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第29話 不安と抱擁

 扉に寄りかかっている姿は、今まで見たことがないほど疲れている。フラフラとフィアードに歩み寄る姿は老け込んで見えた。

 この疲労の出方は普通ではない。二十人近い刺客を葬っても汗をかくだけの男が、腰を庇って若干前屈みになっている姿は異様だ。

 しかし、彼が出てきた建物が何なのかを知っているフィアードにとって、その姿が何故なのかは容易に想像できた。


「おい……、一体この四日間で何人の相手をしたんだ?」


 フィアードは呆れ顏で背負っていたティアナを下ろし、ふらついているアルスに肩を貸した。


「残念ながら、お相手は一人きりだ」


 アルスの言葉にフィアードは眉を顰めた。


「嘘だろ?」


「魔人だったからな……。普通の人間が相手できる女じゃないな、あれは」


 巨体を支えているフィアードは足を止め、アルスを睨んだ。嫌なことを思い出させる。が、一つの可能性に気付き、再び歩き出した。


「ここが(しろ)の魔人の隠れ家か?」


「半分当たりで半分ハズレ」


「は? ふざけるな!」


 アルスの茶化した物言いにフィアードは腹を立てて、彼を放り出した。

 アルスは倒れこむギリギリでなんとか持ちこたえ、ヨロヨロと身体を起こす。


「まあ、ある程度の情報は引き出せたから勘弁してくれ」


 ボロボロの姿で言われても説得力はない。フィアードは溜め息をついた。どうせひたすらその女と睦み合っていたので、大した情報を得られなかったのだろう、と。


「じゃあ、今度は俺が聞に行く」


「やめとけ! 吸い尽くされるぞ」


 フィアードの提案をアルスは大慌てで止めた。あの女の前にこの少年を連れ出す訳にはいかない。


「す……吸い尽くすって……?」


 あまりの言いようにフィアードは絶句した。

 しかし、それが誇張でもなんでもないことを説明しておかねばならない。


「ヨタカの姉貴だった。あいつの親父にそっくりな……な」


 そう言えば、ヨタカの父親の話をしていたな、と思いを巡らせる。ヨタカの姉、ということは、父親は(あお)の魔人ということか。成る程、確かに半分だ。


「あれは女の姿の淫獣だ。男を見れば襲って来る。際限なくな。しかもタチが悪いのは、こっちが限界でも治癒を掛けてくるってことだ……寝ても起こされるし、あいつが喋ってる間も触られまくりだ……」


「……げ……」


 フィアードは思わず息を飲んだ。経験の浅い自分でも、あの後の身体の疲れは記憶に新しい。それを延々と四日間治癒されながら繰り返したということか。

 絶倫女主導が如何に恐ろしいか、アルスは必死に力説している。


「お陰でこのザマだ。マジで死ぬかと思った。もう一生、女を抱く気になれん……」


 自業自得とは言え少し気の毒に思ったフィアードであったが、最後の一言だけには同意しかねるものがあった。


「……それはないんじゃないか?」


 フィアードの嫌味は聞き流し、アルスは自分の成果を報告した。


「まあ、事情が事情なんで村への行き方は聞けなかった……が、二つ、分かったことがある」


 ◇◇◇◇◇


 もう一体何度目なのかも分からない。頭の芯がボンヤリしていて、体中が悲鳴を上げている。

 鍛えてきたつもりだったが、まさかこんな少女に、完全に組み敷かれる事になろうとは……。


 アルスは自分の身体にのしかかっている少女の裸体を忌々しげに眺めた。頭は冷め切っていても、この女に触れられると自分の身体が完全に言うことを効かなくなるのだ。

 しかし、今度は少女は動かなかった。

 ただ身体を密着させて、アルスの鼓動を聞いている。


「おかしいわね……」


 ポソリと呟いた声は、実に不愉快そうである。何が、と聞こうとするが、喉がカラカラで声が出ない。


「ねえ……貴方、この村に来る途中、花畑を通った?」


「……夢想花か?」


 しゃがれた声で答えると、白姫は急に身体を起こした。つまらなさそうに湯浴みをし、身体を清め始めた。

 アルスはその様子から果てしなく感じる拷問から抜け出せたことに安堵して、ゆっくりと寝台に身を起こした。全身が痛み、腰は重く、とてもではないが歩けそうにない。修行中ですらこれ程の疲労に襲われたことはなかった。


「あの花はね、乾かして粉にしてお香にしてるの。その香りを嗅ぐと、とっても気持ちが良くなって、また嗅ぎたくなるのよね。で、その香りを嗅いだ時の行為を繰り返すって訳」


 アルスはゴクリと息を飲んだ。確かにこの部屋にはむせ返るような男と女の匂いの他に、甘い香りが充満している。

 まさかこの香りの為に、自分はこれからもこの女を抱き続けることになるのだろうか……。


「そうやってお客を確保するのよ。それから、他の姫達も逃げられなくなって、仕事に精を出すってこと」


 赤い唇を釣り上げ、会った時以上に蠱惑的な笑みを浮かべる。ゾクリとしながらも、思わずその身体に手を伸ばした。


「でもね、このお香には特効薬があって……それが、生の夢想花の香りなの」


 白姫は今にも触れそうなアルスの手をピシャリと叩いた。


「乾燥させる前の花の香りを嗅ぐと、効き目が出ないの。だから、花畑を通った貴方には効かないのよ、残念ながら」


 アルスの手は気まずそうに宙を彷徨った。それをごまかす為に頭をポリポリと掻く。


「じゃあ、あの花畑はお前が作らせてるのか?」


「そうよ。いい考えでしょ」


 白姫は羽衣を纏い、アルスに彼の服を投げつけた。


「お、もういいのか?」


 アルスがホッとした声を出すと、白姫はその空色の目で彼を睨みつけた。


「馬鹿言わないで。まだまだよ。でも、今これ以上貴方を繋ぎ止めても、もうここには来ないでしょ」


 そして白姫は舞うようにアルスの懐に飛び込んで、その唇をアルスの唇に軽く重ねた。


「お香が効かないんだから、むしろここで帰した方が……また来てくれると思っただけよ」


 アルスは信じられない思いで白姫を見る。普通、商売女は唇と唇で口付けはしない。


「ごめんなさいね。せっかく来てくれたのに、私は(しろ)の村には入れないの。理由は分かるでしょ?」


 今までの痴態が嘘のように、恥ずかしそうに俯く。乳白色の髪が頬にかかる。


「……お前の親父と同じ理由か」


「ええ。ちょっとやり過ぎてしまったの」


 微笑む顔は可憐な少女にしか見えない。アルスは思わずその細い肩を抱きしめた。


「母がね、治癒術師をしているの。半年くらい前に呼び出されて旅に出たんだけど、今度患者を連れて帰ってくるわ。母では手に負えなかったから、族長に委ねるって……」


 アルスは白姫が喋った内容に言葉を失った。彼らが欲していた情報とは違うが、更に有用な情報ではないか。

 どういう風の吹き回しだろうか。驚くアルスの胸に白姫が顔をうずめた。


「白姫……?」


「ヒバリ……って呼んで」


「ヒバリ……」


 潤んだ空色の目がアルスを見上げた。アルスは身体の疲れも忘れ、吸い寄せられるように唇を重ねる。身に付けたばかりの羽衣を投げ捨てると、自分たちの汗でしっとりと湿った寝台に倒れ込んだ。



 四日目の朝、目覚めて有り金全てが奪われていることに気付いたアルスは、傍らで眠るヒバリに憐れみの視線を向けた。


 意外にも子煩悩で、時折コッソリとコーダ村を訪れていたあの男も、女を抱いていないと不安だから抱いている、と言っていた。自分の血を引く子供と触れ合っている時だけは不安が消えるらしい。

 この少女はその血を色濃く受け継いでしまったのだろう。一度でも寄ってきた男達を繋ぎとめ、誰かに抱かれ続けないと不安なのだ。

 商売女の約束(ルール)も忘れて、自分を繋ぎとめようとするとは……。思わず本気になりかけてしまった。


「もう少し手加減してくれるなら、また来てやってもいいんだがな……」


 アルスは苦笑しながら立ち上がろうとして、腰の重さに顔を顰めた。恐ろしい女だ。自分だったからなんとか相手が務まったのかも知れない。

 ツグミもかなり体力があったが、所詮は素人。商売女に魔人の体力は危険すぎる。と考えて、ふと年下の友人を思い出した。


「フィアード、そろそろ立ち直ってるといいんだが……」


 ◇◇◇◇◇


 宿の部屋でアルスからの報告を聞いて、フィアードは難しい顔になった。


「あの花畑は、白姫が作らせていた訳だな」


「ああ」


 常習性のある薬で客だけではなく姫までも繋ぎ止めるとは、とても許せることではない。


「俺は白姫を許せないんだが」


「その気持ちは分かるが、あいつも気の毒な奴なんだ。あの店だって他に居場所がなくて、止むを得ず始めたんだ。それを続ける為になんとかしようとしたんだ……」


 アルスが必死に弁護する姿にフィアードは苦笑した。


「まあ、それは生の花をこの村に持ち込めば解決するんだろ。明日にでも俺が取ってくる」


「でも、そうすると客や姫が店を離れるかも知れない。あの集落の連中も食べ物を入手できなくなる」


 それもそうか、とフィアードは考え込んだ。そして、頼もしい弟の顔を思い出した。


「……商会に夢想花の仲買でもさせるか」


 我ながらいい考えだ。成る程、と頷くアルスにニヤリと笑い掛けた。


「それに、白姫の居場所くらいお前が作ってやればいいだろ」


 なんだかんだで四日間の睦事を堪能したらしいアルスは、半日の休息ですっかり元気になっていた。その凄まじい体力は驚嘆に値する。


「いや、でも俺は……」


 まんざらでもなさそうに視線を彷徨わせるアルスに気付かないふりをして、フィアードは話題をすり替える。


「それよりも、患者……だな」


 今回得た情報の中で、最も重要なことだ。その患者が何者なのか。おおよその予想はついている。


「多分……そう……だよな」


「俺が見た(・・)治癒術師は多分女だったし、まず間違いはないだろ」


 二人はお互いの意見を確認し、渦中のティアナを同時に見た。彼女は貝殻に絵を描いた玩具で一人もくもくと遊んでいる。


「参ったな……。ここでダルセルノを見逃すか、殺すか……俺が決めるのか?」


 フィアードは少し顔色が悪くなる。サーシャを見逃した時点で、その選択を先送りしてしまったのだ。

 しかし、本来決断すべきティアナはただの子供になってしまったようで、判断させることは出来ず、どうしたらいいのか分からない。

 しかしアルスは首を傾げた。悩むことなどないではないか。


「見逃すと言うよりは……ついて行けば村には入れるんじゃないか? 入れなくても、族長には会えるんだろ? それで目的達成だ」


「いや、会うだけじゃなくて、加護を貰わないといけないんだ」


 フィアードの言葉に、アルスは少し苛ついて来た。


「でも、族長の許可がいるんだろ? とりあえず同行したらいいんじゃないか?」


 アルスは結局、事前にあれこれ悩むのが苦手だ。考え過ぎるフィアードとはいつも衝突してしまう。


「……サーシャが一緒かも知れない」


 成る程、あの女戦士は厄介だ。アルスは腕を組んだ。


「だからって、何もしない訳には行かないだろ? 戦う時は戦う、話し合えるなら話し合う」


「ティアナを奪い返されるかも知れない」


 結局のところ、それが怖いのか。アルスは納得した。ツグミに去られ、ティアナまでも奪われたら、今度こそフィアードは立ち直れないかも知れない。


「まあ……父親と叔母だろ。当然の権利だ。だがな、お前の当面の目的は何だ?」


「……レイチェルの病気を治す……」


 フィアードはポツリと言った。


「その為には、治癒術師に同行させてもらって村に行くしかないだろ? ダルセルノをどうするのかは、もしティアナを奪い返そうと相手が動き出してから考えよう」


「結局、先送りかよ」


 フィアードは溜め息をついた。ここであれこれ悩んでいても仕方がないのは分かっているのだ。


「ティアナが目くらましを解かなければ、奴らが気付かないかも知れないだろ? それとも、ティアナは置いて行くのか?」


 アルスが言った途端、ティアナが顔を上げた。フィアードはそれを言いたかったのだ。連れて行けば戦いになるかも知れない。しかし、今のティアナは戦うことは出来ないのだ。


「ティアナ……、どうしても俺達と一緒がいいか?」


「……お兄ちゃんと一緒がいい……」


 ティアナの目が不安で揺れている。


「お兄ちゃんのお母さんの所に居てくれないか?」


 ずっと考えていたことだ。あの町ならば弟妹達がいる。母ならばティアナの面倒を見てくれる筈だ。いざとなればヨタカもいる。


「お兄ちゃんのお母さん?」


「それとも、ティアナはお父さんの所に戻りたいか?」


「お父さん?」


 ティアナが首を傾げる。そうか。よく考えたら、あの襲撃時、ティアナは生まれて一ヶ月経っていなかったのだ。

 それから今まで、彼女を育ててきたのは他ならぬ自分ではないか。

 フィアードはティアナの頭を優しく撫でて、その身体を引き寄せた。柔らかくて暖かい小さな身体が、すっぽりと腕の中に収まる。


「いや、大丈夫だ。俺が守ってやるよ。一緒に行こう」

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