第59話 旅の相棒
季節は秋を迎えていた。出発を明朝に控え、フィアード達は火の国までの道程をどう進むか、色々と検討していた。
アルスを連れて転移で移動する事が出来ない以上、風の魔術で飛んで行くか陸路を取るか、という選択肢になる。
魔術を使って移動すると、フィアードの消耗が激しくなり、いざという時に動けなくなると困るので、そこはやはり陸路を選択せざるを得ない。
「……冬までに到着できるといいが……」
アルスは地図を睨みつけている。昼間までヒバリと二人で別れを惜しんでいたにも関わらず、その横にはピッタリとヒバリが張り付いている。
「……やっぱり馬か……」
「俺はあんまり自信ないんだけどな……」
アルスの提案にフィアードが苦い顔をする。乗馬の経験など殆ど無い。だが、馬車だと山道を進むのに支障が出るからやむを得ないのだ。
「そこはまぁ、魔術でなんとかしろよ。ティアナはお前と一緒に乗るって言ってるしよ」
「荷物は私が運ぶわ」
グラミィがニコリと笑う。フィアードはがっくりと溜め息をついた。自分一人だけならば転移を駆使して移動する方がよっぽど楽なのだ。恐らく、ティアナもその方が楽で安全だ。
「別に移動……とかはやっぱり良くないよな……」
「別に宿ごとに合流でも構わないが、お前達二人の所をデュカスに狙われても、俺は駆けつけられないぞ?」
「だよな……」
フィアードは一人でティアナを守りきる自信が無い。
今回は敵の懐に自ら飛び込むのだ。せめてまともに戦える者が一緒でなければ意味はない。
「それよりも、ちゃんと勝算はあるのか?」
「ああ。お前が引きつけて奴らに隙を作ってくれれば何とかなる」
フィアードは胸元に輝く水晶に手をやっているので、どうやらそれが秘策の切り札だろう。それにしても中々の自信だ。アルスはその言葉を信じることにした。
「じゃあ、明日な。しっかり休んどけよ」
アルスは地図をクルクルと丸めた。いつの間にかすぐそばに立っていたグラミィがヒバリの頭をクシャリと撫でた。
「……今晩は私は他に泊まるから、あんた達は家族でゆっくり過ごしなさい」
昼まで丸二日間二人きりで過ごしていたのに更に時間をやるのか、とフィアードは目を丸くしたが、グラミィの頬が若干緩んでいることに気付いた。
「あ、そっか……」
思わず余計な事を言いそうになって慌てて口を噤んだ。恐らくヨシキリの所に泊まるのだろう。リュージィは特にヨシキリの小屋に住んでいる訳でもなく、酒場や宿で一晩中働いている事も多い。
「おっ! ヨシキリの所か! じゃあ、俺達も負けられないな!」
「阿呆、ラキスをこれ以上放置するな!」
ゴツン、と大きな音を立ててグラミィがアルスの頭を殴った。顔が真っ赤だ。フィアードは笑いを堪えながら、そそくさと立ち上がった。邪魔をしてはいけない。
「じゃあ明日な。二人とも、ほどほどにな……」
若干の皮肉を込めて言い残すと、扉まで行くのが面倒になってそのまま二階の部屋まで転移した。
「……お兄ちゃん……」
「起きてたのか……」
部屋に転移した途端、寝台からティアナが身を起こしたのでフィアードは吐息をついた。無理やり先に寝かそうとしたが、無駄だったようだ。
フィアードはティアナの寝台に歩み寄った。目くらましを掛けていないティアナの色違いの双眸が不安に揺れているのが分かる。
「……大丈夫だよ。俺が一緒に行くから」
「うん……」
もしかしたら、未来見で何か嫌な事でも見たのだろうか。それとも記憶が戻り掛けているのだろうか。フィアードも少し不安になってくるが、頭を振ってその不安を吹き飛ばそうとした。
「そうだ……ティアナ、これを……」
フィアードは懐から首飾りを出した。細い金の鎖に小さな水晶がついている。フィアードが今身につけている物と同じ物だ。
「……お兄ちゃんとお揃い?」
フィアードはティアナの首にその首飾りをつけてやった。
「そうだよ。同じ水晶の結晶から作って貰ったんだ。鎖もどちらもモトロが作ったんだ」
ヒバリの息子、モトロは皓の村で主に金と水晶の加工を行っている。湖底で採れた金と水晶で作った物だ。
「凄い……、綺麗……」
「これがティアナを守ってくれるから……」
フィアードの言葉にティアナは小さく頷いた。水晶はティアナの魔力によく馴染み、淡い輝きを放っている。
「大丈夫だよ。明日は早いから、もうおやすみ」
フィアードはティアナを寝台に寝かせ、頭を優しく撫でてやった。ティアナは安心したように目を閉じて、やがて規則正しい寝息を立て始めた。
その寝息を聞いていると、フィアードの昂ぶっていた気持ちも落ち着きを取り戻し、心地よい睡魔が襲って来た。彼は寝台に潜り込み、すぐにその睡魔に身を委ねた。
◇◇◇◇◇
翌朝、フィアードはティアナを起こしてまとめておいた荷物を持って小屋を出た。
小屋の外には三頭の馬を連れて、バウアーが控えていた。
「うわぁ! お馬さんだ!」
ティアナは大喜びで駆け寄り、その大きな顔にびっくりして慌ててフィアードの元に戻ってきた。
「おう、フィアード。早いな」
「バウアーこそ。……この馬か?」
しっかりした体躯の馬だ。脚も太く、山道にも耐えられそうだ。一頭は鹿毛。残りの二頭は栗毛で、うち一頭には鼻の上に大きな白斑がある。
「ああ。収穫は終わったからな。春先まで仕事はないから、大丈夫だ」
春先になると田畑を耕すために活躍する馬達だが、収穫の運搬後はあまり仕事がない。バウアーは仲間の農夫に声を掛けて、しばらく貸してくれるよう頼んでくれたのだ。
「ありがとう。大切にするよ」
フィアードが言うと、三頭がチラリとこちらを見たような気がした。
「気をつけてな。アルスはまだ起きて来ないのか?」
バウアーは一頭ずつ鞍や水勒、手綱の具合を確かめている。
「あ~、そうだなぁ。別れを惜しんでるんだろ?」
フィアードは恐る恐る白斑のある馬に手を伸ばそうとするが、その耳がぶるん、と動いたのに驚いて脚が竦んでしまった。
「そうか。嫁と子供を置いて行くんだもんなぁ……。仕方ねぇな」
バウアーは頭を掻きながら、鞍に鐙を取り付け、長さを調節する。
「アルスと、グラミィだな。……こんなもんか。お前はその白斑がいいだろう。これが一番気質が穏やかだからな」
「……そうか……よ、よろしく……」
馬は乗り手を見ると父から聞いた。反発されると危険だ。多少下手に出てもいいから、仲良くならなければ。
フィアードはそっとその首に手を当てた。ツルツルとした毛が心地よく、人間より少し高い体温が伝わってくる。
「お、分かってるねぇ……」
バウアーはニヤリと笑う。馬を生き物と見なさない者や下に見る者は、大抵いきなり鐙に足を掛け、振り落とされるのだ。
フィアードは馬の体温と鼓動を感じながら深呼吸した。馬の緊張が解けてくるのが分かる。馬とて始めて会う人間が怖かったのだ。
ティアナも真似をして、馬の脚に手を当てる。
「あったかい~!」
嬉しそうに馬の顔を見上げると、馬は優しい目でティアナを見て、フィアードに頷いた。
「よろしく」
フィアードが言うと、馬の耳がピクリと動いた。
グラミィがヨシキリと歩いてきた。バウアーがそれに気付いて手を振っていると、水車小屋からアルスとラキスを抱いたヒバリが出てきた。アルスは大荷物を抱えている。
「おっ! いい馬じゃないか!」
アルスは荷物を置くと、鹿毛の馬の手綱に手を掛けた。馬はアルスの匂いを嗅いで、一瞬嫌な顔をした。ヒバリとの情事の匂いがまだ残っているのだろう。
「おっ? まだ匂うか! 悪い悪い! そんなに嫌がるなよ~」
アルスは馬に話しかけながら、その身体を触り、鞍や鐙を確認する。
「バウアーありがとう。これなら多少の山道も大丈夫だな。いい馬だ!」
馬も褒められて嬉しそうだ。グラミィも何やら話しかけながら、栗毛の馬の背中に荷物を括り付けている。
「そうか、こいつらも仲間なんだな……」
フィアードは経験豊富な二人が当たり前のように馬と接している姿から、人と馬の関係を学んだ。
「名前はあるのか?」
「ああ。鹿毛が雌でブフト、栗毛が雄でオゼーユ、白斑が雌でヴァイスだ」
バウアーの言葉を聞いて、アルスとグラミィは馬を名前で呼び出した。フィアードもその首を撫でながら、出来るだけ真摯に話し掛けた。
「ヴァイス……俺、多分乗るの下手だけど、お前が嫌な思いしないように頑張るから、よろしくな」
ヴァイスの目がフィアードを見た。なんだか子供を見るような優しい目付きだ。これは大丈夫かも知れない。
フィアードはティアナを鞍に乗せると、鐙に脚を掛けて一気に身体を持ち上げた。ヴァイスがちょっと身体を動かして、フィアードが乗りやすいように調整してくれたお陰で、無事に乗ることが出来た。
「お、ちゃんと乗れたな! なら大丈夫だ!」
「……なんとかな……」
ティアナに覆いかぶさるような姿勢だ。アルスの姿勢を見ながら、出来るだけ同じような姿勢を保つ。
「馬の動きに合わせてたら大丈夫だ。手綱は優しく持てよ」
フィアードの両手はガチガチだ。深呼吸してから手綱を持ち直した。
「馬は四本脚だから、歩くリズムが私達とは違うわ。それを感じてあげて」
グラミィが声を掛けてきた。フィアードは頷きながら馬の動きに合わせて身体を動かす。手綱を通して、馬の息遣いが感じられる。
「頼んだぞ、ヴァイス。お前を信じるからな!」
ヴァイスは任せとけ、とチラリとフィアードを見て歩き出した。力を抜いてその動きに合わせると、馬と身体が一体になったような気がする。
「よし、大丈夫だな」
既に鞍上の人となっていたアルスが見事な手綱捌きでフィアードの前についた。
「俺が先駆け、グラミィが殿だ。出来るだけ離れずについて来て、何か問題があればすぐに声を掛けろよ」
「分かった」
フィアードは少し緊張した面持ちで頷いた。ヴァイスがぶるん、と耳を振ってそんなフィアードを元気付けようとしている。
三頭の馬は四人を乗せてしっかりと隊列を組んで整然と歩き出した。
「じゃあな、気をつけて!」
バウアーが手を振る。ヨシキリとヒバリが名残惜しそうに愛する者を見送っていた。




