第41話 宴の準備
執務室に二人の男女が呼び出されていた。空色の髪と目の少女と黒髪に空色の目の男性である。
執務机の向こう側には責任者である茶色い髪の少年が座り、青緑の目を厳しく光らせて二人を睨んでいた。
「えーと、どうして呼び出されたか分かりますか?」
「さあ?」
「皆目見当がつかないな」
惚ける二人に少年のこめかみがピクピクと引き攣る。
「お二人は、僕が毎日何時頃まで仕事をしているか知ってますか?」
「え? 事務所を閉めたら帰っとるんちゃうの?」
少女の答えに少年は深い溜め息をついた。そうか、居ると知っていた訳ではないのか……ならば仕方ない……。いや、それで済まされる問題ではないのだが。
「僕はいつも事務所を閉めた後、この執務室で書類の整理や売り上げの管理をしています……。昨夜も帰った時には月は空高く昇っていました……」
「ああ、昨日は見事な満月だったな……」
しれっと言う青年は気付いていたらしい。こいつは確信犯か。少年はギリと歯軋りして青年を睨み付けた。
「え? ……そんな遅くまでおったん? それは……悪かったなぁ……」
少女は今気付いたようだが、全く気にする素振りもない。少年は自分がおかしいのかと一瞬思ってしまったが、ブンブンと頭を振って隣室に続く扉を指差した。それの意味する事が分からない程馬鹿ではないと願いたい。
「いい加減にして下さい! 僕はまだ十五なんです! 迷惑です!」
「……別に、あんたを巻き込んだ訳ちゃうし……」
「僕だけならまだ我慢しますが、他の冒険者達にも聞かれてますよ! 兄と何があったのか知りませんが、兄にも迷惑です! 勘弁して下さい!」
「え……、フィアード?」
何故そこで彼の名が出てくるのだろう。ツグミは首を傾げた。
「あれ? 気付いてなかったのか? お前いつもあいつの名前叫んでるぞ」
ヨタカはニヤニヤしながらツグミを見る。
「げ! ホンマか!」
兄の名前が聞こえて酷く動揺したレイモンドは、思わず見てはならない物を見てしまったのだ。
しかし、二人のやり取りを聞いていると色っぽい雰囲気など皆無である。気にしている方が変なのかと思ってしまう程だ。が、それが原因の問題を抱えている今、ちゃんと話し合わなければならない。
「ツグミさん、貴女と組んで地図を作成している絵師のシエラ・ドゥ・ブールが、故郷に帰ると言っています」
「え? シエラが? なんで?」
「『ヨタカさんとお付き合いしていることを教えてくれなかった』と泣きながら訴えて来ました」
手元のメモを淡々と読み上げる。二人はそれを聞いてもキョトンとしている。
「お付き合い……って?」
「別に、俺達は何でもないよな?」
レイモンドは自分の堪忍袋の尾が切れる音を聞いた。机を思い切り叩いて立ち上がる。
「じゃあ、隣の部屋でやってる事は何なんですか! 仮にも、幹部である貴方達が、時間外にも関わらず報告に来てくれた冒険者達に何て物を聞かせてるんですか!」
「風向き調節失敗したか……」
ヨタカが舌打ちする。レイモンドは自分でも信じられないくらい大きな声で怒鳴っていた。
「いいですか! 地図の作成は商会の命運を賭けた一大企画なんです! その為に遠方から呼び寄せたあの絵師を故郷に返す訳にはいかないんです!」
「でも、もう帰るて言うてるんやろ?」
「商会はまだ設立から一年も経っていません! 風紀を乱すことはやめていただきたい!
それから、シエラからは『お二人が結婚されるなら喜んで祝福します』と言われていますので、お二人には結婚してもらいます!」
レイモンドは手にしたメモを二人に突きつけた。
「ええっ! なんでうちがこんな変態の性悪と結婚せなあかんねん!」
ツグミは顔を顰めてヨタカを指差した。ヨタカも真剣に不愉快な顔をしている。
「こんなガサツ女を嫁にする馬鹿がいるか。俺達は身体だけの関係だ。放っといてもらおう!」
二人の宣言にレイモンドはドン引きだ。そこまで拒否する相手と何故寝れるのか謎である。しかも、二人が顔を合わせると当たり前のように寝ている。意味が分からない。
「だったら別に部屋を探すか連れ込み宿ででもやって下さい! 結婚するなら新居をお祝いにプレゼントしますから!」
責任者の発言に二人はしばらく睨み合い、二人にしか通じない謎のやり取りの後、渋々頷いたのであった。
◇◇◇◇◇
レイモンドは執務机に突っ伏していた。なんで自分がこんな思いをしなければならないのだ。あの魔人の幹部二人は仕事ぶりは立派だが、人格に問題がありすぎる。
だが、とりあえず結婚してくれるようなので、これまでの事もなんとか誤魔化せるだろう。
扉を叩く音がして、暗褐色の髪の少女が入って来た。
「レイモンドさん……、お話はどうなりましたか?」
泣き腫らした為か、緑色の目は充血している。
「ああ……えっと、ずっと言い出せなかったらしい。結婚するってさ」
良心がチクチクと痛むが、この少女に本当の事を言う必要はないし、言ってしまうとますます事態が悪くなるだけだ。
「本当ですか! ……良かった……! 私のせいで、ツグミさんが遠慮されてるような気がして、本当に申し訳なかったんです!」
「え? 君のせい?」
「はい。私がヨタカさんと仕事したかった……って言ったんで、気を遣われたんでしょうね。ヨタカさんは女性に興味が無い、とかおっしゃって……」
「へぇ……」
レイモンドの顔が引き攣る。夜な夜な思春期の少年を悩ませておきながら、何が「女性に興味が無い」だ。
いや、実際は本当に興味が無いのだが、その事を知る由もない。
「それじゃあ、結婚のお祝いとかするんですよね!」
早くも気持ちを切り替えた少女は目を輝かせている。レイモンドは意味が分からず思わず聞き返した。
「え?」
「私の故郷では、結婚する二人は着飾って、家族や友人の前で誓いの儀式をするんですよ! 是非お手伝いさせて下さい!」
あの二人が人前で何を誓うと言うのだ。考えただけでもゾッとする。
「いや、 別に報告だけでいいんじゃないか? あの二人は魔人だし、魔人のしきたりもあるだろう?」
「いいえ! 冒険者のルールを作る上でも、こういった事はちゃんとしましょう!」
何故か冒険者の行く末まで案じてくれている。レイモンドは圧倒されながらも、彼女のその熱意を好ましく感じていた。
「一ヶ月後にお店を抑えておきますね! ちょうど実りの季節で美味しい物も揃いますし! 会場の飾り付けは私に任せてください。お二人の衣装も、女性冒険者達が厳選してくれますから! レイモンドさんは、お二人の縁者の方に連絡をお願いしますね!」
レイモンドを唖然とさせる程の仕切りっぷりである。縁者について考えていて、ふとレイモンドはあることを思い出した。
「そう言えば……アルスさんも結婚するって言ってたな……」
シエラの耳は驚く程に反応が良かった。
「アルスさんって、あの初代所長ですよね! ご結婚されるんですか!」
「ああ。相手はヨタカさんのお姉さんだとか……」
「ええええっ! じゃあ、合同で結婚式ですね!」
シエラの声にレイモンドは思わず立ち上がった。
「えっ? 合同?」
「二組の新しい夫婦を祝福するんです! ああ! 是非そうしましょう! 素敵です!」
シエラの心は結婚式の計画で溢れ返っている。レイモンドは掛ける言葉が見つからず、彼女の立てる計画に乗せられていくのであった。
◇◇◇◇◇
秋の気配が色濃くなり、木々は鮮やかに紅葉し、畑も実りの色に染まっている。
町で一番大きな食堂が貸切となっていた。色鮮やかな生花や布で華やかに飾られた店内には着飾った人々が溢れ、開場は今か今かと初めての試みに胸をときめかせていた。
控え室には二人の魔人の少女が、数人の女性達に飾り立てられてグッタリしていた。
「次は花婿よ!」
女性達は花嫁の準備が整ったことを確認し、そのまま反対側の控え室に雪崩れ込んで行った。
残された二人の花嫁は、お互い顔を見合わせ、苦笑した。
「ええと、ツグミです。ヨタカのお姉さんて聞いてんけど……」
「あ! 貴女がツグミさんね! フィアードの……!」
ヒバリの言葉にツグミは過剰反応した。この少女は何を知っているのだろう。ヨシキリの娘と聞いているが、一体どういう経緯でアルスと結婚することになったのだろうか。
「フィアードも来てるんか?」
「当たり前でしょ。彼がここまで運んでくれたのよ」
「うちのこと……何か言うてた?」
「どうだったかしら……ねぇ、ヨタカって、母親譲りの堅物って本当?」
ヒバリはツグミに質問の隙を与えずに聞いてくる。
「堅物ちゃうわ。ただの変態や」
「えっ? そうなの?」
ヒバリは何故か嬉しそうだ。ツグミはその反応に首を傾げた。
「ねぇ、ものは相談なんだけど、今晩は四人でってのはどうかしら?」
「はぁ? あんた何言うてんの?」
ツグミは驚きすぎて開いた口が塞がらない。しかし、この少女の父親が何者か思い出してすぐに納得した。
「……ヨシキリの娘ってホンマやってんな……。あのな、四人で、とかやったら……ヨタカが隙を見てアルスを襲うだけやで。あいつだけが得するんや。やめとき」
「ああ! そういう事なのね!」
ヒバリの目はキラキラしている。こんな話が大好物なのだ、この父娘は……。ツグミは呆れて溜め息をつく。
「あのボケはアルスが抱いた女しか抱けへんねん。うちは別に誰でも一緒やしな。お互い様っちゅうこっちゃ」
「あら、じゃあ私も権利はあるじゃない。でも……またアルスにお仕置きされちゃうかしら……」
トロンとした目が宙に向いている。ヤバい……これは病気だ。ツグミは美しく着飾った淫乱な花嫁を放置して、会場に移動することにした。
会場にはまだ誰も来ていなかった。とりあえず椅子に腰を下ろすと、窓から一羽の鳥が入って来た。その瞬間、ツグミの身体が震えた。
鳥が姿を戻すまでもなく、ツグミはそれが誰か分かっていた。今日の主役のうちの二人はこの男の子供なのだから。
「ヨシキリ……」
「ツグミ、久しぶりやな」
空色の髪と目、中肉中背だがしなやかな肉体の中年男性は、自然な仕草でツグミに歩み寄り、その肩を抱いた。
「相変わらず……ええ身体してるな」
甘い声が脳裏に響き、ゾクリ、と背筋が震える。これだからこの男は嫌いだ。ツグミは潤んだ目で同じ色彩の目を睨みつける。
「お父さん!」
扉が開いて、もう一人の花嫁が現れた途端、ヨシキリを覆っていた独特な空気が晴れていった。ツグミはホッと息をつく。
「ヒバリ……! 綺麗やなぁ!」
すっかり父親の顔になったヨシキリがヒバリを優しく抱きしめている。自分に触れる時とは随分違う手つきだ。
とりあえずヒバリの側にいればヨシキリとは距離を保てそうだ。ツグミはヒバリに一歩近付いた。
アルスとヨタカが会場に入って来た。スッキリとした衣装に身を包み、髪を整えている二人の姿は壮観だ。ヨタカはアルスの肩に手を置いて楽しそうに談笑している。
二人はヨシキリに気付いてこちらにやって来た。
「親父……久しぶり」
「叔父貴、しばらくだな!」
「ヨタカ、アルス、わいの所に招待状が届くなんて思わんかったわ……」
ヨシキリは少し照れたような仕草で二人の肩をポンポンと叩いている。ヨタカはツグミを見てニヤリと笑い、耳打ちした。
「ツグミ、今晩は久しぶりに親父と過ごしたらいい。俺はアルスと飲んでるからな」
ツグミの顔に朱が入る。思わず殴りそうになった時、扉が開いて招待客達が一斉に入って来た。
魔人も人間も入り乱れている。何故かヒバリの側に老婆が来て話し込んでいた。
ツグミはフィアードの姿を探していた。今更どんな顔で会うのか分からないが、とにかく彼の姿を見たかった。
顔見知りになった冒険者達に祝いの言葉を掛けられ、曖昧に頷いている間もずっと目は人ごみを探していた。
レイモンドを見つけて彼の腕を掴み、人ごみから抜け出した。
「レイ……モンド……、フィアードは?」
レイモンドは眉を顰めた。
「え? 兄は来てませんよ。不参加の通知も貰ってます。皓の村で研究してるからって……」
ツグミは足元が崩れていくのを感じた。




