第21話 治療と研究
皓の村は湖の底にある。と、碧の族長ミサゴが言っていた。その湖の場所は聞いているが、行き方については何も教えて貰っていない。
「皓の魔人なら治せるのか?」
フィアードの問い掛けにティアナは少し首を傾げ、スープを一口飲んだ。そして、フィアードが目を通して机に置いていた紙の束を手に取る。
「分からないけど、同じような病気のことを記録していた薬師がいたの。
生まれた時から持っていた小さな病気の塊が成長と共に大きくなって、やがて健康な体を蝕んで行く……ていう病気。
皓の水の精霊なら塊を浄化できるかも知れないし、黑の大地の精霊なら生命力を高めて塊を駆逐できるかも、って」
成る程。怪我の治癒などと違い、原因が異なる病については治療できる能力が異なるということか。フィアードはその研究に興味を持った。
「その薬師は欠片持ちの力については書いてなかったんだろ?」
魔人に比べて欠片持ちの人数は圧倒的に少ない。各世代一人いれば多い方である。そう簡単に研究できる訳がない。
「でも、私がレイチェルを治そうとして直感で感じたのはね、漆黒の力で時間を戻してもその塊は残るし、白銀の力で時間を進めたら塊は大きくなるだろうってことだったの」
「でも、時間を戻せば塊が小さくなって、ある程度は時間稼ぎが出来るってことだな?」
ティアナは頷いた。レイチェルはとりあえずそれで命を繋いでいるようだ。確かに完治しないのならば時間稼ぎにしかならないが、それでも助かるのなら構わない気もする。
「でもね、もう一つ気になった研究があってね……」
ティアナは一枚の紙を取り出した。どうやら何かの実験内容を書き写したようだ。
「これは、動物で実験したみたいなんだけど、病気の塊を切り取ったらその動物は回復する……っていうの」
「切り取る……?」
フィアードもツグミも呆然としている。そんなことをして治る病気があるのだろうか。
「そんなことしたら、血が出て死んでまうんちゃうの?」
「身体の外に出来た瘤を取って治すことがあるでしょ? それを応用して、病気の塊を身体の中の瘤と考えたみたいね。もちろん、血が出過ぎたら死んじゃうみたいだけど、この研究では血が出にくい切り方もあるって……」
「場所次第、切り方次第ってことか?」
フィアードは顔を顰めた。治すために体を切るなど考えただけで痛い。動物で実験するのはともかく、人間に使えるとは到底思えない。
「切った後はどないするん? 傷口パックリやんか」
ツグミは真剣に怯えている。フィアードは少し考えて言った。
「そう言えば大きい傷口を縫って治す薬師がいるって聞いたことがあるな。あれを使うのか?」
腕のいい薬師の中には、傷口を縫合する者がいた。それ以上の出血を抑えて傷口が閉じる手助けとなるらしいが、非常に難しい技術だという。
「そう。切って、取って、閉じる……っていう手順なの。だから、薄緑の力……転移で病気の塊だけ取り出せたら治るかも知れない……と思ったの」
フィアードは目を見張った。成る程、そういう治療もあるのか。悪い部分を取り除くのであれば、確かに薄緑の欠片持ちでも可能だ。
「だから、一度その方法で治せるか試してみようかと思うの」
「じゃあ、俺でも治せるってことか?」
「だけどね、私達ではどこに瘤があるか分からないでしょ? 皓なら身体の悪い部分が分かるらしいのよね」
ティアナの言葉にフィアードは納得する。確かに何処を取り出すか分からないのではどうしようもない。間違って大切な臓器を傷付けてしまうかも知れないのだ。
「じゃあ、ダルセルノを治療した皓の治癒術師に連絡するか?」
遠見で確認したので治癒術師に連絡を取ろうと思えば可能である。治癒術師をサーシャが案内している途中で仕事が入り、ダルセルノの居場所は結局掴めなかったが、彼と連絡を取れば、それも可能かも知れない。
「それも考えたけど、両方使えたら確実じゃない? 悪い部分が分かった本人が転移で取り出すってこと!」
「薄緑の力と皓の力……、両方使えたらやり易いってことか?」
フィアードの顔が引き攣る。それはつまり……
「そう。貴方が皓の村で水の精霊の加護を受けたらいいのよ」
◇◇◇◇◇
事務所の営業は毎日という訳ではない。七日に一日、その前日の午後からの一日半の休みを取っている。
これはティアナの今までの経験から来ているらしく、その周期を四回繰り返すと月の満ち欠けの周期と一致するのだ。意識して見てみると、同じような間隔で休みを設けている店が多かった。不思議なものである。
そんな休日にフィアードはティアナと共に、家族の元へ向かった。
「はい、いらっしゃい……あっ!」
レイモンドによく似た日焼けした少女が店番をしている。ややつり上がった目尻とソバカスが元気さを表していた。そのすぐ後ろでパンを袋に詰めている小柄な少年が顔を上げた。
「ルイーザ! セルジュ!」
「フィー兄!」
「フィアード兄さん……。本当にこの町に来てたのね」
満面の笑みで兄を迎える弟に対して、妹は少し他人行儀だ。もともとあまり気は合わなかった気もする。
「皆、大きくなったな……。母さんは?」
「あのね、今は仕入れに行ってるんだ! もうすぐ戻るよ!」
セルジュは客に袋を渡して代金を受け取ると、そのままフィアードに抱きつこうとして、ティアナに気付いた。
見覚えのない幼女が、当然のような顔をして兄の横に立っている……兄と同じ色の目をして。
「フィー兄……この子……誰?」
好奇心と敵意と嫉妬、複雑な感情が混じり合った視線にティアナは苦笑した。人目があるのでフィアードの陰に隠れておく。
「あ……、レイチェルはどうだ?今から会いに行っても大丈夫か?」
ティアナの説明をここでする訳にもいかず、フィアードは少し言葉に詰まったが、ルイーザは事情を飲み込めているらしい。
「レイモンド兄さんから聞いたわ。ありがとう。すごく元気になって、昨日は座って食事が出来たわ。母さんが戻ったら一緒に行ってあげて」
「……分かった」
フィアードは邪魔にならないように少し離れて店の様子を見ることにした。何か手伝おうかとも思ったが、店とは言っても小さな露店なので却って邪魔になりそうだった。
「……弟が二人と妹が二人……か。賑やかね」
「そうだな……。お陰で子守りは得意だぞ。でも、あんまり一緒にいられなかったな……」
襲撃の前も一緒に過ごした時間は多くはない。跡取りであり、欠片持ちであったフィアードは勉強や訓練で忙しかったのだ。
「でも、家族でしょ?」
「そうだな」
あの頃とは違い、忙しそうに働いている弟妹がなんだか自分より自立して見えて、少し寂しい気分になる。
「兄ちゃん!」
レイモンドが包みを抱えて走ってきた。その後ろから落ち着いた雰囲気の女性も包みを抱えて歩いてくる。フィアードによく似た女性だ。彼女は二人の前で立ち止まった。
「フィアード……、ティアナ様」
「母さん……」
三年前と変わらない優しい笑顔に、フィアードは胸がいっぱいになって何を話せばいいのか分からなくなってしまった。
「元気そうで良かったわ。ティアナ様もお健やかで何よりです。フィアードの母、サブリナです」
サブリナは屈んでティアナに目線を合わせる。
「ありがとうサブリナ様。レイチェルの具合はどうですか?」
「見違えるほど良くなりました。本当にありがとうございました」
サブリナは深々と頭を下げる。レイモンドは自分の荷物をフィアードに押し付け、母の荷物を受け取って立たせた。
「とりあえず、家に荷物を運ばないと。兄ちゃんも一緒に運んでくれるだろ?」
レイモンドは弟妹達に一言声を掛けて、強引にフィアードと母親を連れて小屋に向かった。
◇◇◇◇◇
「おかえりなさい! お兄ちゃん、来てくれたの?」
扉を開けると、鈴を転がすような声が聞こえた。
「レイチェル、まだ起きたら駄目よ」
母親が慌てて出迎えに来た末娘を寝室へ連れて行ってしまった。何やら抗議しているのはせっかく来た兄と話がしたいと言っているようだ。足元が覚束ないのは長い間寝たきりだったから仕方がない。ティアナは先日の様子を知っているので、その回復ぶりに胸を撫で下ろした。
「ティアナ様、あの通り、すっかり元気になったんです! ありがとうございました!」
レイモンドの言葉に、ティアナは複雑な表情で頷いた。確かにとても元気そうだ。元の状態を知っていると、特にそう思うだろう。
食卓に座ってしばらくレイモンドと話していると、サブリナがレイチェルを寝かし付けて戻ってきた。温かい茶を人数分淹れて机に置き、自分も腰を下ろした。
「フィアード、あなたがこの町にいるなんて……驚いたわ」
「母さんこそ。もっと村の近くにいると思ってたよ」
思ったよりも普通に会話が出来ることにホッとする。フィアードは襲撃の後、コーダ村に滞在してから碧の村に行ったことを話した。魔族総長のことはあえて話さなかったが、サブリナは知っていたようだ。
「そう……それじゃあ、お父様のお役目も知ったのね……。良かったわ……」
「母さんは知ってたの?」
「結婚した時にね。でも、あなたが生まれてお父様は悩んでらしたわ……」
やはりそうだったのか。フィアードは父の苦悩を聞くことが出来て良かったと、こうして母と話す機会が得られたことに感謝した。
「母さん達はどうしてこの町に? レイチェルやセルジュにはかなり遠かったんじゃないの?」
「そうね。偶然乗り合い馬車に乗れたのよ。出来るだけ村から離れた方がいいでしょ? この町なら人も多いからなんとか暮らして行けると思って……。私が作ったパンを売ってみたら評判が良かったのよ」
ふふ、と笑って戸棚からパンを出して切り分けた。丁度小腹が空いていたのでフィアードは一切れつまんだ。懐かしい母のパンだ。フィアードはその味と香りに涙が出そうになった。
「ティアナ様もどうぞ」
「ありがとう。でもね、少しレイチェルの病気のことでお話があるの」
サブリナは頷いて静かにティアナと向かい合わせに座った。フィアードとレイモンドも食べる手を止めて座り直した。
「レイチェルの病気は進行性の病気なの。だから、完全に治療できた訳ではないのよ」
「レイモンドもそのように申しておりました。ですが、以前と同じように元気に見えますが……」
フィアードは臥せっているレイチェルを見ていないのでよく分からない。先ほど見た妹は色白で痩せていて、ルイーザに比べると不健康に見えた。
「以前と同じなの。病気は潜んだままよ。いずれ再発するわ」
「再発……!」
レイモンドが絶句した。またあのような妹を見るのは辛すぎる。
「ちゃんと治療する方法を探しますから、それまでは私が定期的に来て、進行を抑えます」
ティアナは言い切る。サブリナはその申し出に恐縮してしまった。神の化身の手を煩わせるなど、とんでもないことだ、と。しかし、ティアナは頭を振ってフィアードの肩を叩いた。
「レイチェルを救うのはフィアードよ。私はその手伝いをするだけ。だから、少し協力して欲しいことがあるの……」
ティアナはサブリナとレイモンドを見て、何か企んでいるような笑みを浮かべた。




