第54話 模索
リュージィに連れられてフィアードは酒場の奥、赤茶けた扉を初めて開けた。
いつもアルスがヒバリと入って、数日間は出てこないあの扉だ。
リュージィは慣れた手付きで受付を済ませ、部屋の鍵を受け取る。受付にいるのは今まで酒場で働いていた中年の女性だ。
「あら、今日は利用するのね。ごゆっくり」
女性に見送られ、リュージィは扉の鍵を開けた。フィアードの手を引いて中に入ると、素早く扉を閉める。
フィアードは内装の立派さに息を飲んだ。想像よりも清潔感のある大きな寝台が部屋の中央にあり、奥には湯浴みの準備が出来ている。
「さ、脱いだ脱いだ」
リュージィはフィアードの服を脱がすと、自分も服を脱いで横の洗面台で洗濯を始めた。貴重な石鹸を惜しげも無く使っている。
細いのに女性らしさを兼ね備えたその美しい背中に、フィアードは目のやり場に困って彼女に背を向けた。
「……貴女も汚れましたっけ?」
「あの場にいるだけで、相当血が飛んでくるからね。お前さんは湯浴みでもしておきな」
厳しい物言いにフィアードは素直に従う。人ひとりがなんとか入れる程度の浴槽が用意されている。湯をかけるだけにするか、湯槽に浸かるか、悩むところだ。
「すごいですね、全部の部屋に浴槽があるんですか?」
なんとなくリュージィに気を遣って、湯槽には浸からないことにする。
「この大きさの浴槽があるのはここだけだよ。そう言えば、ヒバリがアルスと始めて会った部屋だったね」
あの時は四日間帰ってこなかった。この部屋にずっと籠っていたのだろうか。
「あの時は凄かったねぇ。食事も殆ど食べずに、ひたすら二人でやりたい放題だったよ。後にも先にも、ヒバリ相手にあそこまで頑張った男はいなかったから、いい出会いだったのかも知れないねぇ」
リュージィの話を聞きながら、フィアードは複雑な気分になる。彼女はどういうつもりで自分を連れて来たのだろうか。
この部屋の用途はハッキリしている。
そして、着くなり服を脱がされて、二人とも今は全裸だ。
期待していない訳ではないのだが、あまりにもいつもと同じ態度と口調に面食らってしまう。
洗濯物を漬け込んだリュージィがペタペタとフィアードに近付いてくるのが分かる。
「えっと、あの……」
ドギマギするフィアードを他所に、リュージィは浴槽のお湯を自分の身体に二、三度かけると、ゆっくりとその身を浴槽に沈めた。
「ああ……生き返るねぇ。この村で、全身浸かれるのはここだけだからねぇ……。ん?どうした?」
フィアードは視線を下げたままこっそりと溜め息をつくと、髪と身体を洗い清めて布で拭いた。
この雰囲気を自分でなんとかするのはあまりにも難易度が高い。
「洗濯物、俺が続きをしますね」
腰に布を巻いて、リュージィが途中まで洗った洗濯物をすすぐ。一つ一つ絞って水気を切り、暖炉の前に掛けた。朝には乾くだろう。
「……くっくっ……」
後ろから笑い声がする。どうせリュージィだ。
「なんですか?」
「いや、お前さんはやっぱり、アルスの男なんじゃないかと思ってな……」
「……ふざけないでください」
「いや……この部屋に入って、洗濯するだけなんて、考えられんことだろ?」
「貴女が先に洗濯したんですよ」
リュージィは身体を拭きながら、フィアードに歩み寄る。可憐な美少女の裸体が近付くにつれ、フィアードは顔を真っ赤にして俯いた。
「おや、ちゃんと女にも興味はあるのか?」
「当たり前です。というか、男には興味ありませんから!」
リュージィは目を丸くしてフィアードを覗き込んできた。その舐めるような目線が辛い。
「あの……、普段と変わらない感じだから、どうしたらいいのか分かりません……」
「そうか、私が悪かったのか……」
「あ……、別に、貴女に恥をかかせるつもりはないんですが……」
誘うつもりだったのだろうか。それならもう少し雰囲気を出してくれなければ……。フィアードはすっかり毒気を抜かれてしまった。
「ヒバリと違って自分から仕掛けたことがないんでな……。まあ、お前さんがその気になればいつでも構わんが……」
「多分……その気にならないと思います……」
フィアードは苦笑する。現に、全裸の美少女が目の前にいるのに、目のやり場に困るだけだ。凝視すれば何か変わるかも知れないが、もうそこまでする気になれない。
これで商売女が務まったのだろうか、と疑いの目を向けると、リュージィは妖艶な笑みを浮かべた。少しドキリとする。
「その気にさせる術がない訳でもないが……、別に必要なさそうだしな」
「そうですね……。どうしても相手して欲しくなればお願いします」
なんだか変な空気だが、そもそもそういう関係になるつもりもないので、気負いもない。
「そうだな。まあ、これはこれで面白い。せっかくだから、昔話でもするか?」
流石に全裸もどうかと思ったのか、リュージィは毛布を身体に巻きつけて、寝台に腰掛けた。
フィアードは溜め息をついて、人ひとり分ほど空けて隣に腰を下ろした。
◇◇◇◇◇
空が段々と白んでくる。冷たい風と霧が辺りを包んでいる。
水車小屋の扉をそっとくぐる。階段を登って二階の扉を開けると、目の前に赤毛の大男が立っていた。
「ようやくお帰りか」
機嫌が悪い。当然だ。
「……お、おう。ただいま……。悪かったな、ティアナは大丈夫だったか?」
「大分泣いてたぞ。外泊するなら言っておけよな。俺達でちゃんと世話してやるから……」
結局、ティアナの世話を全て押し付けた形になってしまった。
「……そっか。ごめん」
フィアードが謝って扉を入ると、アルスはクンクンと彼の髪の匂いを嗅ぎ、ニヤリと笑った。馴染み深い香油の匂いがする。
「なんだ、宿にいたのか……。仕方ねえな。ティアナには黙っておいてやるよ」
「……うるせえよ」
フィアードは顔を顰めた。アルスはそんなフィアードの肩を抱く。心なしか鼻息が荒い。
「おい、昨日は確か、リュージィの所で修行だったよな? 相手はリュージィか? どうだった? あいつは元々ヒバリと双璧を為してたらしいから、かなりいい女の筈だぞ!」
「……いや、あのな……」
「俺も一度は相手したいけどよ、ヒバリの親友だろ? ちょっと気まずいからさ……」
鼻息の荒いアルスに溜め息が出る。本当にこういう話が好きな奴だ。いや、話だけではなく、実際の行動も大したものだが。
「ヒバリは気にしないだろ。お前は好きにすればいいだろ?」
「ヒバリはな。でもリュージィは意外と固いからな~」
「そうか?」
フィアードは宿での事を思い出したのか苦笑している。その態度にアルスはさらに色めき立つ。
「で、どうだったんだよ?」
「……悪いな、話せるような事は何もねえよ」
「勿体ぶんなよ~!」
「いや、マジで……」
フィアードは真顔だ。アルスが期待するようなことが無いのは明らかだから、どうにか諦めてもらいたい。
「じゃあ、何でこんなに遅くなるんだよ……!」
アルスはその様子に本当に何も無かったのかと悟り、憮然とする。フィアードから色っぽい話を聞きたかったのだ。
「獣の解体で血塗れになったから、服を洗濯してもらってたんだ。俺は湯浴みさせてもらって、乾くまで待ってただけだ」
「……マジかよ……つまんねえなぁ……」
アルスは途端に不機嫌になった。多分、それだけではない筈だ。嘘はついていないが、フィアードは何かを隠している。だが、これ以上探っても意味がないことも分かる。
「……俺には関係無いことか? ま、それなら仕方ねえな。これからは外泊する時は予め連絡しろよ」
アルスは扉を開けて部屋を出る。アルスが扉を後ろ手で閉めようとしたが、フィアードは手を扉の隙間に入れて顔を出す。
「……悪かったな。待っててくれてありがとな」
フィアードは階段を降りて行くアルスの後ろ姿に声を掛けた。
◇◇◇◇◇
リュージィの息子は五歳の時に死んだ。リュージィは嘆き悲しみ、そして薬師としての使命感から、その死因を知るために亡骸を解体したのだ。
しかし、始めて人間の肉体を解体したので、結局、何が問題だったのか分からなかった。
そしてその後、彼女は村で死者が出る度に、死因の調査を申し出て遺体を解体するようになった。
やがてその行為が問題になり、気狂い扱いされるようになる。息子を失った悲しみから、気が触れたと思った者も多かった。
夫はそんな彼女を見るに耐えかねて、遠く離れたこの湖畔の村に売り払ったのだ。
湖畔の村に姫として買われたリュージィはそこでヒバリと出会う。魔人と人間でありながら、息子を理不尽に奪われた悲しみを理解できる友として、まだ立ち上げて間もなかった館を支える売れっ子となったのだ。
一般的に娼館には病気が蔓延するが、ヒバリの治癒とリュージィの薬があったため、館は繁栄し、経営者でもあったヒバリはこの村の影の支配者となったのである。
この頃から、リュージィの研究は再開し、更に次なる研究ーー動物実験ーーが始まった。
「息子さんの死因はいつ分かったんですか?」
一通り話を聞いてから、フィアードは確認した。
「腹にシコリがあってね。それが日に日に大きくなっていったんだよ。そして、顔や目に変なデキモノが出来て死んじまった。夫は腹に悪魔が入り込んだって言ったよ。だから私は息子の腹を切ってみたんだ」
フィアードは息を飲んだ。
「そしたら、腹から黒い塊が出てきてね。ゾッとしたけど、それが何なのか結局分からない。だから、他の死体で勉強した訳だよ。
それで、その塊が悪いのは分かったけど、それだけだ。生きている人間の腹を開いて、塊を取り出すなんて出来ないだろ? それで研究は終わりさ」
リュージィは寝台に腰掛けたまま、運ばれて来た料理を食べている。隣の酒場の料理も酒も注文できるのだが、よくそんな話をしながら食べられるものだと関心する。
リュージィは身体に巻いていた毛布をどけて、自分の乳房を指差してフィアードに見せる。
「女の乳房にシコリが出来て死んじまう病気もあるだろ? あれも多分、上手く取り出せたら助かるんだよ。
切って、取って、閉じるって手順も分かってるし、死体で練習もしたんだよ?
でもねぇ、生きてる人間は寝ている間に切ろうとしても、痛みで起きちまうんだよ。痛みを感じないくらい深く眠らせることが出来ればねぇ……」
乳房を切り取るような仕草をするリュージィに、フィアードは溜め息をつくことしか出来ない。
「でも……魔術なら、切らなくても取り出せる……ってことですね……」
最も、今はその実験すらままならないが。
「そうそう! その方法、よく思い付いたね。まぁ、薄緑の欠片持ちにしか出来ないことなんだろうけど……」
リュージィの言葉に思わず苦笑してしまった。レイチェルを診察したのも、資料を集めて調べたのも、その治療の可能性を見出したのも、全てティアナである。
「思い付いたのは俺じゃないんですよ……。ティアナです」
あまり褒められても困るので、リュージィには事の顛末を全て話すことにした。




