第51話 最後の欠片
無駄なく筋肉の付いた長身の青年は、優雅に体勢を立て直し、剣を構えた。
「なかなかやるねぇ……。ザイールからは腕は立つけど馬鹿だと聞いてたから油断しちゃったよ」
人を小馬鹿にしたような態度が鼻につく。しかし、それよりも問題はその色彩だ。月明かりではっきりは分からないが、その髪の色は……
「薄緑の……?」
同じように体勢を立て直したアルスは呟き、思わず櫓のフィアードを見上げた。フィアードも凍りついたように男を見ている。
その様子に、男は今初めてフィアードに気付いたと言うように櫓を見上げてニヤリと笑った。
「おやおや、君がフィアードか。随分研究熱心らしいじゃないか。……僕の本を後生大事に持っていると聞くと、やはり嬉しくなるものだね」
気が付くと目くらましが解けていた。フィアードは焦って結界を編み上げるが、編んだ端から解けて消えていくような感覚になる。
魔力が自分の手を離れて言うことを聞かなくなっているような気がする。そのもどかしさと恐怖で膝がガクガクと揺れている。
この男が敵に回るなんて……! どう足掻いても勝ち目があるとは思えない。
「嫌だなぁ、そんなに怖がらなくてもいいじゃないか。幽霊じゃないんだから。ほら、その横の娘と同じだよ。蘇生しただけなんだから……ね」
男はクスクスと笑う。その目は漆黒。アルスは剣を構えたまま、ジリッと男ににじり寄った。
「お前は……何者だ? フィアードの知り合いか?」
「初対面だよ。でも、彼は僕の事をよく知ってる筈だよ。あ、ホラ、儀式が終わっちゃうよ。邪魔しなくていいのかい?」
男はサーシャを指差す。極限まで高まった魔力が地中に吸い込まれ、そして漆黒の繭が地中から浮かび上がってきた。
男の気配が邪魔を許す筈もなく、三人は為す術もなくそれを見守ることしか出来なかった。
「白銀の力と漆黒の力は方向性が違うだけだから、反転と魔力増加の魔法陣でこの通り、蘇生が可能になるんだよ。分かったかい?」
男がニヤリと笑うと同時に漆黒の繭が弾け、黒髪の男性が戸惑いながらゆっくりと身体を起こした。
サーシャは魔力を使い果たしたのか、その場に膝をついて肩で息をしている。
「別に彼を起こす必要は無いんだけどね……僕にもサーシャにも今の時代や鍵の情報が足りなくてね。彼が作った魔法陣があったから使ってみた訳だよ。……実験成功だね。ご苦労様、サーシャ」
「……援護いただき、ありがとうございました」
サーシャは膝をついたまま、片手を胸に当てて敬意を表している。
「……あ、わしは……」
黒髪の男性はヨロヨロと立ち上がり、自分の両手を見た。そして周りを見渡す。
「もしかして……魔法陣を使って下さったのですか!」
「おはよう、ダルセルノ。実験は成功だよ。魔法陣も呪術も完璧さ」
男の言葉にダルセルノはひれ伏した。包帯もなく火傷の跡もない。勿論首も繋がっている。フィアードの記憶にあるダルセルノだ。確かにフィアードが埋葬した場所だった。何故そこを特定できたのか分からないが、その為に定期的にコーダ村から襲撃があったのかも知れない。
「じゃあ、とっとと娘さんを回収して帰ろうか。あ、君は邪魔だからちょっと大人しくしてて貰うよ」
男の目線がアルスに向くと同時に不可視の繭が編み上げられ、アルスは一瞬でその動きを封じられた。
魔術の発動に反応できるように構えていたつもりが、全く手が出せず、アルスは呆然とした。内側から繭を叩くがビクともしない。
「地下室にいる筈だね。こっちに来てもらおうか」
男が片手を上げると地下室にいた筈の四人がアルスを包んだものと同じような繭につつまれ、地中からゆっくりと浮かび上がった。
「ラキス! 母さん!」
ヒバリが悲鳴を上げる。
全てが地上に出ると、繭は自然に溶けて消えた。
グラミィはラキスを背負ったまま、咄嗟のことに反応できていない。ヨシキリは青ざめた顔でティアナを引き寄せ、グラミィの前に立った。
「さあダイナ、わしの所へ来い! 帰るぞ!」
ダルセルノがズカズカと歩み寄り、ティアナに手を差し伸べた。ティアナはヨシキリの影に隠れてダルセルノを睨みつけている。
「……おや?」
「こら、ダイナ! 言うことを聞きなさい!」
ダルセルノの額に汗が流れる。男は冷ややかにダルセルノを見つめた。
「おかしいな、君の娘なんだろ? 君が名付けたんじゃないのか?」
男の迫力にダルセルノは口をパクパクさせたまま、ティアナを睨みつけている。
「ふぅ~ん、名前を変えたのか。そんな重要な情報が漏れてるなんてね」
男はダルセルノとサーシャを交互に睨みつける。二人は青ざめて視線を落とした。
「名を隠匿するか……、中々やるじゃないか。誰の入れ知恵だい? それじゃあ僕も名乗るのをやめておこうかな……」
男はダルセルノを突き飛ばし、ティアナの前に立った。
ヨシキリがジリジリとティアナを庇うように立ちふさがり、ティアナは更に彼の後ろに隠れる。
明確な拒絶の意思を表明しているティアナを観察し、男はヨシキリに剣を向けた。
「君は……、あの有名なヨシキリじゃないか。随分丸くなったもんだね。どうして君が鍵を庇うんだい?」
「欠片持ちは敵じゃ」
「でも、ダルセルノはその子の父親だよ?」
「この子はわいらが守るて決めたんや。欠片持ちには渡されへん!」
ヨシキリはせめてもの抵抗として旋風で四人を包み込んでいる。しかし男は風を気にもせずに剣を一閃した。ヨシキリの腕に一筋の赤い線が走り、ボトリと地面に何かが落ちる音がした。
「……!」
ティアナはそれを見て目を見開いた。さっきまで自分を庇ってくれていた腕が、地面に落ちている。傷口から流れ出る血が赤い池を作っていく。ヨシキリは痛みに顔を顰め、その場に跪いた。
「……なに……? どうして?」
ティアナの目くらましは完全に解けている。男は満足したように頷き、ティアナに手を差し伸べた。
「ダイナ様、そのような魔人共と一緒にいてはなりません。貴女は我ら神族の要。さあ、参りましょう」
「さ、せるかぁ!」
フィアードは櫓から身を踊らせて風に乗り、二人の間に着地した。激しい頭痛に顔を顰めながら、剣を抜いて男に対峙する。
「おや、フィアード。君はどちらの味方なのかな? なんでも、ガーシュは魔族の代表だったらしいじゃないか。酷い裏切りだよね。僕もすっかり騙されてたよ」
「どうして……貴方がここにいるんですか?」
「僕はね、君たち薄緑に本を残したけど、漆黒にも残したんだよ……課題をね」
「……課題?」
「そう。村に置いておくと目立つから、各地に散らしておいたんだ。漆黒の力の使い方をね。
蘇生の方法とか、魔力の増やし方とかね。それで、鍵が生まれたら僕を蘇生するのが最終課題。ダルセルノは見事にやり遂げてくれたよ。
思ったより早かったじゃない? 僕が死んでから二十年だろ? 優秀だね」
男が名前を出したので、ダルセルノは視線を彷徨わせる。実際は途方もない時間を掛けて課題を見出したので恐縮している。結果としては二十年に収まったのだが。
「俺は……貴方の本をいつも読んでました。貴方の研究を真似て、今も色々研究しています。貴方を尊敬していたつもりです。でも……彼女は物じゃない! 彼女の意思を尊重してください!」
彼の本の中で唯一解せなかった点。それが今この場で大きな溝となって二人の間に横たわっている。
「……意思を尊重? 何を言っているんだ? 鍵は神族の要だよ。神族は神を生み出す選ばれし一族なんだ。僕達を中心とした世界を作る為に鍵が生まれてくるんじゃないか。それを支えるのが僕達、欠片持ちの仕事だよ」
「違う!」
フィアードは剣に風を纏わせて斬りつける。男は自分の剣で難なく受け止め、少し驚いて目を見開いた。
「へぇ……、ガーシュの方の力も使えるんだ。凄いね、君……でも……」
酷い頭痛に加えて吐き気もこみ上げてくる。フィアードは蒼白になりながら、ギリギリと刃を押し戻す。
「魔力に当てられちゃってるじゃない?」
クスリ、と馬鹿にしたように笑う。
「いるんだよねぇ、君みたいにちょっと魔力が強いからってすぐに調子に乗る奴。で、すぐに魔力に当たっちゃう。僕がせっかく魔力に当たりにくい訓練法を書いてあげたのに、残念だなぁ……」
男が剣を大きく振りかぶった隙にフィアードが斬り込むと、待ってましたとばかりに蹴りが鳩尾に入った。吐き気が襲い、その場にうずくまりそうになる。
「素直だねぇ……」
男はクスクスと笑い、フィアードが必死で身体を起こすのを見ている。
「……くそっ!」
完全に遊ばれている。この体調で挑んでいい相手ではないのは分かっているが、ティアナを渡すわけにはいかない。
フィアードは剣を握り直し、横薙ぎに斬りつけた。キィンと音がして弾かれる。剣戟の結界だ。
すかさず風刃を放つ。
「!!」
流石にその攻撃は予想していなかったらしく、男は慌てて結界の構成を変化させて身を守った。薄緑色の髪が数本、宙に舞った。
「やってくれたな……!」
漆黒の目に剣呑な光が宿り、男が剣を走らせた。
あまりの速度に剣で受けることが出来ない。迫る刃をギリギリで躱そうと身をよじるが間に合わず、咄嗟に風を起こして刃を押し戻した。
フィアードの身体を真っ二つにする筈だった軌道が逸れて、彼の左目から左頬に掛けて剣線が走った。
顔の左半分が炎のように熱くなり、視界が半分赤く染まった。
フィアードの顔を斬りつけた男は能面のように無表情になり、彼の耳に囁きかけた。
「君みたいな奴には、鍵を守れないよ。大人しく引き下がることだね」
斬られたことよりもその言葉が胸に突き刺さる。顔半分が燃えるように熱い。激しい頭痛と目眩で立っていられない。
フィアードはその場に崩れ落ちた。
「これで欠片は揃ったんだよ。君はもう必要ない」
男は剣を収めてティアナに歩み寄った。彼が放つ雰囲気に圧され、グラミィは足が竦む。ヨシキリは跪いたままみるみる青ざめていく。
「さあ、ダイナ様……」
「……ダイナじゃない!」
「そうでしたね。失礼しました。では今のお名前を教えていただけませんか?」
「イヤ!」
「……それならば、無理にでも一緒に来ていただくことになりますよ」
手首を掴もうとした男の手を振り払い、ティアナは男を睨みつけた。
「やめて! ここから出てって!」
ティアナの言葉に呼応するように、大地が咆哮を上げ、突風が男に、ダルセルノとサーシャに襲いかかる。彼等は何が起こったのか理解出来ない、と言った顔のまま、激しい砂嵐に巻き込まれた。
凄まじい風と粉塵に耐えきれず、その場の誰もが目を覆った。




