第47話 名付け
事務所の裏手に訓練場がある。さほど広くはないが、冒険者として登録した者達の腕試しや訓練の為に使われている。
フィアードは冒険者として登録しているベテラン剣士と手合わせしていた。
最近はアルスとの訓練が出来ず、時々思い出した時に素振りをするだけだったので、久しぶりの模擬戦にクタクタだ。
「いや~、流石アルス殿の指導を受けていらっしゃるだけのことはありますな」
中年剣士は汗を拭きながらフィアードの木剣を受け取って片付ける。
「あ……ありがとうございました」
この剣士は新人の育成を担当しているらしく、ノスリのような素早さやアルスのような力強さはないが、フィアードの剣の癖を指摘しながら正していくような試合運びをした。指導用の模擬戦である。
それで完膚なきまで叩きのめされてしまったのだ。そこそこ強くなったつもりだったが、剣に関してはまだまだだ、とフィアードは溜め息をついた。
「あ、そういえば……」
剣士はふと思い出したようにフィアードを見た。
「昨日も、コーダ村の連中が来てましたよ」
「……また、ですか……」
フィアードは苦笑した。
アルスの結婚式以降、三ヶ月に一度のペースでコーダ村から刺客が来るのだ。しかも、いつも同じ顔ぶれで。
形ばかりの襲撃をアルスが難なく退ける、という茶番をここまで何度も繰り返してきた。
最初の襲撃が失敗してからは、ザイールがサーシャの依頼を断りきれずに形ばかりの襲撃を続けているのがミエミエだ。
「あまり恒例化してしまうのも良くないですよ。それが作戦という可能性もありますから。……用心した方がいいです」
フィアード達の警戒心が薄れてきていることを剣士が指摘する。ベテランならではの意見だ。
「襲撃が目的ではなくて、情報収集が目的かも知れません。油断大敵ですよ、会長」
「ご忠告ありがとうございます。気を付けます」
フィアードはベテラン剣士の忠告を真摯に受け止めた。確かにここの所、警戒が薄れている。ヒバリの妊娠中だから、とザイールが手加減していた可能性も高い。
汗を拭きながらフィアードは事務所に戻った。受付時間が終了して閑散とした事務所の隅で、ティアナはまだ絵本を読んでいる。声を掛けても聞こえていないようだ。驚異的な集中力である。
「昨日襲撃があったと聞いたんですけど?」
フィアードが言うと、ミーシャがああ、と頷いた。
「アルスさんがいつもの皆さんを追い返したすぐ後で、ヒバリさんの陣痛が始まったと連絡が入りまして……報告が漏れていて申し訳ありません」
「ああ、それで……」
フィアードは得心がいったが、それでも報告はあって然るべきであろう。やはり警戒心が大分無くなってきている。これはアルスにも注意しておかなければ。
「それから……会長がおいでになったらお渡しするように言われていた物がありまして……」
ミーシャが大きな封筒をフィアードに手渡した。
かなり厚みのある封筒だが、それ程重くはない。中身は紙だろうか。振ってみるとカサカサと音がする。
「ここで開けてもいいですかね?」
「さあ……?」
ミーシャが首を傾げる。表にはフィアードの名前が記され、裏側を見てみるとレイモンドの印章で封緘されている。内容がとても気になるが、恐らく他の者のいない所で開けた方がよさそうだ。
こんなまわりくどいことをしなくても、直接出向いて話を聞いた方が早いのだが、とフィアードは首を傾げた。
「社長は最近、とてもお忙しいようですよ。お越しいただいてもゆっくりお時間を取れないので、こちらをお渡しするように仰ったそうです」
フィアードが来ると時間を割かれて困る、と暗に言われている気がして少しムッとする。
「へえ……。で、これはいつ届いたんですか?」
「三日ほど前にヨタカさんが持ってこられました」
フィアードの眉がピクリと動く。まだその名前を平常心で聞くことは出来ない。だが、彼が直接持ってくるということはよほど重要なの用件なのであろう。
「じゃあ、帰ってから見させてもらいます。ティアナ、帰るぞ」
やはり返事がない。仕方ないのでしゃがみこんで目の前で手を振ってみると、初めてフィアードに気付いた。
「お兄ちゃん?」
「面白いか?」
フィアードの問いかけに満面の笑みを浮かべる。
「うん。絵もすごく綺麗だった」
フィアードはその絵本を覗き込んだ。色彩豊かな絵で神話の世界が描かれている。これは見事だ。恐らく絵師の自筆のものだろう。
「へえ……。これって、誰かの依頼で作ったんですか?」
「いえ、社長が実験的に作らせたそうです。見本として置いておくように、と」
三冊とも絵の雰囲気が違うので、恐らく登録している絵師の売り込み用なのだろう。それを神話の絵本にする辺りが、レイモンドの手腕だ。
「じゃあ、同じ物を作ってもらおうか」
フィアードが尋ねると、ティアナは大きく頷いた。
「欲しい!」
「……だそうです。ミーシャさん、お願いします。依頼票作成しておきますね」
これで少しはティアナが大人しくなりますように、と祈りながら依頼票に記入してミーシャに渡した。
「では、確かに依頼を承りました」
ミーシャは依頼票を受け取ってニコリと微笑んだ。
「じゃあ、お疲れ様」
「ありがとうございました」
「ばいば~い!」
フィアードはティアナを連れて事務所を後にした。ティアナは興奮気味に絵本の内容を話している。フィアードは相槌を打ちながら水車小屋への道を歩いた。
夕陽が入道雲を橙色に染め上げている。夕餉の匂いが漂ってきたので途中でパンを買った。母親のパンより若干硬くて重い気がする。
串焼きや果物など、簡単に食べられるものを調達していると、水車小屋に着いた時にはとっぷりと日が暮れていた。
◇◇◇◇◇
「ただいま~!」
水車小屋の地下はアルス達の住居で、フィアード達が湖畔の村に滞在する時は二階に泊まることになっている。
食事は大抵一緒に摂るのでティアナは大声を出しながら地下の部屋への階段を駆け下りた。
フィアードは慌てて彼女の周りに消音結界を張る。新生児がいるのだ。ちゃんと言い聞かせておかなければならなかった、と溜め息をつく。
アルスとグラミィが慌てて出迎えてくれたので、もしかしてと思ったら、案の定母子が眠ったところであった。
「あれ? 赤ちゃんは? 寝てるの?」
少し残念そうなティアナの頭をフィアードが撫でる。
「赤ちゃんは寝るのも仕事だよ。ヒバリも疲れて休んでるんだ。ゆっくり休ませてやろうな」
「……うん……」
「さ、食べようぜ」
アルスはフィアードから受け取った食料を、作っておいたスープと合わせて配膳する。グラミィはそそくさと食卓についた。
「ヒバリは起きたら食べるから、私達は先にいただきましょう」
グラミィに促されて二人も食卓についた。アルスは機嫌がよく、いつも以上に饒舌になっている。フィアードは話半分で聞きながら食べ始めた。
「……で、名前は『ラキス』にしようってことになったんだ……」
どうやら名付けの理由を語っていたようだ。いつもの癖でアルスの話を流していたフィアードは慌てて聞き直した。
「ラキス?」
「ああ、いい名前だろ?」
アルスの目尻は下がりっぱなしだ。よほど嬉しいんだろう。今後の教育などに話が広がっていく。フィアードはあることに気付いた。
「そういえば……ヨシキリとリュージィは……?」
アルスは喋るのをピタリと止めて、気まずそうにグラミィを見る。彼女は眉を釣り上げてふふん、と笑った。
「ヒバリの勧める通りよ」
二人はヨシキリの小屋に行っているようだ。グラミィは清々した、と言わんばかりの態度だが、アルスは黙り込んでいる。妙な沈黙が居心地悪く、なんとか話題を変えようと考えて大切な事を思い出した。
「アルス……食後でいいから、ちょっと二階に来てくれないか? 商会のことで話があるんだ」
危うく忘れるところであった。アルスは少し怪訝な顔をしたが、商会のことならばグラミィやヒバリに聞かせる必要もない。
「……お、おう。分かった……」
フィアードがこう言い出す時は大抵がお説教なので、アルスは少し嫌そうに頷いた。
◇◇◇◇◇
「話って何だ?」
食事の片付けを終えたアルスは、二階の扉を開けるなりフィアードに詰め寄った。お説教ならば早く終わって欲しいのだろう。フィアードは扉を閉めてアルスを部屋に招き入れた。
「昨日の襲撃のことだ。ちょっと気が緩んでるかも知れないから、足を掬われないように気を付けようぜ」
言われてアルスは罰の悪い顔をした。思う所があったのか、素直に頷く。
「……確かにな。親父の差し金にしてはあまりにもお粗末すぎる。何が目的か分からないが、もう少し警戒した方がいいな」
「ああ……それから……」
フィアードは事務所で受け取った大きな封筒をアルスに見せた。
「こちらが本題。レイモンドからだ。俺宛だけど、一緒に見てくれるか?」
「……いいのか?」
フィアードは頷いて封蝋を剥がす。一人で見るのもなんとなく気が引けるのだ。それなら他の誰と見るというのだ。封筒には折り畳まれた紙と手紙が一通入っていた。
なんだろう、と紙を広げていくと、両手を広げたくらいの大きさであった。そしてその紙には……。
「地図……だ……!」
「もう完成したのか!」
二人は興奮気味でその大きな紙を床に広げた。色付けされてはいないが、大きな陸の上に山や川などの地形が細かく書き込まれている。
所々、入り込むことが出来なかった箇所は白抜けになっているが、大まかな地形は解る。
二人はただ無言でその地図に魅入っていた。壮観だ。上空から見下ろした時の感覚が蘇って、風が感じられる程だ。
その地形図のあちこちに後で書き込まれたような丸印がある。恐らくそれが人の住む集落や村なのであろう。
「……ここは湖畔だから……、この村か」
フィアードは湖の脇の丸印を指差した。傍でティアナもその地図に釘付けになっている。今日読んでいた絵本とはまた違う、精密で繊細でありながら、概念を記号化したような分かりやすい描写。絵にはこれ程までに違いがあるのかと驚かされる。
何か細かい説明などを見たいと思ったフィアードは一緒に封筒に入っていた手紙のことを思い出した。
「あれ……?」
あまりに興奮したためか、手紙を落としてしまったようだ。何処に行ったのだろう。
フィアードが何か探していることに気付いたアルスも一緒になって探し始めた。封筒には何も残っていない。
「どうしたの?」
突然ゴソゴソと探し物を始めた大人達にティアナが怪訝な顔をする。
「あ、いや……、手紙が見当たらなくて……」
フィアードが言うと、ティアナは笑いながら地図をめくった。
「……あ……」
地図の下に手紙が落ちていたようだ。フィアードは苦笑してそれを拾った。
手紙には地図を作成するに至った流れが細かく記されていて、その作成方法までも詳しく書かれていた。フィアードは思わず吹き出した。
「……あいつ、こんなことしてるから忙しいんだ……」
作成者であるシエラ・ドゥ・ブールと協力者ツグミが気付いた点なども事細かに列挙されている。
「……で、なんだって?」
アルスが手元を覗き込んで、その字の細かさに唸った。いつもこの字相手に苦労しているのだろう。
「いや、この地図の使い方は要相談なんだけど……、とりあえず、名前をなんとかして欲しいみたいだな」
「名前?」
「村や町の名前。コーダ村みたいな名前のある土地って少ないだろ? 南の村とか東の村ばっかりで地図に記載するのに不便だからって……」
「成る程……」
アルスは腕組みした。
「でもそれって、そこの住人が決めることじゃないのか?」
アルスの提案に今度はフィアードが腕組みする。村長がいる村ならばなんとかなるが、特に治める者のいない集落では収集がつかず、時間が掛かって仕方ないではないか。
「いや、この地図を使う上での便宜上の名前で充分だと思う。番号でも振っておいたらいいんじゃないか?」
「じゃあ、あたしが名前付ける!」
ティアナが目をキラキラさせて、湖の脇の丸印を指差した。自分達が今いる場所だ。
「湖畔の村! かっこいいでしょ?」
彼女が宣言したその瞬間、辺りの空気が変わった。フィアードとアルスはその不思議な感覚に息を飲む。不安定だった空間そのものが安定し、落ち着いたような感覚だ。
「……何だ……これ?」
アルスは魔力を感じないので、あくまでも感覚でしか捉えられない。彼はフィアードにどういうことか尋ねるように視線を送った。フィアードは大きく見開いた目でティアナを見つめていた。
「ティアナが……名付けたんだ……。この土地に……」




