第2話 語られる未来
松明の灯りがゆらゆらと揺れて、薄緑色の髪を金色に染める。フィアードは腕の中の赤ん坊を抱き上げた。しっかりと目が合うので、どうやら意識がはっきりしているようだ。
「いい加減に教えてくれよ。これからどうしたらいい? どうして欲しいんだ?」
ティアナは困ったような表情のまま、何やら口をモグモグと動かしている。まるで食事しているかのようだ。いや、どうやら本当に何処かの母親の余った母乳を空間を超えて飲んでいるらしい。そんな風に能力を使っていいのだろうか……と頭を抱えるが、自分も木の実を取ったりしていたのでおあいこである。
しばらくそうしていると、今度はしきりに手足をバタバタと動かし始めた。
「早く……! 替えて! 気持ち悪い!」
「はいはい……。赤ん坊が喋るのも考え物だなぁ……」
溜め息をつきながらもテキパキと下着を脱がせて身体を清める。身体もろくに動かせないくせに、この赤ん坊は口だけは達者だ。
「自分で出来るものならやるわよ! 仕方ないでしょ! こんなに最初からやり直すのなんて始めてなんだから……」
……聞き捨てならないことを言う。では一体何回やり直したのだろう。
「おい、じゃあ、なんで村が襲われた? 知っていたなら避けられたはずだろう? サーシャの未来見では襲撃の話なんかなかったぞ。少なくともお前が生まれた時は」
「……」
ティアナは憮然として目を逸らすと、急に意識を閉ざした。普通の赤ん坊の表情になり、ウトウトと眠り始めた。
都合の悪いことを聞くといつもこれだ。泣かないだけマシになったとも言える。先に今後の方針を聞いておくべきだった、と反省するが、後の祭りであった。
カサリ、と洞窟の出口の辺りから音がした。
フィアードはゴクリと息を飲む。人か? 獣か?
素早くティアナをおぶると腰の剣に手を添えて、ゆっくりと音がした方へと歩みを進めた。
「……誰かいるのか?」
嗄れた男の声だ。しまった! 松明の光が漏れている。
フィアードは観念してその声の方に向かった。敵の残党ではないことを祈りつつ。
「おや? その髪の色……!」
祈りは天に通じなかった。男はフィアードの髪の色に気付くと舌舐めずりした。後ろには数人の人影が見える。
「欠片持ち、見~っけ!」
ーーしまった……。まだ奴等が……!
フィアードが腰の剣を抜くと、男達が嘲笑した。
「すっげぇ、へっぴり腰……!」
「なんだ? 坊主か? 嬢ちゃんか?」
揶揄されてカアッと赤くなる。母譲りの柔和な顔立ちに線の細い体。少女と間違われる事も少なくはなかった。
悔しくて威嚇するかのように剣先を男達に向ける。
剣士であった父から手ほどきを受けてはいたが、実戦は始めてだ。膝がガクガクと震えている。
「捕まえたらお手柄だぜっ!」
男が地を蹴って斬りかかってきた。
フィアードは咄嗟にその男目掛けて魔力を放った。不可視の塊が男の脇腹を抉る。
「ぐぇっ!」
男は予想外の攻撃に膝をついた。
「この野郎!」
後ろにいた男達が一斉にフィアードに向かって地を蹴った。白刃がギラリと光る。
ーーやられる!
フィアードの身体が竦み、死を覚悟した瞬間、背中から重みが消えた。
男達の背後から白銀の閃光が迸り、その光に貫かれて男達が次々と倒れて行く。
「……え?」
倒れた男達の向こうから悠然と歩いて来たのは、一人の少女だった。
腰まで届く豊かな髪は薄緑色。漆黒の右目に白銀の左目。描かれたような細い眉に桃色の唇。見たことのない美少女である。心なしかサーシャに似ている。
ただ、その少女は素肌に布を巻き付けただけの出で立ちで、フィアードは目のやり場に困ってしまった。
「フィアード!」
少女はフィアードを認めて破顔し、踊るように地を蹴ると、その腕に抱きついてきた。
ふわりとした柔らかい感触にフィアードの思考が停止する。彼は恋愛はおろか、同年代の女子との交流は殆どなかったのだ。
「……ティアナ……?」
「そうよ。あ、ちょっと待ってね。こいつらの記憶、消しとくから」
一瞬にして少女に成長したティアナはブツブツと何か唱えると、両手を男達に翳した。
漆黒の闇が男達の身体から沸き起こり、ティアナの両手に吸い込まれて行く。
「よし……と……、あ……」
ティアナは満足気に頷くと、ガクリと膝をついた。慌ててフィアードがその身体を支える。
「これで、私達のことは忘れるわ。半日は起きないから、適当に移動しといてね」
腕にしがみついてくる少女の柔らかさにフィアードの顔が赤くなった。
ティアナはそのフィアードの様子に一瞬驚いて、そして心底嬉しそうに身体を預けた。
「えっと……あの、ティアナ?」
フィアードが困って少女を離そうとした時、彼女を支えていた腕がフッと軽くなった。
「ティアナ?」
少女はみるみる成長の逆の過程を辿って元の赤ん坊の姿に戻ってしまった。
スヤスヤと心地良さそうな寝息を立てて眠っている。
「……え、俺一人でこいつら運ぶの……?」
フィアードは地に伏せている男達を見て、顔を引きつらせた。
◇◇◇◇◇
洞窟に住むこと3日目。あの後コンコンと眠り続けていたティアナが目を覚ました。
「……村が襲われたことについて教えてくれ」
今度は目を逸らさなかった。このままでは今後の事すら相談できない。むしろこれ以上隠し事をするのは面倒だったのかも知れない。
「多分……私が襲わせたことになるわね……」
重苦しい沈黙が横たわり、松明の明かりが揺れた。
「……私の父をどう思う?」
出し抜けに聞かれ、言葉に詰まった。はっきり言って、あまりいい印象がない。村長である父に対して態度が妙に卑屈であったり、村の女性達に対する言動に品性が欠けると思うことも多かった。そして鍵を授かった途端に尊大な態度になったのも記憶に新しい。
「お母様は私が物心つく前に亡くなったの。そしてお父様はサーシャと再婚したわ」
「サーシャと?」
サーシャは村一番の女戦士であり巫女でもある。
「それから……私が物心ついた時にはお父様が村長だった」
「えっ? 父さんは?」
フィアードは眉を顰めた。いくら鍵の父親でも、自分の父がそう簡単に村長の座を譲るとは思えない。
「……亡くなってた」
ティアナの言葉にフィアードは顔色を変えた。
「母さんや弟達はどうなったんだよ!」
「……ねぇ、落ち着いて聞いてくれる?」
フィアードの剣幕に青ざめ、ティアナは少し泣きそうだ。
「……ああ、ごめん」
「前村長夫妻はある罪で処刑されたって……」
「……なんだって?」
フィアードの目が見開かれる。
「多分、お父様の策謀なんじゃないかと私は思ってるの! だって、そんなことって……」
「それで、俺や弟達は?」
「フィアードは欠片持ちだから、お父様に引き取られて、弟さん達は……奴隷として売られて行ったみたい……」
「……なっ!」
あまりにも酷い話で、フィアードは眩暈がしてきた。
「……悪い、ちょっと休憩しよう……」
フィアードは立ち上がり、首をぐるりと回した。
あまりにも衝撃的な内容に頭は理解できても心が乱れ、息苦しくなる。
ふと芳しい香りがしてフィアードは顔を上げた。その手に赤い果実が突然現れ、眼を見張った。どうやらティアナが気を利かせたようだ。
「ごめんね、嫌な話で……。でもね、その後の事も聞いて欲しいの」
「……悪かった。続けてくれ……」
フィアードは毛布の上で横になっているティアナの枕元に胡座をかいて座った。
「それで、お父様は私の存在を上手く利用して徐々に手を広げていったの。私が十六になった時にはもう帝国が出来上がって、中心地に大きな宮殿を構えたの」
「……帝国……!」
多くの国をまとめ上げたその頂点にこの赤ん坊が君臨していたということか。フィアードはゴクリと息を飲んだ。
「でもね、実権はお父様。私はお飾り。ただ着飾って座らされてただけだった」
ティアナは自嘲気味に言い捨てた。
フィアードは手にした果実を一口かじった。甘酸っぱい果汁が喉を潤し、興奮を鎮めてくれる。
ティアナは彼を見て、小さく微笑んだ。
「フィアードは私の側近。サーシャは護衛もしてくれてた」
「……そうか……」
「でもね、お父様のやり方に不満を持つ連中が現れて、刺客が送り込まれてきて……、それで私は何度かやり直しをしたの」
「やり直し……」
「少し前に戻って、条件を変えてやり直す……って繰り返して、なんとかお父様から実権を奪ってみたりしたんだけど、今度は私が狙われたりして、どうしても上手くいかなくて……」
チラチラとフィアードの顔色を伺いながらティアナはポツリポツリと喋る。
「だったら、お父様が村長になる前に戻ろう……と思って……」
「……で、赤ん坊まで戻ったのか……」
「……そう……で、一番近くの国に私の誕生を知らせてみたの。襲ってくるかどうかは分からなかったし、こんなに早く来るとは思わなくって……」
フィアードは情報を整理した。
どのような方法で知らせたのかは分からないが、強大な力を持つ存在の誕生を知った隣国がその確保か抹消に動くであろうとは容易に想像できる。
彼女が生まれた時、とにかく情報が漏れないように必死で画策したのは他ならぬ自分だ。
結果として村は滅び、多くの死傷者が出た。捕らえられた者もいるようだ。しかし村の焼け跡にはダルセルノの遺体は無かった。捕らえられたのか、逃げ延びたのか……。
それにしても、思い切ったことをしたものだ。どちらが正しかったのか分からないが、母も弟妹も健在な現在の状況の方がフィアードにとってはまだマシなようだ。
そして、彼女の母親に誓ってしまったのだから彼としては彼女を裏切る訳にもいかない。しかも現状では口は達者でもか弱い赤ん坊である。人として、守らねばならない存在だ。この間は守られてしまったのだが。
ティアナは何処からか転移した母乳で食事を終えると、小さな口を大きく開けて欠伸した。
「……なあ、ところで、お前はどうしたいんだ?」
欠片持ちとして生まれた時から、神族による神の御代を思い描いてきた少年にとって、襲撃は想定外だ。だが、今彼の前にはその切り札の鍵がいる。彼女の思惑を聞きたい。もしかしたら、彼女は自分が生まれてきた意味を知っているかも知れない。
「え? 私?」
腕の中の赤ん坊は目を見張った。
「世界を統べる、とか、そういう目的はあるのか?」
ティアナは心底嫌そうに顔を顰めた。
「えっ? それって決めなきゃ駄目かしら」
「そりゃ、ある程度は……。俺だって、何したらいいか分からないだろ?」
「だって、帝国は失敗したのよ。お父様もいないし、私と貴方だけでどうにかなるとは思えないわ……」
けんもほろろである。確かに、フィアードには政治や経済の事は分からない。だが、これから勉強すればいいではないか。
「私は、今まで出来なかった事をしたいの……ずっとお父様の下で籠の鳥だったのよ? やっと手に入れた自由なのに……」
「じゃあ……国とは言わない。せめて村の皆が帰れる場所を作ろう」
「……私のせいで滅んだのに?」
「お前を守る為に戦ったんだ。皆だって帰りたい筈だ。俺だって帰りたい」
フィアードの言葉にティアナは唇を噛み締める。
「うるさいわね! とにかく! 私は自由に生きたいの! おやすみ!」
ティアナはほんのりと頬を赤く染めてプイ、と横を向いて眠ってしまった。
とりあえず、一旦村に戻ろう。フィアードは溜め息をついた。神族が代々暮らしてきた土地だ。遠見では分からない何かが残っているかも知れない。
決して美味しくない固焼きのパンを頬張り、水で流し込む。そろそろ食料も尽きる。彼はノロノロと旅立ちの支度を整えはじめた。