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第26話 情熱の行方

 アルスが部屋を出て行き、しばらくすると隣の部屋の扉が開く音が聞こえた。

 宿屋の主人に言って開けてもらったのだろう。少し話し声がして、また扉が閉じる音がした。

 コツコツ、と足音がして、荷物を置く音が聞こえた。そしてやがて音が聞こえなくなった。


 フィアードは熱に浮かされたようにツグミを見つめている。アルスが出て行ったのは、つまりそういうことなんだろう。猛る気持ちを落ち着かせるように髪を触っていた手をツグミがそっと取って立ち上がり、向き合った。


「フィアード、まずは話し合おうな……。ティアナ嬢のこととか、レイチェルのこととか……」


 フィアードは目線を彷徨わせ、少し考え込んだ。潤んでいた目に理性が少し戻る。


「レイチェルの為に(しろ)の村に行く……。ティアナに関しては……どうしたらいいか分からない」


「……ティアナ嬢の気持ちを無視するん?」


 ツグミの責めるような口調に、フィアードは少しムッとして口を尖らせた。


「だって……赤ん坊の頃から世話したんだぞ? いくら中身が大人でも見た目が子供なのに、そんなこと考えられるかよ。……それに、俺のこと『お兄ちゃん』だってさ……」


 自嘲気味に吐き捨てる。記憶を封じたことで、自分も切り捨てられた気がする。彼女の為に力を付けようと思ってきたが、こんなに簡単に切り捨てられてしまって、どうしたらいいのか分からない。


「俺は……ティアナを時間の牢獄から助けてやりたいと思ってたんだ。死ぬことも出来ずに、ただ人生を繰り返してきたんだ。出来ることは何でもしてやりたいと思ってたんだ……」


「でも、女としては見れないんやろ?」


「……それは……」


 フィアードは口ごもった。


「それが、あの子を救い出す方法やとしても?」


 ツグミはアルスから話を聞いて、ティアナの本当の望みを知ってしまった。そして自分がそれにどう関わってきたのかも。


「じゃあ、どうすればいいんだ? あいつが大人になるまで待てってことか? 俺の気持ちはどうなるんだ!」


「フィアード……」


「あいつのその気持ちだって……どうせ忘れちまったんだろ……?」


 フィアードは吐き捨てるように言った。今までの彼女ならともかく、記憶を封じてしまった彼女に義理立てする意味はあるのか。自分の気持ちを無理に押し殺す意味はない筈だ。


「ティアナは父親(ダルセルノ)には渡せない……。でも、(しろ)の村から帰っても記憶が戻らなかったら……母親(フィーネ)の所に連れて行く」


 とりあえずの方針を決めてふと顔を上げると、ツグミの豊かな胸が目の前にあった。ゴクリと喉が鳴る。視線が釘付けになってしまった。

 少年の体温が上がっていくのが分かる。しなやかで柔らかい身体を抱き締めた時の感触が蘇る。目は潤み、熱い吐息が漏れる。明らかに欲情に染まった顔で、ツグミを見上げてきた。


「ツグミ……、いいよな?」


 何がいいのか……先程の話のことか、それとも彼が今思い描いている欲望か……ツグミはフィアードの様子に苦笑する。

 自分の身体が男性にとって魅力的なのはこの長い人生で身を以て知っている。あまりにも煩わしいのであえて女らしくない態度を心掛けている内に、それが素になってしまった。


「あんな、うちは掃除もろくに出来ないガサツなダメ女やで」


 せっかく理性が戻ったと思っていたのに、どうやら昼間の感触を思い出してしまったようだ。熱っぽい視線を感じながら、ツグミはなんとかしてこの少年の気持ちを落ち着けようとする。


「知ってる……」


「それに……うちは初めてやないで?」


 フィアードの眉がピクリと動いた。少し動揺している。生きてきた年月が違うのだ。当然かも知れない。


「相手のこと聞きたいか? 教えたるで」


 フィアードが知っている相手なんだろう。それだけで誰のことなのか分かってしまうような気がした。フィアードの表情が曇り、泣きそうになる。


「なんで……そんなこと言うんだ?」


 初心な少年を挫けさせるのは簡単だった。少し苛め過ぎたか、と後悔したが、これで自分を諦めてくれるならば助かる。


「俺じゃ……ダメなのか?」


 曇りのない目で真っ直ぐに見つめられて、今度はツグミの心が震える。思わず本心が口を突く。


「そんな訳……ないやんか……」


「俺は……ツグミがいい……」


 初心な少年の言葉と視線は、それなりに経験豊富な彼女には新鮮で却って刺激的だった。心臓が跳ね上がり、顔が目に見えて紅潮する。


 ツグミの心がフィアードを受け入れたことに気付いたのか、フィアードは吸い寄せられるようにツグミの腰に両手を回して抱き締めた。彼女の匂いを取り込むように大きく息を吸い込む。


 頭の芯が痺れるような甘い疼きがツグミの身体を支配した。

 アルスの話を聞いていなければ、そのまま身を任せてしまっていたかも知れない。

 ツグミは残っている理性でその腕を振りほどこうとしたが、思いの外逞しくなった少年は力強くその身体を抱き寄せた。バランスを崩したツグミはフィアードの上に倒れ込んでしまった。

 少年はすかさず身を起こし、ツグミを寝台に押し付けるようにその唇に自分の唇を重ねた。


 少し乱暴な口付けにツグミは驚いて目を見開いた。フィアードは両手でツグミの身体を弄っていた。その余裕の無さに、ツグミは少し安心した。

 思春期の少年らしく気持ちばかりが先走っていて、むしろ微笑ましい。

 フィアードの両手がツグミの頭を掻き抱く。髪を結っていた紐が解けて寝台に落ちた。空色の豊かな髪がパサリと広がる。


 出会ったのが今でよかった。アルスの話の通りに十数年後に出会っていたら、溺れるのはきっとこちらだっただろう。

 愛しいフィアード、彼には大きな役目がある。どうすれば彼のためになるのか本当の所は分からないが、自分に今出来ることは何だろうか。ツグミは優しく薄緑色の髪を梳いてやった。

 フィアードは顔を空色の髪に埋めてツグミの身体を強く抱き締めた。


 二つの鼓動が重なり合う。しばらくそのままお互いの鼓動を聞いていたが、不意にフィアードが身を起こした。

 温もりを求めて潤んだ空色の瞳が彼を見つめる。少年はゴクリと息を飲んでその服に手を掛けた。露わになった象牙色の肌に恐る恐る触れる。しっとりと汗ばんだ肌は手のひらに吸い付くようだ。


「……ん……」


 ツグミの小さな声が頭の芯を痺れさせる。フィアードは服を脱ぐのももどかしく、そのしなやかな肢体を抱き寄せた。ツグミの細い腕が躊躇いながらもフィアードの背中に回される。


「ツグミ……ツグミ……」


 フィアードは言葉を忘れてしまったかのようにただ名前を呼び、象牙色の肌の至る所に赤い刻印を刻む。その度にツグミの身体が小さく跳ねる。


「フィアード……」


 消え入りそうな切ない声と共に、二つの人影がもつれ合うように寝台に倒れこんだ。


 ◇◇◇◇◇


 スヤスヤと眠る幼女の安らかな顔を見ながら、アルスは深い溜め息をついた。

 どうやら音を消そうという配慮さえ無くなってしまったらしい。


 年頃の男女が一緒に旅をしていればよくあることだ。傭兵時代には戦場でも時々そういうことはあった。

 分別のある年齢でさえ駆け落ちするような相手と、この多感な時期に出会ってしまったのだ。どう考えても少年に歯止めは効かないだろう。

 案の定、隣室からは悩ましい音が響いてくる。


「別の宿にするんだったな……」


 あえて隣の部屋で音を立ててみたのだが、あまり意味はなかったらしい。それなりに人生経験豊富な彼女がそう簡単に流されることはないだろう、と思っていたのだ。それ故、彼女にだけ事情を明かした。

 今夜一晩という制限を設けたのはその為だ。こういう展開になる可能性も想定内ではある。フィアードが本気で彼女を求めたら拒みきれないとは思うが、彼女なら朝になれば冷静に判断してくれるだろう。

 ツグミに対して残酷なことをしている自覚はあるが、最終的な判断は二人に任せるのだからどうなるかは分からない。


 しかし、この幼女の記憶が無くなったのは彼らにとってはある意味幸運でもある。実父も実母もどうやら健在であるし、そちらに委ねることだってできる。

 いくら強大な力を持っていても、一介の子供に過ぎない彼女に全てを任せることは出来ないのだから。

 もしそうすることになれば、彼らは好きにすることが出来るし、自分も自由になる。それも悪くないかも知れない。問題となる本人が意思を表明しない限り、それが一番の解決策なのかも知れない。


 どちらにしても、隣室の二人が出した結論に従えばいい。結論を先延ばしにしてこのままの状態を続けることになるかも知れないが。

 考えることが苦手な彼は、成り行きに任せることにした。


「それにしても……、堪らんな……」


 隣室から聞こえてくる音と声は、ここしばらくそういうことから無縁の自分には色々と辛いものであった。

 これが毎晩続くのは少し勘弁して欲しいものだ、と溜め息をつく。


「さっさと眠っちまえばよかった……」


 耳を押さえてその巨体を寝台に潜り込ませた。


 ◇◇◇◇◇


 ゆっくりと瞼を開けると、すぐ目の前に薄緑色の柔らかい髪があった。

 その背中にそっと頬を寄せると、規則正しい寝息が聞こえる。身体の芯がまだ痺れている。少年の熱い想いを受け入れて自分も溶けてしまうかと思った。

 彼の顔が見えなかったことを残念に思いながら、ツグミはそっと寝台を抜け出し、落ちている衣類を身につけ始めた。髪を結い上げようとしたが、紐が見つからない。仕方なく一つに編んで、自分の髪で器用に纏め上げた。


 自分の荷物を取ると、音を立てないようにそっと窓を開けた。早朝の冷たい風が頬を撫でる。


 振り返ると、まだ寝台で眠っている愛しい存在が目に入る。風に吹かれてその薄緑色の髪も揺れた。切なさに胸が押し潰されそうな気持ちになるが、ゆっくりと目を閉じる。身体に残っている温もりを感じて静かに目を開いた。


 ツグミは一度窓枠に手を掛け、少し考えてから手を離した。そっとフィアードに歩み寄り、その頬に口付けした。


「ん……」


 フィアードは小さな吐息をついて寝返りを打った。彼の下から紐が出てきたので、ツグミはそれを拾い彼の髪を結んだ。


 ツグミは身体を起こすと大きく息を吸い込んで、トンッと軽く床を蹴った。宙を舞う体はみるみる小さくなり、ありふれた一羽の小鳥の姿となる。

 小鳥は小さな羽音を残して窓から飛び立った。一枚の羽根がヒラリと舞い、フィアードの頬に落ちた。


 もし目覚めた時にその顔が見えたら、彼女の選択は違っていたかも知れない。

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