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第27話 男の性

 フィアードは肌寒さで目が覚めた。朦朧とした頭で周りを見渡すと、窓が開いている。寒い筈だ、と窓を閉める為に寝台から身を起こすと一枚の羽根がヒラリと床に落ちた。

 羽根を拾おうとして、自分が何も身につけていないことに気付く。


「……あれ?」


 髪が適当に束ねられている。不思議に思いながら紐を解くと、そこからフワリと甘い香りがした。


「……ツグミ……?」


 その名を口にした途端、昨夜のことが鮮やかに一気に脳裏に蘇る。乱れた空色の髪、潤んだ瞳、象牙色の肌、熱い吐息……。その感触や温もりさえ思い出せるというのに……。


「……なんで?」


 彼女の服も荷物も、そして彼女自身が、部屋から忽然と消えているのだ。

 床に落ちていた筈の自分の服が丁寧に畳まれて寝台の隅に置かれている。

 まるで昨夜のことが嘘であったかのように。


 彼女の忘れ物である結い紐と羽根を握りしめ、窓から顔を出した。

 心地よい朝の空気を感じる余裕もなく、呆然としたまま魔力を掻き集め、遠見(とおみ)で外を見る。

 動揺しているのか、中々上手く調節出来ず、めまぐるしく景色が変わるだけだが、その中に空色の髪が映らない。


 フィアードはヘナヘナと寝台に座り込んだ。とてつもない喪失感が彼を襲う。

 何故、ここに彼女がいないのだろう。

 ハッキリとお互いの気持ちを確かめ合った訳ではない。自分の欲望を押し付けたような気もする。

 しかし、彼女もそれに応えてくれていた。名前を呼び、抱き締めてくれていたのだ。

 だが確か、最初は何かと理由を付けて拒んでいたのではなかったか?

 その上彼女は初めてではなかったし、とても経験豊富だったような気がする。全てにおいて余裕を持って導かれていたのではないか?

 自分はどうだった? 最初から最後まで、彼女のことを考える余裕などなくて必死だったのではないか?

 そして、ある可能性に気が付いた。


「……俺……遊ばれた?」


 そう言えば、他の相手の話をしようとしていたではないか。本気の相手にそんなことをする訳がない。

 今まで気付かなかったが、あの男好きする身体……能天気で明るい女だと思っていたが、初めての少年を弄ぶとんでもない淫乱だったのではないか。

 ついてくる必要も無いのに、旅に無理矢理同行したのも、その為だったんじゃないか? もしかしてアルスとも寝ていたのではないか?


 頭の中で様々な妄想が膨らむ。

 そうだ。あの男らしいアルスが三年近くも女を抱かずにいられる訳がない。そもそも、自分と旅立つことになったのも自分を女と思って結婚しようとしていたからだ。

 旅の同行者に女がいたら手を出すに決まっている。自分の知らない所でツグミを抱いていたに違いない。

 ツグミは自分では物足りなくて、今頃アルスの逞しい身体に貫かれているんだ!


 フィアードは居ても立ってもいられず、服を着て廊下に飛び出した。アルス達が泊まっている隣の部屋の扉をいきなり開ける。


「……?」


 部屋の寝台では赤毛の大男がイビキをかいて眠っており、その胸の上に幼女が乗って、鼻をつまんだり頬をつねったりしていた。


「お兄ちゃん!」


 幼女はハシバミ色(・・・・・)の目を大きく見開いてフィアードを見つけ、転がり落ちるように床に降りた。

 フィアードの足元に駆け寄って、その脚に抱きついてくる。


「ティアナ……」


 柔らかいその感触が、ささくれた気持ちを癒す。柔らかい金髪(・・)をくしゃりと撫でてやると嬉しそうな顔をした。

 それにしても、歴戦の勇士の筈のアルスがこんなに無防備に眠っているなんて、はっきり言って初めて見た。

 フィアードは試しに少し殺気を向けてみた。先程の妄想のお陰で、かなり本気の殺気がアルスだけに向けられる。


 アルスはハッと目を覚まし、素晴らしい早技で寝台の上に身構えた。殺気の主がフィアードと気付いて溜め息をつく。


「お前か……」


「らしくないな……、イビキかいてたぞ?」


 フィアードの言葉に、アルスは気まずそうに頭をガリガリと掻いた。


「誰の所為だと思ってる。音ぐらい消せるだろうが。一晩中ギシギシアンアン言わせやがって……!」


 お陰で殆ど眠れなかったのだ。当人達はその後にグッスリ眠れただろうが、聞かされた方はたまったものではない。


「ツグミはまだ寝てるのか?」


 アルスは特に気にもかけずにフィアードに尋ね、その様子がおかしいことに気付いた。


「……フィアード?」


「ツグミが……いなくなった……」


「え……?」


 一瞬驚いたが、すぐにアルスは彼女の意図に気付いて納得した。恐らく最も効果的な方法でフィアードとの関係を断ち切ったのだろう。

 一晩の逢瀬の後、挨拶もなく消える。これで金品が消えていたらよくある裏切りのパターンだ。

 自分を悪者にして、想いを断ち切らせる。ティアナの話を聞いた時に見せた決意はこれだったのだろう。


「……どうして納得してるんだ?」


 フィアードは眉を顰めた。アルスは息を飲んだ。何故か怒りがこちらにも向けられているようだ。


「やっぱり、ツグミが初めてじゃないの知ってたのか?」


「は?」


 アルスはフィアードの怒りの意味が分からない。ツグミは九十年近く生きているのだ。経験がない訳がないだろう、とすぐに分かりそうなものだが……。


「アルス、お前……ツグミと寝たのか?」


「ねんね~?」


 ティアナが足元で騒いでいるが、構ってやれる余裕はない。フィアードはアルスに詰め寄る。


「な……なんのことだ?」


 アルスの赤銅色の目が泳ぐ。まさかこんな事で責められるとは思わなかった。心当たりが無い訳ではないので、激しく動揺してしまう。


「……寝たんだな?」


「会ってすぐぐらいの頃に何度か……」


 いくらフィアードが彼女を意識する前のことだったとしても、これは気まずいことこの上ない。


「ほら、我慢できない時ってあるだろ? たまたま近くに女がいたら、ついフラッとさ……。勿論、嫌がったら手なんか出さないけど、あいつもそれなりに楽しんでたし……なんて言うか……手合わせみたいな感じだ。それに……(あお)の魔人は自由だから……。そういう面でも奔放なんだよな。ほら、ヨタカの親父だって……」


「だから?」


 言い訳しながら墓穴を掘っていることに気付く。貞操観念に違いがありすぎるようだ。


「でもほら、ある時からもうやめようって言われたから、俺は別で処理してたんだ。多分、あいつはお前のこと意識し始めてたんじゃないかな……」


「処理って……」


 フィアードが軽蔑したような目を向けてくる。しかし、その思いは彼だけではなく、ツグミにも向けられた。

 男の性欲処理に付き合うような女……商売女と同じではないか、と。


「お前が最初って訳じゃないんだろ?」


「そりゃそうさ。あいつは俺達の何倍も歳取ってんだぞ? まあ、人間相手は珍しかったみたいだけどな」


「あんなガサツ女でも?」


「抱くのには関係ないからなぁ。俺は来るものは拒まないし」


「来るものって……ツグミから誘ったのか? さっきは……」


「いや、ほら……結婚して、とか言ってたろ?」


 フィアードはアルスから二歩、三歩と後退り、ティアナの側に屈み込んだ。

 今はアルスの顔を見たくない。


「でもよ、俺は他の男の女には絶対手出しはしないぞ?」


 アルスは必死で言い訳しているが、もう聞きたくはない。悪気がある訳ではないのは分かっている。


「……そう言う問題か?」


「今から探せば間に合うんじゃないか?」


「探さなくていい……。俺が馬鹿だった……」


 フィアードはいつものようにティアナの髪を二つに結い上げた。ティアナの喜ぶ顔が空っぽの心にひしひしと染み渡る。

 彼が何もしていないのに、髪と目の色が変わっていることにはあえて気付かない振りをした。


 アルスにはフィアードのその態度が意外だった。持てる力を駆使して、ツグミを探し出すことだって可能なのに。

 ティアナから聞いた話から推察すると、二人は相当強い運命で結ばれている筈なのだ。

 相手の過去も知った上、全てを受け入れる覚悟があっての駆け落ちだったのではないのか?


 そして一つの可能性に思い至った。

 出会ったのが早かったからこそ、二人はお互いに溺れることがなかったのではないか、と。

 ツグミはその経験故に冷静に判断し、フィアードはその経験の無さ故に彼女に幻滅した。

 ティアナがそこまで計算していたとは思えないが、結果的に彼女の望む形に落ち着いたのだ。

 アルスは無邪気にフィアードの身体によじ登っているティアナを見て、薄ら寒い気分になった。


 ◇◇◇◇◇


 湖畔の村では畑作も盛んらしく、穀物も充実していた。宿で提供される朝食は様々な穀物を煮込んだ粥であった。


 塞ぎ込んでいるフィアードをとりあえず連れ出すことに成功し、食堂の隅に席を取った。


「おいしい……!」


 ティアナは口の周りを汚しながらも自分で匙を持って美味しそうに食べている。二つに結った金髪が嬉しそうに揺れ、ハシバミ色の目はクルクルと楽しそうに表情を変えている。


「なあ……、目くらましってお前が掛けてるのか?」


 アルスがフィアードに耳打ちする。フィアードは頭を振った。


「いや……俺は何もしてない。ティアナが自分でやってるんだ……」


 アルスは目を丸くした。どう見てもただの三歳児なのに、そんなことが無意識で出来るのだろうか。


「おい、本当は記憶あるんじゃないか?俺達を試してるんじゃ……」


「……かもな……」


 フィアードは冷めた目で溜め息をついた。もう女を信じるのはやめよう。ティアナが本当は記憶があったとしても、もう驚かない。


「それで、これからのことなんだが……」


 アルスは朝食を流し込むと、フィアードに向き直った。ティアナはまだ食事を楽しんでいる。


「……とりあえず、お前の妹の病気をなんとかしないといけないから、(しろ)の村へは行くんだろ?」


 アルスは確認するように言う。それが現在の目的と言っても過言ではない。しかし、とティアナに視線を向ける。


「ティアナを連れて行けるかどうかが問題だな……」


 自分が話題になっていることに気付いたのか、ティアナは食事の手を止め、顔を上げた。すかさず大きな声を上げる。


「お兄ちゃんと一緒がいい!」


 そのタイミングの良さに、アルスはますます疑惑の目を向ける。やはり、記憶は残っているのではないか。


「そんな都合のいい記憶喪失ってあるか?いや、でも……ティアナだしなぁ……。

 とにかく(しろ)の村への行き方を調べるのと、この村にある隠れ家ってのも調べないといけないよな」


 フィアードが朝食に手を付けていないことに気付き、アルスは溜め息をついて立ち上がった。


「まあ、情報収集は俺に任せて、今日はとにかくゆっくり休め。……無理に連れ出して悪かったな」


「情報……?」


 ゆるりと顔を上げた年下の友人に赤毛の男はニヤリと笑った。ようやくこちらを見てくれた。


「お前らの部屋は引き払っておくから、今晩は俺達の部屋にティアナと二人で泊まれ。帰りは……そうだな、三日後くらいにしておくから、それまでにメシくらいは食えるようになっておけよ」


 言いながら宿の受付に向かって行く後ろ姿を、フィアードはボンヤリと眺めていた。


「……お兄ちゃん、泣いてる?」


 ティアナが首を傾げる。


「……え?」


 気がつかないうちに、頬が涙で濡れていた。

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