第49話 冥闇
リュージィを見送って水車小屋に入ろうとすると、扉が開いてアルスが出てきた。フィアードの顔を見るなり、厳しい顔になる。
「あ、お前……どこ行ってたんだ? 飯も食わないで……。もうコーダ村に行ったのかと思って焦ったぞ!」
フィアードは思わず目線を逸らした。自分が消耗していることを気付かれたくなかった。しかし、アルスはすぐに異変に気付く。
「お前……何処か具合悪いんじゃないのか? 顔色悪いぞ?」
「……だ……大丈夫だ……」
昨日大見得を切った手前、とてもじゃないが魔力が足りなくなったなどと言えない。
「ま、丁度良かった。あの後少し考えたんだ。……お前に話しておかないといけないことがある」
アルスはフィアードの手首を掴んで再び水車小屋の扉を開いた。
「い……痛い! 放せよ! お前、事務所に行くんじゃないのか!」
「話が終わってからな。昨日全部片付けてくれたんだろ?」
アルスはニヤリと笑う。こんなことなら仕事を残して置くんだった、とフィアードは涙を滲ませながら、アルスに二階の部屋まで引きずられて行った。
部屋に入ると、アルスはフィアードが広げたままにしていた地図にペンで線を引き始めた。
コーダ村から碧の村の反対側を大きく周って森林地帯を通り、そして神族の村までを結ぶ。
「……これは……?」
フィアードは眉を顰めた。アルスは今までに見たことがないほど真剣な顔で、ゆっくりと言葉を噛み締めて言った。
「……俺達がお前の村まで行った時の道順だ」
いつ、とは言わない。だが、その表情が全てを物語っている。
フィアードはゴクリと息を飲んだ。
「俺が、どうして襲撃に加わったか……どうして逃げたのか……話しておいた方がいいと思ったんだ」
ずっと気になっていた。だが怖くて聞けなかったこと。彼が村の襲撃に加わっていたという事実。かつての仲間を、父親を死に追いやったかも知れないという可能性。
聞きたくなくて、ずっと避けてきた話題だった。
「アルス……でも、それは……」
フィアードは複雑な顔をする。アルスはその赤銅色の目に力を込めた。
「ダルセルノが死んだから終わりじゃない……俺の記憶と勘が正しければ、多分、敵が他にいるんだ……」
◇◇◇◇◇
アルスはある商人の護衛として雇われ、コーダ村から北外れの集落まで行った。
そこにはならず者が集められており、その代表がアルスを指揮官として商人から買い取ったのだ。
コーダ村の傭兵は依頼内容をある程度吟味してから仕事を受ける、誇り高い傭兵だ。アルスは自分の預かり知らぬ所で雇い主と仕事内容が変わったことに腹を立てた。
しかし血気盛んな傭兵として、戦場は名を上げる場でもある。不本意ながら依頼を受けることとなったのだ。
「俺の依頼は、その雑兵の指揮だったんだが……、そいつらには別の指令が出てたんだ」
「……別の指令?」
「……五歳以下の子供を出来るだけ多く生け捕りにしろ……ってな」
アルスの言葉にフィアードは目を見開いた。五歳以下の子供……聞いたことがある。いつ聞いたのだろう……。
フィアードの記憶が混乱する。何かとてつもなく恐ろしい事が潜んでいるような……。
「それから……緋の魔人が三人『火の国』から来て、襲撃部隊と破壊部隊、特殊部隊に分けられたんだ。
俺は襲撃部隊、魔人が破壊部隊と特殊部隊。特殊部隊ってのが、その子供を生け捕りにする部隊ってことだ」
心臓の音がアルスに聞こえるのではないかと思う程大きくなって、アルスの声がよく聞こえない。フィアードは目を瞑って深呼吸し、すぐにアルスに向き直った。
「ティアナの事を知った時は、その特殊部隊が『神の化身』を狙っていたんだと思ったんだ。でも、他の可能性もあるよな……」
「……襲撃の混乱に乗じて、生贄に使う子供を確保するってことか……」
掠れた声で呟いた。蘇生……五歳以下の子供を生贄にして魔力を高めれば、漆黒の欠片持ちにも可能になると言う……。
あの時村には小さな子供がどのくらいいただろうか。洞窟に身を寄せていたのは……二十人くらいはいたのではなかろうか。
「ダルセルノは記憶があったんだろ? 初めから誰かを蘇生するつもりだったのかも知れない」
アルスはグラミィから蘇生の話を聞いて以来、ずっと気になっていた事を告げた。
フィアードが黙り込む。もし、誰かを蘇生しようとしていたならば、それはその時点で既に死んでいる者か、そのすぐ後で死ぬことが決まっていた者だろう。
だが、その計画は失敗したということになる。
「だけど、父さんが女子供を逃がした……」
「ああ。だから特殊部隊は村に入って大騒ぎだった。子供がいないってな。破壊部隊を差し置いて、村中を血眼になって探してた。……今思えば、異常だった……」
その為に編成された部隊にとって、それは誤算であろうが、有事に女子供を逃がすのはよくある事だ。何故そこまで取り乱すのか分からず、アルスは得体の知れない恐怖を感じたのだ。
今となっては、それが何故なのか分かる。
「……思考誘導されてたのか?」
「かも知れない。俺はその襲撃がただの戦争じゃないことに気付いたんだ。それであの女戦士が現れた隙に俺は逃げることにした」
それを聞いて、フィアードはある可能性に気付いた。アルスとサーシャがその場で戦っていたかも知れない、ということに。そうなっていたらどうしただろう。アルスがサーシャを手に掛けていたとしたら……。
「なあ……お前、最初から襲撃に加えられることになってたんじゃないか?」
「え?」
アルスは目を見開いた。そんな風に考えたことは無かったのだ。
「未来でティアナの護衛をする筈のお前が、村の襲撃に加わってるなんて……偶然にしてはおかしいだろ?」
「……それもそうだな」
恐らく、サーシャやフィアードとぶつけてどちらかに遺恨を残すのが狙い。潰し合えば僥倖、と言ったところか。フィアードは考え込んだ。
「ティアナは生まれてすぐの時間にやり直したって言ってた。襲撃まではおよそ一ヶ月。それまでの記憶を全て持っていたとして、ダルセルノはその一ヶ月で何を準備できた?」
「……部隊の編成から襲撃までがおよそ二週間……だ。寄せ集めにも程があるけどな。それ以前に下地があったと考えた方がいいかもな。『火の国』の魔人との繋がりが説明出来ないだろ?」
アルスの言葉をきっかけに、二人は記憶を整理する。ダルセルノが受傷してからサーシャが辿った道のりを考える。『火の国』からコーダ村を経て碧の村へ、グラミィと共に『火の国』へ行ったのがおよそ二年。そこから帰ってくるのにおよそ半年。そう簡単に『火の国』に地盤を作れるとは思えない距離だ。
「下地を用意したのが、蘇生しようとした何者か、ってところか……。そいつがサーシャと一緒に蘇生されてる可能性が高い……な」
「だとすると、四年ほど前に子供が大勢姿を消してる筈だ……。この北の集落から調べてみよう」
◇◇◇◇◇
小さい手がさらに小さい手に触れる。まだ生まれて間もないので目立った反応はないが、手のひらに指が触れた瞬間、その小さな手が反射的に指をキュッと握った。
「ねぇ、握手してくれてるよ!」
ティアナは嬉しそうにゆりかごを覗き込んで、自分の指を握る小さな手をもう一方の手で撫でてやった。
「ラキスかわいいね~」
あやしても特に反応はしないが、時々ニコリと笑う瞬間を見逃さないように、とティアナはずっとその場から離れない。
「ティアナは赤ちゃんが好きなの?」
ヒバリがその可愛らしい様子を微笑ましく思って尋ねた。
「うん! あたしも赤ちゃん欲しいの!」
元気に答えるのがまた愛らしい。
その声に驚いたのか、ラキスが急に泣き出した。
「あれ? どうしたの? ラキスちゃん?」
困っているティアナに優雅に歩み寄ると、ヒバリはラキスを抱き上げた。
「お腹が空いてるのよ。ちょっとごめんね」
ティアナが一歩下がると、ヒバリはすぐに白い胸元をはだけて息子を抱き寄せ、椅子に腰掛ける。ラキスは泣き止んで一生懸命母乳を吸い始めた。
ティアナはその小さな喉が音を立てる様子を食い入るように見つめる。
「すごいね」
こんなに小さいのに、生きる為に何をするべきか分かっているのだ。
ティアナは感嘆の溜め息をついた。ヒバリは愛らしい彼女にふふっ、と笑い掛ける。
「……ティアナは誰か好きな人がいるの?」
時々村の子供達と遊んでいる姿を見かけるので、どんな反応をするのか少し楽しみにしていたヒバリは、その質問が彼女の記憶を揺さぶるものだとは知らなかった。
ティアナの顔からスッと笑顔が消えた。
「……あたしはね、お兄ちゃんと結婚するの」
まるで操られたかのような抑揚のない声だ。ヒバリはドキリとして目を泳がせる。
「え? ……でも、ほら兄弟とは……あ、そうか、そうよね……」
ティアナの認識がどうなっているのかよく分からない以上、あまり余計なことは言えない。
「知ってるよ。兄弟とは結婚できないこと。でも、お兄ちゃんは本当のお兄ちゃんじゃないから、あたし結婚するよ」
淡々と答える姿は、五歳の幼女のものではなかった。ヒバリの背中を冷たい汗が流れた。ティアナの視線がヒバリに向けられる。
「ティアナ……?」
そのハシバミ色の目がまるで汚いものを見るかのようにヒバリを見た時、扉が開く音がした。
「ただいま……あれ? どうした?」
アルスがいつもより重い足取りで部屋に入って来て、その異様な雰囲気に息を飲んだ。ヒバリは努めて笑顔を作って夫を迎えた。ノロノロと立ち上がり、授乳が終わった息子をゆりかごに戻す。
「どうしたの? 事務所に行ったんじゃなかったの?」
「ああ、ちょっとフィアードと打ち合わせをな……」
アルスが発した言葉にティアナが反応した。
「フィアード……?」
呆然と呟くティアナのただならぬ姿に、アルスはギクリと体を強張らせた。ヒバリはティアナの記憶の事を知らない。何か刺激する事を言ったのかも知れない。とにかく、ティアナがヒバリを傷付ける前に、その意識をヒバリから逸らさなければ。
「ティアナ……ラキスと遊んでくれたのか?」
アルスはわざと大きな声で注意を引き付けて、ティアナがこちらを見るように仕向けた。人懐こい笑みを浮かべて近付き、その大きな手で彼女の頭を撫でると彼女を包んでいた緊張感が溶けるのが分かった。
「……ラキス……」
感情の無い目が新生児を捉えると、やがてゆっくりとそのハシバミ色の目に明るい光が戻ってきた。
「ラキス!」
ティアナはアルスに振り返って屈託無く笑った。
「ラキスと握手したんだよ! すごいでしょ?」
「そうか! じゃあ今度は俺がティアナを抱っこしてやろう!」
アルスはティアナを抱き上げて、さりげなくヒバリをその視界から外す。
そのまま部屋を出て行く夫の姿を見送って、ヒバリはその場に崩れ落ちた。
あの目、あの蔑むような目には覚えがある。かつて、自分を追い立てた女達の目だ。
ヒバリは震える両手で自分の身体を抱き締めた。




