第24話 想い
ティアナの言葉に空気が凍りついた。ツグミは一瞬、何を言われているのか理解出来なかった。
「ねぇ、なんでついて来るの? フィアードはもう充分魔術を使えてると思うんだけど」
ティアナはツグミを睨みつける。ツグミは動揺を隠せない。
「だって……うちがおった方が魔人相手なら話しやすいんちゃうかと思って……」
「そんなこと頼んでないから。
そもそも、魔人は目立つから一緒にいたくないって言ったら、鳥になってまでついてきてさ。商会の手伝いはありがたかったけど、それなら町に残ってくれても構わなかったのよ」
ティアナの口調は冷たく、そして攻撃的だ。
「……そんな風に思っとったん?」
ツグミの反応にティアナはますます苛立ちを募らせる。彼女に悪気がないのが更にそれに追い打ちを掛けているのだ。
「いつも呑気で、本当に苛つくの。そう、貴女がいると私がイライラするの!」
フィアードはいたたまれなくなって、二人の間に割って入った。
「ちょっと待て! ティアナ、言い過ぎだ。俺が一緒に来てくれって頼んだんだ。だから……」
「それよ! 何でいつもフィアードはツグミに頼るの? 私じゃ頼りないから? まだ私が子供だから?」
ティアナの攻撃の矛先がいきなり自分に向けられて、フィアードは動揺した。
「ティアナ?」
「どうしてツグミなの? なんで私じゃダメなの?」
「何言ってるんだ?」
ティアナの気持ちはフィアードには伝わらない。アルスは頭を抱えた。鈍感な男だ。まあ、見た目が幼女だから仕方がないかも知れないが。
「待て待て、ティアナ。ちょっと話そうぜ」
「ちょっ……離してよ! 馬鹿!」
癇癪を起こしているティアナを軽々と抱き上げ、アルスは藪の向こう側へ行ってしまった。
ティアナの抗議の声が徐々に遠くなって聞こえなくなった。
フィアードはツグミに歩み寄って、少し俯いてしまった彼女の顔を覗き込んだ。
「……ツグミ、大丈夫か?」
「流石にこたえるなぁ……。なんとなく嫌われてる気はしてたんやけど……」
ツグミは力なく頷いて、頬に掛かった空色の髪を耳に掛けた。
「会った時から、なんか変な事を口走ってたよな……」
フィアードは少し考えた。彼女の言い分だと、他の歴史では自分たちの関係が普通の友人関係ではないような感じである。
そして時々ティアナが見せる嫉妬にも似た感情。あれは現在のツグミに向けたものではないことには気付いていた。しかし、こうもハッキリと言葉にされると辛いものがあるだろう。
「なんか……ごめんな。俺が頼んだから嫌な思いさせたみたいで」
「ううん、気にせんといて。ティアナ嬢が嫌がってるんに気付かんと、うちが無神経について来たのはホンマやし……」
声に元気がない。フィアードは憔悴したツグミを見るのが辛かった。彼女にはいつも能天気で笑っていて欲しい。ガサツで無神経な彼女にいつも苛立っていたが、彼の抱える不安をいつも笑い飛ばしてくれる豪快さに救われてきた。
「でも、俺はもっと一緒にいたかったから……、ツグミがいてくれて嬉しかったんだ」
慰めるつもりで、ツグミの肩に手を置いて、思ったよりも華奢な身体にドキリとする。
「フィアード……おおきに」
ツグミが少し照れて笑った。そのふっくらとした唇から白い歯が覗く。
先ほど考えてしまった他の歴史での自分たち。その仮定が正しければ、ここでこうしているのはある意味運命なのかも知れない。
フィアードの目はツグミの唇から離れない。意識して鼻、目、と視線を動かすが、何処を見ても心臓が早鐘を打ち、身体中が熱くなる。
フィアードは熱に浮かされたようにもう一方の手もツグミの腕を掴んだ。
思ったよりも強く腕を掴むフィアードの手が熱い。ツグミは自分の心臓の音が相手に聞こえるのではないかと思った。頬が上気して熱い吐息が漏れる。
そしてこの感情こそが、ティアナを不安にさせた気持ちそのものであることに思い当たった。彼女の気持ちにも気付いているが、込み上げてくる感情を抑えることが出来ない。
ふと顔を上げると、潤んだハシバミ色の目が自分を見つめていた。視線が絡み合い、ツグミの空色の目に戸惑いが生まれる。視線を彷徨わせる。
「フィアード……うち……」
何を言おうとしたのか分からない。いきなり力強く抱きしめられて、言葉にする直前に思考が停止してしまった。
「ツグミ……!」
名を呼ばれて恥ずかしくなり、出会った時よりも逞しくなったその胸に顔をうずめた。
◇◇◇◇◇
「ティアナ、大丈夫か?」
アルスは二人から充分に距離を取ってから、抱き上げていた幼女を下ろした。まだ興奮しているようで、体は震えている。
「悔しい……! なんでツグミばっかり……!」
ティアナの理不尽な怒りの原因は分からないが、これは聞いておいた方がいいかも知れない。
「あのな、ティアナ。ツグミと何があったのか知らないけど、それはあのツグミじゃないよな?」
ティアナはコクリ、と頷く。
「まあ、参考までに聞かせてくれ。今まで、お前とツグミに何があったのか」
アルスの問いに、ティアナは力なく首を振った。
「私とツグミじゃなくて……フィアードとツグミよ……。いつでも……」
自嘲めいた笑みを浮かべる。そう。自分はいつも蚊帳の外だったのだ。あの二人はいつでも二人の世界なんだ。
「私はいつも、十六で村を出てたの。お父様が帝国の礎を築くのがその頃だったからね。
そして、お父様の帝国は最初は魔族と対立した。私達の脅威になる魔族を根絶しようと、私やフィアード、サーシャの力を駆使したわ。
そんな時に、碧の魔人が一人、お父様を暗殺しようとしてフィアードに捕らえられたの。それがツグミ。でも、フィアードはツグミに同情してね、脱獄を手引きして駆け落ちしようとして、お父様の部下に二人とも殺されたわ」
アルスは初めて聞く具体的な未来の話にゴクリと息を飲んだ。魔族と神族の対立。実際にその未来があったのだ。
「それで、その後は何度か方法を変えてみたの。でも結局、二人は駆け落ちして死んでしまう。
だから、駆け落ちしないで済むように、魔族との和解を提案したの。そしたら今度は和解の為の使者としてツグミが来たの。で、今度は二人はめでたく結ばれるんだけど、代わりに私がお父様の部下に殺されたわ」
ティアナは溜め息をついた。
「それで、だんだん腹が立って、そもそもツグミがフィアードに出会わなければいいんじゃないかと思ったの。
魔族のことは無視して建国を進めたわ。今度はどうなったと思う?」
ティアナの問いにアルスは首を振った。
「何処からかフィアードがガーシュの息子だと知って迎えに来たの。今なら何で迎えに来たのか分かるけど、その時は本当に腹が立って……私が二人を殺したわ」
ティアナは自分の手を見つめる。乾いた笑が彼女の顔に貼りつく。
「そうよ……、私、フィアードを殺したんだわ……ふふ…。
それでね、今回はツグミから来る前にこちらから行ってやろうと思ったの。それなのに……あの娘は現れた。私達の前に……! そしてこともあろうにフィアードの周りをいつもウロウロしてるの。私のフィアードなのに!」
ティアナは血を吐くように思いをぶつけてきた。アルスは言葉が出なかった。ティアナがフィアードに対して、普通ではない想いを抱いていることは分かっていたが、これほど激しい感情だったとは。
「なのに私はこんな身体! フィアードは私を妹みたいにしか見てない……! もう嫌なの!」
ポロポロと涙が零れる。アルスはなんとか慰めようと手を伸ばしかけ、その手を弾き返された。
ハッとして周りを見ると、ティアナの感情の渦に、周囲の空間が巻き込まれてよじれ初めていた。
このままでは大変なことになる!
「ティアナ、落ち着け!」
◇◇◇◇◇
二つの人影が一つに重なってどれだけの時間が経っただろうか。二つの鼓動が重なり合い、どちらともなく顔を上げた。
熱っぽい視線が絡まり、ゆっくりと顔が近付いてくる。目を伏せて、唇が触れようとしたその刹那、周囲の空間に亀裂が出来た。
フィアードは慌ててツグミを離し、ティアナが消えた方を見た。
幼女が泣き叫び、それに呼応するかのように空間が渦を成している。
「フィアード、これって……!」
ツグミはすぐにその原因に思い当たり動揺する。こちらの感情の動きを見透かしたかのようなタイミングに鳥肌が立った。フィアードは最早、自分を見ていない。
「ティアナ……!」
フィアードは何も考えずにすぐに空間を跳んだ。
泣き叫ぶ幼女の目の前に現れると、とにかくその小さな身体を抱き締めた。
そうすることでしか、この力の暴走を止められない気がしたのだ。
「離してよ! フィアードの馬鹿! 大嫌い!」
ティアナはフィアードの腕の中で暴れる。ツグミの残り香に気付いて心が黒く塗りつぶされて行く。
「なによ! ツグミとイチャイチャしてればいいのよ! 馬鹿!」
力の暴走は収まるどころか、ますます激しくなる。
「ティアナ、駄目だ! お願いだ!」
「嫌! フィアードの馬鹿! 死んじゃえ!」
叫んだ瞬間、ティアナの動きと力の放出がピタリと止まった。
「ダメ! 死んじゃダメ! 嫌……! ごめんなさい……、ごめ……ん……!」
涙がとめどなく流れる。誰に謝っているのだろうか。ティアナの色違いの目には何も写っていない。全身の力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「ティアナ……、大丈夫か?」
フィアードはそのただならぬ様子に心が締め付けられる。呆然と空間を見つめる姿にどうしていいか分からずに彼女の身体を離して、数歩下がった。
ティアナは力なく地面に座り込んでしまった。
空間の渦は綺麗に消失し、湖畔にはもとの静けさが戻っていた。
ティアナがふと立ち上がり、涙を拭った。
「ティアナ?」
幼女は呼ばれて顔を上げた。
「なあに?」
返ってきた返事はとても素直なものであったが、その表情は無邪気な三歳児そのもの。
彼女の瞳からは、それまでに過ごした長い年月がすっかりと抜け落ちていた。




