第130話 船上会議
港が見えてきた。
何隻か無人の船の残骸が停泊している中に、一隻、時折人影の見える船があった。
「……生き残りがいるのかも知れないわ」
近づいてみると、様々な事に気付く。遠見だけで判断するのは危険だ、というのはこういう事があるからだ。
ティアナはその船に接舷させ、ランドルフとレイモンドを伴って迷わずにその船の甲板に降り立った。
ランドルフはもしかしたら面識があるかも知れない。フィアードは異国の言葉を勉強していない。それに、神の化身が人間を二人伴っていった方が都合がいいからだ。
「……レイモンド、大丈夫ね?」
「ああ。心配掛けて悪かった」
弱った姿を見せたくなくて引きこもっていたのが露見してしまい、引きずり出されたレイモンドは、確かに少し痩せてしまっていた。だが、異国との交渉が彼抜きで成り立つとは思えないので、協会との連絡は陸に到着してから受け付ける旨を伝え、書簡のやり取りを禁じる事で、少し体力を取り戻す事が出来たのだ。
三人が甲板に降り立つと同時に、ザワリと船を覆う空気が変わったのが分かる。
「人だ……!」
「助けが来た!」
「生き残りだ!」
口々に異国語で囁く声が聞こえ、ティアナはぐるりと周囲を見渡した。
「『遠く離れた地』より、この土地を守りに来たわ。私が誰だか分かる?」
豊かに波打つ薄緑色の髪を惜しげも無く晒し、隠れている人影に向かって二色の視線を次々に送ると、周囲を取り囲んでいた警戒の空気が和らいだ。
「まさか……」
「あの色彩は……?」
「そんな……」
「今、この地に到着した私達に、貴方がたに何が起こったのか説明してもらえるかしら。港に降り立っても大丈夫なのかどうか……教えてもらえる?」
ティアナの言葉に、人影が動く気配があった。
ザワリとどよめく中、一人の大きな人影がゆっくりと船室の扉を開けて出てきた。
三人はその姿に息を飲んだ。
鍛え抜かれた体躯と鋭い眼光は、彼が弛まぬ努力を続けてきた証。だが、驚くべきはその体表がキラキラと輝く鱗で覆われている事だ。
首の辺りにはエラのようなものも見え、船旅で幾度となく戦った鮫を彷彿とさせるような出で立ちだ。
「……ランドルフ……殿か……」
その人影はランドルフを見て、掠れる声で呟いた。
「では……ようやく……神がお見えになったのですね……この地に……!」
名を呼ばれたランドルフは眉を寄せ、怪訝な顔でその人外の存在を見詰めた。
「その声……は……まさか……」
「はい。この港で商団の用心棒をしておりました……」
「ヨウメイ殿……か!」
「はい」
ヨウメイと呼ばれた人外の存在はティアナの前に膝を屈した。
それを合図に、様子を伺っていた人影がゾロゾロと姿を現し、同じように膝を折った。
その半数が、同じように身体を鱗に覆われており、残りは明るい緋色の髪と黄金の目、漆黒の髪と深緑の目……緋と黑の魔人の子供であった。
「……魔人を守っていたの?」
「はい。彼らが万が一にもあの者たちの手に落ちてはならぬ、と思い、我ら腕に自信のある者達で匿っておりました」
魔物がもし魔人の子供を食料として口にしたら一体どれだけの力を得るのだろう……考えるだけでも恐ろしい。
ティアナは彼らのその咄嗟の判断に感心した。そして、その鱗に覆われた身体が意味する事を考え、恐る恐る口を開いた。
「……貴方がたは……魔物の身体から出た石を……食べたのね……」
「はい。我が身を……我が子を……町を守るために……止むを得ず……口にしました……」
見れば、船室には女子供がまだ大勢隠れている。彼らはごく普通の人間の姿をしているように見える。
「あれが……貴方がたの家族ね……」
「はい」
ティアナは目の前の異形を見詰めた。強靭な肉体に高い魔力を得た上に、彼らには理性が残っている。
魔獣の中には元の生物よりも明らかに好戦的になった物もあったが、人には当てはまらないのだろうか。
「あの石を取り込んだ全ての人が、こうして変化したの?」
「いえ。六十名の戦士達で決断し、倒した魔物から得た石を口にしましたが、二十名はそのまま死に、二十名は増え続ける魔力に我を失い暴れ回って……自滅しました」
その物言いが妙に落ち着いていて、どのように自滅したのか察したティアナはあえて蒸し返さずに小さく頷いた。
「それで……ここにいるのが、残った二十名ね……」
「はい」
「よく……耐え忍びましたね。後は……私がこの町を守ります」
ティアナが優しく微笑むと、跪いていた全ての者達が涙を流して平伏した。
「……ここでは話しにくいから、どこか落ち着ける所でゆっくり話を聞きたいわ」
「……この船の船室には子供達が大勢います。もしご迷惑でなければ……そちらの船にお伺いします」
「そうね。それじゃあ、二、三人で来て頂戴。私は先に戻って準備しておくわ」
「お願いします」
ヨウメイは頷き、おもむろに立ち上がって数名で打ち合わせを始めたようだった。
ティアナ達はその様子を見ながら梯子を通って自分達の船に戻り、フィアード達に事のあらましを説明した。
「……そうか。魔石を取り込んだのか……」
可能性が無い訳では無かった。フィアードは目を細め、隣の船を見た。
救いの手が差し伸べられてホッとしたのだろう。甲板や船室を子供達が駆け回り、楽しそうにはしゃいでいる。
「家族を守る為にはやむを得なかったと言ってるわ」
「無理もない……。魔物ならなんとかなるが、生身の人間にとって魔獣は強すぎる」
そこそこ腕の立つ者でも、己を守るのが精一杯だろう。戦う術のない女子供を守るにはもっと力がいる。
「港町に降り立ったら、名付けを行うわ。そして、町に結界を張る……」
ティアナの言葉にレイモンドが頷いた。フィアードも少し考え込んでから頷く。
「そうだな。そうするしかないだろう」
土地から借り受けた力をそのまま防御に当てる。この方法ならばティアナの魔力を余分に消費しない。
「名付けが出来れば、この町に乗組員の半数を置いていきましょう」
ティアナの言葉にその場の幹部が深く頷いた。五十名の非戦闘員と五十名の名ばかりの戦闘員を守りながら行軍する事を考えると、異形となったこの地の戦士と共にこの町に残ってもらった方が気楽だ。
軽く打ち合わせをして、一番広い船室を会議室にして受け入れの準備を始めた。
フィアードは火の砦で受け取った異国の地図を机に広げた。恐らく、殆どの村や町に、何らかの被害が出ていると考えていいだろう。
彼らと同じように、魔石を口にしてどこかに隠れ住んでいる者達がいる可能性も高い。
「ティアナ、彼らは戦力としてどの程度期待できるんだ?」
フィアードが問うと、ティアナはチラリとモトロを見た。
「見た感じの印象だけど……戦士として鍛えていたから、恐らくは接近戦が得意よ。肉体は人間や魔人の比じゃなく強化されてると思う。魔術も使えると思うけど、たかが一年、誰の手ほどきも受けていないから、ほぼ使い物にならないわね」
「……接近戦ですか……」
モトロの顔が少し歪む。
現在、接近戦が出来るのはレイモンドとティアナ、ディンゴ、少しレベルが落ちてフィアードだ。
ティアナは結界で防御できるが、レイモンドとディンゴは回避する事で肉体の脆弱さを補っているに過ぎない。
モトロはやはり後方支援に回ってしまう。貴重な治癒術師でありながら充分に戦っているが、魔獣相手では接近戦になると非常に危険だ。
「……盾となって戦える戦力……ということですね」
「ええ……。まぁ、彼らが同行してくれるかは分からないけど。町の防衛に関しては問題が無いと思うわ」
大陸では人間が魔石を取り込んだ例を聞いていない。だがもし、悪意ある者が犠牲を覚悟で人体に魔石を取り込ませ、そして支配下に置いたら……強靭な体に理性を兼ね備えた恐るべき戦士が出来上がってしまう。
もし、そのような集団に宮殿が襲われたら、いくらアルスでも対抗出来ないだろう。
魔獣の存在に気付いてすぐ、その可能性には気付いていた。だが、そこで人体実験をするような事は出来ず、ここに来るまで魔石が人体にどのような影響を及ぼすか知らずにいたのが悔やまれる。
「……ティアナ……また過ぎた事で思い悩んでるな……」
気が付くと、会議室にはティアナとフィアードの二人きりになっていた。
「レイモンド達は?」
「甲板に彼らを迎えに行った。俺は言葉が分からないからな。お前は上座でどっしりと構えとけ」
グイッと腕を掴まれ、会議室の奥、一番立派な椅子に座らされた。
「いいか、お前は神の化身……女帝ダイナだぞ。弱気な発言は足元を見られる。彼らには情けをかけるのはいいが、下手には出るんじゃないぞ」
「わ……分かってるわ……」
子供扱いされ、カアッと頰が赤くなる。ポンポン、と頭を軽く叩かれ、フィアードを見上げた。その頰にそっと手を添えられ、ドキンと胸が弾んだ。
そう言えば、先ほどからやたらと体に触れてくる。まるでレイモンドやモトロを牽制するかのように自分の近くに立っていた。
今にも口付けしそうな雰囲気に思わず目を瞑りかけ、ティアナはそっとフィアードの手に自分の手を添えた。
「……フィアード……どうしたの?」
「いや……そう言えば、あれから二人で話すのは久しぶりだと思っただけだ……」
船室への階段を降りる足音が聞こえてきて、フィアードは苦笑した。もっとゆっくり二人で話したい事もあるのに、事務的な事を話す時間しか取れず、なんだかんだと邪魔が入るのだ。
「頼みましたよ、陛下」
皮肉気に笑って誤魔化すと、チュッとティアナの額に軽く口付けし、フィアードは何食わぬ顔で会議室の扉を開けに行ってしまった。
「ちょっと……!」
真っ赤になった頰を撫で、慌てて取り繕っているうちに、先ほどまで何を思い悩んでいたのか忘れてしまった。
気分を切り替えるために深呼吸をしていると、扉が開いた。
「ダイナ様。ヨウメイ殿がお見えです」
ランドルフが三人の異形を連れて会議室に一歩入り、客が見えるように扉の脇に立って一礼する。
ティアナは音もなく優雅に立ち上がると、ヨウメイに軽く会釈する。
「先ほどは失礼しました。色々と聞きたい事があります。どうぞ座ってください」
凛とした声でティアナが言うと、三人は深々と礼をして、会議室に入室してきたので、レイモンドがそれぞれを席に案内した。
ティアナの後ろにフィアードが立ち、隣にレイモンド、反対側の隣にランドルフが座り、異形の三人は向かい側に並んで座る。
モトロとディンゴは扉の両脇に立ち、会議の様子を見守る事になっている。
フィアードと側近の二人は会議中の有事の際にすぐに動けるように備えているのだ。
それがもし、このヨウメイらによるものであっても対応出来るような布陣になっている。
ヨウメイは自分より少し若い少年と、妙齢の女性を連れてきていた。
少年も鱗で覆われていて、耳の辺りに大きな鰭が見える。
女性も鱗で覆われているが、その鱗は細かく、美しい輝きを放っているので、よく見なければ普通の人間に見える。しかし、女性の腕には大きな鰭があった。
「彼はシュウリュウ、我らの中で最も戦いに優れた者です。こちらはリャンファ、身体能力も高く、魔術も使えるので、主に我らの治癒を担当している者です」
二人は紹介されたその場で立ち上がり、深々と礼をし、着席した。
「よろしく、シュウリュウ、リャンファ。それじゃあランドルフ、お願いするわ」
「かしこまりました」
ランドルフは立ち上がり、この場に集うそれぞれを紹介した。
「それでは、ダイナ様……まず第一にご確認されたい点についてお話しください」
ランドルフが会議を仕切り、ティアナは要所要所で発言する。この仕組みならば、ティアナの余計な発言を防げるだろう、というフィアードの目論見通り、この場に関係のない話題が上がる余地もなく淡々と会議は進んでいった。




