第46話 躾と教育
白磁の肌、ふっくらとした桃色の唇。あまりの美しさにフィアードはその少女に見惚れてしまった。
当の本人も訳が分からないという表情で自分の両手を見ている。
「リ……リュージィ!」
ヨシキリが泣きながら感動に打ち震え、その少女の名を呼ぶのを聞いて、やはり、とティアナを見た。
「わあ! お婆ちゃんキレイ~!」
ティアナは無邪気に美少女に抱きついている。治癒のつもりが力加減を間違えて若返らせてしまったのだろう。
ダルセルノが別の未来で切望したという若返りの能力が、いとも容易く実現してしまった。フィアードは頭を抱え込んで深い溜め息をついた。
あまりの出来事にその場の全員が若返った少女に注目している。すると、主役は僕だと言わんばかりに、生まれたばかりの赤ん坊が激しく泣き出した。
リュージィは産婆としての経験からか、すぐに赤ん坊の元に駆け寄り、手際良くヒバリの胸に抱かせた。
「ほらヒバリ、お腹空かせてるよ!」
「ええ……ありがとう……リュージィ」
ヒバリは戸惑いながらも胸をはだけ、我が子に最初の食事を与えた。
アルスは生まれたばかりとは思えない程しっかりした体格の赤ん坊を覗き込む。
「……元気な子でよかった……」
グラミィがフィアードを呼びに来た時はどうなることかと思った。治癒術師が着いていれば大丈夫だと思っていたが、かなり危なかったらしい。
「髪の毛は貴方に似たのね」
ヒバリは小さな頭を優しく撫でる。ふわふわとした細い赤毛がその白い指に絡まる。アルスが不思議そうに赤銅色の目を細めた。
「……目の色が……左右で違う?」
見間違いかと思ったが、よくよく見るとやはり違う。空色と水色だ。風と水の精霊の加護を生まれながら持っている事が伺える。そのような形で魔族の特徴を受け継ぐものなのか、と一緒に覗き込んでいたリュージィが感嘆の息を漏らした。
「へぇ……。そんなことがあるんだねぇ……」
「不思議ね。ちゃんと碧も皓も受け継ぐなんて。……ねぇリュージィ……、貴女そんな姿になっちゃって、これからどうするの?」
今更元の老婆に戻れとは言えないし、ティアナに戻すつもりはないだろう。ヒバリは親友の懐かしい姿に戸惑っていた。
「私が聞きたいよ。全く、とんでもない事をしてくれるもんだ……」
「……すみません……。俺の監督不行届きです……」
普通に生きる覚悟をしている人間に対して、いきなり人生のやり直しを要求するようなものだ。理不尽にやり直しを繰り返して来たティアナがまさか他者に対してそのような事をしてしまうとは……。フィアードは複雑な思いで頭を下げた。
「ええやないか! リュージィはやっぱりこうでないとあかん! 婆さんの孫っちゅう事にして、またヒバリと一緒にやっていこうや!」
ヒバリとリュージィ、二人が並んだ姿を思い出し、ヨシキリはウットリとしている。白と黒、光と闇のようなその対比が素晴らしいのだ、と夢見心地で語る。
その見目の麗しさの裏で当時二人で何をしていたのか考えるだけで恐ろしくなって、フィアードは身震いをした。
「……まあ、あんたらの行く末を見届けろってことか。それから……フィアード、あんたの妹の病気のことも協力しろってことだろうね」
リュージィの言葉にフィアードは首を傾げた。グラミィから聞いたのだろうか。リュージィは手際良くお産の片付けをしながら、フィアードをチラリと見た。
「私の息子がね、進行性の病気で死んだんだよ。それから同じような病気の研究をしてたのさ」
フィアードは息を飲んだ。いつぞや、ティアナが集めていた研究資料、それが彼女の物だったのか。
「病巣の取り出しまで考えて、その方法を動物で実験してたんだよ。歳を取って続けられなくなっちまったけどね」
まさかこんなに近くにその研究者がいたとは。フィアードは忙しく動き回るリュージィを見つめた。
せっかく水の魔術を覚えたが、まだ病巣の特定が出来ず、レイチェルを治療することに至らない。経験が乏しすぎてどうしたらいいのか分からないのだ。
「レイチェルの病気を……治せるでしょうか……」
「さあねぇ。さっきみたいにあんたの魔術を上手く利用したら治せるかも知れないね」
リュージィはヒバリの着替えやオムツを出して寝台の近くに置く。あっという間に産屋は寝室に様変わりしてしまった。
「……俺と一緒に、その方法を考えてもらえませんか?」
「まぁきっと、その子がその為に若返らせたんだろうね……」
リュージィは溜め息をつき、無邪気に赤ん坊をあやしているティアナに目線を送った。
「ヨシキリの言うように、孫とでも言ってこの村に留まるさ。実験も再開するから、協力が必要ならいつでも声を掛けな」
「よろしくお願いします」
二人が出した結論を聞いて、誰よりも喜んだのがヨシキリだった。彼はすかさずリュージィの肩を抱いて、熱く語り出した。
「わいの小屋に来えへんか? ここやと赤ん坊の声で寝られへんやろ? 連れ込み宿になっとる館になんぞ寝泊まりしたら危ないで」
下心が丸見えであるが、ヒバリは止めない。グラミィは呆れている。どうやらこの二人の仲は公認だったらしい。
「お父さんは昔からリュージィが好きよね。私の前でも口説くくらいだったから本気だったんでしょ? 母さんには義父がいるし、リュージィだってその身体じゃ色々不便よ。丁度いいんじゃない?」
初めての授乳が終わり、眠ってしまった息子に産着を着せながらクスクスと笑う。相変わらず凄まじい体力だ。
「ヒバリ……あんたね……」
リュージィは顔を顰めるが、まとわりつくヨシキリのことは嫌ではなさそうだ。
「呪いが消えて、単なる女好きになった訳か……」
アルスが呆れている。元を知っているからか、節操が無いとは思えないのが不思議だ。
「お前に言われとうないわ!」
またこの似た者同士の二人はくだらない喧嘩を始める。フィアードは呆れて溜め息をついた。持ってきた袋からティアナに使っていたおんぶ紐を出してヒバリの枕元に置く。
「よかったら使ってくれ。じゃあ俺は事務所に顔出してくるな」
「お! 頼めるか」
アルスが少しホッとしたような顔で振り返った。半年前から商会の支社を置いている。アルスはその支社長をしているのだ。
「こっちに来た時くらいは手伝うさ。今日はゆっくり休んでろ。さ、行くぞティアナ」
「ええ~、まだ赤ちゃん見たいよぉ……」
「いいから!」
愚図るティアナを引きずるようにして連れ出した。
水車小屋から出ると、フィアードはティアナの前にしゃがみ込んだ。ティアナに目くらましを掛けて目線を合わせる。
「ティアナ……自分が何したか分かってる?」
「うん……。お婆ちゃんを治したの」
ティアナはフィアードが厳しい顔をしている理由に心当たりがあるらしい。自分でも思いがけない結果となったからだろうか。
「ティアナ、老いは病気じゃない。自然なことなんだ。
今回はリュージィが許してくれたけど、他の人が許してくれるとは限らない。それに、その能力は簡単に使っていいものじゃない」
「……はい……」
ティアナの返事はなんとなく投げやりだ。どこまで理解出来ているのだろう。フィアードは疑問に思いながら少し厳しい声で言った。
「これからは人に対して能力を使わないように」
「……ごめんなさい……」
ティアナは叱られたことが悔しいのか、下唇を噛んでいる。少し言い過ぎたか、とフィアードは後悔したが、絶対的な力を持つ彼女に普通の子供と同じように接する訳にもいかないのだ。
だからと言って、機嫌を損ねたままなのも良くない。気分を変えるためには……
「分かればいいんだ。じゃあ、卵焼き食べに行こうか」
「うん!」
とりあえず食べ物でその場を誤魔化して酒場に向かって歩き出した。
小さな手を引きながら、フィアードはヒヤヒヤしていた。最近の彼女は能力を使いたくて仕方ないのだ。ちょっとした事でも能力を使おうとする。
彼女を実母や母親に預けようと考えていた頃が懐かしい。今、彼女の世話を出来るのは自分しかいないと豪語できる。転移で姿を消した彼女を探して、魔力の発現の直前に風や霧で誤魔化したり……そんな事が出来るのは自分しかいないのだ。研究の合間によくやっていると自分を褒めてやりたいほどだ。
皓の村にいる時や水車小屋にいる時はまだいいのだが、こうして普通の道を歩くのが一番恐ろしい。
目的地まで転移してしまいたいが、他人の目があるのでそうもいかない。
「お兄ちゃん、あれ美味しそうだね」
ティアナの目線を追う。果物を売る露店があった。
「そうだな。でも、卵焼き食べなくていいのか?」
ティアナは少し考えてから、ジトリとフィアードを見た。
「……あれ食べたい……」
怖い。反対したら手元に転移させるだろう。この人ごみで、それはなんとか避けたい。
「わ……分かったから……。買いに行こう……」
この調子だ。我儘をきかないと、周囲を巻き込んだ大騒動になりかねないのだ。
甘やかしている、と言われればそれまでだが、じゃあどうすればいいのだ、と問いたくなる。
今考えると、ダルセルノはどうやって彼女を育てたのだろうか。思考誘導が効くとは思えないし、閉じ込めておける訳もない。自分やサーシャが世話役だったらしいので、やっていることはあまり変わらないのだろうか。
早く記憶を戻して欲しい……フィアードは彼女の要求に応えながら深い溜め息をついた。
◇◇◇◇◇
「あ! 会長!」
事務所の扉を開けると、支社で秘書をしている女性が驚いた顔をした。
「久しぶりです。ミーシャ」
時々顔を出しているのと、社長の兄である為に、気が付けば会長と呼ばれるようになってしまった。あまりその呼ばれ方は好きではないが、創設者の一人である以上、仕方あるまい。
「もしかして……生まれたんですか?」
ミーシャの目がキラリと光る。フィアードは頷いた。
「はい、お陰さまで。つい先ほど。だから今日は代わりに俺が来ました」
「助かります! ……実は、先週くらいからちっとも仕事が進んでないんですよ! 会長が来てくだされば、百人力です!」
産室の前でのアルスの様子を思い出して溜め息をついた。どうせ仕事が手に付かなかったんだろう。フィアードは事務所奥の執務机に向かった。
「……そうか……。じゃあすぐに取り掛かるよ。悪いんだけど、ティアナに何か…」
「あ、丁度いい絵本がありますよ! 最近、本社では優秀な絵師が集まってますからねぇ」
地図の作成の影響らしい。我こそはと思って商会の扉を叩くが、結局地図の作成での採用は殆どなく、他の分野での仕事をこなしているらしい。
「これは神話のお話ですね」
「わあ! 綺麗な絵本!」
書棚から三冊ほどの絵本を取り出してティアナに手渡す。嬉しそうにそれを受け取って読み始めるティアナの姿を見て、フィアードは書類が山積みされた執務机に着席した。
ヨシキリとサブリナから神話を聞いてまとめ、文才のある者に文章を書かせていたのだ。まさか絵本にするとは思わなかったが、これならば子供でも楽しめるだろう。
「あ、それから、この書類を全部片付けたら、誰か俺と手合わせする奴を探してもらえますか? 最近体が鈍ってるんで」
「了解しました。剣術でいいですよね」
ミーシャは肩の荷が下りてホッとした。冒険者の登録表をめくりながら、アルスの事務処理能力を遥かに凌ぐ速度で机上の書類を片付けていくフィアードを惚れ惚れと見つめていた。




