第39話 調和
事務所の奥、小部屋には熱気が残っていた。激しい運動を終えて、じっとりと汗ばんだ身体を拭きながら、空色の髪の少女が今日の出来事を話した。
「て、待てよ。それじゃあまるで俺が……」
その内容に異論があるのか、寝台から身を起こした男は少女の腕を掴んだ。
「別に嘘は言ってへんやろ? あんたのことは嫌いちゃうけど好きでもないし」
少女はつまらなさそうにその腕を振りほどく。先ほどまで一応その腕に抱かれていたが、その感慨は無い。
「落ち込んで戻って来たお前を立ち直らせてやったのに……何もないってことはないだろ?」
ツグミは落ちている服をかき集めてテキパキと身に付ける。
「よう言うわ。うちがアルスと寝てたこと知ってたからやろ? アルスが抱いた女しか抱けへんねんから、普通の女には興味無いやろ。それにな、人間には好きやない相手と寝るんは許せへん連中もおるんや」
「ああ、フィアードか。あいつは潔癖っぽいもんな……」
ツグミはあからさまに嫌な顔をして青年に服を投げつけた。
「……どうせうちは好きでもない男と平気で寝る最低女や。それに漬け込むあんたも最低男や」
ツグミの投げやりな言葉に黒髪の青年は肩を竦めた。
「……あいつの結婚がショックなのはしゃあないけどな。まさか愛しの君が兄貴になるなんてな!」
ヨタカの顔に朱が刺す。この女を殴ってやろうかと本気で考え拳を握り締めたが、すぐに思いとどまり溜め息をついた。
「会ったこともない女を姉貴と言われてもな。どうせ俺の兄弟は数え切れない程いるんだろうしな」
気だるげに立ち上がり、汗に濡れた黒髪を整える。ツグミは同じ色の目で彼を覗き込んでツンと上を向いた鼻を更に上に向ける。
「ヨシキリも酷いけど、アルスも大概やと思っとったわ……。意外やった……。ただの女好きで結婚願望あるとは思えんかったけどなぁ」
内に秘めた思いを見抜いた上に意地悪く言うツグミの言葉に、ヨタカは少し意趣返ししてやりたくなった。
「そうでもないぞ。あいつ、コーダ村を出る時に、結婚するって豪語して出て来たんだと」
「ええっ! 誰とや!」
初耳だ。ツグミは驚いてヨタカの腕にしがみついた。大きな胸が当たるが、ヨタカはただ煩わしそうに振りほどき、ニヤリと笑った。
「しばらく村に滞在していた、女の赤ん坊を連れた金髪の若い母親に求婚したらしいぞ」
「え……それって……」
ツグミの顔色が変わる。そう言えば、初めて会った時は家族連れに見えたのではなかったか……。それはつまり……。
「あの馬鹿……男もイケる口やったんか……!」
あり得ないことではない。あの精力、あの身体。その気になれば線の細い少年など造作もなく我が物にしてしまうだろう。男ばかりの戦場も多く、傭兵には珍しい事ではない。
可愛いフィアードがあの屈強な男に蹂躙されていたなんて……! ツグミは考えるだけで息苦しくなる。
「残念ながら、フィアードの最初の相手はお前じゃなくて我が愛しの従弟殿かもな……」
「うわぁ~! 許せん! あのボケ! くっそ! ムカつく!」
激怒するツグミを他所に、ヨタカは心底嬉しそうに笑った。あのアルスが結婚したところで一人の女で満足出来る筈がない。
気分が良くなってきて、ツグミを身代わりに抱き寄せてみた。その柔らかな感触は求めている物とは違うが、それでも充分心地良い。
「あ~ん! フィアードの馬鹿~!」
ヨタカの胸に泣きながら顔をうずめてくる。いつものことだ。ヨタカはその髪を撫でて、しなやかな肢体を優しく抱き締める。その身体の何処かに名残りがないかを確かめる為に。
◇◇◇◇◇
それにしても、村に他所者が入り込んでも誰も出てこないとは……。フィアードは不安になった。
「誰も迎えに来ないって……どういうことですか?」
「侵入者対策よ。ここまで誰もいないと不安になるでしょ? それが狙い」
グラミィは確かな足取りで道を進み、一軒の小屋の扉を開けた。
「おばあちゃん!」
中からはヒバリに酷似した少年が飛び出てきてグラミィに抱きついた。乳白色の髪に水色の目。色彩は純粋な皓の魔人だ。
「モトロ! 元気だった?」
グラミィは母親の温もりを知らずに育った可哀想な孫を抱き締めた。
「おばあちゃん、久しぶりだね。お母さんからの連絡があって、すごく楽しみにしてたんだ」
モトロは祖母への挨拶を済ませると、フィアード達に向き直った。
「ようこそ、フィアードさん、ティアナさん。僕が族長の所に案内しますね」
「よろしくお願いします。モトロさん」
「ヒバリ? あれ? ちょっと違うね?」
フィアードは少し複雑な気分でモトロに挨拶した。ティアナはモトロの周りをチョロチョロしながらその顔を観察している。ヒバリの親友の年齢から考えると、このモトロもかなり歳上であろう。
「それじゃあモトロ、私は戻るわね」
グラミィの言葉にモトロはあからさまにガッカリした表情を浮かべた。
「え? もう?」
「流行り病が出たの。ヒバリだけでは対処し切れないかも知れないでしょ? また来るから……」
寂しそうなモトロの頭を撫でて、グラミィは来た道を戻って行った。ティアナは元気に手を振っている。モトロは肩を落としてその後ろ姿を見送った。
フィアードはティアナを抱き上げ、その頭を撫でてモトロに向き直った。
「……すみません。この子もその流行り病に掛かったんです……」
「いえ……いつものことです。流行り病が広がる前に食い止めないと、この村が危険に晒されますから。それが祖母の役目です」
モトロはフィアードを小屋の中に招き入れた。奥の部屋に通されると、地下に続く階段があった。
階段を下りると、そこには回廊があり、扉が並んでいる。地上の小屋は敵の目を欺くための飾りに過ぎず、本来の村は地下にあったのだ。
硬い岩を削り出して作られた回廊は靴音を響かせる。フィアードはその見事な作りに溜め息をついた。
「昔から流行り病が出ると、人間が僕達の村を襲いに来ていたんです。病人を治癒させるために」
「……それで隠れるようになったんですか……」
いざという時は階段を埋めるのかも知れない。フィアードはその周到さに舌を巻いた。
「そう聞いています。それで、何人か腕の立つ者が治癒術師として人間と共に暮らし、病気の流行を未然に防ぐ事で村の平和を保っているんです」
モトロは回廊の突き当たりの扉を押す。ギィ、と扉が音を立ててゆっくりと開いた。
品よく飾られた広い部屋だ。どっしりとした座卓の周りに肘掛け椅子が四脚と長椅子が設えてあり、一番奥の肘掛け椅子に壮年の巨漢が座っていた。
「義父上、お客様を連れて来ました」
「……わしが族長のアナバスだ。ヒバリが世話になったそうだな。礼を言う」
「フィアードです。こちらはティアナ。よろしくお願いします」
モトロは一礼して退室して行った。息子ならば席を外す必要もないのに、と不思議に思ったが、アナバスがすぐに事情を教えてくれた。
「モトロはわしの息子として引き取ったが、本当の所は父親は分からんのだ。だからと言って遠慮はいらないのだが、グラミィが厳しくてな」
ヒバリが生んだ子供が純粋な皓の魔人の色彩だったので、とにかく村で引き取らざるを得なかったらしい。もちろん、彼も父親の可能性があるから引き取ったのであるが。
「女はずるいな。自分の子が分かる。男は自分の子を認めるのが難しいものだ」
アナバスは自嘲気味に溜め息をついてフィアードに座るように促した。その白い肌には彼の人生を物語るように深い皺が刻まれている。鍛え上げられた肉体も老いには勝てないようで、アルスほどの瑞々しさはない。だが、長年の経験に裏打ちされた凄みが全身を覆っている。壮年の魔人を見たのは初めてだ。一体どれだけの時を生きてきたのだろうか。
フィアードはやや緊張しながら長椅子に腰を下ろし、その隣にティアナを座らせた。
「魔族総長フィアード、お主の事情は粗方ヒバリから聞いているが、念のため聞かせてもらってもいいか?」
フィアードは頷いてまずは妹の話をした。アナバスはヒバリから聞いていた内容を確認するように頷きながら聞いている。
「ふむ。その病の治療は我らでも難しいかも知れんな。グラミィには診せたのか?」
「いえ……」
「お主が水の魔術を習得し、自ら治療を行えるまで、その妹の病状を維持できるのか?」
アナバスは怪訝な顔をする。グラミィという治癒術師と知り合ったのだ。まずは彼女を頼るのが定石であろう、と。
「……今は病気の進行が止まっています」
「……止まる?」
アナバスの表情は更に険しさを増した。どうやらティアナの件は伝わっていないらしい。ヒバリも何処まで伝えるか悩んだのであろう。
躊躇いながらも髪の色を戻す。いずれ気付かれてしまうだろうから、信頼を得るためにも最初に明かしておく必要がある。ティアナがそれを見て自分の目くらましを解いたので、アナバスが息を飲んだ。
「……神の化身……か」
「はい。その力を以てしても根治は出来ませんでした……」
アナバスは腕を組んだ。眉間の皺が深くなる。
「それで精霊の力も欲している訳か。……お主は魔族総長として化身を保護している、と考えてよいのか?」
空気が変わった。魔力が高まり、アナバスに集中する。やはり欠片持ちに対する敵意は相当のものだ。
「……魔族総長、欠片持ち、どちらにしても、俺はこの子を守らなければならないんです。ティアナが自分で選べるように……」
フィアードは敵意が無いことを示すために魔力を抑えている。アナバスの放つ魔力で息が詰まりそうだ。
「……自分で選ばせるか。確かにその為には魔族と人間どちらかに寄る訳にはいかないな。だが、こちらとしては魔族についてもらわねば困るのだが」
「人間は敵ですか?」
フィアードのこめかみに冷たい汗が伝う。敵意がピリピリと肌を刺激する。
「いかにも。人間は我が同胞を攫い、道具のように扱った。薄緑の欠片持ちが攫いに来たことも少なくないぞ。我らとしては神の化身には魔族の側について貰わないとならんからな……」
フィアードはゴクリと息を飲んだ。ここで切り出すのは危険かも知れないが、この機を逃すともうチャンスは無いだろう。
「俺は今、詠唱による魔術の再現を研究しています」
「……?」
アナバスの気配が少し変わった。
「……ある程度の魔力のある人間ならば魔術を再現することが可能となります」
「……中々興味深い話だな」
アナバスの水色の目が光る。彼とてこのように隠れ住むのは本意ではない。
「加護を受けていない俺の弟は風の魔術の再現に成功しました」
「もし、人間が詠唱で魔術を使えるなら、治癒も可能ということか……」
「恐らく……。
そうすれば、この村が襲われる事はなくなります。危険を犯してでも魔人を攫いに来ていたのは、自分達に治癒の術が無かったからです」
自分達より明らかに身体能力に長けた魔人を攫うのは命懸けだった筈だ。それ程の危険を犯してでも治癒の能力を欲しているのだ。
「俺も、この子が流行り病に掛かった時にヒバリが居てくれなかったらと思うとゾッとします……」
「そうか……」
「妹の病気は……正直言って、水の魔術だけでも治せないと思っています」
「ふむ、ではどうする?」
「薄緑の能力で病巣を切り離して転移させる事が出来れば、と思うのですが、その補助として水の魔術、地の魔術が必要になるのではないかと……」
「……成る程。複数の魔術を組み合わせるか……。お主にしか考えつかない事だな」
「詠唱で再現すれば、それも可能になると思います。アナバス様が風の魔術を使うことも……」
ピクンとアナバスの眉が上がった。水色の目がフィアードを見据える。しばらくの沈黙の後、アナバスはニヤリと笑い、立ち上がった。
「皆をこちらへ!」
驚く程の大きな声で言い放つ。隣室に控えていたと思われる魔人達が一斉に部屋になだれ込み、跪いた。
「面白い! お主に水の精霊の加護を与えよう。化身が成人するまでまだ時がある。他の精霊の加護も得て、その詠唱による魔術の研究を進めよ! 我らは協力を惜しまないぞ」
凛としたアナバスの声にフィアードは身を震わせた。
「ありがとうございます!」




