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第25話 歴史と記憶

「ティアナ? どうしたんだ?」


「……?」


 首を傾げるその仕草はあどけなく、何も考えていないかのようだ。フィアードは漠然とした不安に眉を顰めた。


 ツグミが駆け付けて、様子を見ているアルスに声を掛けた。


「……何があったん?」


「……分からない。ティアナの力が暴走して、フィアードがそれを止めたんだと思うが……」


 どうも何か様子がおかしい。ティアナがまるで普通の子供のようではないか。

 三人がティアナに歩み寄ると、彼女はビクリと体を硬直させた。怯えた目でこちらを見ている。


「フィアード……どういうことだ?」


 アルスがフィアードに耳打ちした。


「……分からない。ちょっと二人にしてくれないか?」


 アルスは頷くと、ツグミと二人でもと来た道を戻ることにした。


「ツグミ、俺も少し話があるんだ」


 歩きながら、アルスが切り出した。

 ティアナから聞いた話をどうするべきなのか、当事者達に黙っておくのか、二人ともに話すのか……。

 アルスはとりあえず、ツグミの反応を伺うことにした。


「ティアナがどうしてああなったのかは分からないが、その前のお前に対する言葉の理由は聞いたんだ……」


 ツグミはゴクリと息を飲んだ。あのティアナの態度は異常だった。何故あれ程敵意を剥き出しにされていたのだろうか。


「お前……フィアードと何してた?」


 思いがけない質問にツグミの顔が一気に上気した。アルスから目を逸らす。


「な……、なんで?」


 声が上ずってしまった。これではバレバレではないか。アルスはツグミの結い上げた髪の乱れが不自然だったので鎌をかけたのだが、どうやら大当たりのようだ。


「……いや別に、一緒に旅をしてる男女が関係を持つことは珍しくないから、基本的には俺は気にしないんだが……」


 アルスは溜め息をついた。このままでは思ったより進展が早そうだ。


「ティアナはな、フィアードのことをずっと(・・・)好きだったみたいだ」


 文字通りずっと……。ツグミは言葉を失った。彼女がどれだけの長い時間を生きてきたのか想像もつかない。その間、かなり近しい存在だったフィアードに想いを寄せるのは不思議ではない。

 もしかして、とは思っていたが、それであの言葉の説明がつく。


「だから、うちが邪魔やったんか……」


「……それだけじゃないんだ」


 アルスは少し躊躇ったが、ティアナから聞いた話を聞かせることにした。

 ここでツグミにだけこの話をするのはフェアではない。しかし、フィアードに話すには内容が重すぎる。彼はまだ思春期の少年なのだ。


 アルスの話を聞くうちに、ツグミの顔色はどんどんと青ざめて行った。

 酷いことを言っている自覚はある。彼女の所為でティアナが人生を繰り返していると言っても過言ではないのだ。


「じゃあ、うちはどないしたらええん? フィアードと一緒におったらあかんの?」


「……ティアナはお前らが一緒にいるのを見るのが辛いんだろ」


 二人の関係が今、何処まで進んでいるのか分からない。だが、ここで釘を刺しておかないとまた同じ事が起こってしまうだろう。

 なにせ、分別のある大人になってから出会った二人ですら駆け落ちという大胆な行動に出たのだから。


「なんで、うちだけにその話するん?」


 ツグミは恨みがましい目でアルスの顔を睨む。アルスは狼狽えた。


「いや、勿論フィアードにも話すつもりだ……けど……」


 アルスは自分の思惑が見透かされた気がして少し口ごもった。


「いや、ええわ。話さんといて」


 ツグミは何か決心したように厳しい顔で呟いた。


 ◇◇◇◇◇


「ティアナ、俺が分かるか?」


 フィアードはティアナの前にしゃがみ込んだ。しばらく考え込んで、首を傾げる。


「……お兄ちゃん?」


 ドキリとする。何の冗談だろう。本気で言っているのだろうか。


「自分の名前は分かるか?」


「てぃあな」


 名前は分かるらしい。


「俺はフィアード。フィアード、だ」


「ふぃ?」


 ティアナは初めて聞いたような反応だ。これではまるで普通の子供ではないか。

 どうしよう、これまで彼女の意思を最優先に動いて来たのに……。これから彼女をどう導けばいいのか分からない。大きな道標を失ってしまったような気がしてフィアードは途方に暮れた。


「……お兄ちゃんでいい……」


 フィアードが言うと、ティアナは無邪気に笑った。


「お兄ちゃん、だっこして」


 おねだりされてフィアードは仕方なくティアナを抱き上げた。何の抵抗もなく体を預ける姿が不自然に感じる。


 恐らく自分の意思で記憶を封じてしまっている。彼女の能力ならばそれが可能なのだ。では何故、こんな事になってしまったのか。フィアードは直前のティアナの様子を思い出していた。

 アルスと話をしていた筈のティアナが力を暴走させた。止めに入ったフィアードを罵って、突然自分の言葉に酷く動揺した気がする。

 そして、突然力の暴走が収まって、目からあの強い意志が消えた。


「アルスと何を話していたのか聞かないと……」


 ◇◇◇◇◇


 湖畔の村は以前滞在していた町ほどではないが、とても賑やかだった。湖の恵みのおかげであろう。

 宿屋も多く、食事専門の店もある。

 一行はとりあえず宿を取り、その宿に併設された食堂で食事を取ることにした。

 フィアードは髪の色を目くらましで黒くしたツグミの腕を引いて自分の隣に座らせ、彼女の膝に左手を置く。ひどく動揺している心が、彼女の温もりを感じ、彼女の匂いを嗅ぐと少しは落ち着くような気がする。


 湖で漁れる魚介類を使った料理が並べられ、大興奮しているのはティアナだ。


「おさかな~! カニ~!」


 見たことのない程大きな魚で、食べ方がよく分からず、フィアードは他の客を見ながら大きな魚やカニの身をほぐした。まず自分で食べてみると、鳥や獣の肉に比べて柔らかく、淡白な味がした。恐る恐るティアナに与えると、満面の笑みが返ってくる。


「おいしい~!」


 空腹を満足させる為に次々と頬張って食べるその姿は、ただの子供だ。他の客も、微笑ましいその兄妹の姿に暖かい視線を送る。

 少し落ち着いたのを見計らって、フィアードは怪訝な顔をしているツグミとアルスを指差した。


「なあティアナ、この二人は知ってるか?」


「……分かんない……」


 その目はキョトンとしている。ツグミに対するあの敵意は微塵も感じられない。目くらましごときで彼女の目が誤魔化せる訳はない。やはり、とフィアードは自分の予想が正しいことを確認した。


「フィアード……どういうことや?」


 ツグミの顔が曇る。ティアナの様子がおかしい。食べ方も汚く、子供のフリをしていた時とは明らかに目の色が違う。

 フィアードがあえてツグミの肩を抱き寄せるが、ティアナは気にする素振りもなく、カニの殻で遊んでいる。あからさまなその行動に反応を示さないティアナに、アルスはゴクリと息を飲んだ。


「……俺達のことだけじゃなくて……忘れてる?」


「……多分。今のティアナはただの子供だ……」


 アルスの言葉にフィアードは頷いた。

 ツグミはその無邪気な姿を複雑な思いで見つめる。


 食後に部屋に移動すると、ティアナは一目散に寝台に駆け寄り、よじ登って、その感触を確かめるとすぐに眠ってしまった。


 フィアードは消音結界を巡らして、寝台に腰掛けた。当たり前のように隣にツグミを座らせた。彼女の手の上に彼の手が重ねられるのを見て、アルスは溜め息をついた。


「で、まずはそっちを説明してくれ」


「……ティアナの事が先じゃないのか?」


 フィアードは眉を顰めた。


「多分、お前らの関係が原因だと思うぞ。俺は」


「アルス、その話は……!」


 ツグミは慌ててフィアードの手を跳ね除けた。


「こうなったら話さない訳にはいかないだろ!」


 アルスはフィアードの胸ぐらを掴んで持ち上げた。フィアードは苦悶で顔を歪める。


「アルス……! 苦し……!」


「俺はな、一緒に旅する男女が何をしようと気にはしない。でも、それで関係が悪くなるのは嫌いなんだ。やるなら二人の時にしろ」


 アルスはフィアードをその場に立たせると、額がぶつかりそうな程顔を近付けた。


「ティアナはな、お前が好きだったんだってよ! ずっとな!」


「……!」


 フィアードは目を見張った。アルスはその様子に舌打ちして、手を離した。


「鈍感すぎるだろ!」


「え……? だって……」


 フィアードはヨロヨロとティアナに近付いた。無邪気に眠る幼女の姿を食い入るように見つめる。


「無理だろ? 子供だぞ?」


「記憶を無くしたら……そうかもな」


 自分とツグミとはどうやら今までも特別な関係であったらしいことはティアナの言動から察していた。あのツグミに対する敵意は嫉妬だったのか。そう考えると辻褄が合う。


「でも、ティアナがただの子供になったんなら、俺達がどうしようと関係ない……よな」


 見せつけていたつもりはなかったが、不快な思いをさせていたという罪悪感を誤魔化すように、フィアードはうそぶいた。


「お前、浮かれてるんじゃないぞ! ティアナがただの子供の訳ないだろ!」


 アルスはフィアードの頭を叩いた。彼の頭はもうツグミの事しかないのだろうか。


「あ……そうか……。そうだよな……」


 彼女の持っている能力。それ故に実の父親から逃れようとしていること、そして彼女を守ると言った誓い、全てをボンヤリと思い出す。

 その様子があまりにも緩慢なので、アルスはチラリとツグミを見た。最初の印象が良くないのであまり意識していなかったが、ツンと上を向いた鼻、目尻が少し下がった大きな目、ふっくらとした唇、結い上げた空色の髪からのぞく白いうなじ、スラリとした肢体に豊満な胸、彼女は充分に魅力的だ。

 まずい、このままでは完全に溺れてしまう。アルスは仲間が女で身を持ち崩す姿を幾度となく見てきた。ここは少し目を覚ましてもらわなければ。


「……そうだな……じゃあ、ティアナを父親(ダルセルノ)に返した方がいいな」


 アルスの言葉に、フィアードはハッと我に返った。


「それは駄目だろ!」


「なんでだ? 今までは本人の意向を尊重してきたけど、本人がハッキリと意思表示出来ないなら親の元に返すのが当然のことだ」


 アルスはあえて冷たく言った。結局、決定権はフィアードにあるのだ。


「ティアナを父親に返せば、お前はツグミと好きなように暮らせるさ。俺も好きにさせてもらう」


 フィアードはツグミを見た。ツグミは心なしか青ざめている。フィアードは呆然としたままツグミの隣に腰を下ろして、彼女の膝に所在無さげに手を置いた。


「……記憶を戻す方法はないん?」


「自分で閉ざしてるみたいだから、俺ではどうにも出来ない……、親の元に返すのがティアナの為なのか?」


 フィアードは動揺を落ち着けようとツグミの空色の髪を触る。ツグミはアルスの冷たい視線に気付いて戸惑っている。


「……レイチェルはどないすんの? ティアナが進行を抑えへんかったら、再発するんやろ?」


「うん。だから、俺達だけでも早く一緒に(しろ)の村に行こう……」


 アルスは天井を見上げた。最早フィアードは完全にツグミに依存してしまっている。こんな男にずっと振り回されてきたのか、と思うとティアナが不憫でならない。

 アルスはティアナに歩み寄り、そっとその小さな身体を抱き上げた。


「俺とティアナは隣の部屋で寝る。……一晩ゆっくり考えてくれ。俺はフィアードの決定に従う」


 チラリと二人を見ると、フィアードは戸惑った表情でアルスを見た。何を言いたいのかすぐに分かる。


「アルス……うちは……」


 ツグミが立ち上がろうとするのをフィアードが引き止めた。その目は心なしか潤んでいる。


「ティアナをどうするのか、これから俺達がどうするのか、お前が考えろ……」


 アルスの言葉が届いているとは思えない。ツグミの視線がアルスに向けられた。アルスはツグミに小さく頷いて扉を開けた。

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