第15話 急接近
部下の報告に女性は苛立っていた。義兄の容態は一進一退。なんとか快方に向かわせたいというのに……。
「皓も黑も、所在が掴めぬと……」
感情を抑えた低い声が、その機嫌の悪さを如実に表している。散々待たせた上にこの報告だ。その怒りももっともかもしれない。
「申し訳ございません! ただ……」
「何だ?」
「コーダ村に碧の縁者がいるという噂を聞きました。魔人同士であれば何か所在を知る者もあるかと……」
「コーダ村……か」
女性の声から固さが消えた。彼女は少し考え込んでから小さく頷いた。
「よし、私が行こう。お前達は猊下を頼む。くれぐれも、容態が悪化せぬよう、薬師と共に細心の注意を払うのだ」
「それでは、伴の者を用意します」
部下は慌てて立ち上がるが、女性は片手を上げてそれを制した。
「伴は不要だ。私一人の方が動きやすい」
「……しかし……」
「何だ? 別に戦いに行くわけでもあるまい。少し話を聞きに行くだけだ。お前達はここの警備と猊下の治療に全力を尽くせ!」
逆らうことを許さない凛とした声で命じると、彼女は手早く荷物を纏め、装備を改めた。
◇◇◇◇◇
その村は相変わらず、小さいが活気に溢れていた。傭兵を引退した者達が中心となって、狩りや農作業に精を出している。
他所者に対して比較的寛容な村であり、その客もごく普通に村長との顔合わせの場を与えられた。
しかし村長はその立ち居振る舞いからその客が何者なのかを理解していた。
「珍しい客だな……。お前の村は滅びたと聞いたぞ、仮面のサーシャ」
仮面の女戦士は軽く会釈した。
「再起を図っているまでです。お久しぶりです、ザイール様。……実は、その件に関してなのですが……お人払いを……」
ザイールが頷くと控えていた家人達は音も立てずに部屋から出て行った。
「……再起の為の中心人物が、重傷を負っています。薬師では治せず、皓か黑の魔人を探すにも手掛かりはなく……ザイール様は碧の魔人に縁者がおられるとお聞きしまして」
この相手には嘘は通用しない。ならば、と真実のみを羅列する。
「いきなりじゃな。なりふり構わず、か。お前らしい……じゃが、お前の主……とな?」
ザイールは少し考え込み、呼び鈴で家人を呼んだ。すぐに扉が開き、家人の一人が現れる。
「ヨタカを呼んでこい」
家人は一礼して部屋を出て行った。
「案内の者をつけよう。その者がいれば碧の族長には会えるはずじゃ。ただ、他の魔族に連絡が取れるとは限らんからな」
「ザイール様……ありがとうございます」
「まぁ、わしとお前の仲じゃ。これくらいはさせて貰おう」
懐かしい物を見るように目を細めて、ザイールは頷いた。
◇◇◇◇◇
村はずれでは、もはや恒例になった試合が行われていた。
フィアードの攻撃はことごとく受け流され、掠りもしない。一方、ノスリは自分からは攻撃せず、軽く反撃するだけである。
このままではいつもと同じだ。フィアードは半歩下がって深呼吸し、木剣を構え直した。
気合いを入れた割には軽く踏み込んで木剣を振るってくるので、いつもと同じように受け流そうとして……、一瞬早くフィアードの木剣がノスリの頬を掠めた。
「……!」
咄嗟にノスリの木剣が加速し、フィアードの胴を捉えた。
「ぐっ……!」
息が出来ない。フィアードは脇腹を押さえて膝をついた。
「……さっきのは……欠片の力か?」
ノスリの言葉に、フィアードは顔を歪めながら頷いた。木剣でなければ胴が真っ二つだっただろう。
アルスと共に空間魔術を織り交ぜた攻撃を研究したが、中々使えるものはなかった。僅かな空間操作が一番効果的だと分かり、攻撃の瞬間に距離を縮めるという方法を実践できるまでに一年掛かったのだ。
「別に……剣だけ……って言われてなかったから……」
「ふん……まぁ、そうやったな。……二年か」
「まだ、掠っただけだ……」
「本気で一本入れられると思っとるんか?わしがこれでええ、ゆうとるんや」
ノスリの頬にはうっすらと赤い痕がついている。どうやらこれで試練を成し遂げたことにしてくれるらしい。
「……あとはツグミにまかせるど」
「ほな、族長に報告やな」
ノスリはやれやれと言った風に肩を竦める。いくら族長からの命令とは言え、フィアードに二年間も付き合ってやっていたのだ。お陰でフィアードは随分まともに戦えるようになった。
審判として立ち会っていたツグミは小鳥の姿になって飛び立った。
フィアードはゆっくりと立ち上がってノスリに向き直る。
「あ……ノスリ……、ありがとう」
「ガーシュは五年掛けてホンマに一本入れおったからな……待ったってもええけど、あの時とは状況もちゃうよってな……」
いつもより饒舌なのは、肩の荷が下りたからだろうか。
「五年……。あれ? 父さんは他の精霊からは加護を受けなかったのか?」
確か十五の成人後、五年間の武者修行に出て帰郷、結婚した筈だ。ノスリとの勝負の合間に他の村を回っている余裕があったのだろうか。
「……大抵の魔族総長が、風しか加護を受けんな」
「え? そうなのか?」
全ての精霊に加護を受けられる素養があるのに? 貰える物を貰わないなんて勿体無い……。
「わしらは人間の近くに住んどるから手っ取り早いんや。魔術使う場面がある訳でもないし、村長としての仕事も忙しいんやろ。それから……」
不意にノスリの元に一羽の小鳥が飛んできて、その肩に留まり、耳元で何か囁いて飛び立った。
「これが風の最下級魔術や。鳥に言葉を乗せれる。これがあれば連絡係としては充分やからな。……お前は早う帰って休め」
ノスリはフィアードに一瞬何か言いかけたが、瞬く間に鷹に姿を変え、大きな羽根を広げて颯爽と飛び立った。
碧の魔人達は鳥に姿を変えられる。あの技も使えるようになるのだろうか……。フィアードはぼんやりとそんな事を考えながら村へ向かった。
◇◇◇◇◇
仮面の女戦士は、黒髪の狩人と山道を歩いていた。二人は特に言葉を交わすこともなく、ただ黙々と歩いている。
一羽の鷹が木の上からその様子を伺っていた。
ふと、狩人が顔を上げると、静かに鷹は飛び立った。女戦士がそれに気付く。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
連絡がついたようだ。狩人ーーヨタカは連れに心の動きが読まれないように細心の注意を払っている。
伯父は人間と魔族の共存を期待しているからか、時々こうして村に他所者を入れようとする。それが煩わしくて彼等が拠点を転々としていることに気付いていながら。
それにしても今回は度が過ぎている。明らかに前回案内した者達と因縁のありそうな者を寄越すとは。
早めに知らせることができてよかった。ヨタカは飛び立った同胞の姿を見送った。
「ヨタカ、村は近いのか?」
「あと三日ほどかと。今、偵察の者が村へ向かいました」
「ふむ。お前といると族長に会えると聞いたが?」
「一人で向かうよりは会いやすい、ということでしょう」
ヨタカはこれ以上の詮索を許すつもりはない。彼女もそれ以上は聞いてこなかった。
◇◇◇◇◇
翌朝、フィアードはツグミに連れられて二年ぶりに村を出た。ティアナは危険だからと天幕に残ることになって、とても不本意というか不安そうであった。
空色のペガサスに乗って空を駆ける。よく考えると二人きりになるのは初めてだ。フィアードはツグミの白いうなじをチラチラと見ながら、眼下の景色を眺めていた。
「なぁ、どうやって精霊の加護を受けるんだ?」
「要するに、無理矢理精霊を入れるんや……」
精霊を体の中に入れて刻印させるのだと言う。魔人は生まれつき刻印があるのだが、魔族総長は新たに刻印しなければ精霊が宿らないのだ。
そして、その儀式は周りに影響を及ぼすので、他の生き物のいない場所で行う必要があるという。
「山の上まで行くからな」
村に来る時に迂回した山に駆け上がるかのように、どんどんと高度を上げていく。
雪の残る山頂は風が強く渦巻いている。空気も薄く、フィアードは息苦しさで顔をしかめた。
「降りるで、しっかり掴まりや」
フィアードは咄嗟に目の前のツグミに掴まりそうになり、慌ててペガサスの胴にしがみついた。
「それじゃ危ないやろ! ちゃんと掴まり!」
ツグミはフィアードの腕を掴み、自分の腰に手を回させた。空色の豊かな髪がフィアードの頬を撫る。思ったよりも華奢なその身体を感じて心臓が跳ねた。
「……こら、何考えてんねん……」
ツグミが睨みつける。その顔に朱が差しているのは見間違いではないだろう。
「降りるんだろ」
人生経験豊富な女が思春期の少年に思わせぶりなことをする方が悪い、そう割り切ってシラを切った。
「……降りるで」
渦巻く風の中に突っ込んだ。ペガサスは錐揉み降下する。風を切る音が耳元で鳴り、目を開けていられない。
永遠に続くかと思われた息苦しさから急激に解放されると、眼前には雪原が広がっていた。
ペガサスはゆっくりと羽ばたいて、その白い大地に降り立った。
「すげ……」
誰も訪れないその雪原にはペガサスの足跡が刻まれ、サクリと心地よい音がした。
フィアードが先に降りて、ツグミに手を差し伸べた。ツグミは少し戸惑いながら、その手を取って並び立つ。いつの間にか自分の方が背が高くなっていた。
ツグミが何か唱えるとペガサスはそのまま光の球になり、その掌に収まった。凄まじい力を感じる。
ツグミはフィアードに向き直った。
「あんたは今までの総長とはちゃう。デカい魔力の器があるよって、たっぷり精霊を送り込ませてもらうで。耐え切りや!」
フィアードは戦慄した。あの球をそのまま受け止めろと言うのか!
「ま……待て! それは流石に……」
フィアードは後退る。ツグミは構わずその光の球を彼に向けて放った。
球はフィアードの胸に音もなく吸い込まれていった。
「……!」
フィアードは光の消えた胸元を見る。その刹那、膨大な魔力が身体中を駆け巡り、四肢が引き裂かれそうな感覚が襲ってきた。
体内を暴風が吹き荒れる。フィアードは膝をついて、千切れ飛びそうになる意識を無理矢理繋ごうと固く目を瞑った。
ツグミはその様子に目を見張っていた。精霊が気に入らなければ何事も起こらないはずだ。精霊がこれだけ全身に興味を示すことは珍しい。
もしかしてと思って最大限の精霊を送り込んだが、もし精霊の刻印が定着すれば、生粋の魔人と同様に精霊を使役できるかも知れない。
「あちゃ……やってもうたかも……」
今後どう動くか分からない相手に強大な力を授けてしまったかも知れない……ツグミは苦虫を噛み潰したような顔で、悶え苦しむ少年を見つめていた。




