第60話 再編成
馬で移動して天幕を張って休むことを繰り返し、三日目に小さな集落に到着した。ここにはグラミィの小屋があると言うので、一行はその小屋に泊まることとなった。
慣れない馬での移動と野営に疲れていたフィアードにとって、それはとても有難い時間となった。
久しぶりの暖かい食事と屋根のある場所での休息を満喫していると、アルスが地図を広げてグラミィに尋ねた。
「……グラミィ、ちょっと聞きたいんだが、以前お前がダルセルノを連れて村へ戻って来た時のことを覚えてるか? 覚えてたら、順を追っておおよその位置を教えてくれ」
「ええ。まず、ミサゴから連絡が来て、あの女戦士とこの小屋で待ち合わせをしたわ」
彼女はアルスがこれまでの道程を書き込んだ地図をなぞる。グラミィは湖畔の村の周辺の集落に、幾つか拠点を持っている。流行り病が出た時にそこで治療に当たる為にそれぞれの集落が用意してくれているのだ。
「あ、この小屋だったのか。通りで見覚えがあると思った……」
フィアードはかつて遠見でこの小屋を定期的に監視していたことを思い出した。思ったよりも小ぢんまりしているように感じるのは、大勢で利用しているからだろうか。
「あの時は、彼女が道に迷ったとかで、二日くらい待たされたわ。で、ここから私が乗ってきた馬に二人で乗って、山岳地帯に向かったの」
グラミィは地図の山岳地帯の辺りを指差すが、その範囲がはっきりしない。
「……道は覚えてないんだろ?」
「ごめんなさい。彼女が主導して私が後ろに乗ってたし、かなりの速足で向かったからよく分からないわ」
レイモンドの地図によると、この集落から山岳地帯に向かう道は少なくとも三本はある。
「五日目……くらいに山岳地帯の麓の村について、そこで補給をしたわ。道はあまり良くなかったと思う」
その言葉を参考に距離と方向を探る。
「なあ、火の国にはどのくらいで着いたんだ?」
フィアードとしては、この移動がどの程度続くのかが気になる。ハッキリ言ってキツい。ヴァイスも大分気を遣ってくれているが、やはりティアナも大分無理している。
「そうね、火の国までは私の馬に二人で乗って、一ヶ月ほどね。到着後、治療しても私では完治出来ないって言ったら、本人がなんとかしろって言って、気が付いたら村へ連れて帰ることになってしまったわ」
「でも、村に帰ったのは半年くらい掛かったって……」
片道一ヶ月なのに、何故半年も掛かったのだろう。そう言えば、村に戻って来た時は徒歩ではなかったか?
「そうよ。あいつ、身体が痛いから馬は無理だとか言って、帰りは徒歩よ! 私は馬にあいつと荷物を乗せて、歩いて引いてたの。
それでも二日くらい移動すると、全身が痛くて動けなくなるからって天幕を張って治療して……それで五ヶ月よ! 途中で馬を手離して路銀を稼いで……本当、なんであんな無理を聞いたのか自分でもよく分からないわ」
恐らく思考誘導されていたのだろう。そこまで考えて、フィアードは重大な過ちに気が付いた。
「そうか……、グラミィ……貴女はサーシャにもダルセルノにも名前を知られてるんですよね……!」
グラミィはハッとして口を塞ぐ。アルスも息を飲んだ。
「デュカスも知っていると思った方がいいか……?」
グラミィはかつて、娘を殺そうとしたことを思い出した。確かに殺してやりたいと思ったことは無い訳ではなかったが、いくらなんでもあれは異常だった。
あれが思考誘導によるものだとすれば、なんと恐ろしいことだろう。
「……じゃあ、山岳地帯に着いたら、私は引き返すわ。知らないうちに貴方達の敵になったら嫌だもの……」
何と言っても義理の息子と魔術の弟子である。敵対したい訳が無い。
「ごめん、その可能性に俺が気付かなかったから……。デュカスが名前を知っていたヨシキリのことしか……」
完全にフィアードの判断ミスだ。安易に道案内を頼んでしまった。グラミィが首を振る。
「私もすっかり失念してたわ。でも、覚えてる限りのことを伝えたいから、ギリギリまでは一緒に行かせて……」
アルスは難しい顔をして考え込んでいる。いつどこで敵の手の者と相見えるか分からない。その時に万が一味方だと思っていたグラミィが敵に回ったら……。
「駄目だ、グラミィ。すぐに戻った方がいい。俺はお前に剣を向けたくない」
その真剣な眼差しに、アルスの中の優先順位を痛感して、グラミィは少し寂しそうな顔をした。
「分かったわ……。荷物はアルスが運んでね。でも、山岳地帯から先は地図が無いんでしょ?」
例の噴煙が酷かった地域だ。アルスは地図を覗き込んで頷いた。
「今晩のうちに、覚えてる限りのことを教えてくれ。それで……明日からは別行動だ」
「そうね。記憶を操作されてるかも知れないし……、私を道案内にするのも相手の作戦だったかも知れないわね」
グラミィの自嘲めいた言葉に、フィアードはその可能性に気付かなかった自分を恥じた。相手の恐ろしさを何も分かっていなかった自分が腹立たしい。
フィアードは泣きそうな気分になってグラミィに頭を下げた。
「グラミィ……ごめんなさい……」
「仕方ないわ。私もすっかり忘れてたもの……」
グラミィは地図を見ながらアルスに覚えてる限りの事を伝え始めた。
◇◇◇◇◇
翌朝、グラミィを見送ると、昨晩のやり取りの時に寝ていたティアナが不思議そうに首を傾げていた。
「どうしてグラミィは帰るの?」
フィアードは言葉に詰まる。適当に言い逃れをすることは簡単だが、ティアナ相手にそれをするのが憚られる。
「……グラミィは、あの怖いおじさん達におどかされちゃうかも知れないから、ここで帰ることにしたんだ」
嘘はつかず、でも分かりやすく……子供相手の説明は難しい。もし今、彼女が記憶を取り戻したら、と思うと、すぐに真実に気付けるようにしておかなければ後々恨まれる気がするのだ。
フィアードの説明でティアナはなんとなく納得したようで、ふうん、と頷いていた。
「おい、一人離脱したぞ? どうする?」
「……やかましいなぁ。黙っとき」
屋根の上で色も大きさも異なる二羽の鳥が話し合っている。
「まさか、本当に黙って見守ってるつもりなのか?」
「当たり前や。今更どのツラ下げて一緒に旅なんかできるねん」
「いいじゃないか。あいつらが寝てる横なんて、最高に燃えるぞ?」
「あんたと一緒にせんとって! そんな事で喜ぶんはあんたみたいな変態だけや!」
「そんな変態に抱かれて喜んでるのは何処の誰だか……」
「……殺されたいんか?」
小鳥の目に殺意が光る。
「ま、冗談はさておき……お前が運んでやれば、あいつだって楽になるんだろ?」
「そりゃそうやけど……」
「ほら、まだ今なら間に合うぞ。あの皓の女に馬を連れて帰ってもらえ」
黒い猛禽類が小さな小鳥をつついている。
「だから、やかましいって……、あ、こら! ヨタカ!」
黒い猛禽類はサッと屋根から三人の目の前に舞い降りた。
「おい、ついでだからお前達の馬も連れて帰ってもらえよ」
人型に戻った黒髪の青年は、久しぶりに会う従弟にニヤリと笑いかけた。小さな小鳥が仕方なさそうに舞い降りて、少し躊躇してから人型に戻り、青年の影に隠れた。
「ヨタカ……!」
「……ツグミ……」
アルスは嬉しそうだが、フィアードはどうしていいのか分からない。とりあえず、目を逸らして後のことはアルスに任せることにする。
「一緒に行ってくれるのか?」
フィアードの様子を気にしながらも、アルスははやる気持ちを抑えきれない。これ以上に心強い援軍はない。
「レイモンドから頼まれてな。雇い主からの依頼だから仕方ないだろ」
ヨタカは皮肉めいた笑みを浮かべてアルスとフィアードを交互に見る。
「……せやから、もう馬はいらんよって……」
「ああ、そういうことか! 助かるぜ!」
ツグミが遠慮がちに言うと、アルスは心得た、とすぐに馬に跨り、グラミィの後を追い掛けて行ってしまった。
「お前の乗馬技術じゃ、この後の山岳地帯は落馬するのが目に見えてるからな。大人しくツグミに運んでもらえ」
ヨタカの辛辣な物言いにフィアードは言葉を失った。
ツグミはヨタカの袖を引く。
「……ほら、フィアードが嫌がっとるやろ? だから、見守るだけでええって言っとるんや……」
ツグミがその場を去ろうとするのを見て、フィアードは呆然と首を振った。
「嫌じゃ、ない。それに……前、助けてくれた事……ちゃんとお礼も言えてないし……」
「……フィアード……」
二人の視線が絡み合う。失った時を取り戻すかのように。フィアードが一歩、足を踏み出した瞬間、小さな手がその服を引いた。
「……お姉ちゃん、会ったことあるよね? 誰だったっけ……?」
ティアナが真っ直ぐにツグミを見つめていた。
その視線に射すくめられたようにツグミが立ち尽くしていると、アルスとグラミィが馬で戻って来た。
「あ、貴女がツグミね。フィアード達を運んでくれるの? 助かるわ!」
グラミィは憑き物が落ちたかのようにスッキリとした表情でヒラリと馬から下りると、ヴァイスの手綱を引いて来た。
「貴女の事はヨシキリから聞いてるわ。後のことはよろしくね」
グラミィは笑顔でツグミに挨拶すると、アルスから手綱を受け取って三頭の馬を引きながら、元来た道を戻って行った。
「……そっか、ヨシキリとも……あ、いや、いいや……」
フィアードは視線を外すと、くるりと踵を返して小屋の中に戻って行った。
「あちゃ……グラミィのやつ、余計な事を……」
アルスは溜め息をついた。しかしもう馬を持って行ってしまった以上、移動はツグミに頼る他ない。フィアードは大丈夫だろうか。
「……ツグミ……」
「アルス、久しぶりやな。はぁ、やっぱ応えるわぁ……。だから嫌やってん……」
ツグミはフィアードが消えた扉を見つめる。当然のように後を追ったティアナも気になる。
「ティアナ嬢の記憶は?」
「まだ戻ってない。お陰でフィアードがかなり苦労してる」
「……そっか……」
「俺としては、お前達が一緒にいてくれるなら、これ以上に心強い援軍はないんだが……」
何と言っても移動が格段に楽になる。その上、弓と魔術による遠距離攻撃だ。これでフィアードはティアナを守る事に専念できるだろう。
問題はフィアードとツグミの感情なのだ。アルスがどうしたものかと首を傾げていると、ヨタカが遠慮なく扉を開けて中に入って行った。
「おい、まだ甘ったれた事を言ってるのか?」
扉を開けるなり傲然と言い放つヨタカに見向きもせず、フィアードは黙々と荷造りをしていた。ティアナはちょこまかと走り回り、掃除をしているようだ。
ヨタカはそれを意外そうに眺めながら言った。
「お? 俺達と一緒に行くことでいいのか?」
「……それが最善の策なのは分かってる。俺の感情なんてどうでもいいだろ、もう……」
荷造りの手を休めずに言う。酷く投げやりな言い方が癇に障るが、一応状況は分かっているようだ。
「ノスリにも言われたんだ。剣士はアルスがいれば充分、ヨタカとツグミを頼れってな……」
「……へえ、あいつが……」
「ツグミに惚れた、俺が馬鹿だっただけだ……」
自嘲するフィアードの頬をヨタカの拳が抉った。
「阿呆が。ツグミはお前なんかには勿体無いほどいい女だ」
「.……」
フィアードはその空色の目から視線を逸らした。
ヨタカはフンっと鼻を鳴らすと、まとまった荷物を持って扉を開けた。
「これでこの間の件もチャラにしてやる。お前らは大人しく俺達に守られてろ!」




