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第137話 魔人の街

 コンコンコン……。


 不意に扉が叩かれる音がした。


 レイモンドの合図でシュウリュウとターレン達は食卓の下に潜り込む。布が掛けられた食卓ならば、覗き込まなければ分からないだろう。


 モトロとディンゴがわざとらしく椅子に座って三人を隠し、レイモンドが扉ごしに声を掛けた。


「……誰だ……」


「すまん……大陸から来たと聞いた。話したい事がある……」


 くぐもった声が聞こえ、レイモンドは眉を顰めた。


「……何者だ?」


「ランドルフ殿はおられないのか?」


 ピクリ、とレイモンドの眉が上がる。彼等が町を訪れた時の知り合いか。ならば話す価値はある。

 腰の剣に手を掛けながらゆっくりと扉を開けると、痩せこけた四人の人間がまるで幽霊のように立っていた。

 伸び放題の髪と髭、黒ずんだ指先、曲がった膝……。魔人達の機械(カラクリ)の元で働いている人間でももう少しマシな身なりだった気がする。


「……ランドルフは港町に残って復興の手伝いをしている。……入れ……」


 レイモンドに導かれ、狭い室内にゾロゾロと汚らしい男達が入って来た。

 ツン、と饐えた匂いがする。レイモンドは一瞬顔をしかめたが、すぐに平静を取り戻した。


「……クーロンと申す」


「レイモンドだ。……この街はやはり……魔人が支配しているんだな……」


 レイモンドの言葉にコクリとクーロンは頷いた。


「ああ。我々はもともと街の統治をしていた。襲撃でなんとか生き残ったんだ。復興を始めた所で、化け物達に襲われた。魔人達が機械(カラクリ)を地下に移していたから、命からがら逃げ込んで、奴等の顔色を伺いながら化け物を倒す為の武器を作らされている」


 成る程。この街はやはり魔人の街か。レイモンドは自分の勘が正しかった事を確認できて少しホッとした。


 そもそも、魔人が一般の人間を害しようと思えば簡単だ。魔術だけではなく、強靭な肉体、長い寿命に裏打ちされた経験。その気になった魔人の支配を跳ね除けることなど人間達には不可能に近いだろう。


 こちらが人間だけで話し掛けたらどうなっていたかは分からない。レイモンドはモトロ達を連れて行ったから、一応客として扱われていると考えられる。


「……明日、パイソン殿と会談する予定だ」


「……何を話す……」


 クーロンは眉を寄せて、レイモンドを睨み付けた。


 レイモンドはモトロ達に彼等の興味が向かないように、いつもより大げさに身振り手振りを入れてしゃべる。


「廃墟となっている地上の街の復興と、街への結界について……だな」


「……結界……?」


 聞き慣れない言葉にクーロンは首を傾げた。


「……要するに、街をスッポリと魔力の籠で覆って、外敵を寄せ付けなくするってことだ。少し時間は掛かるがな」


 クーロンの顔は険しいままだ。どうやら言葉だけでは想像できないらしい。説明が難しい。そもそもティアナの存在を隠したままでは説得力に欠ける。


「お前達は同席できないのか?」


「無理だ。夜、魔人達が寝静まっている時にはなんとか脱出できるが……」


 クーロンの言葉に、レイモンドかふむ、と腕を組んだ。

 恐らく魔人達はこの空間を維持して機械(カラクリ)を動かすだけで手一杯なのだろう。この偽物の夜の時間には魔力の気配が全くしない。その間に回復を図っていると思われる。


「彼等も必死なんだろうな……」


「だから我々もただ従うしかないんだ。ここから出る訳にはいかないからな。外にはまだ化け物がいるんだろう?」


「いや、ここに来る前には襲ってきた奴らは我々で殲滅したぞ」


「……え……?」


 レイモンドの言葉にクーロンは目を見張った。レイモンドの合図で食卓の下からシュウリュウとターレン達が顔を出した。


「……彼等は……?」


 初めて見る異形に四人の男達は息を飲んだ。


「……()人間だ……」


「……?」


 キョトンとしているクーロン達にシュウリュウが説明し始めた。クーロンはヨウメイの事を知っていたらしく、拳を震わせながらシュウリュウの話を聞き、どんどん蒼白になっていく。


「……我々はただ逃げた……! 戦おうとすら思わなかった……!」


 自らの身体を犠牲にしてでも刺し違えようとしたヨウメイ達の決意を聞いてクーロンはガックリと項垂れた。


「初めから戦う術がなければ致し方ない事だろう。我々も結局、仲間の殆どを失った。……結果、どれが正しかったのかは分からない」


 シュウリュウは唇を噛み締め、レイモンド達を睨み付ける。


「彼等は港町を復興に導いてくれた。お前達もここから出るつもりがあるのなら……」


「出られるのかっ! だが……あの化け物は……」


 ギラリ、と目を輝かせるクーロンに、レイモンドは頷いてみせた。


「この周囲の魔物は殆ど残っていない筈だが……。それじゃあ……明日、お前達人間の解放も交渉してみよう」


「レイモンド殿……。しかし……」


「詳しい話はそれからだ。その脚……やはり、人間にはこの環境は厳しいんだな……」


 レイモンドの視線は四人の曲がった膝に向けられている。

 人間は日光に当たらないと関節が曲がってしまうと聞いた事がある。あの擬似太陽ではやはり無理があるのだろう。


 言い当てられ、クーロンは少し気まずそうに目を逸らした。


「……ああ……。こんな生活が続けられる訳がない」


「分かった。それでは我々の主君にも伝えておこう」


「……ああ……」


 主君とは何者だろう。クーロンは若干の不安を覚えながらも、レイモンドの迫力に負けて深い事を聞き出さないままに彼等の(ねぐら)へと帰って行った。


 ◇◇◇◇◇


 地上の夜明けに合わせ、擬似太陽がゆっくりと天井()に上っていく。


「……そろそろ起きろ」


 微睡みの中で声を掛けられ、ティアナはぼんやりと目を開けた。ハシバミ色の目がこちらを見つめていた。


「……フィアード……」


 心なしか疲れているように見えるフィアードはいつもの目くらましを掛けて、平凡な人間の装いをしていた。


 フィアードは昨夜の訪問者の後を追い、彼等の(ねぐら)を調べていた。

 同じように劣悪な環境で働かされている人間も多い。まるで奴隷だ。


 レイモンドから聞いた話と合わせてティアナに報告し、今日の会談にどう臨むのか考える。


「……お前はどうする? 最初は人間として話を聞くか?」


「難しい所ね」


 何と言っても神の化身だ。姿を見せるだけで、彼等の態度が激変する。


 ティアナは溜め息をついて髪と目の色を変えた。自分達は色彩を変えればいいが、問題はシュウリュウ達だ。またあの認識できないような結界で隠してしまいたいが、フィアードは明らかに昨日の疲れが取れていない。


「フィアード……貴方、結局眠らなかったの?」


「……ああ。気になる事が多すぎてな。シュウリュウ達はここに置いて行こう」


 異形となった人間を見せると生き残っている人間達の間に混乱が生じる。気軽に魔石を口にするような者が出てはならない。


「それがいいわ。次からは、シュウリュウ達は人前に出ないように気を配らないとね」


「そうだな」


 二人で扉を開け、レイモンド達と会談の打ち合わせを始めた。




「初めまして、レイモンドと申します」


「うむ……」


 屋敷に通され、引き合わされたのは壮年の(くろ)の魔人だった。


「パイソン……殿ですか」


「そうだ。(しろ)の魔人には初めて会うな。その(あか)の魔人は……はぐれ(・・・)だな?」


 モトロとディンゴを交互に見、パイソンは椅子にふんぞり返っている。


「……はぐれ……」


 ディンゴが小さく呟いたが、パイソンは気にする素振りもみせなかった。


「……で、何の用だ。我々は忙しい。これだけ多くの人間を養ってやらなければならないのだからな」


 話し合いの結果、シュウリュウとターレン達は小屋に残った。この場では彼等の存在を説明するのが難しいと判断したからだが、正解だったかもしれない。


「ご報告したい事がありまして……」


「何だ?」


「……港町の子供達は無事です。我々の仲間が街の復興をしております」


「ほお、あれらは無事だったのか!」


 急に深緑の目に安堵の光が宿り、パイソンは身を乗り出した。それまでの事務的な態度とは打って変わった血の通った態度にレイモンドはホッと息をつく。


「……と言うと?」


「襲撃の時、大人の魔人はこの工場で働き詰めだったからな。子供達は地上で人間の子供達と遊んでおった筈だ。……子供達は攫われたんだろう。それを港町が取り返してくれた……と言う事か」


 成る程……。何故、子供だけが港町にいたのか不思議だったのだ。恐らくヨウメイ達が助け出して保護していたのだろう。


「良い知らせをありがとう。しかし……この地では受け入れる余裕がない」


「大丈夫です。地上の街を復興し、結界を張ります。人間にはこの地下の暮らしが辛いようですし……」


 レイモンドの言葉にパイソンは大仰に頷いた。


「うむ……やはりそうか。日に日に弱っていく人間を見てもしやとは思ったが……。しかし、あの化け物どもはどうする?」


「あれらは我々でなんとかします」


「しかし、街を包み込むような結界……どうやって……」


 パイソンが眉をひそめたのを合図に、後ろに控えていたティアナがフィアードにエスコートされてレイモンドの横に並んだ。


 レイモンドが一歩引き、跪いてティアナをパイソンに引き合わせる。


「この方が、守って下さいますから」


「な……っ! 一介の女戦士に何が……出来……」


 顔をしかめてティアナを見据えていたが、次の瞬間、パイソンの顔色は音を立てて引いていくかのように真っ青になった。


「え……そ……そんな……まさか……!」


 本来の色彩を纏ったティアナはそっとパイソンに右手を差し出し、婉然と微笑んだ。


 その笑みは今まで見たどんな笑みよりも蠱惑的で、隣りで見ていたフィアードは思わずゴクン、と喉を鳴らしてしまった程であった。


「見事な地下街だわ。でも、人の身にはとても暮らし難い土地のようね。私がこの街の人間を連れ出して地上の街に帰ることを許して下さる?」


 壮年の魔人である。明らかに長い時を生きているはずのパイソンがうら若いティアナの迫力に飲まれ、ぐうの音も出せずに立ち竦んでいる。


「……神の化身、ダイナ様だ」


 こみ上げる笑いを抑え込んだフィアードの言葉に、パイソンはガバリとその場に平伏した。


「ど……どうか……我等……この地に生きる者たちをお救いください……! 私で出来ることであれば、何でもさせていただきます。この街は……もうこれ以上維持する事が出来ません……!」


 人が多すぎて空気が薄い。水が足りない。次々と武器を作ってみても、それで化け物が倒せる訳でもなかった。だが、人間を保護する為には何か名目が必要だったのだ。

 そして、化け物に目を向けさせる事で、何とか足並みを揃えてやってきたが、それぞれの不満が徐々に高まって、魔人達は夜になると力尽きて深い眠りに落ちるようになった。

 その隙に人間が機械(カラクリ)を壊したり、逃げようとして力尽きたりし始め、もうどうする事も出来ないほどの混乱が生じていたのだ。


「……分かりました」


 ティアナが頷くと、パイソンはそれまで張り詰めていた気持ちが切れたかのようにその場にへたり込んでしまった。

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