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第20話 家族との距離

 少年ーーレイモンドは寝不足のまま、昨日と同じ道を歩いていた。

 藁をも掴む思いで、人探しを持ち掛けた。しかし、口に出来ることが少なすぎて、案の定、相手を怒らせてしまったのだ。

 それでも一応検討してくれると言ってくれたのは、相手の人柄による所が大きいだろう。あるいは、自分がまだ子供だったからかも知れない。


 こんなふざけた依頼を受けて貰えるとは到底思えないが、もしかしたら、と一抹の希望を抱き、約束通り朝一番に事務所の扉を叩いた。


「どうぞ」


 昨日の青年の声ではない。恐らく人探しの担当者だろう。レイモンドは緊張しながら扉を開けた。


 事務机の向こうには金髪の少年が座っていた。レイモンドは担当者が自分とあまり歳の変わらないことに驚いたが、すぐに頭を下げた。


「昨日はご無理を言って申し訳ありませんでした。兄を探していただきたい、と兄の上着を持ち込んだレイモンドです!」


「……ティーファ商会の人探し担当の……フィアードです……」


 言いにくそうに名乗ったためか、一瞬聞き取れずにレイモンドは顔を上げた。


「……え?」


 よく知っている名前に聞こえた。というか、探して欲しいその人の名前……、そう思って少年の顔をよく見た。

 記憶にある顔よりは男らしくなっているが、母譲りの柔和な顔立ちにハシバミ色の目……。


「……兄ちゃん?」


 少年は無言で頷き、深刻な面持ちでレイモンドを見つめていた。二人の視線が絡み合い、様々な思いが交差する。

 フィアードはゆっくりと立ち上がり、沈黙を破った。


「病気って……ルイーザか? レイチェルか?」


 妹達の名前を聞いてレイモンドは確信した。髪の色が違うのは、その能力を隠すためには当然のこと。

 大好きだった兄に駆け寄りたい気持ちを抑えて震える声を紡ぐ。


「兄ちゃん……! 俺、ずっと探してた! ……母さんは探しちゃ駄目だって言ったけど、レイチェルを助けて欲しいんだ!」


「……レイチェルが……」


 母によく似た末の妹の小さな手を思い出す。可愛い妹。よく懐いてくれて、いつも満面の笑みを浮かべていた愛らしい妹。


「二年くらい前から寝込んでるんだ。どんどんやつれていって、薬師には助からないって言われて……。兄ちゃんなんとか出来ないか?」


 フィアード唇を噛み締めた。自分になんとか出来るならしてやりたいのだが、治療に関しては全く専門外だ。


「俺には治療は出来ないけど……お願いしてみるよ」


「え……もしかして……鍵に?」


「ああ。あの後からずっと一緒だから、多分頼めば聞いてくれると思う」


 兄が神の化身たる鍵と行動を共にしていることは知っていた。彼女が癒してくれるなら、きっと妹は助かるだろう。レイモンドの表情が目に見えて明るくなった。


「ありがとう!」


「……母さんはなんで俺を探すことに反対したんだ?」


 あの襲撃後、家族と一緒に行くことが出来なかった自分。家族よりも鍵を優先したと思われてしまったのだろうか。母にとって、もう必要ない存在になってしまったのだろうか。


「なんでだろうな? 絶対ダメだって言われたんだ……」


 なんとなく空気が重くなった。どちらからともなく口を噤み、沈黙が広がった。


「今から妹さんの様子を見に行ってもいい?」


 いつから聞いていたのか、奥の部屋からティアナが出て来た。目くらましを掛けていなかったので、すぐにレイモンドはその幼女が何者か気付く。


「……ダイナ様!」


「その名前は捨てたわ。ティアナよ、さ、行きましょう」


 レイモンドは事態が即座に飲み込めずに動揺している。目くらましを掛けて支度をするティアナにフィアードは頭を下げた。


「ティアナ……お願いできるのか?」


 着いて行きたい気持ちは山々だが、母親の顔を見るのが怖い。それに一応今日の事務はフィアードが担当だ。ティアナは強気に笑った。


「当たり前でしょ。他ならぬフィアードの頼みだもの。さ、レイモンド、行きましょう」


 ティアナに促され、レイモンドは恐縮したまま事務所を出て行った。一見すると、幼女に散歩をせがまれる少年、という感じであったが。


 ◇◇◇◇◇


 ティーファ商会の事務所を出てからしばらく路地を進むと、沢山の露店がある通りに出る。

 かつて商会が出店していた通りだ。この通りを抜けると、職人達の作業場がある。狩りの獲物を解体したり素材を分ける場、素材の加工をする場、などと工程ごとに分かれて集団を成している。

 ティアナはあまりその辺りを見たことが無かったので、物珍しさからキョロキョロとしてしまう。

 作業場を抜けると今度は食品を扱う露店が増えた。フィアードは時々この辺りで食事を調達しているらしい。


 レイモンドは露店をすり抜けて裏通りに出ると、そこにあった小屋の扉をそっと開けた。


「母さんと弟達は仕事中だから、今家にいるのは妹だけです」


 幼女相手にどう接するべきか悩んだが、相手は何と言っても神の化身である。失礼の無いようにしなければ。

 レイモンドは出来るだけ丁寧な言葉遣いを心掛けた。


 案内された小屋の中はさっぱりと片付いていて、必要最小限のものしか置いていない。

 奥の部屋に行くと四つ寝台が並んでおり、その一番奥の窓際にその少女は眠っていた。

 灰金色の髪は乱れ、形の良い眉は顰められて苦悶の表情を形作っている。肌は透けるように白く、肉は落ちてガリガリだ。僅かに胸が上下していることで、辛うじて命を繋いでいることが分かる。

 思った以上に深刻な状況だ。ティアナは少女に近付いて、その小さな手をかざした。


「……」


 みるみるティアナの表情が固くなるのを見て、レイモンドは不安を覚えた。

 もしかして、彼女でも治せない病気なのだろうか。薬師に匙を投げられた時のやるせない気持ちが蘇る。


「……ねぇ、レイチェルが具合が悪くなったのは二年前って言ってたわよね……」


「はい」


 ティアナはしばらく考え込んで、再びレイチェルに手をかざした。淡い光がその体を包み込み、やがてその顔にゆっくりと血色が戻ってくる。


「……あ……!」


 その表情から苦しさが消えて、安らかな寝顔になったのをレイモンドは呆然と眺めていた。


「……私に出来るのはここまでだわ……。ごめんなさい、ちゃんと治してあげられない……」


 少し乱れた息を整えながらティアナが申し訳なさそうに言った。レイモンドは驚いて大きく頭を振る。


「いえ! こんなにぐっすり眠っている姿を見たのは久しぶりです! ありがとうございます!」


 ティアナの表情は優れない。レイチェルの枕元に立って、その灰金の髪を優しく整えてやった。


「……時々様子を見に来るわね」


 なんとなく悔しそうだ。レイモンドにとっては症状が改善しただけでも充分ありがたいのだが、ティアナは完全に治してやりたかったのだろう。


「あ……そうだ、ティアナ様、大したものはありませんが、母のパンをお持ち帰りください!」


 ふと思いついたレイモンドは隣の部屋に駆け込み、取り置いてあったパンを幾つか籠に入れて振り返った。


「あれ……?」


 レイチェルの枕元にいた筈のティアナの姿はいつの間にか消えていた。


 ◇◇◇◇◇


 その日、世界中の薬師達は大混乱に陥っていた。

 今まで経験し、研究して書き綴ってきた記録がことごとく忽然と消失したのである。

 なぜそのようなことが起きたのか、誰も理解することは出来ず、ただ、今までの貴重な蓄積が失われたことに呆然とするしかなかった。




 フィアードはテキパキと仕事をこなす。新しい依頼人には依頼内容を聞き、現在の進行を聞きにくる依頼人には状況を説明し、完了した依頼に対しては対価を受け取って書類を作成していた。


 仕事が一区切りしてしばらく来客がないことを確認すると、フィアードは奥の部屋の扉を開けた。物音が聞こえた気がしたのだ。


「な……何してるんだ? ……お前」


 妹の治療に行った筈のティアナが、部屋いっぱいの紙の束に囲まれて、何やら調べ物をしていたのである。扉が開いたことにも気付いていない。

 フィアードはその紙の束のどれもが薬師達による様々な記録であることを確認し、一体どうやってこれを集めたのかと考えると背筋が寒くなった。

 ブツブツと何か言いながら次から次へと資料を読み進むその様子を見て、フィアードはそっと扉を閉じた。


 夕方になって事務所を閉めると、再び奥の部屋の扉を開けた。

 そこにはもう資料はなく、ティアナの字で書き散らかした紙が数枚床に広がっていて、その横で気絶するように眠るティアナの姿があった。


 フィアードはティアナを抱き上げて事務所の長椅子に寝かし、落ちていた紙をまとめて目を通した。

 進行性の病気について調べていたらしく、恐らくそれがレイチェルの病気と関係があるのだろうと推察する。ティアナの能力では対応出来ないような病気だったのだろうか。


「ただいま~」


 いつものようにツグミが窓から帰って来る。アルスは用心棒なので今日は帰って来ない。

 二人だけで手短に報告を済ませると、フィアードは残り物で作ったスープとパンを用意した。


「……で、弟とは話せたん?」


「ああ。でも、ティアナが治療から帰って、ずっと何か調べてたんだ。俺は何も聞いてない」


 二人きりの夕食は静かで少し寂しくて、でも不思議と気持ちが和む。当たり障りのない会話をしながら、ゆっくりと時が過ぎていった。


「あのな、フィアード……」


 ふとツグミが会話を遮った。


「うん?」


「我慢せんで、会うて来たらええんちゃう?」


 フィアードは、言われて始めて自分が無理をしていたことに気付いた。母親が、弟達が近くにいる、その事実を知って、会いたくない筈がない。


「でも……」


「でも、やないやろ。何で事務所閉めて一緒に行かへんかったん?」


 母親は自分を探すことに反対していたと言っていた。どんな顔で会いに行けばいいのか分からない。


「母さんは俺に会いたくないのかと思って……」


 フィアードは事情を話した。ツグミは真剣に聞いて、ゆっくりと向き直った。


「多分、お母さん(オカン)はあんたのお役目のこと考えたんちゃうか? 会いたくない訳やないと思うで」


「そうかな……?」


「うちにはあんたらの役目は分からんけど、子供が会いに来て嬉しない親はおらんよ」


 ツグミの言葉で少し気が楽になった。


「ありがとう、ツグミ。次に機会があったら、ちゃんと会いに行くよ」


 フィアードが食器を片付け始めると、ティアナがゆっくりと身を起こした。


「あ、フィアード……私、寝てた?」


 ボンヤリとしたまま、長椅子に座り直したので、フィアードは彼女の分の夕食を準備した。


「大丈夫か? 何か調べ物してたけど、レイチェルの病気のことか?」


 フィアードの言葉にティアナははっとして身を起こした。


「そうよ! レイチェルの病気!」


 その尋常ではない様子に、二人は息を飲んだ。良くない予感がする。


「進行性の病気で、私には治せなかったわ。少し病状を戻して進行を止めただけなの」


 進行性の病気ということは、進行を止めればとりあえずは大丈夫ということだろうか。薬師でもティアナでも治せない病気……他の治療の方法についてフィアードはサーシャの言葉を思い出していた。


「しばらくしたら再発するわ。完全に治す方法を探したけど、人間の薬師の研究では分からなかった……だから、(しろ)の村に急ぎましょう」

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