第14話 修行の日々
「さぁ、始めるで。準備はええか?」
村はずれに木剣を構えた二人の人影が対峙している。一人はよく鍛えられた身体の青年、もう一方は成長途中の線の細い少年だ。
「始めっ!」
少女の開始の合図に少年は意を決して大地を踏み込み、大きく剣を振るう。青年は微動だにせず、一瞬の剣撃で少年の木剣を叩き落とした。
「話にならんのお。先は長そうやな」
青年はニヤリと笑って去って行った。
少年ーーフィアードはがっくりと肩を落として木剣を拾った。
ーーノスリから一本取ること
それが風の精霊の加護を得るために彼に課せられた試練であった。
「これじゃ……何年かかるか分からないな……」
「思った以上に酷いな……。うちと戦った時はまぐれやったんか?」
ツグミの指摘ももっともである。フィアードは自分の不甲斐なさに溜め息が出た。アルス相手に訓練して少しは使い物になるかと思っていたが、ノスリには容赦というものがない。
観戦していたアルスは少し考え込んでいたが、近付いてきたフィアードを確認して口を開いた。
「……フィアードお前、なんか背が伸びてないか?」
「え……? そうか?」
言われて初めて気付いた。以前はアルスと並んでいると、視線がちょうど彼の鳩尾あたりだった気がするが、今は目の前に彼の鎖骨がある。
「あ……本当だ……。少し伸びたか……な?」
出会ってから半年しか経っていない。しかも、一緒に旅を始めてまだ三ヶ月足らずだ。その僅かな時間でこれ程伸びるものだろうか? フィアードは首を傾げた。
「お前、そう言えば今いくつだ?」
「じゅ……十四……」
口にして、自分がいかに子供であるかを痛感して赤面する。アルスはそんな彼の様子を見て、ゲラゲラ笑いながら薄緑色の髪をくしゃりと撫でた。
「まだ十四か! そーかそーか! 成長期だな! そりゃ無理だ! ノスリに一本なんて、夢のまた夢だな!」
なにせ、自分と互角に戦う男だ。アルスは実に愉快そうにフィアードを見て、また笑い出す。
「な……なんで成長期だったら無理なんだよ!」
フィアードはアルスの大きな手を振りほどいて精一杯睨みつける。アルスの目には笑い涙が浮かんでいた。失礼極まりない。
「だってよ、毎日すっごい勢いで成長してるんだぞ? 手足の長さも変わるし、筋肉の成長と骨の成長が上手く噛み合わないと、骨折することだってあるんだからな」
「こ……骨折……?」
フィアードの顔色が変わった。自分の成長で骨折なんて、絶対に嫌だ。
「い……いつまでなんだ? その成長期って……」
思った以上に深刻な反応で、アルスも少し真面目に答えてやることにしたようだ。
「うーん……個人差があるからなぁ……。俺なんて、二十だけどまだ背が伸びてるしな!」
「……マジかよ……」
フィアードの顔が引きつる。そんな肩をポンと軽く叩き、アルスは歩き出した。
「まぁ、気長にやれ。どうせティアナがある程度自分で歩けるようにならないと旅どころか一緒に動けないんだからな。背負って戦うのも限度があるだろ」
確かにティアナが大きくなってきて背負うのが辛くなってきた。普通に移動するだけならばなんとかなるが、走ったり戦ったりはもう無理だろう。
重いのは勿論だが、背中の彼女を意識しながら戦えるほど自分は器用ではない。
「そういう意味でも、この試練はありがたいんじゃないか? この村に長期滞在させてもらえる口実みたいなもんだと思えよ」
アルスには事情を話した。彼はそれを聞いても付き合ってくれると言った。コーダ村を旅立ってからは毎日剣の稽古をつけてくれている。本当にありがたい存在である。
「……気長にって言ってもさ……」
「まぁ、一年や二年でノスリに一本入れられるとは思えないが、挑み続ければ隙も生まれるかも知れないしな。お前の親父さんも同じ試練を受けたんだろ?」
「父さんは剣士だったからな」
フィアードが言うと、アルスはいきなりその頬をつねった。
「違うな、剣士になったんだ。最初から強かった訳じゃないさ。ノスリに一本入れられたら立派な剣士だよ。ノスリはお前の親父さんの師匠って訳だ」
見たこともない真剣な顔だった。
アルスは手を離し、呆然とするフィアードを残して村に帰って行った。気が付くと、審判をしていたはずのツグミも居なくなっていた。
フィアードは痛む頬に手を当てたまま、しばらく立ち尽くしていた。
生ぬるい風が夏草を揺らす。生き残りの蝉の声が虚しく響いていた。
◇◇◇◇◇
「猊下の具合はどうだ?」
静まり返った寝室の扉を開けて、一人の女性が入ってきた。患者を治療していた薬師は難しい顔をする。
「いえ……むしろ、あの惨状で生きておられることが奇跡です。よくぞここまで回復されましたな」
「私ではこれが限界だ。無かったことに出来るわけではない」
ヴェールで顔を隠しているこの女性が患者を救い出し、治癒を行ったらしい。薬師はそれが如何なる魔術であるかは分からなかったが、その治癒の甲斐あって患者が命を繋いだことは分かる。
「何がなんでもお救いしなければ……。猊下はこの世界になくてはならないお人……。ダイナ様ならあるいは……」
女性はそこまで言って、比較的事情に明るい部下を呼ぶ。
「ダイナ様の居所は分からぬのか?」
「猊下のご息女を拐した者の行方は杳として知れません。以前、猊下のご命令で奪還に向かった者達は皆消され、手掛かりはございません」
部下の報告に女性は腕を組んだ。歴戦の勇士を彷彿とさせる佇まいである。
「……他に治療の手立てはないのか……!」
女性は焦っていた。まだ詳しい事情が飲み込めていないのに、それを語る筈の者が倒れてしまったのだ。
「……我ら薬師では治療に限界がございますが、魔族の力を借りることが出来れば……あるいは……」
薬師の提案に女性は眉を顰めた。
「聞くところによると、皓か黑の魔族であれば、治癒の術を使うことが出来ると……」
「魔族の力を借りるのか……」
「致し方ございません」
薬師は自分の不甲斐なさを恥じている。これ以上追求するのも気の毒だ。確かに他に方法はないだろう。
女性は頷いて部下に伝えた。
「皓か黑の魔人を連れて参れ。猊下の治療にあたらせるのだ。無論、ダイナ様の捜索の手も緩めるな」
「ははっ!」
部下の後ろ姿を冷ややかに見送る。魔人がどこにいるのか、どうやって連れてくるのか、などと考え出したら動けない。とりあえず、動けるものに探らせよう。
「お義兄様……、必ずお助けします」
女性は未だ意識の戻らない義兄の傍に座り込んだ。
◇◇◇◇◇
カーン……コン……
村はずれに乾いた音が響く。村人達はもう聞き慣れた様子で、特に気にも留めずに日々の生活を送っている。
「まだまだ!」
息は上がっているが、動きは悪くない。一合、二合、と木剣を打ち合わせて、再び距離を取る。
「ノスリ……覚悟……!」
「……」
フィアードの踏み込みに対し、ノスリは半歩下がる。この一年で見違えるほど速くなった剣速に感心しながら、最小限の動きでその剣を受け止める。
コオーン……と一際大きな音が響いた。
以前であれば、それだけで剣を取り落としていたが、流石に耐えられるようになった。
ギリギリと剣を押し戻すが、結局フィアードが耐え切れずに体を退いた。いつもはそこで終わりなので、フッと力を抜いたその瞬間……
「油断大敵じゃ……ボケ」
ドスッという音と共にフィアードの視界は暗転した。
「お前……ノスリ相手に油断できるなんて、何様だよ……」
目覚めたら、赤毛の男の呆れ顔があった。抱かれている幼女も呆れ顔だ。
「私の知ってるフィアードはもう少し強かったんだけどなぁ……」
口調は相変わらず辛辣だが、一年ですっかり女の子らしくなり、伸ばした髪を二つに結っている姿が愛らしい。
「いや~、付き合うてるノスリも気の毒やわぁ。そりゃ、どつきたくもなるわ~」
空色の髪の少女は呆れるのを通り越して笑っている。
「……はは……、本当……先は長いや……」
乾いた笑いしか出てこない。フィアードは身を起こし、木剣を拾った。
この一年で大分背が伸びた。アルスの適切な訓練のお陰で、程よく筋肉もついた。もう女性に間違われることはないだろう。
それにしても、だ。
「ノスリって、強すぎるよな……」
アルスも強いが、大雑把な性格なので付け入る隙はありそうだ。一方、ノスリには全く隙がない。
この一年、満月の日に手合わせをし続けているが、ようやく打ち合えるようになっただけだ。
「まぁ……剣だけで勝負したら、あと何年かかるか分からんな」
一応、彼を指導している手前、何か助け舟を出してやろう、とアルスは意味深な言い方をする。
「剣だけで……って……、そうか!」
アルスのヒントにフィアードは顔を上げた。ハシバミ色の目にやる気が芽生える。
「剣だけで一本取れとは言われてない!」
「ま、そういうことだな……ていうか、今まで気付かなかったのか……余裕だな……」
道理で愚直にぶつかっていると思った。命が掛かった場面ではもっとしたたかに戦っていた筈なのに……アルスはこの年下の友人の素直さに苦笑した。
「アルス、付き合ってくれるか?」
「おう。やってみな」
アルスはティアナを下ろし、適当な棒を拾った。ティアナはトコトコとツグミの近くまで歩き、彼女の体によじ登る。
ツグミは器用にバランスを取りながら、ティアナを肩車した。ティアナはツグミの豊かな髪を跳ね上げて顔を出す。
フィアードは木剣を構えながら魔力を溜める。目で見てから認識しているから遅かったのだ。空間と認識を繋いでしまえば、少しは反応が良くなる筈だ。
アルスがジリっと一本踏み出す。僅かに棒を握り直す様子などが手に取るように分かる。
フッと空間が迫る感覚があり、フィアードは咄嗟に木剣を翳した。
ガッ……!
アルスの持った棒は真っ二つに折れて飛んだ。その破片は回転しながらツグミに向かって飛んで行ったが、当たる直前に突風で弾き飛ばされた。
「ま、そういうことだな」
確実に入れるつもりで放った一撃に反応した。今までにない集中力を見せるフィアードに舌を巻く。要するに魔術を使わないつもりでいたら集中力すら出せなかった、ということだ。
「上手く使えるようになれば、もう少しマトモな勝負になるんじゃないか? ……あと、そうやってすぐ気が抜けるのはなんとかしないとな」
極度の緊張とその反動で呆然としているフィアードの頭をポンポン、と叩いてアルスは折れた棒を藪に投げ捨てた。
ツグミの肩から下りたティアナがフィアードに歩み寄り、その裾を掴む。
「ねぇ、お腹減ったわ。早く戻りましょう」
ようやく我に返ったフィアードはティアナを抱き上げた。その温もりと柔らかい感触が心を癒す。
「……ああ、そうだな。帰るか……」
夕方の冷たい風が歩き始めた四人の髪をなびかせる。地平線近くに満月が光り始めた。




