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第28話 交渉

 湖畔の村は広かった。岸辺から道を隔てて広がる村は、大小様々な田畑を抱えており、小さな集落が点在しているようにも見える。

 アルスはその中で比較的人の多い地域を歩きながら、他愛ない会話を楽しみ、一人の男の勧めで一件の酒場に足を踏み入れた。


「へぇ、あんたは北の方から来たのか」


「ああ。だが、この辺りは芋も小麦もたんまり取れるし、湖で魚も漁れる。食うには困らないいい土地だぞ!」


 他の土地から移り住んだ者も多いらしく、様々な色彩、服装の人々がその酒場に集まっていた。北から来たとは思えないほど日に焼けた男は農夫をしているという。


「この魚料理も美味いな。酒もイケる。住むには最高だな」


「だろ? お前も住んじまえよ」


 すっかり意気投合した男達は酒瓶を煽り、料理に舌鼓を打つ。次の皿を運んで来た老婆が、アルスに耳打ちした。


「魔人の情報だったね。それなら白姫に聞きな」


「白姫……?」


「ここいらで姫と言やぁ……分かるだろ?」


 アルスの眉がピクリと動いた。一緒に飲んでいた男が口笛を鳴らす。老婆はニタリと笑い、酒場の奥の赤茶けた扉を節くれだった指で指した。


「食ったら奥の赤い扉から入りな」


 老婆の後ろ姿を見送りながら、連れの男がアルスを小突いた。


「姫か……、俺もいつか世話になりてぇもんだ……」


「お前は行かないのか?」


「ハハッ! 可愛い嫁がいるからな。まだ泣かせる気はねぇよ」


「ふん……。ま、丁度いいか。昨日から当てられっぱなしだからな……」


 情報を集めるにはもってこいだ。その上、この身体の疼きも鎮められるならば一石二鳥だ。アルスは勢い良く食事をかき込んだ。


 老婆の指示通り赤茶けた扉を開けると、そこには薄暗い広い部屋があった。真ん中に先ほどの老婆が座っていて、周りの壁には紋章が刻まれた扉が並んでいる。


「お、来たな。白姫は正面の百合の間だ。お代は帰りでいいよ……」


 老婆はまたもやニタリと笑う。老婆とも思えぬほど整然と揃った前歯がギラリと光った。


 正面の扉の紋章は百合の花を模したものらしい。アルスはやや緊張した面持ちでその扉に手を掛けた。カチリと音がして扉が開く。


「こんばんは……」


 大きな部屋の純白の寝台に一人の少女が座っている。見に付けているのは羽衣のような薄手の布だ。俯いているので顔立ちはよく分からないが、腰まで届きそうな乳白色の豊かな髪を一つにまとめ上げている。

 奥には湯浴みの用意が成されており、何やら香のようなものが焚かれているらしく、甘い香りが立ち込めていた。


「白姫……か?」


 ゴクリ、と息を飲む。その髪の色が名前の由来であろう。


「ええ。ご指名いただいて、ありがとうございます」


 白姫が三つ指をついて頭を下げると、透き通るような白いうなじが露わになる。


「……聞きたいことがあるんだが……」


 アルスは平静を装い、とりあえずの要件を口にしようとした。白姫は舞うように寝台から降りてアルスに寄り添い、その口に人差し指を当てた。その身のこなしにアルスは咄嗟に反応できない。


「お客様、お話は後で。私のような者から情報を得るにはどうすればいいのか、貴方ならご存知でしょう?」


 もう一方の手はその無駄のない筋肉を確かめるようにアルスの身体を遠慮なく撫で回す。


「ふふ……、貴方なら私を満足させてくれるかしら?」


 ふと顔を上げた白姫を見て、アルスは息を飲んだ。その目は……空色だった。


「お前……何者だ?」


 アルスの背中に冷や汗が流れる。しかし、その白い手が触れた箇所が熱を持ち、動くことが出来なくなる。


「その話も後にしましょうよ。貴方も随分我慢してたみたいだし……」


 赤い唇がニイッと笑った。


 ◇◇◇◇◇


「ティアナ、美味いか?」


 フィアードは相変わらず宿の食堂でティアナの食事に付き合っている。


「うん。おいしいよ」


 ティアナは美味しそうに夕食を頬張っている。フィアードは朝から食事を摂れていない。空腹を感じないのだから仕方ない。


「お兄ちゃん、食べないの?」


 ふと、ティアナがフィアードの手つかずの器を見て首を傾げた。力なく笑うフィアードに指を突きつけた。


「食べなきゃ大きくなれないんだからねっ!」


 まるで母親が子供に言い聞かせるかのように言ったので、それを聞いていた他の客たちが大喜びしている。


「そーだぞ、何があったか知らねーが、食わねーと駄目だぞー!」


「作ってくれた人に感謝しろー!」


 何処からともなく野次が聴こえた。

 フィアードは赤面しながら、仕方なく食事を口に運ぶ。

 魚と野菜を煮込んだシチューであった。温かさが染み渡り、今まで感じていなかった空腹感が一気に押し寄せてきた。

 一口、二口と食べ進むうちに、見守っていた他の客達の関心が薄れていく。ティアナはフィアードが食べる姿を見て、満足そうに自分の食事に戻った。


「思ったより、立ち直り早かったな……」


 我ながら呆れる。今朝はこの世の終わりかと思ったが、ティアナの存在に助けられた。


「ありがとな、ティアナ」


 フィアードが言うと、一瞬こちらを見上げたティアナの表情が以前の大人びたものに見えてドキリとした。が、またすぐに食事に戻る彼女は子供にしか見えなかった。


「アルスが帰ってくるのは三日後か……。それまでにこっちも何か調べておくか……」


 フィアードは呟くと、シチューを残らず平らげた。


 ◇◇◇◇◇


 寝台には赤毛の男が何も身に付けずに気怠げに横たわっていた。部屋の奥では湯浴みの音が聞こえている。

 男が寝返りを打つと、湯浴みを終えた少女が身体を拭きながらその傍らに腰を下ろした。


「……あら、起きたの?」


「約束だ……。俺の質問に答えてくれ」


 心なしか憔悴している男の胸に少女の白い手が触れると、ピクリと男の身体が反応する。


「あら、私はまだ満足してなくてよ」


 赤い舌が男の臍を舐める。男ーーアルスは流石にうんざりして天井を仰いだ。


「……化け物だな……。やっぱりお前、ヨシキリの娘か」


 アルスの口から出た名前に白姫はその手を止め、顔を上げて目を見開いた。乱れた乳白色の髪がその肩を覆う。


「あら、父を知ってるの?」


「その目を見ればな。俺の従兄と同じ色だからな」


 アルスは白姫を払い除けて身体を起こした。腰が痛み、凄まじい倦怠感が襲う。白姫は新しい玩具を見つけた子供のように笑い、アルスの顔を仰ぎ見た。


「まあ、私の弟ね。それはさぞかし……」


「あいつは母親似の堅物だ」


 渋面で白姫の言葉を遮ったアルスは、この女の意図を充分に理解していた。


「まあ残念。弟となら最高に楽しい時間が過ごせるかと思ったのに」


 心底残念そうにいいながら、その手はアルスの身体を撫で回す。疲れ切った身体が無理やり起こされ、徐々に熱を帯びていく。


「勘弁してくれ。ヨシキリの所為で俺の村は大迷惑だったんだからな。……お前は間違いなく父親似だな……」


 (あお)の魔人ヨシキリ……。村から放逐されたその理由はその素行の悪さ故。奔放な(あお)の魔族に取ってさえ、混乱の原因になりかねなかったその絶倫の主が世に解き放たれて以来、彼の血を引く子供達がそこかしこに生まれているのである。

 コーダ村では村長ザイールの妹がその毒牙に掛かり、ヨタカを産み落とした。勿論、他の村女達も何名かヨシキリに囲われ、見るに堪えない争いが起こったらしい。


「遂に人間に手を出したのね。ふふ、(あか)(くろ)にも兄弟がいるかしら……」


 アルスの逞しい身体を手と口で弄びながら、白姫はクスクスと笑う。


「お前の母親は(しろ)の魔人か?」


「ご名答」


「じゃあ……村への行き方を教えてくれ……」


 白姫の手管で追い詰められたアルスは乱れる息の中、必死に言葉を紡いだ。


「そうねえ、本当に満足出来たら特別に教えてあげるわ」


 少女の姿をした淫獣は男の上に跨り、ゆっくりとその身を沈めていった。


 ◇◇◇◇◇


 フィアードは朝の村を歩いていた。ティアナはその後をチョコマカとついてくる。腰に下げた二つの袋にはたっぷりの冷たい水とそれを飲むための杯が入っている。

 早朝からの作業を終えて一休みしている農夫達に声を掛けてみた。


「すみません、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですが」


 数人の農夫が集まって来たので、フィアードは持ってきた水を分けた。少し果汁を加えて飲みやすくしたそれは、農夫達の喉を潤す。


「ありがてぇ」


 日に焼けた男が白い歯を見せて笑った。


「若いのに、兄妹で旅か? それとも娘か?」


「お嬢ちゃん、お名前は?」


「聞きたい事ってなんだ?」


 それぞれが口々に喋り出すが、フィアードは最初に喋った日に焼けた男と目を合わせた。農夫にしては鋭い目付き。色々と訳ありのようだ。


「妹の病気を治すために、(しろ)の魔人を探しています」


「妹って……元気そうに見えるが?」


 男はピクリと眉を上げてティアナを見た。


「他の妹です。別の町で母が看病しています」


 アルスは約束していた三日目にも宿に帰って来なかった。何かに巻き込まれている可能性も否定できない。

 情報を持っている者は大抵油断ならない者で、嘘を言う者には真実を明かさない。フィアードは喋れる範囲の真実で情報を引き出そうとする。


「へぇ、この間案内した赤毛の連れか」


 男は目を丸くしてフィアードを見た。


「彼に会ったんですか」


 今度はフィアードの眉が上がった。


「おお。久しぶりに骨のある奴が来て、楽しかったんだが……」


 男は少し言葉を詰まらせた。なにやら言いにくいことであろうか。


「……?」


「まずいな……姫の所じゃ、もう使い物にならねぇかもな」


「姫?どういうことですか?」


 男の話を聞いて、フィアードは教えてもらった酒場へと急いだ。

 その裏には男に身体を売る女達ーー姫の店。扉は固く閉ざされていた。


 この店に足を踏み入れ、姫を抱いた男達は皆、足繁く店に通いつめるようになると言う。村に住み着き、働き、まとまった金が出来ると店に行く。

 まるで取り憑かれたかのように、それをただひたすら繰り返すことになるらしい。

 男はアルスを気に入っていたので、村に留まってくれるなら、と案内したと言う。


 余計なことを、とフィアードは舌打ちしながら、すっかり重くなったティアナを背負って建物の周りを探る。

 大きな建物だ。酒場部分よりも、恐らく奥の店の方が大きい。作りが質素なので気付かなかったが、この村の建物の中で一番大きいのではないか。

 確かにこの手の店には情報が集まる。だが、そこから情報を得るには相当の代償が必要なのも事実だ。

 アルスはそれを知っていながら足を踏み入れた。半ば自分に対する当て付けで。


「それにしても、この漏れてくる匂い……どこかで……?」


 扉や窓の隙間から甘い香りが漏れてくる。この香りは少し前に何処かで嗅いだものに酷似している気がした。


 あまり揉め事を起こしたくはないが、と様子を伺っていると、不意に扉が開いた。


「おっ、お迎えか? 待たせちまったな」


 疲れた風貌の赤毛の大男が後ろ手で扉を閉め、フィアード達に笑い掛けた。

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