第17話 再会
雪煙が落ち着いたので、ツグミはフィアードの元へ降り立った。少年はうずくまったまま気を失っている。
村にはしばらく帰らないように言われているが、雪上に放置する訳にもいかない。
何処か休める場所に移動しようと人型に戻ってフィアードを抱きかかえた時、一羽の小鳥がツグミの元に飛んできた。
『ツグミ、あいつには別に迎えをやるからお前は急いで戻って来い』
ミサゴの声だ。ツグミは眉を顰めた。どうやら一緒に戻ってはいけないらしい。時間を稼げと言ってみたり、一人で戻れと言ってみたり、意味が分からない。
ツグミが途方に暮れていると、ノスリが飛んできた。鷹の姿で舞い降りて、すぐに人型に戻る。
「ツグミ、一足先に戻って客をコーダ村まで送ったれ。フィアードはわしが連れて帰る」
ミサゴの言った迎えはどうやら彼らしい。ツグミは釈然としないがフィアードを託した。
「分かった……。精霊は落ち着いたみたいやけど、さっきまで暴走しとったから気いつけてな」
「どんな具合や?」
「多分、うちらと変わらんくらいやな。鍛え甲斐あるで~」
ツグミはニヤリと笑って飛び立った。恐らくフィアードにはツグミによる魔術の修行が待っている。ノスリは自分の事は棚に上げて、これから扱かれるであろうフィアードに少し同情した。
「それにしても……」
ノスリはフィアードを抱え、辺りを見渡した。雪原にはフィアードを中心に大きく螺旋状の跡ができており、嵐の凄まじさを物語っている。
気を失ったから暴走が止まっているのか、精霊が落ち着いたからなのか、見極めが難しそうだ。
しばらく様子を見たいが、場所が悪い。まだ山頂には雪が残っている。これ以上の被害は避けたいものだ。
「おい……、起きや!」
起こしてみて問題がなければ、少し時間を潰してから村に帰ればいい。もしも暴走するようなら、なんとか相殺するしかない。
少し乱暴に身体を起こした。
「……う……」
呻き声を上げた。顔を顰めたので、意識が戻ったようだ。一瞬風が巻き起こりかけて……すぐに凪いだ。
どうやら制御したようだ。ノスリは少し感心した。剣術に関しては隙だらけで甘えの多い奴だと思っていたが、魔術に関しては少しはマトモなのかも知れない。
「あれ……? ノスリ?」
フィアードはうっすらと目を開けて意外な人物に驚いた。まだ少しボンヤリとしている。
「ツグミはちょっと用事があるで、先に村に戻りよった」
「そうか……。じゃあ、俺も……」
あっ、とノスリが思った瞬間、フィアードの姿が掻き消えた。しまった! 転移が出来ることは分かっていたのに!
今までは転移術の発動にそれなりに時間が掛かっていたから、対応できるつもりでいた。こんな瞬時に転移できるなんて、想定外だ。
「ヤバい……! くそっ!」
無意識の方が制御できるんじゃないか! ノスリは舌打ちして大地を蹴った。空中で一回転し、鷹の姿で村に向かって飛翔した。
◇◇◇◇◇
ツグミが村に降り立つと、村人達は村はずれの雪掻きをしていた。申し訳ないことをした、と思いながらもミサゴに呼ばれているので手伝えない。
子供達が季節はずれの雪にはしゃぐ声を聞きながら、ミサゴの天幕に入った。
「お待たせしました」
そこには雪崩から救った女戦士が身支度を済ませて待っていた。一方的に面識があるだけなので、軽く会釈する。
「もう話はすんでるんや。大至急コーダ村まで送ってやってな」
急ぐ理由は分かっている。どうやら先方も急いでいるようなので都合がいい。
「ほな、ちょっと広い所に行かんとな。こっちへ……」
ツグミは客を連れて天幕を出かけ、そこにいる筈のない人物を見て硬直した。
「あ……ただいま……」
山頂にいる筈の少年がボンヤリと立っていたのだ。日の光で薄緑色の髪がはっきりと分かる。目くらましは掛けていない。
「フィアード……?」
後ろに立つ女戦士の声に、ツグミとミサゴは青ざめた。何てことだ。最悪のタイミングだ。ノスリは何をしている! これならば事情を話して隠れて貰った方が良かった!
「フィアード! 何故ここにいる?」
女戦士はツグミを押しのけてフィアードの前に進み出た。
「……?」
フィアードは怪訝な顔をして仮面の女戦士を見る。彼女はおもむろに仮面を外してみせた。
「私だ!」
栗色の長い髪、その白銀の双眸。カチリ、と記憶が噛み合って、フィアードの心に感情の嵐が沸き起こった。
「サーシャ……どうして……」
死んだ筈だ。何故、ここにいる。疑問が沸き起こるが、それよりも懐かしさと再び会うことが出来た喜びの方が大きい。
フィアードは今の自分の立場も忘れて、サーシャに歩み寄った。
「お前がここにいるということは、ダイナ様もいらっしゃるのか?」
「……ダイナ様……?」
一瞬誰のことか分からなかったが、すぐにそれがティアナの最初の名前だと思い当たる。そうか、サーシャと別れてから名前を変えたんだった……。
……何故、名前を変えたんだっけ……? 何か大事なことを忘れてないか?
「サーシャ……こそ、何故ここへ?」
「ダルセルノ様が大怪我を負われて、その治療のための術師を紹介していただきに来たのだ」
「ダルセルノ……様?」
何かがおかしい……。フィアードの心に警鐘が鳴る。ダルセルノは敵ではなかったか? そうだ、サーシャは死んだ筈だ。ティアナも蘇生出来ないと言っていた。
「どうした? ダイナ様と一緒ではないのか? それよりも何故お前はここにいる? ダルセルノ様に救っていただいた恩も忘れて……」
何の話だ。フィアードは目を見張る。彼の知るサーシャとは違う。サーシャの表情は次第に険しくなる。黒い感情が吹き出しているかのようだ。
「……そうか、ガーシュの遺志か? まさか……魔族に心を……ダイナ様を売ったのか! こんなことなら処刑しておけば良かった! 欠片持ちの片隅にも置けない裏切り者め!」
サーシャはスラリと剣を抜いた。そうか、記憶がおかしい。この時間軸ではない記憶で蘇生したのだ。だから何かが歪んでいる。フィアードは思い当たったが、だからと言ってこの窮地をどうすることも出来ない。
咄嗟に腰に手をやり、剣を持っていないことに気付くが、構わず剣を抜いた。
何もなかった筈の右手に剣が現れたのを見て、サーシャは息を飲んだ。
「薄緑の力か……!」
このサーシャは彼の知るサーシャではない。ダルセルノによって蘇生され、都合のいい記憶を植え付けられた存在だ。
フィアードは意を決して剣を構えた。
「サーシャ、俺はダルセルノには付けない」
「……ダイナ様は何処にいる!」
サーシャの構えは恐ろしい程に無造作だ。だが、少し剣術が使えるようになって分かる。彼女は強い。アルスの豪快さやノスリの狡猾さとはまた違う、そのしなやかさ。その上未来見という能力がある。剣を交えて生き残る自信はない。
彼女は本気だ。昔の手合わせとは気迫が違う。フィアードの背中を冷たい汗が流れ落ちた。
ミサゴ達はとりあえず結界を張ってはいるが、動くことができずに立ち尽くしている。欠片持ち同士の戦いなど、巻き込まれるのはごめんであるが、自分達は天幕の中。二人の欠片持ちはそのすぐ外で対峙しているのだ。
「私ならここにいるわよ、サーシャ」
フィアードの数歩後ろに薄緑色の髪の少女が立っていた。その後ろにアルスが剣を携えて控えている。
「ダイナ様!」
「剣を収めなさい。村の方々のご迷惑になります」
歳の頃は十六くらいに成長したティアナは色違いの双眸を細める。サーシャはすぐに剣を収めてその場に跪いた。フィアードも剣を収める。
「ダイナ様、お父上が危篤です。申し訳ありません。私の能力が及ばず……すぐにお戻りいただけますか」
そうか、白銀の治癒では治せないから魔族を頼りにして来たのか。フィアードは先ほどの話を元に、ようやく事態が飲み込めた。
「ミサゴから皓の治癒術師を紹介されたのでしょう。私が行く必要はないわ」
ただならぬ空気に天幕から出てきたミサゴ達は、鍵の威圧感に息を飲んだ。ヒラリと一羽の鷹が飛来してきてミサゴの肩に止まる。
「私とフィアードはまたしばらく身を隠します。この事は他言無用。無論お父様にも、です」
「お父上は貴女様をずっと探しておられます!」
「お父様の元に帰るつもりはありません。貴女はここで私に会ったことをお父様に話すのかしら……?」
ティアナは片眉を上げて、射竦めるように鋭い視線でサーシャを見る。サーシャのこめかみに汗が流れた。
その様子を見て溜め息をついたティアナは、悲しみに表情を曇らせた。
「私はお父様と袂を分かちました。貴女がお父様に仕えると言うのなら止めはしません……が、寂しくなりますね。行きなさい」
「ダイナ様……私は……」
サーシャのすぐ後ろに空間に歪が生まれる。その渦に引き込まれながら、サーシャはティアナに手を伸ばした。
「ごめんなさい、サーシャ……」
涙をポロポロとこぼしながら、消えて行くサーシャを見送り、ティアナは呟く。
適当に取り繕えば良かったのかも知れないが、彼女には嘘はつきたくない。だからサーシャには眠ったままで居て欲しかったのだ。
ダルセルノ程度の魔力で人一人を蘇生できる筈がない。呪術による魔力の付与などの外道な方法を使ったことも明白だ。その代償となるものが何なのかも知っている。そして恐らく、蘇生の際に何かしらの誓約がなされている。施術師に逆らえる筈もないというのに、却って苦しめる事になってしまった。
「お父様……許せない……!」
ティアナの双眸に怒りが漲る。魔力が迸り、空間が裂け、何かが軋むような音が聞こえた。
「ティアナ! ダメだ!」
フィアードは咄嗟にティアナの腕を掴んで抱き寄せた。
「あ……」
「落ち着け。村をどうする気だ」
見渡すと、あちこちに空間の歪が生まれ、村を飲み込もうとしていた。ミサゴ達は必死で結界を張っている。
村はずれにいる村人達には怪我はなさそうだが、状況が飲み込めずに腰を抜かしている者もいる。
溢れ出る魔力を抑えようとフィアードが強く抱きしめると、ティアナの身体から力が抜けた。気を失ったようだ。少女はみるみるうちに成長の逆の過程をたどり、もとの三歳の姿になった。着ていた服がずり落ちそうになるので、グルリと身体に巻き付けた。
フィアードはティアナを抱きとめたまま、その歪を一つずつ修復していった。
空間の修復が終わったことを確認すると、ミサゴの肩に止まっていたノスリがフィアードの前に舞い降りて人型に戻った。
「あの女はどうしたんや? 殺したんか?」
「いや、あれは強制転移だ。多分……」
「欠片持ちやろ? しかも白銀の。えらく歪んだ感じやったが……」
「でも、ティアナには彼女は殺せない……」
ノスリは難しい顔で黙り込んだ。ツグミが納得いかない様子でフィアードに詰め寄った。
「うちらが聞いとった話と大分ちゃうみたいやったな……。処刑って何の話や?ガーシュの遺志って何や? あんたが知らんかったことを、なんであの女が知っとるんや?」
時間跳躍に関しては上手く誤魔化してきた。それを全て話していいものかどうか……。
碧の魔族をどこまで信用できるのか。そしてどこまで巻き込んでいいものなのか……。
どちらにしても、自分の独断で話せる事ではない。
「ティアナが起きてから話すよ……」
フィアードはそう答えることしか出来なかった。




