第4話 冬の過ごし方
何もないだだっ広い草原に二人は立ち尽くしていた。其処彼処に天幕を建てた跡があったが、今は人影も何もない。村の仲間達を埋葬してくれた礼をする為に碧の村を訪れたつもりであったが、どうやら一足遅かったらしい。
「……なあ、どういう事だ?」
「いないわね」
背中から聞こえる声はえらくシレッとしていて、少年の気持ちを苛立たせる。
「引っ越したのかしら」
ティアナはつまらなさそうに言ったが、ここに来る為に虚勢を張っていたフィアードは気が抜けてしまい、却って気が立っていた。
「なあ、碧の魔族が移動民族だなんて言わなかったよな?」
「仕方ないじゃない、知らなかったんだから」
フィアードは遠見で周囲を見渡すが、それらしい人影も見当たらない。
「あーあ、張り切って疲れちゃった……」
ティアナは背中で欠伸をして眠ってしまった。
荷造りからここまでの移動も目くらましも、殆ど彼女に頼っていたのだから仕方がないとは言え、このような何もない所で頼みのティアナに眠られてしまうとマズい。
「おい、起きろ!」
ティアナはムニャムニャと言葉にならない何かを呟き、規則正しい寝息を上げている。
フィアードは青ざめた。この土地まで転移して来たので、今一方角が分からない。
闇雲に歩き回る訳にもいかず、フィアードは必死で周囲を見渡していた。
ーーアオーンーー
山の方から狼の遠吠えが聞こえ、フィアードは身を固くした。腰の剣に手を掛け、耳をそばだてる。
そしてあろうことか、空からは白い物がチラチラと舞い始めているではないか。
「……雪……ヤバい!」
この辺りは豪雪地帯の筈だ。冬になると身動きが取れなくなる。急に身体が冷えるような錯覚に陥って身震いした。
「おいティアナ、起きてくれ!」
背中を揺さぶるが、ティアナは一向に目覚める気配がない。
村の地下室に戻りたいぐらいだが、フィアード一人ではその距離を転移する事は無理だろう。
山肌を白い動物が何体か群れをなして駆け下りてくるのが見える。
「雪狼だ!」
呆然と呟き、止むを得ずフィアードは遠見で見付けた一番近くの村に転移することにした。
魔力を溜め、その村に身体を移動させる事を強く念じる。ジワジワと見えない腕が絡みつき、一気にグイッと引き摺り込まれるような感覚がして、目の前が反転した。
◇◇◇◇◇
雪がちらつき始めた頃、その母子はやって来た。
小さな村である。旅人が立ち寄ることは珍しい。しかも、村の襲撃が相次ぐ昨今、赤ん坊を連れて旅をするなど正気の沙汰ではない。身を守る為に剣を携えてはいるが、どう見ても戦えるとは思えない。
この村も豊かな村ではないが、この母子くらいならば養ってやれなくはない。村長の申し出に母親は首を振った。
「申し訳ありません。天候が落ち着いたら出立したいのです。人を探しておりますので」
女性にしてはいささか低い声ではあるが丁寧な言い回し。断られても嫌な気がしない雰囲気もある。
「しかし、これから冬じゃ。この辺りは雪が深い。春まで待った方がいい。あまり大きな部屋はないが、寒さを凌ぐには充分だろうて。春になれば赤子も旅に耐えられるようになるしな」
村長ははっきりと言い放った。これ以上は譲れない。この母子を見殺しにすることは己の矜恃が許さないのだ。
「……お心遣い、痛み入ります……」
母親は深々と頭を下げた。金髪が頬にかかり、その表情を覆い隠した。
「わしは村長のザイールだ。そなたの名は?」
「フィ……フィーネ、と申します。この子はティアナ、よろしくお願いします」
村長は母子に空いている部屋を与え、女中に暖かい食事を用意するように命じた。
◇◇◇◇◇
与えられた部屋に入り、案内の女中の足音が遠ざかったのを見計らったかのように、背中の赤ん坊が笑い出した。
「くくく……! あははは!!」
慌てて結界を張り、消音効果を持たせる。
「こら! 笑うな!」
「だって……! 名演技だったじゃないの!」
寝台に笑い転げる赤ん坊を下ろす。……放り出したい気持ちをぐっと抑えるのに苦労した。
「これで、春までの宿は確保だな……っ!」
フィアードは忌ま忌ましそうに女物の上着とブーツを脱いで部屋履きに履き替える。勝手に母子と誤解してくれて助かった……。
しかし、名前を聞かれて咄嗟にティアナの母親の名を名乗ってしまった。そこから足が付くかも知れない、と偽名を考えていなかったことを後悔した。
「名前……まずかったかな」
「仕方ないわ。私も考えてなかったし……。その他は無難だったし、大丈夫じゃない?」
かつて屋敷を訪れていた旅人とのやり取りを聞いていて良かった、と思いながらも、恥ずかしさで怒りすら湧いてくる。
荷物を置いてすぐ、扉を叩く音がした。慌てて結界を緩めて応対する。
「はい」
「お食事をお持ちしました」
「あ……ありがとうございます。今、子供が……その……じゅ……食事中ですので……後でいただきます」
焦って答える声に、女中はクスリと笑った。
「それでは、扉の前に置いておきます」
女中が遠ざかるのを見計らって、扉を開ける。スープとパンだ。スープから立ち上る湯気を見て、フィアードの胸の奥がチクン、と痛んだ。
いやいや、名前以外に嘘は言っていない。勝手に勘違いしてくれているのだから、あまり気に病む必要はない…と開き直ることにしよう。
フィアードは食事をありがたくいただくことにした。
◇◇◇◇◇
この村での暮らしは快適だった。滞在し始めた翌日から雪が本格的に降り始め、村はあっという間に白く覆われた。
仕方がないので部屋にこもって籠を編んだり弓矢を作ったりして過ごしていた。この村には竹やぶがあったので、材料も豊富だ。
売り物になる程の腕前ではないが、数があって困るものでもないし、お世話になっているお礼としてちょうどいい。
「ねぇ、私も何かやりたい……」
退屈しているのだろう、ティアナが揺りかごから文句を言ってくる。村人から様々な玩具を貰っているが、そんなもので遊ぶ気にもなれない。
ブツブツと文句を言い始める。普通の赤ん坊であれば、退屈でグズグズ言ったり泣いたりしているようなものなのだろうか。
「赤ん坊は寝とけ。あ、魔術書でも読んどくか?」
「その3冊なら、見なくても写本できるわよ! 何百回読んだと思ってるのよ!」
「うるさいなぁ……。村の誰かに面倒みてもらえよ」
「嫌よ~! 赤ちゃんのフリしてご機嫌伺うなんて絶対イヤ!」
「赤ん坊のくせに……ていうか、成長できるんだろ?」
フィアードが言った次の瞬間、いきなり腕に押し付けられた膨らみにギョッとした。
「……やっぱり赤ちゃんよりこっちの方がいいよね?」
ほぼ半裸の状態の美少女が腕にしがみついて、その色違いの目でフィアードを見つめていた。
「おいっ! ちょっと! 服っ! 服着て!」
真っ赤になって焦るフィアードを見てクスクス笑ながら、少女の姿になったティアナはしれっと言い放った。
「ないんだも~ん」
「だからっ、胸がっ!」
ティアナは目を白黒させるフィアードにしなだれ掛かると、少しずつ身体が小さくなっていく。
「あ~、やっぱり維持できないかぁ……」
元の赤ん坊の姿に戻ってしまったティアナはガックリと首を垂れた。フィアードはホッとしてティアナをゆりかごに戻す。動揺して解けてしまった目くらましを掛け直す。
現在も一日の六割は眠っているくらい体力の消耗が激しいのだ。小さな体に蓄えられる魔力は少ない。無理矢理成長するのは確かに良くないだろう。
ふと気付くと、編み方を間違えていた。溜め息をついて間違えた部分を解いて編み直す。
「あ~、くっそ……」
正直、邪魔されたくない。先ほどのような色仕掛けなど以ての外だ。籠を編むのは結界を作るのに似ている。均一に編めば目が粗くても、充分の強度を持たせることができる。これを応用すれば、きっと少ない魔力で強い結界を維持できるはずだ。
「……なんか、フィアード……違う人みたいだね……?」
フィアードの様子を観察していたティアナの言葉に、少しムッとする。
「そうか?」
「もっと優しかったよ?」
彼女の知っているフィアードは、両親を策謀で失い弟妹達を売り払われてなお、ダルセルノに仕えていたという……。
「ていうか、それ、本当に俺か? 父さん達を嵌めたり、弟たちを奪われて、なんでお前の親父を恨まなかったんだ?」
ふと、籠を編む手を止める。確かに不自然だ。親の敵の元で仕えるなんて……。
何か心当たりがあるらしく、ティアナの目が泳ぐ。
「……だって、物心ついた頃から、ずっと私の世話役やってくれてたじゃない。お父さんのこととか、聞いたことなかったもの……」
「……へぇ……」
考えれば考えるだけおかしい。自分の気性は自分がよく知っているつもりだ。
「まぁ、お父様の能力で仕方なく仕えてたんだと思うけど……」
「ちょっと待てよ……、能力って?」
初耳だ。神族で能力といえば、欠片を持つ者、ということになる。ダルセルノがそうであったという話は聞いたことがない。
「え? だって、漆黒の欠片持ちだもん」
「ええっ?」
驚きすぎて編みかけの籠が手から滑り落ちた。落ちた籠に気付きもせず、フィアードは立ち上がった。
彼の知る限りでは、自分が薄緑、サーシャが白銀の欠片を持っていて、それ以外には欠片持ちはいなかった。もっといた時代もあるらしいが、フィアードは指導してくれるような薄緑の先人にも恵まれなかった。
ダルセルノの姿を思い出してみる。黒い髪に…黒い目…ではなかったか?漆黒というほど深い黒ではなかったような……?あれ?目の色……、よく分からない……。
「片目だけだったし、お父様は目が細いから……」
そうか。単純に目が細くて気付かなかったのか……。妙に納得する。そしてふと恐ろしいことを思い出し震える手で魔術書を捲る。確か、その能力は……
「漆黒の能力……。時間(過去)操作、記憶、暗示、思考誘導……」
派手さはないが、人心を操る恐ろしい能力だ。それを隠し持っていたということか。色彩的にも能力の性質的にも、他に比べて隠すことも容易だろう。
「最初からその能力を駆使してたのよ……。私の周りに欠片を揃えて。……他にも何か呪術とかも使って……」
神の化身だけでなく、全ての欠片を揃えて万全の体制で帝国を築いたという訳か。
名前を替えてまで、父親から逃れようとした意味がようやく分かった。最初から全て仕組まれていたのだ。だが、その仕掛けが動く直前に滑り込んだことで、大きく未来が変わろうとしている。
「お父様は最初からサーシャと結婚したかったみたい。でも欠片持ち同士では結婚できないって反対されたんだって。権力に固執してたのはその頃からかも……。
仕方なくお母様と結婚したって聞いたわ! サーシャを味方にするためよ。私が産まれてすぐ、お母様に『まさか鍵を産むとはな、お前でも役に立つのだなぁ』って言ったのよ!」
ティアナは小さい拳を握りしめて怒りを露わにしている。人生を繰り返していくことで、様々な思惑が見えてくる。自分や母親たちがいいように利用されたことが腹立たしくて仕方ないようだ。
「……お前の親父がサーシャを蘇生する可能性は?」
「……分からない。蘇生できるだけの魔力があるとは思えないけど、他の手段と併用したらあり得るわね」
ティアナは難しい顔で吐き捨てるように言った。何か嫌なことでも思い出したのだろうか。
「じゃあ……俺は……ダルセルノに操られてる感じだったのか?」
ティアナの知るフィアードがどのような人物だったのか……。ダルセルノの操り人形だったのだろうか。
ティアナは少し考え込んで、色違いの双眸をフィアードに向けた。
「……多かれ少なかれ、私達みんな、お父様の手の平で踊らされてた気がするわ……」
「そうか……」
「サーシャがもし蘇生されてお父様の手に落ちたら……少し面倒かも……ね」
「そうだな……。ただでさえ、お前の親父の居場所は掴めないし……」
フィアードの遠見には限界がある。空間の魔術であるが故、空間や方向が認識できない場合には使えないのだ。人探しには不向きと言える。
こちらもまだ居所がばれている訳ではなさそうなので、とりあえず今は力を蓄えておくしかない。
喋り疲れたのか、ティアナが小さい口を目一杯開けて欠伸をした。色違いの大きな目をパチパチと瞬かせている。
彼女の成長した姿と、先ほどから話題になっている人物の姿を思い起こし、フィアードはポツリと呟いた。
「それにしても……似てないんだな」
「お父様に、でしょ。よく言われたわ。……無理矢理成長したから疲れたみたい……」
「そっか。おやすみ」
「……それだけ?」
ちょっと拗ねたような顔で見上げられ、フィアードは苦笑した。立ち上がってゆりかごを覗き込み、可愛らしい小さな額に優しく口付けする。
「おやすみ」
「ふふっ、おやすみなさい」
頬を染めてくすぐったそうに笑うティアナは愛らしい。フィアードは規則正しい寝息を立て始めたティアナに毛布を掛けてやり、落ちていた編みかけの籠を拾った。