第142話 揃えられた色
声にならない叫び声を上げて身悶えるサーシャに、我に返ったフィアードが駆け寄って即座に戒めを解いた。
「サーシャ!」
ズルリと崩れ落ちる身体を受け止めて、血みどろの顔を即座に浄化し、これ以上の出血がないようにすぐに処置を施す。痛みを和らげるために傷口を冷やす。
「何て……事を……!」
サーシャの白銀の目を左目に据えたデュルケスは痛みなど感じないかのように高らかに笑い続けている。
「……揃って……しまったのか……!」
フィアードは急激にデュルケスの魔力が高まったのを感じて顔色を失った。まさか、こんな強引な方法で色彩を揃える事が出来るなんて……!
今や、デュルケスから立ち上る魔力は自分を遥かに凌ぎ、ティアナが全ての枷を外した時の魔力に近付こうとしている。
「これで君と僕は同じ立場だよ。名を握った程度でいい気になってもらっちゃ困るね。僕だって調べればすぐに分かるはずさ」
「……許さない……っ!」
ティアナは斬りかかる細剣をことごとく受け流され、敵の身の内に宿る魔力が膨らみ続けるのを感じて鳥肌が立った。
自分が力を全て解放する事に対して躊躇してしまうのに対し、この男は一切の躊躇がない。その僅かな違いが大きな敗因になる事は明白だ。
「その目を返しなさい!」
サーシャの目……! いつも慈愛に満ちた目で自分を見つめていた目が、こんな輩の顔に埋まっているなど耐えられない!
「やだね!」
デュルケスは吐き捨てるように言い放ち、すぐ眼前に迫った細剣を強化した片腕で受け止め、ティアナの鳩尾を思い切り蹴り上げる。
「ぐふっ!」
その場から弾き飛ばされ、一瞬呼吸が出来なくなった。ティアナは顔を顰めて起き上がり、細剣を握り直す。息が上がっている。これでは話にならない。ティアナは絶望的な気持ちで目の前の男を見つめた。
「せっかく揃ったんだ。でも……まだまだ制御が難しそうだね。仕方ない……また君達に時間をあげよう。それまでせいぜい頑張るがいいさ」
デュルケスは強引に自分の物とした左目を瞬かせながら面倒臭そうに言い捨てる。
「……え……?」
瞬時に空間が歪み、男の姿がその場からかき消えるのをティアナは止める事すら出来なかった。なんという魔力。そして迷いのなさ。
彼が自分の目を抉り出した時に思惑に気付いていれば良かったのだ。しかし、突然の出来事に対応しきれず、最悪の事態を招いてしまった。
あの男が神の色彩を揃えてしまったという事実。自分がその気になれば何が出来るのか朧げに分かっているだけに、その恐ろしさに身震いする。
それを阻止する事が出来るのは自分以外にはあり得ない、そしてそうする為には自らの全てを賭けることになるだろう……と思い至り、目の前が真っ暗になる。
あの男を排しさえすれば、自分は愛する者達に囲まれて忙しくも幸せな充実した生活を送れると思っていた。
ティアナは足元に転がる漆黒の眼球を忌々しげに睨み付け、己の考えの甘さに激しく後悔した。
「……サーシャ……起きなくていい!」
悲痛に震えるフィアードの声に、ハッと我に返って振り向くと、顔の左半分を赤く染まった布で覆われたサーシャがティアナに手を伸ばしていた。
「ダイナ……様。ご無事ですか……」
「……サーシャ!」
駆け寄ってその手を握りしめた。温かい手。いつも近くで守ってくれていた手。
「ご……ごめんなさい……! 私が……付いていながら……!」
ポロポロと涙が溢れる。とにかくこの愛する叔母の傷をなんとかしないと。そうだ、なかった事にしてしまえば目は取り戻せる。そう思って魔力を溜めた瞬間、サーシャは首を振った。残った右目にはしっかりと現実を見据える光が宿っていた。
「目はこのままで。まだ私と繋がっているのであの男の動向が分かります。……大丈夫。出血と痛みはフィアードが治してくれました」
「……でも……!」
首を振るティアナの頭をそっと撫で、身を起こしたサーシャが半分の顔でニコリと笑い掛けた。
「お願いです。私を……」
「……待て……」
口を開きかけたサーシャを制し、フィアードの指先から青白い炎が迸った。
「……!」
デュルケスが座っていた椅子の足元。血溜まりの中の眼球が一瞬にしてその炎に包まれたのを、駆け付けた二人は呆然と見つめた。
「……サーシャがあいつと繋がってるなら、これもあいつと繋がっている可能性が高いからな。消しておいた方がいいだろう……」
消し炭となった眼球を睨み付けるフィアードの顔が見た事もないほど憎悪に染まっている。レイモンドとモトロはゴクリと息を飲んだが、ティアナは昔のフィアードの姿を思い出して目を細めた。
「そうね……。ありがとうフィアード」
サーシャにとってはそのフィアードの反応は馴染みのあるものであるらしい。
「それで、サーシャ……どうしたらいい……」
フィアードは白銀の欠片持ちとしてのサーシャに当然のように伺いを立てる。
「……村が……復興したと聞きました。村に連れて行って下さい」
「……村に……何があるんです?」
駆け付けてすぐにフィアードに代わって患部を冷やし始めた唯一の部外者であるモトロが尋ねると、サーシャは一瞬躊躇ってからティアナを見、そして重い口を開いた。
「……ガーシュ様が残した……秘薬を使います……」
「父さんが?」
フィアードとレイモンドが顔を見合わせる。父が薬を扱っていたとは知らなかった。
その二人の様子にサーシャは一瞬目を見張り、溜め息をついた。
「ザイール様から色々伺って、大まかな事は理解していたんですが……、レイモンドとフィアードが一緒にいるという事は……どうやらあの人の言っていた事は本当なんですね。混沌とした記憶と……この状況は……」
「……サーシャ、無理しないで……」
記憶の混乱で正気を失わないか心配気な姪の頭を撫でる。
「大丈夫です。ザイール様が根気よく話して聞かせてくださいましたから……」
サーシャはモトロに支えられながらゆっくりと身を起こし、彼女の記憶では生き別れになった筈の兄弟を片目で見つめた。
「ガーシュ様は亡くなられたと聞きましたが、サブリナ様と姉上は……生きているんですね」
「ええ、そうよ」
ティアナはコクリと頷いた。どうやら記憶の整理がついたらしい。激しい痛みがこれを現実として認める手助けになったのかと思うと皮肉なものだ。
「ガーシュ様の秘薬は……姉上が持っている筈です」
◇◇◇◇◇
五人はフィアードの能力で崖下の戦車の元まで飛んだ。
「取り急ぎ、機械の街まで戻りましょう」
ティアナの提案に従い、ロバを走らせる間、ここ最近の世情に一番敏感なレイモンドがサーシャに現状を説明した。
時々戸惑いを浮かべ、チラチラとフィアードを見遣るサーシャの姿にティアナは若干の不安を覚えた。
これまでのやり直しで重複している記憶を整理できたのは何となく分かる。だが、サーシャは自分がどのようにして今生きているか知っているのだろうか。ダルセルノに操られていた記憶は、デュルケスに仕えていた時の記憶はどうなっているのだろう。
「……復興した村では姉上とその新たな夫が中心となって、交易と教育に力を入れているのか……。素晴らしいな」
サーシャは神族の村の現状を聞いて舌を巻いた。彼女の知る世界とは大分変わっているとは思っていたが、まさかそこまで世の中が変貌しているとは。
「フィーネ様には本当にお世話になってます。子供達はフィーネ様の事を心から慕ってますし、ご主人のギーグさんは本当に優秀な建築士ですね」
レイモンドの言葉にコクコクと頷き、頬を染めて嬉しそうにしているサーシャは、左目の傷さえなければ昔よりもずっと生き生きとして見える。
「サーシャも……剣士として後進の指導に当たってくれると助かるんですけど……」
レイモンドの言葉にサーシャの顔がスウッと強張った。
「レイモンド……それは、あいつを片付けてから考えましょう」
ティアナの言葉に突っ込みすぎたと気付いたレイモンドはバツが悪そうに軽く肩を竦めた。
「ティアナ、神族の村へはどうやって移動する? 俺一人では全員を運ぶのは無理だ」
それまで口を噤んでいたフィアードの言葉に、ティアナは小さく頷いた。
「あれを使うわ」
それは機械の街の端、地下に続く階段の先にあった。
新しく作られた階段は、土魔術で作られた美しい建屋で囲われ、簡単には出入りできないように頑丈な扉が設けてある。
ティアナは鍵を開け、扉を開け放つと傷がまだ痛々しいサーシャをその建屋に誘い込んだ。フィアード、レイモンド、モトロが続く。
「フィアード……鍵を」
ティアナの指示で、フィアードが内部から鍵を掛けると、ティアナは灯りを手に階段をゆっくりと降りて行った。
階段を下りきるとそこは空洞になっており、床には複雑な模様の大きな円陣が描かれている。
「……ここは……まさか……」
サーシャが息を飲む気配にフィアードがコクリと頷いた。
「遂に完成させたんだ」
ティアナがかつて、ダイナとして君臨していた帝国において、政治の中枢である帝都と商業の中心である商都を自在に行き来する為に、実験的に設けられていた設備だ。
転移魔方陣と言えば簡単だが、かつてはその使用に膨大な魔力が必要だった為、利用できたのは女帝と欠片持ちである三人だけだった。
「……魔力の補充は……魔物から得られた魔石を使う事で解決したわ」
ティアナが魔方陣の周囲に並べられた色とりどりの魔石を指差す。
「普通の人間の魔力でも利用可能です。そして、溢れた魔力を取り込むように配置しているので、この魔石は半永久的に使えます」
研究に携わったモトロが説明すると、サーシャは呆然と僅かに光をたたえる魔方陣を見遣った。
「取り急ぎ、この地と神族の村を結びました。どちらも魔力的に一番安定しているので、恐らく問題は無い筈です」
モトロの言葉にレイモンドが難色を示す。この存在は聞いていたが、まさかいきなり使う事になるとは思っていなかったのだ。
「でも、まだ誰も試してないんだろ? いきなり使って大丈夫なのか?」
「なら、俺が行って帰ってくる。それでいいだろ?」
フィアードの言葉にグッとレイモンドが顔を顰めた。確かに、もし万が一おかしな場所に転移しても、フィアードであれば戻って来られるだろう。
「……そうね。貴方が適任よね……。お願いできる?」
ティアナが少し心配そうにフィアードを見上げ、フィアードはコクリと頷いた。
「俺が行くしかないだろ。すぐ戻る」
「……気を付けて……」
自分が試しても意味がない事は分かっている。ティアナであれば、転移先が意に沿わなければ、無意識のうちに修正してしまうかも知れないのだ。
ーー俺も無意識で転移しないように気を付けないと意味がないな。
フィアードは自分の魔力を極力抑えたまま魔方陣の中央に歩を進める。
四人が固唾を飲んで見守る中、フィアードの右脚がゆっくりと魔方陣の中心に到達し、残る左脚が床を離れた瞬間ーー魔方陣が一瞬眩い光を放ち、そして、フッとフィアードの姿がかき消えた。
ティアナの過去、ダイナとして生きた数々のループは『女神の帝国 〜想いの迷宮』で公開中です。
同名でR18加筆版もムーンライトに掲載しています。
もしよろしければご参考くださいm(_ _)m




