第16話 来客
「もう~! なんで置いてけぼりなのよ~!」
天幕の中でティアナが暴れている。アルスが大きな身体を小さくして、その背中をさすって宥めるが、あまり効果はない。
フィアードに置いて行かれたのがよほど悔しいのだろう。
「危険なんだろ? 仕方ないさ」
「自分の身くらい自分で守れるわよ!」
ティアナは凄まじい剣幕だ。
「大体、なんで私が見てない時に合格しちゃうわけ? 酷くない?」
フィアードからノスリに認められた、と事後報告で聞いた時の悔しさが蘇る。
「そりゃあ、あれだけ言われたらなぁ……」
試合の度にチクチクと嫌味を言われ、いい加減に頭に来たフィアードから、試合に来ないで欲しい、と言われたのも仕方ないのだが、自分が原因とは思いたくないらしい。
「試合は仕方ないし、今回のことも仕方ないだろ? お前はいくら強くても、身体はまだ三歳なんだ!」
「……だってさ……いっつもツグミは一緒でさ……!」
「お前、なんでそんなにツグミが気になるんだ?」
そう言えば出会った時から態度がおかしかった。何か因縁はありそうだが。
「……だって、それはさぁ……」
ティアナは遂に床に敷かれている毛皮をむしり始めた。アルスが慌ててそれをやめさせる。
「入るど」
不意に声が聞こえて天幕の入り口からノスリが入ってきた。意外な客にアルスが思わず身構える。
「ノスリ……どうしたの?」
「ティアナ様、じきにあんたの村の人間が来る」
「……!」
ティアナの顔に緊張が走る。ノスリは首を横に振った。
「追っ手やない。コーダ村からヨタカが案内して来とるんやけど……」
「親父が何か話したのか?」
アルスは思わず身を乗り出した。ノスリはそれを無視して続ける。
「ちょっと様子が変なんや。主の怪我を治すために皓か黑の魔人を紹介しろと言うとるらしい」
「治療のために?」
ティアナは首を傾げた。ダルセルノは漆黒の欠片持ちであり、怪我そのものを無かったことにすることで治癒可能なのだ。
村の者がわざわざ魔人に治癒を依頼するなど……、とそこまで考えて、ふとある可能性に気付く。
「それは男?」
「仮面を付けた女戦士や」
ノスリの言葉にティアナは確信した。怪我をしたのはダルセルノだ。そしてこれから村に来るのは……。
「……それでフィアードを遠ざけたの?」
「……もしもの時にはあんただけでもこっちにおって貰わんとあかんからな……」
ティアナはノスリの機転に感謝した。フィアードがもし彼女に会ってしまったらどうなるか、全く想像がつかない。
「とにかく客が帰るまで、あんたらにはこの天幕から出えへんとって欲しい」
成る程、これが一番の要求か。ティアナは納得した。他の魔族の居所、それだけならば然程時間も掛からない。
その僅かな滞在時間さえ乗り切ればいいのだ。
「分かったわ。約束する。でももし、その客が帰る前にフィアードが戻って来たら、その時は私も出るかもよ」
「……目くらましは掛けといてくれるか?」
「もちろん。一目でバレるようなヘマはしないわ。何なら碧の子供になりましょうか?」
「任せる……」
ノスリは仕方なさそうに頷いて、天幕を出て行った。
◇◇◇◇◇
精霊達は体内のあらゆる所に刻印を施すと、その新しい依代の試し撃ちを始めた。早い話が暴走である。
フィアードを中心とした爆風が雪原を吹き荒れる。雪が巻き上げられて、一面が真っ白に塗り潰された。
ーー苦しい! なんなんだ! これは!
フィアードは身体中を駆け巡る精霊達を抑えることが出来ない。これでは加護ではなく征服ではないか。
「ふ……ざけるな……!」
腹の底からフツフツと怒りが湧いてくる。自分の身体の所有権を奪われてたまるか! 体内で吹き荒れる嵐に意志の力をぶつける。
ーー俺の身体……好きにさせてたまるかよ!!
力と力がぶつかり合い、一際大きな力となって周囲に激しい嵐をもたらしていることなど、当人は気づく由もなかった。
今までにない規模の力の奔流に危機感を感じたツグミは咄嗟に上空に避難した。一足遅れて凄まじい旋風が巻き起こり、雪が一気に舞い上がった。
避難が遅れたら小鳥の姿では飛ばされてしまっただろう。これ程の地吹雪が起こるなど想像もしていなかった。
山頂付近の残雪が巻き上がり、遠目にも白く煙って見える。
「うわぁ……ヤバ……!」
雪崩にでもなると厄介だ。ツグミは小さな翼で山頂付近を旋回し、状況を確認した。山道に二人の人影が見える。
その斜面の上では雪が塊となり、重さに耐えかねて徐々に崩れ出していた。
「ヨタカ! 危ないから隠れて~!」
黒髪の青年に体当たりしながら叫ぶ。二人は山頂が白く煙っていることに気付いて慌てて近くの岩影に隠れた。ツグミはヨタカの懐に潜り込んだ。
ほどなく激しい地響きがして、雪の塊が山肌を撫でるように滑り落ちて行った。岩影にいてもなお、下半身が雪に埋れてしまった。
「……助かった……! ありがとう、ツグミ」
ヨタカは懐の同胞に話し掛けた。連れの仮面の女戦士は怪訝な顔をしている。ヨタカはすぐに雪を掻き分けて抜け出し、サーシャを雪上に引き上げた。
「サーシャさん、お怪我はありませんか?」
「ああ、大事ない。しかし、この季節に雪崩とは……」
ヨタカの気遣いに答えながら、サーシャの視線は小鳥から離れない。ツグミは説明すべきか悩んだ。ヨタカが連れているのだから恐らく村に向かう客だろう。しかし山頂の様子が気になるのですぐに戻ることにした。
「ごめんな、ちょっとした手違いや。無事でよかった! ほな、うちはこれで!」
ツグミはサーシャの目から逃れるかのように小鳥の姿のまま飛び立った。
サーシャは小鳥の姿を目で追いながらヨタカに尋ねる。
「あの鳥は……魔族の使い魔か何かか?」
まさか魔族そのものです、と答えるわけにもいかず、ヨタカは苦笑して誤魔化した。
「村はここから下ったところです……が……」
二人は雪に足を取られて歩けないことに気付いた。このまま立ち往生していては雪に濡れた装備で凍えてしまう。
サーシャは荷物を紐解いた。何か使えるものがあった筈だ。野営で使う敷物用の皮を出して雪上に広げる。
「これで滑っていけるかしら」
「成る程、これならすぐに村に着きますね……」
◇◇◇◇◇
轟音と共に白く煙る山頂を眺めて、ミサゴは肩を竦めた。村はずれは雪崩で雪原のようになってしまった。
「山はまずかったなぁ……。まさかあないに大事になるとは……。お客、巻き込まれとったら大事やで」
「仕方ないやろ。客とフィアードを会わせる訳にいかへん。客にはヨタカが付いとるから大丈夫やろ」
息子の言葉にミサゴは溜め息をついた。毎度、厄介ごとを持ち込んでくれる奴のしたり顔が思い浮かぶ。
「それより、鍵はどうするんや。客に見つかる訳に行かへんやろ」
「目くらましを掛けて、アルスと天幕から出えへんように言うてある。皓と黑の話を聞きに来るだけ言うてたから、わしらだけで応待すればええやろ。
それよりフィアードがすぐに戻って来たらどないするんや」
彼には事情を説明していない。最悪なのは彼が客と同調して鍵もろとも魔族の敵に回ることだ。
信じていない訳ではないが、神族の絆がどのような物なのかは分からない。
しかも、ヨタカの報告だと客は恐らく欠片持ちなのだ。会わせないに越したことはないだろう。
「あー、それはツグミに足止め頼んどるから、なんとかなるやろ。いくらなんでも半日で戻って来られへんやろうし」
「あいつは転移もできるねんで。ホンマに大丈夫か?」
「その時はその時や。そもそもこの雪崩で客がいつ来れるか分からへんしな……」
ノスリは母親ほど楽天的には考えられない。あの少年は不安定すぎるのだ。こちらの予想通りに動いてくれるとは限らない。
山頂の白煙が収まったのを見届けてミサゴは天幕に戻ろうと歩き出した。ノスリがそれに続きかけて足を止めた。
「思ったより早いお着きやな……」
「えらいこっちゃ……!」
ミサゴは大慌てで天幕に駆け戻った。
村の入り口に雪にまみれた二人の人影があった。雪崩で道がなくなったので、荷物をソリにして雪の上を滑って来たようだ。
お陰で二日かかる道を半日で下ってきてしまった。
「ヨタカ、無事やったか」
ノスリは二人に歩み寄る。ヨタカは少し緊張しながら頷いた。
「はい……。お話ししていた客を連れて来ました」
仮面の女戦士を紹介する。彼女は荷物と装備の雪を払っていたが、すぐにその手を止めてノスリに向き直った。
「サーシャと申します」
「こちらはノスリ……。族長のご子息です。とりあえず、雪を落としましょう。身体が冷えてしまいます」
「そやな、着替えた方がええ。こっちや」
ノスリは二人を天幕に案内しながら、その客の立ち居振る舞いに舌を巻いた。ザイールの知己という話もあながち嘘ではなさそうだ。
サーシャは身支度を済ませると、ノスリの案内で族長の天幕に向かった。
「はじめまして。サーシャと申します」
「族長のミサゴや。話は聞いとる」
ミサゴは気さくに笑いかけ、茶を淹れて自分達の前に置いた。
「お話が早くて助かります」
サーシャに座るよう促し、自分も胡坐をかく。茶を一口飲んでから口を開いた。
「……残念やけど、他の魔族の村は教えられへん。ただ、村から離れて暮らしとる皓の魔人なら知っとるから、渡りを付けたろか」
願ってもないことだ。人と付き合いの殆どない魔族の村に出向くのは敷居が高いと思っていたのだ。
「本当ですか! それで結構です。どちらにおいででしょうか」
「こちらから連絡するよって、あんたらの所に向かわせる。流れの治癒術師のようなことをしとる奴やから、金さえ払えば嫌とは言わんやろ」
「ありがとうございます!」
サーシャはホッとして緊張していた身体を緩めた。ミサゴは二杯目の茶を淹れるために立ち上がる。
話はついた。だが、村の周りは雪で覆われてしまった。すぐに帰らせる訳にもいかず、他人を移動させる魔術は得意ではない。
ツグミの戻りを待つしかないか……しかし、そうするとフィアードも帰って来てしまう。とにかくティアナという爆弾がいることであるし、この客には早々にお引き取り願いたいものだ。
族長とは言っても、考え事は得意ではない。ノスリならば何かいい案が浮かぶだろうか。ミサゴは小さく溜め息をついた。
「それでは……」
話は終わったのだから、とサーシャはいそいそと立ち上がる。今すぐにでも帰りたいようだ。余程主が心配なのだろう。
「送ってやりたいのは山々やねんけど、この雪をどないかせんと……」
ミサゴは淹れた茶を手に持ったまま思案に暮れた。全く、あんな場所で加護を与えるように言ったのは誰だ、と自分を責める。
「冬が来る前に戻りたいのですが……」
「それもそうやな。……コーダ村まで村の者に送らせるから、ちょっと休み」
ミサゴはサーシャを残して天幕を出ると、小さく口笛を吹いた。近くを飛んでいた小鳥が吸い寄せられるようにミサゴの前に下りてくる。
「ツグミ、あいつには別に迎えをやるからお前は急いで戻って来い」
魔力により言葉を託された小鳥は一目散に伝えるべき相手の元へと飛び立った。




