むと面倒だからな」
「……分かった……」
扉が閉まる音を聞いて、そっとツグミの髪に触れる。しっとりと汗ばんだ象牙色の額に口付けする。
懐かしいツグミの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「……ん……」
ツグミがゆっくりと目を開けた。




