第19話 依頼人
吹雪の晩、扉を叩く音に男は飛び起きた。何者かとそっと扉を開けると、緑色の一羽の小鳥が飛び込んできて男の肩に止まった。吹き込む雪に慌てて扉を閉める。
「……こんな吹雪の中、どうして……?」
「あんた、脚に何か付いてるよ」
妻の言葉を聞いて小鳥の脚を見ると、紙のような物が結びつけられていた。そっと脚に触れてみると、小鳥はまるで取ってくれ、とでも言うように脚を軽く上げた。
紙を解くと、見覚えのある字が見えた。
「手紙だ……! セーラの字だ!」
男は慌てて手紙を開く。
「無事に生まれました……だと!」
「まあ!」
男は妻と手を取り合った。
どうやら娘の出産を知らせる手紙だったようだ。
夫婦は抱き合い、歌い踊ってその喜びをひとしきり堪能した後、紙が二枚あることに気付いた。
「これは……、受け取ったら署名をお願いします……だって!」
妻はその内容を見て、小鳥のことを思い出した。小鳥は吹雪の中を飛んできて、すっかり弱っている。
大慌てで小鳥を温め、ぬるま湯を与えた。
「すまないねぇ、こんな吹雪の中を飛んできてくれたのに何もしなくて。受け取った印を待ってたんだねぇ」
妻は小鳥を抱いて暖炉の前に座った。
「もう夜も遅い。明日の朝に返してやろう」
男はそういいながら、紙とペンを取り出した。妻と小鳥が同時に首を傾げる。
「あんた?」
「受け取りの署名を持って帰るなら、返事も一緒に届けて貰おう」
男は嬉しそうにペンを走らせる。妻はその図々しさに呆れながら、小鳥に何か食べさせてやる物はないか思案していた。
◇◇◇◇◇
雪煙を上げながら、林を駆け巡る雪狼は見事な連携で次々と襲い掛かってくる。少年は狼達を充分に引きつけたのを確認して声を張り上げた。
「風刃!」
鋭い刃となった空気の塊が無数に現れてその白い獣を切り裂いた。飛び散った鮮血が雪を赤く染める。
何匹かのの雪狼が息絶える。残った数匹はジリジリと間合いを詰めながら、少年の周りを取り囲んだ。
「竜巻!」
少年の声と共に発生した竜巻に、狼達はなす術なく巻き上げられた。上空から叩き落とされ、次々と息絶える。
ホッとしたその瞬間、一回り大きな雪狼が少年に飛びかかった。少年は咄嗟に腰の剣を抜き、その狼と対峙する。
「お、そいつはボスやな。丁度ええから剣のサビにしてまえ」
頭上から響く能天気な声に舌打ちしながら、少年は二度三度と狼と交差して、その前脚に傷を負わせる。
狼は咆哮し、少年に狂ったように襲い掛かったが、次の瞬間、喉を斬り裂かれて地に伏していた。
「お疲れさん」
「ていうか、ちょっとは手伝えよ! そもそも討伐はアルスの仕事だろ! なんであいつが留守番なんだ!」
少年ーーフィアードは剣に付いた血糊を振り落としながら、ここにいない男の文句を言う。
「実戦に勝る修行は無いやんか。ほら、一人で魔術でこんだけ倒せたし、剣もちゃんと使うたし」
フィアードの魔術の師匠ーーツグミは、弟子の活躍にご満悦だ。雪狼の毛皮を手際良く剥いでいく。フィアードもそれに倣って毛皮を剥ぎながらブツブツと文句を言っている。
「……この間は、吹雪の中で手紙届けさせられるし、しかも、相手も遠慮せずに返事まで出しやがって!」
「一晩泊めてもろたんやろ。よかったやんか」
ツグミの言葉に心底嫌そうな顔になる。
「鳥小屋だぞ! 鳥小屋! 臭いし、ヘンな穀物食わされるし、地獄だったぞ!」
「まあまあ……。よお我慢できたなぁ。人型に戻らんかっただけでもエラいで」
少し同情してしまう。獲物の毛皮を全て剥ぎ取り、紐で纏めると、フィアードの前に投げつけた。
フィアードは溜め息をつくと、その毛皮の塊に手をかざし、指定されている場所に転移させた。
「まあ、ティアナ嬢の人使いの荒さは、ちと酷いもんがあるけどな……、これからどないするつもりなんやろな」
「……確かにな」
フィアードは仕事を次々と押し付けてくる幼女の顔を思い浮かべて溜め息をついた。
どんな依頼にも即座に対応してくれるという、驚きの組織がある。
用心棒や魔物の討伐、人探しに失せ物探し、更には遠方への手紙の配達。驚くべき成功率と速さを誇る、その組織は「ティーファ商会」という。
かつては露店で籠を売りながら依頼を受けていたが、その成功率の高さから評判がうなぎ登りとなり、二ヶ月で小さな事務所を構えるまでになったという。
「人探しですか?」
赤毛の青年の問いかけに、事務所を訪れた少年はビクビクしながら頷いた。
「それでは、お相手のお名前、性別、年齢、髪と目の色など、分かることをこちらにお願いします」
よくある話らしく、紙とペンを渡す。極めて事務的だ。すると、依頼人の少年は少し困った顔をした。
「あの……、僕の兄を探しています。十六歳になった筈ですが……、他のことはちょっと……」
「……分からないんですか?」
「あ、いえ……ちょっと事情がありまして……」
青年のこめかみがピクピクする。人を探すのに秘密も何もないだろう! と怒鳴りつけたい気分になる。こういった例外の対処は苦手なのだ。
「三年前まで兄が身に付けていた上着です」
持ってきた包みから皮製の上着を出す。青年は流石に我慢の限界を感じた。
「俺達は犬か……? しかも三年前って……、ふざけてるのか?」
「すす……すみません!」
立ち上がった青年の迫力に、少年は怯えて立ち竦んだ。時々この手の依頼も舞い込んでくる。引き受けてもろくなことが無い。
「……どうせ、この町にいるかどうかも分からないんだろう?」
「すみません! 妹が病気で、兄ならなんとかしてくれるかも……と……」
「あのな、うちでも無理なことがあるんだ。生きてるか死んでるか、何処にいるかも分からない人間を、名前も外見も分からないで、この上着だけで探せると思うのか?」
渡された上着を指差して言いながら、ふと冷静になった。俯いて泣きそうになっている少年が少し不憫に感じる。あちこちで紛争が起きている世の中だ。名前も外見も変えようと思えば変えられる。そんな事情も無いとは言い切れない。
「……まぁ、この上着でちょっと調べてみるから、明日また来い。俺はティーファ商会のアルス、お前の名前は?」
「……レイモンド……」
アルスは紙に「レイモンドの兄、十六歳」と走り書きして上着に乗せて包み直した。
「普通はこんな条件じゃ受けないんだぞ。人探しは俺の専門外だ。担当の奴に確認する」
「あ、ありがとうございます!」
レイモンドが深々と頭を下げた。
「まだ受けられるか分からないからな。明日、朝一番に来い」
「はい!」
来た時より若干足取り軽く部屋を出て行く少年の後ろ姿にアルスは溜め息をつき、実に面倒臭そうに声を張り上げた。
「次の方~!」
◇◇◇◇◇
夕暮れ時、アルスは事務所の扉に受付終了の看板を掲げてようやく一息ついた。
「お疲れ~」
奥の部屋から幼女が顔を出した。アルスは今日の依頼を纏めて彼女に渡す。
「俺には判断出来ないからな。後は任せたぞ」
ぐったりと長椅子に倒れ込んだ。これなら用心棒か討伐に出ている方がマシだ。コーダ村のアルス、ということで舞い込む依頼も少なくないのだ。
「あんたは本当に事務仕事は苦手よねぇ。フィアードはこっちの方が好きみたいだけど……」
ティアナは意地悪くクスクスと笑う。アルスが弱っている姿を見られるのは、実はこういう時だけなのだ。
「ただいま~」
窓から小鳥の姿のツグミが入って来て人型に戻る。
「おかえり。あれ、フィアードは?」
「夕飯に何か買うて来てくれるって。今日はアルスは使い物にならへんやろうからって」
料理においてここの女達は全く当てにならず、その八割以上アルスが担当している。フィアードの機転にティアナはホッと胸を撫で下ろした。
「そっか。今日も上手く行ったみたいね」
ツグミは身体を拭き、水差しの水を飲んだ。ティアナは事務所の金庫を覗き込んでニヤニヤしている。中には金貨や銀貨、宝石の詰まった袋が幾つか入っている。
袋を一つずつ出して、今日の売り上げと中身を確認する。至福のひと時だ。
「ただいま」
ティアナが金庫の中を改め終えた頃、フィアードがパンと串に刺した焼肉を両手に抱えて帰って来た。
食事をしながらその日の報告を行うのが恒例となっている。住まいは最初に滞在した宿のままだが、ツグミはこの奥の部屋に住んでいるからだ。
「雪狼は全部で十七匹。ボスは一回り大きな特殊個体だった。毛皮は全て倉庫に送ってある」
「確認して職人に売ったわ。先方が処理してくれるから、今回は処理無しで大丈夫よ。お疲れ様」
「処理無しか! よかった~。俺、あれ嫌いなんだよなぁ……」
フィアードは翌日に待っているであろう処理を考えて、少し憂鬱になっていたのだ。毛皮の汚れを取ってから水洗いして乾かすのは大変だ。職人がやってくれると言うなら有難い話だ。
「今日の手紙は三件やな。全部ちゃんと署名も返ってきとる」
ツグミは小鳥達が持ち帰った受け取り証をティアナに渡した。
「ご苦労様。後は今日の依頼ね。アルス……大丈夫?」
まだ長椅子で伸びているアルスは呼ばれてようやく身体を起こした。
「今日は、討伐の依頼が一件、手紙が二件、人探しが一件だ。この人探しがちょっと問題だから、明日返事することになってる」
ノソノソと立ち上がり、包みを引っ張り出した。
「問題……?」
「依頼者の兄貴を探して欲しいらしいんだが、名前も外見も訳ありで教えてくれない。三年前まで着ていた上着を手掛かりに探せ、だとさ」
「はぁっ?」
ティアナが怒りの声を上げる。やっぱり……。この手の無理難題は彼女以外にはどうすることも出来ない。つまり、彼女の気分次第で受けるか否かが決まるのだ。
「犬じゃあるまいし! 何で断らないのよ! そんな馬鹿みたいな依頼!」
案の定、大激怒だ。
「いや、そのな……、兄貴ってのが十六歳で、その妹が病気だかなんだかで……」
必死に言い訳するアルスにティアナは冷ややかな視線を送る。
「で、同情しちゃった訳ね。あーあ、やっぱり今日の留守番をアルスにしたのが間違いだったわ……」
「十六か……、じゃあ依頼人も子供じゃないか。これがその上着か?」
フィアードはその話を聞いて、少し気の毒に思ったようだ。人探しは一応彼の担当でもあるし、何か力になれるかも知れない、と包みに手を伸ばした。
「フィアード、あんまり変な依頼受けて、万能の評判が立ったら厄介なのよ? 分かってる?」
もう既にかなりの評判になってしまっているが、と思いながら包みを開けて息を飲んだ。
「妹が……病気?」
「ああ。兄貴ならなんとかしてくれるかもって言って……フィアード?」
フィアードは包みの中の上着に触れたまま動かない。アルスが走り書きした紙がカサリ、と床に落ちた。
「……俺のことだ……」




