第5話 出会い
フィアード達が滞在している村は、コーダ村という名前らしい。地域間での交流がそれほど盛んではないので、大抵の村には名前はない。方角や村長の名前で呼ばれることが通例であるので、村に名前があることは珍しい。
何故、村の名前が分かったかと言うと、吹雪の夜に村長の家に招かれざる珍客がやって来たからだ。
扉を激しく叩かれ、駆け付けた家人達は武器を手にその客を取り囲んだ。雪にまみれて転がり込んで来た青年は、村長の次男だった。
「アルス様! ご無事だったんですか!」
家人達がその青年の正体に気付くと、赤毛の青年は家人の姿を認めて呆然と呟いた。
「ここは……コーダ村か? ……帰って来れたのか……俺は……!」
「そうです! コーダ村です! 貴方のご実家です!」
「よかった……」
そう言って青年ーーアルスは気を失った。
追手かと思ってビクビクしながらも、怪しまれる訳にいかずにその場に駆けつけていたフィアードは、その時に初めて村の名前を知った。
事情を聞きたい気もしたが、あまり深入りしない方がいい、と、家人達が青年を村長の部屋に運ぶのを見届けて、自室に戻った。
「何の騒ぎだったの?」
部屋に入るなり、興味津々と言った表情でティアナが聞いてきた。
「なんか、行方不明だった村長の息子が帰ってきたらしい」
「へぇ〜」
「それよりも、だ。この村はコーダ村っていうらしい。何か記憶にないか?」
「コーダ村……?」
ティアナはしばらく考え込み、ふと思い付いた。
「コーダから来たっていう傭兵がいたわね。傭兵稼業の村出身だって言ってた気がするわ。私の護衛をしてたアルスっていう馬鹿なヤツ」
「……あいつ……馬鹿なんだ……」
人の良さそうな赤毛の青年……。そして傭兵の村……。行き当たりばったりでこの村に来たが、もしかしたら運命の導きなのかも知れない。ティアナは彼について知る限りの人となりを教えてくれた。
ティアナの話しが一段落すると、フィアードは灯りを消して寝台に潜り込んだ。冷えた身体を温める。もう夜も遅い。明日になれば、また何か分かるだろう。
◇◇◇◇◇
翌朝、吹雪の後始末をする為に村の男達は除雪作業に追われていた。幸いにも、怪我人などは出ていないようだった。
フィアードがいつものように部屋で籠を編んでいると、昨晩の騒ぎの原因ーーアルスがおもむろに扉を開けて部屋に入って来た。
「……っと! ごめんなさい!」
客がいると思っていなかったのか、驚いているようだ。フィアードは足音で誰か来るのは分かっていたので目くらましを掛けていた。が、いきなり扉が開いたのですぐに反応できなかった。
そうか、こいつは馬鹿なんだったな、と軽く深呼吸して、編みかけの籠を机に置く。
「いえ……、ザイール様のご厚意で、ご厄介になっているフィーネと申します。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
すっかり板についてきた、聖母のような微笑みを浮かべる。アルスはすっかり赤くなっている。
「こちらこそ、ご無礼を! コーダ村が村長ザイールの次男、アルスと申します」
長身で鍛えられた逞しい身体。フィアードは内心で嫉妬を覚えながらも、その線の細い身体のお陰で怪しまれていない現状に感謝していた。
「お子さんは……寝てるんですね」
「はい……。ティアナと申します」
アルスは何を思ったのか、椅子に腰を下ろし、ティアナを覗き込んだ。どうやら子供好きらしく、優しい表情を浮かべてその頬や髪に触れようと手を伸ばした。
「ア……アルス様、昨日の騒ぎは……なんだったんでしょう?」
突然ティアナが目覚めるとまずい、とフィアードはアルスの注意を引き付ける。目の色を誤魔化すほど巧妙な目くらましはまだ使えない。
「ああ! 昨夜はお騒がせしました! 実はですね……」
……やはり単純だ。すぐにフィアードに向き直り、話題を変えてくれた。
「私は傭兵をしてまして、先々月、ある村の襲撃に加わったんです。なんでも、神の一族とか言われていて、閉鎖的な村でした」
「……え……?」
「女子供は避難してたんでしょうねぇ。残った男達の強いこと! なんだか死に物狂い、みたいな感じで。とにかく強くて押されっぱなし! でも、こっちには緋の魔人がいたからか、あっという間に村は火の海!
魔人達は火の中に突っ込んでいって、今度は形勢逆転! って感じだったんですが、突然もの凄く強い女戦士が現れて、バッタバッタと仲間達がやられていったんです!
実は俺は別の案件で雇われてたんですよ。戦争とか襲撃なんてはっきり言って嫌いですし。目の前で俺たちを動員した責任者が死んで、魔人が数人がかりで女戦士に飛びかかった隙に……逃げちゃいました。
で、道に迷ってるうちに冬になってしまって、昨日の吹雪! 食料も尽きかけて、もう凍え死ぬしかない!って思ったら村が見えたんで、とにかく駆け込んだら、なんと我が家だった! という訳です!」
まるで子供達に聞かせるような冒険談。今までならば普通にワクワクしながら聞いていたかも知れない。だが、途中から彼の言葉は全く耳に入らなかった。もたらされた内容はあまりにも辛く、胸が抉られるようだ。
「って……あれ? フィーネさん?」
アルスが慌てている。フィアードは知らず知らず握りしめていた手の甲に涙が落ちていることに気付いた。この反応はまずい!震える心を抑え込み、無理やり平静を装って涙を拭った。
「あ、すみません。大丈夫です……。そろそろ娘が起きますので……」
震える声で告げる。その表情は恐ろしいほど冷たく、出て行って欲しい、という思いは通じたようだ。
「あ、そうですね。すみません、お邪魔しました」
アルスは突然の拒絶に戸惑い、大きな体を小さくして、そそくさと出て行った。
形ばかりの見送りを済ませ、すかさず扉を閉める。そのまま扉に寄りかかるように座り込んだ。胸が早鐘を打っていた。こんな形で彼らの最期を聞くことになるなんて……。
「……思った以上にキツイな……」
悪気がないだけに、どう接していいか分からない。でも怪しまれない為にも、次に話しかけられた時には平常心でいよう……。フィアードは瞑目して深く息を吐いた。
◇◇◇◇◇
「フィーネさん! いいですか?」
扉を叩く音と、ここ数日ですっかり聞きなれた声が聞こえてきた。気まずさから扉も開けずに断っていたのだが、あまりにも毎日続くと、諦めざるを得ない。
「……はい……」
フィアードは渋々扉を開けると、開けてもらえたのが余程嬉しかったのか、赤毛の人懐っこい笑みを浮かべた大男が布袋を抱えて立っていた。
「これ、矢羽に使えると思って取ってあったものです。使って下さい」
渡された袋には、鳥の尾羽がギッシリ詰まっていた。
「すごい……! タカですか!」
珍しい物を見たからか、フィアードは自分でも驚くほど素直に反応してしまった。アルスは受け取ってもらえてホッとしたようだ。満面の笑みで元気に頷く。
「はい! 使って下さい! それでは!」
アルスは袋を渡すとすぐに戻ろうとした。が、世話になっている村長の息子であるし、すぐに追い返すのは失礼だろう。
「あ、よければ……どうぞ……」
ぶっきらぼうに部屋に招き入れる。部屋中に積み上げられた作りかけの矢を見て、アルスは感嘆の溜め息をついた。
「凄いですね……。竹で作るんですか……」
「こちらでは違うんですか?」
「ははっ! 俺はあんまり詳しくないんですよね……」
細く割った竹を束ねて焼く。これで強度のある矢ができるのだ。故郷では狩猟が盛んだったので、子供の頃から弓矢を作って練習したものだ。
「俺は荒っぽいので、弓矢より石を投擲してしまいますからねぇ。でも、ちゃんとした弓矢なら、女性でも狩りができますね!
フィーネさんはきっと、狩りの腕もいいんでしょうねぇ! そう言えば、持ってらっしゃる剣も立派でしたね……!」
「ありがとうございます」
適当に相槌を打ちながら黙々と作業する。とにかくアルスはよく喋った。翌日ももその次の日も、矢を作ってる間、籠を編んでいる間、ずっと喋っていた。
何が楽しいのか分からないが、お茶や果物、籠や矢の材料を持って来てはしばらく喋って帰る、というのが日課になってしまった。
フィアードとしても、彼の話しは面白く、色々な情報を得られるので悪い気はしない。襲撃の話しは勘弁してほしいが。
初日の気まずさを払拭したいだけだろう、と、フィアードは今自分がどういう目で見られているかを失念して、呑気に考えていた。
◇◇◇◇◇
「長い間、お世話になりました」
春になり、雪が溶けて道が開けるまでの四ヶ月間、村長の家に滞在できたお陰で魔術の練習も進み、ゆっくりと力を蓄えられた。フィアードは感謝の言葉を伝えた。
「いやいや、立派な籠と矢をこんなにたくさん作って貰えるとは、かえって気を使わせてしまったのう! 赤子も大分大きくなったし、これなら大丈夫じゃろう」
村を訪れた時は背中に完全に隠れていたティアナの顔が見える。眠っているのか目を瞑っているが、可愛らしい顔立ちだ。
ザイールが優しく頭を撫でると、ピクリと反応したが、すぐにまた眠ってしまった。
「そう言えば、こやつはいつも寝ておったな。寝る子は育つとは言うが、この四ヶ月、笑った顔を見とらんなぁ……」
なんとなく拗ねたような態度で、背中のティアナを起こそうとするので、慌てて立ち上がった。
「あの……ザイール様、私たちはそろそろ失礼します……」
「……まあまあ、そう言うな。探し人じゃったか?」
ザイールは意味深に言葉を切った。そして少し考え込むように顎をしゃくりながら、舐めるようにフィアードを見た。
「……探しているのはその子の母親か?」
さっとフィアードの顔色が変わる。家人はいない。自分と村長とティアナ、三人だけだ。いつから気付いていたのだろう。ザイールの気配が一変して、油断ならないものとなる。
「最初はまんまと騙されたがのぅ。こんな小さな村でも、他所者は必ずうちに泊まらせる。理由は分かるか? 小僧」
冷や汗が背中を流れる。雰囲気で分かる。傭兵の村の長たるこの男は歴戦の勇士だ。ティアナが眠っていてよかった。目くらましが解けていないことを確認しながら、フィアードは身構え、腰の剣に手を添える。
「無駄無駄。その程度でわしに勝てると思っとるのか?」
「……何も聞かないで送り出していただくことは無理ですか?」
ザイールはかかか、と豪快に笑った。
「違いない。だがな、ちょっと力になってもいいと思うくらいは気に入ったんじゃ。情ってやつかのぅ」
フィアードは暫く考え、警戒を解いた。牽制にすらならないのだから、と剣から手を離す。
「……碧の魔人を探しています。私の父とこの子の家族を弔ってもらった礼をしたいのです」
「……成る程……」
ザイールは椅子に腰を下ろした。
「彼らが弔った…ということは何故分かった? 会って話をしたのか?」
「い……いえ……。風の精霊が……」
言いかけてはっと口を噤む。
「ほう、風の精霊……。精霊の気配が分かるのか」
ザイールはふふん、と鼻をならし、フィアードの髪に触れた。緊張で目くらましの一部が綻んでしまう。毛先が本来の色彩を取り戻す。
「アルスに聞いてな。……わしの推理は正しかったようじゃな。……欠片持ちに会ったのは久しぶりじゃな。奴は元気か?」
先代のことだろうか。先代は割と自由な人だったらしい。本来秘匿されるべき欠片持ちだったが、過去最大と言われるほどの魔力を誇り、様々な魔術を編み出して旅をしていたらしい。空間を扱う薄緑にとって、距離などはあまり問題にならないのだ。
「私……俺が物心つく前に亡くなりました。薄緑は俺一人です」
驚くほど声が掠れている。
「ほう……奴は死んだのか」
さしたる感傷もなさそうに呟き、ザイールは背中のティアナをチラリと見る。ティアナの目くらましも綻んでいるのかも知れない。
「……ということは、噂は本当か」
「噂……?」
「昨年の秋に鍵が生まれた、という夢を見た者が大勢おった。その直後の村の襲撃……。そして母子を偽る怪し気な旅人……その子が鍵か?」
「……お答えしなければいけませんか?」
フィアードの声は震えている。
「いや、それで充分じゃ。
碧の魔族は二、三年周期で各地の拠点を回っているはずじゃ。次に行きそうなのは……彼方じゃな」
ザイールは一方向を指差す。今更隠す必要もないだろう。フィアードは魔力を込めてそちらに顔を向けて見た。
方向を固定して、距離だけを移動していく。気が急くからか、凄まじい勢いで景色が飛んで行き、軽く眩暈を覚える。
ふと、天幕を張った集落のようなものが見え、慌ててその地点に戻ってじっくりと見た。
鮮やかな空色の髪と眼、象牙色の肌。美しい集団だ。これが碧の魔人……。そう思った瞬間、一人がこちらを振り返った。
「……!!」
目が合った! フィアードは凍りつき、すぐに遠見を解いた。強い意志を感じる、空色の目が脳裏に焼き付く。
「……見つかったようじゃな。場所は分かるじゃろ」
「……はい。ありがとうございます……」
気が付けば全身汗だくだった。フィアードは袖で額の汗を拭う。
「それから、アルスがなぁ……」
ふと、ザイールが歯切れ悪く切り出した。
「……はい?」
「お前と結婚したい、と言っておったぞ……」
「……は?」