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第30話 可能性

 アルスが帰ってから十日後の夕食は例の酒場に行った。

 宿の食事も美味であったが、この酒場の料理は格別であった。ティアナは次々と運ばれてくる皿を見て大喜びで、その味にもとても満足しているようだ。

 まだ日も暮ていない時間なので、ティアナのような子供がいてもさほど目立たない。


「で、俺はその白姫に会わせる訳にはいかないんだったな……」


 食事を口に運びながら、フィアードは呆れ顔でアルスを見つめる。


「あ~、そうだな。俺が様子を見てきた方がいいと思う……」


 アルスの赤銅色の目が泳いでいる。十日前の悲惨な状態を忘れてしまったのだろうか。懲りない男だ。


「……また四日くらい帰って来なくなるんじゃないのか?」


 フィアードが夢想花を村に持ち込み、村のありとあらゆる場所に飾り立てて七日が経過している。

 数人の姫が逃げた、という噂を聞きつけて様子を伺いにやって来た訳であるが、当然客足も遠退いているだろうし、アルスが解放して貰えない可能性は高い。


「これからのことを相談してくるだけ……だ」


 アルスの言葉にフィアードは疑いの目を向ける。


「男には襲いかかって来るんだろ? わざわざ行く必要あるか?」


 アルスは始めて白姫に会った時のことを思い出して苦笑した。あれは文字通り襲われた、と言っていいだろう。


「襲われて、貪られて、骨の髄まで吸い上げられるんだ」


 言いながら少し陶酔しているアルスにフィアードはドン引きだ。アルスは男になった年下の友人にもはや遠慮することはないと、様々な体験談を聞かせていた。

 その奔放さはヨタカの父と大差ないのではないか、とすら思われる程だ。出会ってから今までも彼の知らない所で、随分とお楽しみしていたようだ。

 それにしても白姫との話は別格だ。普通の男ならばもう使い物にならないだろう。


「あり得ねえ……」


「やっぱりお前が行って来るか? 女の幻想を打ち破れるぞ。新しい境地に到達出来るかも知れん」


 アルスはカラカラと笑った。フィアードは顔を顰める。別に幻想を抱いている訳ではない。ただ少し現実を知って傷付いただけだ。


「お、お前! 元気そうだな!」


 以前情報をくれた、日に焼けた農夫がアルスを見付けて近寄って来た。


「おお! お陰様でな」


 アルスは立ち上がって農夫と拳を付き合わせた。その二人の逞しい身体にフィアードは少し嫉妬を覚えた。


「なんだ。結局、姫にハマっちまったのか……」


 農夫は今からアルスが何処に行くのか聞いて、肩をすくめた。


「あいつの相手を出来るのは、俺くらいのもんだろ」


 アルスは白い歯を見せて笑い、フィアードの肩をポン、と叩いた。


「まぁ、今回は二日後には帰るから、よろしく頼むぜ」


 アルスはフィアードに手を振って奥の赤茶けた扉を開けた。

 農夫は呆れ顔でフィアードを見た。その顔には連れが馬鹿で苦労するな、と書いてある。フィアードは無言で頷いて溜め息をついた。


 ◇◇◇◇◇


 結局、アルスが帰って来たのは三日後の深夜だった。前回ほどの消耗がなかったのは、手加減してもらったからか、治癒してもらったからか、もうどちらでも構わない。


 フィアードは女の匂いをプンプンさせているアルスを睨み付けていた。せめて湯浴みしてから帰って来て欲しかった。


「お前、ちゃんと湯浴みしたのか?」


「当たり前だ。あ、でもそう言えば……店を出てからちょっとな……」


 アルスは少し気まずそうに身体の匂いを嗅ぎ、首を傾げた。

 これだけの匂いを纏っているのだ。ちょっとというどころではない。


「……そんなに匂うか?」


 アルスの言葉に頷きながら、フィアードはおや、と思った。店を出てから、ということは……


「……白姫と外に出たのか?」


 驚いて目を見張った。姫が店の外に出ることはない、と聞いていた。店から出る時は死ぬ時と廃業する時。

 ということは、アルスが身請けしたということか。


「ああ」


「お前、身請けしてどうするんだ! この村に骨を埋める気か?」


 言ってからフィアードは後悔した。彼の人生を束縛する権利はない。身請けした姫と結婚し、この村に暮らすと言うのなら、それを止めることは出来ないのだ。


「……この村で、二人で暮らすつもりなのか?」


 思いがけない程の喪失感がフィアードを襲う。根拠なくアルスだけはずっと側にいてくれると思っていた。この男にはそういう気持ちにさせる何かがある。


「誤解するな。あの店の経営者は白姫だ。夢想花なしでは今までの営業は無理だから、少し手直しすることになった。白姫はもう姫として店には出ないだけだ」


 姫としては廃業しても、店の経営は続ける、ということか。確かにあの手の店は必要なこともある。

 あの店の一番の問題は、経営者が誰よりも貪欲に客を求めていたこと。それ故に客も他の姫もついて行くことが出来ず、薬で繋ぎ止めるしかなかったのだ。


「じゃあ……身請けじゃないのか? 姫を廃業するなら同じことじゃないか?」


「俺にあいつを養う気はないぞ。どうせあいつの方が長生きだしな。当面の所、俺が時々会ってやることで納得してもらった」


「時々って……」


 要するに通い婚ではないか。フィアードは困惑したが、二人にとってはその方がいいのかも知れない。何せ、一緒にいると、ただひたすらお互いの体を貪るだけなのだから。


「まあ、あいつの親父と同じような不安を抱えてるなら、子供が出来たら落ち着く筈なんだ……」


 子供が出来るまで、ということか。どうやら、アルスは意外と本気だったようだ。フィアードは白姫を少し羨ましく思った。

 白姫が姫という仕事をしながら今まで子供に恵まれなかったのは、夢想花の香が影響していたようだ。と、アルスは言う。


「じゃあ、白姫は今何処にいるんだ?」


「お袋さんと暮らしていた、いわゆる『(しろ)の隠れ家』だ。もうすぐお袋さんが帰ってくるらしい」


 フィアードはゴクリと息を飲んだ。


「それから、夢想花を作らせていた集落については、白姫も心配してた」


 何と言っても他の作物が育たないのだ。

 かつて薬師をして、白姫の親友であったあの老婆がたまたま見付けて食物と交換して来たことから店での使用を始めた。

 集落はこれ幸いとどんどん花の生産量を増やしたものだから、白姫も店で使う分以外はどう扱っていいのか悩んでいたらしい。

 あの花は特定の薬師に高く売れる。しかし、彼らにはそのつてがないのである。


 ◇◇◇◇◇


 早朝、男二人が剣術の稽古をしていると、一羽の小鳥がフワリとフィアードの肩に舞い降りた。


『レイチェルの容態は安定しているので心配無用。商会の営業も特に問題ありません』


 ヨタカの声がする。商会からの定期連絡だ。フィアードは小鳥が飛び去るのを見て思案に暮れた。

 短い言葉であれば音声で小鳥に届けさせることが出来るが、込み入った内容はやはり手紙か直接会って話した方が早い。


 宿に戻るとフィアードはペンを走らせ、夢想花の件について今後の展開を任せることにした。これで、ティアナと白姫が気にしていたあの集落の貧しさが、少しは改善する筈だ。

 ティアナの記憶の件は商会にはまだ伏せている。無駄に心配を掛けることになるし、レイチェルの容態が安定しているなら問題ないだろう。

 ダルセルノとの接触の可能性について、レイモンド達に知らせておくべきかは非常に悩んだが、これも事後報告とすることにした。

 フィアードは呼び付けた小鳥の脚に手紙を結わえ、窓から空に解き放った。


「便利なもんだなぁ……」


 アルスはその様子を呑気に眺めていた。ティアナは寝台でスヤスヤと寝息を立てている。


「確かに、この魔術が一番使うな。魔力も殆ど使わないし……、お前でも使えそうだ」


 フィアードが笑うと、アルスは首を傾げた。


「俺? 無理だろ。魔人の血なんて引いてないし、加護を受ける気はないぞ」


 アルスの言葉にフィアードは頷きながら、それでも、と続けた。


「俺も最近気付いたんだが、昔からまじないとかあるだろ? あれって、僅かながら魔力と精霊が動いてるんだ」


「え?」


「例えば、傷に対する『いたいのいたいの飛んでいけ』とか、作物や食べ物に対する『美味しくなあれ』とかな」


 フィアードは椅子から立ち上がり、少し伸びをした。


「だから、簡単な魔術なら言葉を切っ掛けに誰でも再現できる気がしてるんだ。まだまだ研究が必要だけどな」


 アルスはその言葉に目を丸くした。この少年の魔術に関する姿勢はとても真面目だ。ツグミにも色々な疑問を日々投げ掛けていた。


「勿論、精霊の加護を受けてたら、念じるだけで魔術は完成するけどな。例えば俺の家族みたいに家系的に魔術が使える可能性があれば、加護を受けずに言葉で魔術を再現出来ると思ってるんだ」


 いつの間に作ったのか、数枚の紙を束ねた物を手に取ってペラペラと捲る。アルスはその話に舌を巻いた。


「……生まれつき精霊の加護がある魔人には考え付かない話だな」


「ああ。俺もまだ風の魔術しか使えないから、その再現しか実験出来てないけどな。近いうちにレイモンドかルイーザに協力して貰おうと思ってる」


 アルスはその紙束を受け取り、ざっと読んでみた。言葉に宿る精霊の力を分析した物がビッシリと書き込まれていた。


「すごいな……。言葉と精霊……か」


「ツグミがペガサスを呼ぶ時だけ詠唱してただろ?だから気になって研究してたんだ。上手く行けば、誰でも治癒魔術が使えるようになるんだぞ?すごくないか?」


 ツグミの名を抵抗なく口にしたフィアードにアルスは素直に関心した。確かにそれが可能なら、身体能力の低い人間の戦士でも、厳しい鍛錬をすることが出来るだろう。


「だから、(しろ)の村に行けば、その研究も進むってことなんだよな。レイチェルのことも勿論なんだけど」


 アルスから紙束を受け取ると、フィアードは溜め息をついた。


「ただ、欠片の力だけは言葉では再現出来ないんだよな……。ティアナにも少し協力してもらったけど、やっぱり性質が違うみたいだ」


「使える奴も圧倒的に少ないからな。今のところ、お前とティアナ、ダルセルノにサーシャ、か」


 アルスは少し考え込んで言った。世界中でこの四人だけが使える神の力……、そう考えると背筋が寒くなる。


「でも、俺とダルセルノ、サーシャはみんな使える能力が違うからな。もともと薄緑(みどり)は人数が多かったから、割と研究されてる。他の二つは俺もよく知らないんだ」


「敵の能力が分からないと不安だな」


 アルスの言葉にフィアードは頷いた。(しろ)の治癒術師はもうすぐ患者を連れて帰ってくる。決戦の時は近そうだ。

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