第36話 新たなる一歩
食後の果物が運ばれて来ると、グラミィは酒を注文した。
「貴方は飲まないの?」
「あ……俺はまだ十七なんで……」
フィアードが言うと、グラミィはクスクスと笑う。十七ならばもう大人と言ってもいいはずだが、妙に幼い。
ティアナが船を漕ぎ出したので、フィアードは膝に乗せてやった。
「なんだ、まだまだ子供だったのね。随分研究熱心だから、もっと上かと思ってたわ」
「すみません……」
「いいわよ。ところで、なんで私には敬語なのかしら?」
言われて始めて気付く。ヒバリの母親、というだけて少し苦手意識があるのだろうか。
「まあ……そんな事よりも、私が気になってるのはあの男が言っていた事。それから貴方が隠している事」
やはり気付いていたか、とフィアードは内心で舌を出した。恋に浮かれる二人を他所に、彼女だけは真実を見抜こうと、フィアードに対してずっと警戒していたのだ。その気配故か、フィアードは居心地の悪さを感じていた。
「……これは俺も実感していないので、本人から聞いたことでしかありませんが……」
やむなく時間跳躍の話をした。そして、現在はティアナは記憶を失ってしまっていて、ダルセルノの言葉の信憑性については不明であることを伝えた。
「ダルセルノに記憶があったのは、多分漆黒の能力と関わりがあるかと思います。ティアナは父親に記憶がある可能性には気付いていませんでした。それだけ巧妙に隠してきたのでしょう」
グラミィは真剣に聞いていた。そして、サーシャの蘇生に関する話になる。
「彼女の能力ならば、サーシャさんも村の皆も蘇生できたんじゃないの?」
目の前で何でも無い事のように蘇生された娘を見た彼女にとっては何故そうしなかったのか理解し難いことである。
「あの時、彼女はまだ生後一ヶ月経っていませんでした。記憶はありましたが魔力も少なかったですし、何よりも……記憶の重複を恐れていました」
魂に刻まれた記憶が蘇生によって全て肉体に刻まれてしまう、と言っていた。
「それで、誰も蘇生しなかったの?」
グラミィは眉を顰める。複数の歴史の記憶をいきなり突きつけられる。それは確かに正気を保つのは難しいかも知れない。
「父だけは……彼女が直接知らないから蘇生することが出来る、と言っていました……」
「……記憶の重複が起こるのは、施術者との関わりによる訳ね……」
複数の歴史での姿を知っている施術者の迷いが蘇生の際の記憶の重複を引き起こすのであろう。フィアードはそう結論付けていた。
「だから、ヒバリに関しては問題ないかと思います」
ティアナは一切の迷いなく、ただヒバリを起こしただけだ。今のところ、本人の記憶の混乱も見受けられない。
「そうね、問題はサーシャさんよね……」
「彼女の記憶は多分違う歴史のものです。ダルセルノが自分の都合がいいように肉体に定着させたんでしょう」
明らかに不自然な言動。精神の不安定さ。それらが雄弁に物語っている。
「ティアナの記憶が戻れば、彼女を救う手立てが見つかるかも知れないんですが、そればかりは何とも……」
「……蘇生の為の呪術といい、恐ろしい事をするわね……。だから彼女は歪んでしまっているのね」
やはり歪んで見えるのか。どちらかと言えば竹を割ったような性格だった彼女を知るだけに、今の彼女を見るのが辛い。
「その呪術なんですが……」
ずっと引っ掛かっている。子供を生贄にするとは、どういう事だろう。
グラミィは治癒術師として人間の前で仕事をする時は魔人ではなく呪術師の素振りをする事が多い。それ故、呪術についてもある程度造詣があるのである。
「そうね……ヒバリに注がれた魔力から考えても、例えば私が蘇生を行うのに必要な量の魔力を補うには……最低三、四人の子供を生贄にするわね」
魔人であるグラミィでさえ三、四人。いくら欠片持ちとは言っても人間の域を出ないダルセルノであれば一体何人が犠牲になったのか。
フィアードは胸の奥でドロドロとした憎しみが湧き上がるのを感じた。あのサーシャが、罪のない子供達の命を代償として歪んだ存在に作り変えられてしまうなんて……。
あんなに簡単に、苦しめずに殺してしまった。誰よりも許し難い存在を……。
「でも、あの場であれ以上ヒバリを穢されたくなかったの。アルスが動かなくても、私が殺してたわ」
グラミィはフィアードの心の内を読んだかのように言った。
「勝手よね。自分は娘に酷いことを言い続けていたのに、他人に言われるとあんなに頭に来るだなんて……」
グラミィは杯を呷った。酔いが回っているのか、雪のような肌がほんのりと上気している。
フィアードは何も口にすることが出来ずに、乳白色の髪の美女が喋り出すのを待っていた。
「そうそう……村に行きたいのよね」
何杯かそうして飲んだ後、伸びをしながらチラリとフィアードを見る。フィアードはようやく本題に入った、と身を乗り出す。
「連れて行ってもらえますか?」
「……ミサゴからは何て聞いたの?」
悪戯っぽくフィアードの顔を覗き込んだ。
「……湖の底……って……」
フィアードが躊躇い勝ちに言うと、グラミィはクスクスと笑い出した。
「湖の底……成る程ね」
「……本当ですか?」
フィアードは急に不安になる。いくら何でも水中では訪れることすら難しい。何かの比喩であると思いたい。
「それじゃあ、ヒバリ達が帰った次の朝に出発しましょう。あの子は連れて行けないけど、流石に黙って行く訳にもいかないものね」
グラミィは鮮やかに立ち上がると、確かな足取りで店の出口に向かった。
フィアードは重くなったティアナを背負って慌ててその後を追った。
◇◇◇◇◇
アルスがヒバリを連れて水車小屋に戻って来たのはそれから三日後の朝であった。
「……ティアナが不貞腐れてるぞ」
フィアードの言葉で慌てたヒバリは身支度するや否や、ティアナを連れて遊びに行ってしまった。三歳児と元気に駆けて行く姿に、流石のアルスも絶句した。
「……あいつ……、やっぱり化け物だ……」
アルスはしきりに腰を気にしながらグッタリ寝台にうつ伏せで倒れている。
「……生き返ったばっかりでやり過ぎじゃないか?」
フィアードはアルスの腰にグリグリと肘を当てている。呻き声を上げる姿に溜飲を下げながら、三日間でここまで疲労する程の激しさに呆れてしまう。
「仕方ないだろ……。あんな話聞かされて……」
この男曰く、人間は血を見ると興奮する……らしい。年中発情しているように見えるが、戦いの後はどうも歯止めが効かないという。
しかも、ダルセルノの話の内容。寧ろよくあそこまで耐えられたものだ。と関心しながらアルスの顔を覗き込む。まだ頭の中にはヒバリの姿を思い浮かべているんだろう。口元はだらしなく緩み、目はトロンとしている。
フィアードはちょっと現実に戻ってもらおう、と話を切り出した。
「俺は明日皓の村へ向かうことにした。グラミィが案内してくれる」
反対側も同じようにグリグリと肘を当てる。しばらく考え込んでいたアルスが少し申し訳なさそうに口を開いた。
「……俺はヒバリとしばらくここで暮らしていてもいいか?」
それを聞いたフィアードはアルスの背中に思い切り肘を打ち込んだ。ドスッという鈍い音がして、アルスの身体が跳ねる。
「いっ……てぇ! ……何すんだ!」
「別に……」
ちょっとイラっとする。護衛が必要な訳でもないから構わないが、こちらが切り出す前に言わないで欲しかったのだ。
「お前に求婚されたこと、ヒバリに言ってやろうかな……」
ポソリと呟いてみると、アルスはギョッとして振り返った。耳たぶまで真っ赤だ。勘違いとはいえ、かなり恥ずかしい過去である。
振り返った拍子に腰をまた痛めてしまったらしく、顔をしかめた。
「お前……!」
そうか、自分はヒバリに嫉妬していたのか。とフィアードは苛立ちの理由に気付いた。
別にアルスとどうこうという訳ではないが、一緒に旅立ってからの優先順位は自分が一番だったのだ。その地位が奪われた事がなんとなく腹立たしいのだ。
「冗談だよ……。ていうか……そんな事言ったら、また三人で、とか言われるんだろ?」
本当にそんな事しか考えていない恐ろしい女相手に何を言っても無駄であろう。新しい玩具として扱われるのがオチである。
「お前に用があったらいつでも転移して来るから、覚悟しておけ! 取り込み中でも遠慮しないからな!」
一度行ってしまえば、転移は自由だ。実際に真っ最中に転移してくるのはちょっと嫌だが、牽制しておいて損はない。
フィアードは背中と腰の痛みに苦しむアルスを放置して、弟の元へ転移した。
◇◇◇◇◇
執務室に転移すると、レイモンドが書類の山の前で頭を抱えていた。フィアードの来訪に気付き、疲れた顔に少し精気が戻った。
「兄ちゃん……」
「お前、老け込んでるな……父さんそっくりだ。まだ十五なのに……苦労するなぁ……」
「誰の所為だよ。夢想花の件はもう少し待ってくれ。定期連絡はまだの筈だろ?」
レイモンドは椅子に座ったまま、机の引き出しから杯を二つ出し、隣の棚の水差しで水を注いだ。
フィアードは慣れた様子で、部屋の隅に置いてある椅子を執務机の前に運び、向かい合って座った。
「状況が変わったからな。取り急ぎ報告だ」
フィアードはダルセルノの死とサーシャの逃走に火の国の情報を併せて報告する。
レイモンドは話を聞きながらこまめにメモを取っている。自分の記憶に頼らない所が彼の信頼できる所である。
そして、翌日から皓の村へ向かうので連絡が取れなくなるかも知れないと言うことを告げた。
「分かった。アルスさんは残るなら、定期連絡は彼にすればいいな」
よく言う。アルスと勝手に連絡取ってたくせに……レイモンドの言葉にフィアードはピクリと眉を動かしたが、冷静を装った。
「よろしく頼む。……それから、これを試してみて欲しい」
一枚の紙片を渡した。レイモンドはその紙片を読んで首を傾げる。
「まだ実験段階だけど、上手く行けば格段に連絡が取りやすくなるからな。口に出して読んでみてくれ」
「え? ……空を統べる精霊よ、風となりて我に集え。……我が思いを形となし我に力を貸したまえ。……小さき翼を持つ物よ我の言葉を届けたまえ」
レイモンドが読み始めると、彼の身体から陽炎のように徐々に魔力が立ち上り、そこに吹き込む風が起こる。
何が起こっているのか理解出来ない弟を満足気に兄が見守っていると、窓から一羽の小鳥が飛んで入って来てレイモンドの目の前に空中静止したのである。
「……え……?」
フィアードやヨタカがこの魔術を使うのを見たことはあったが、何故、今自分の前に鳥がいるのか理解出来ない。
「ほら、誰に伝えるか考えながら喋るんだ」
フィアードに言われて、レイモンドは咄嗟に母親を思い浮かべた。
「え……と、兄ちゃんが来てて何か実験してます……?」
呆然と呟くと、鳥は二度三度と羽ばたいて踵を返すかのように窓から飛んで行き、窓から空へ飛んで行った。
「な、な……な……?」
「実験成功……っと。次から連絡は自分でやってみな。じゃあまたな」
フィアードは飛んで行く鳥の姿を見送って、その場から掻き消えた。
突然座る主が居なくなった椅子がカタリ、と音を立てて、机の上の杯の水面がゆらりと揺れた。
「……何なんだよ……」
意味がわからないレイモンドは手元の紙片を見て呆然と呟いた。




