第12話 風の襲撃者
ーーまずい、この高さじゃ助からない!
アルスは落下しながらも必死でフィアードを引き寄せる。目くらましの解けた薄緑色の髪は乱れている。彼のこめかみは赤くなり、一筋の血が流れていた。直撃は躱したので命に別状はないだろうが、暫くは目覚めないかも知れない。
背中のティアナの様子を伺う。
「ティアナ、無事か?」
「落ちてるけどね。なんとかするしかないわね……!」
ティアナが落下から身を守るために小さな体から力を開放しようとした瞬間、突風が三人の体を巻き上げた。
空色の髪の少女が宙を駆けてくる。
「ツグミ! 貴女無事だったのね!」
「じっとしときや!」
ツグミが風を操ってジワジワと落下速度を落とし、ゆっくりと着地した。
どうやら越えるつもりだった山の中腹辺りに降りてしまったようだ。
フィアードを下ろして治療する場所を探すが、岩ばかりで足場が悪い。
フィアードを抱えてどうしたものか、と思案していると、また先ほどの鷹が襲いかかってきた。アルスが剣を抜き牽制すると、鷹は急旋回して四人の前に舞い降りた。
鷹と言うには少し小ぶりな体がみるみる姿を変えて、一人の男性の姿になった。大柄ではないが、よく鍛えられたしなやかな体躯、空色の髪と目……碧の魔人である。
ツグミはその姿を認めてギリっと唇を噛んだ。
「……ノスリ……どういうつもりや」
「ツグミ、そいつら村に入れたら許さんど」
ノスリと呼ばれた男は両手に短剣を構えた。
「なんでや! ガーシュの息子と神族の鍵やで! うちらが探してた二人やないか! うちが案内する約束やったやろ!」
「問答無用!」
ツグミは慌てて槍を構えるが、ノスリの姿はかき消えて、背後でフィアードを抱えているアルスに襲いかかっていた。
アルスは片手でフィアードを抱えたまま応戦する。身動きが取れない上に、思った以上に素早い動きに防戦一方となっている。
圧倒的に有利な状況にも関わらず、ノスリの攻撃はことごとく受け流され、一太刀たりとて触れることが叶わない。
アルスの防御の高さに感心したのか、しばらく打ち合ってからノスリはゆっくりと構え直した。
アルスは構え直しながら、駆け寄ったツグミにフィアードを託そうとした。
「……っつう……」
「フィアード!」
フィアードはこめかみを押さえながら目を開いた。視界の隅に認めた人影に、息を飲んで顔を上げた。
「……あ……!」
脳裏に焼き付いた、まるで猛禽類のような鋭い目……遠見に反応した碧の魔人であった。その存在感に全身が粟立つ。
「なんじゃい、やっぱりあの時の覗き屋け。鍵だけ渡して、とっとと行ね! 欠片には用はない!」
「俺達は、あんた等の族長に話があるんだ……よっ!」
アルスは一気に踏み込んでノスリの短剣一本を弾き飛ばす。すかさず残った短剣で斬りかかったノスリの刃がアルスの剣に阻まれて激しい火花を散らした。
「その赤毛……そうかおのれ、コーダのアルスか! 傭兵稼業がなんで神族に肩入れするんじゃい!」
「なぜ……? さあな。気に入ったから……と、あと責任感かな?」
ノスリは飛び退り、魔力の塊を投げつけた。アルスは慌てて防御の体制をとる。フィアードは咄嗟にその塊に向かって魔力を投げつけた。
激しい力がぶつかり合い、爆風となって土を巻き上げる。
フィアードが土煙に思わず目を覆っていると、凄まじい魔力の高まりと集まってくる精霊の気配を感じた。
ヤバい! と思った瞬間、無数の風刃が縦横無尽に駆け巡った。
◇◇◇◇◇
いきなり水面が激しく波打ち、強い魔力を放ち出した。
「何事だ!」
男はあり得ない現象に息を飲む。
彼がいつものように甕を覗き込んでいた時、それは起こった。
彼の観察対象が碧の村に向かう途中、その住人により激しい戦闘に突入した、という所までは把握できた。
ところがその戦闘の最中、魔力が暴走を始めたのだ。
男は持てる力を注いで制御を試みるが、暴走は収まらず、甕にヒビが入った。
「くっ……!」
男は苦悶に顔を歪める。魔力が逆流してくる気配を察知して、甕との接続を遮断した。
行き場を失った魔力で、甕のヒビはみるみる広がり、そして爆音と共に砕け散った。中を満たしていた液体が火の粉となって飛び散り、男に襲いかかる。
「うわぁ!」
火の粉は男の左半身を焼き、部屋中を焼き尽くす業火となった。
「猊下!」
爆音に駆け付けた部下達は息を飲んだ。
部屋は火の海。彼等の主は半身に炎を纏いのたうち回っている。
誰一人としてその部屋に足を踏み入れることが出来ず、ただ呆然と立ち尽くしていた。
「どきなさい」
凛とした声が響く。男達の後から現れた女戦士は部屋の状況を一見し、スラリと剣を抜いた。
男達は慌てて下がり、彼女の間合いから離れた。女戦士は白銀の双眸で相方の姿を捉えると、まるで邪魔な炎を両断するかのごとく剣を走らせた。
◇◇◇◇◇
風刃が辺りを駆け巡り、何かが壊れる大きな音がした。
フィアードは攻撃が止んだことを感じ取り、周囲を見渡した。
木々や草、岩などが無差別に切断されているが、どうやら自分達は無事である。
ホッと息を着くと、目の前に先ほどまで戦っていた相手が腕を組んで立っていることに気付いた。
フィアードは緊張した面持ちでゆっくりと身構える。
アルスも気付き剣を構え直したが、ノスリは平然としている。
その様子にツグミが眉を顰めた。
「ノスリ……、おまえ何したんや?」
「蝿を始末したったんじゃ」
「蝿……?」
怪訝な顔をするツグミには気も止めずに、フィアードに向き直った。しかしその視線は背中の赤ん坊に向けられている。
「助太刀おおきに」
ノスリはティアナに目礼した。
「こちらこそ。助かったわ」
ティアナは事もなげに言う。二人の間に何があったのだろう。フィアードには意味が分からない。
「わしは一足先に帰っとるけえ、ゆっくり来たらええ。族長には伝えとくよって」
言うが早いか、ノスリの姿は一羽の鷹となる。颯爽と飛び立つその姿を四人は呆然と見送った。
再び村を目指そうとしたが、日が暮れかけていたのでとりあえず近くで野営し、翌朝出発することにした。
山の中腹なので斜面が多く、水場も少ない。野営には不向きであったが、たまたま小さな洞窟を見付けたのでそこに荷物を運び込んだ。
そう言えば最初は洞窟だったな、と感慨深く寝床を整えていると、ティアナが嬉しそうに整えたばかりの寝床に転がってきた。
「あ~、スッキリ! これで心置きなく行動できるわね!」
「……あいつが言ってた蝿って、もしかして使い魔か何かのことだったのか?」
ふと気になっていたことを聞いてみた。ティアナはちょこんと座ってこちらに向き直り、可愛らしい顔に不敵な笑みを浮かべた。
「ずっと張り付いてたのは知ってたんだけど、中々本体が見付からなかったのよね。で、あのノスリって人が目敏く見付けて攻撃してくれたから、ちょっと便乗したの」
「便乗って……?」
フィアードの質問に、ティアナはよくぞ聞いてくれました、と言わんばかりに得意気に言い放った。
「使い魔を通して、あり得ないくらいの魔力を流し込んであげたの。今頃魔道具は木っ端微塵よ!」
クスクスと笑っている。しかしフィアードはある可能性について思わず想像してしまった。
「いや……それって、道具じゃなくて人間が繋がってたらヤバいんじゃないか……?」
「大丈夫よ。覗く方が悪いんだから」
ティアナの言葉がグサリと突き刺さる。自分は「覗き屋」なんて呼ばれてたんですけど……。
恨みがましい目でティアナを見ると、動物の毛皮で作った寝床にうずくまって眠っていた。仕方ないな、とフィアードは肩をすくめる。
あの惨状において、ノスリの魔術に干渉してダルセルノからの監視を解いたのだ。かなり無理をしたのだろう。
それにしても、今日の襲撃は一体なんだったのだろうか。フィアードは気が付くと戦いに巻き込まれていたのだ。事情がよく分からない。
「ノスリって奴は一体何考えてたんだ? 俺達を襲ったのは、使い魔を消すためだったのか?」
「いやぁ……なんか問答無用で襲いかかってきたぞ。欠片を村には入れられない、とか言って。
それにしても、強かったな。魔術も使えるし反則だよなぁ……」
アルスは難しい顔をして剣を手入れしている。その刃の乱れが戦いの激しさを物語っている。
ツグミはその様子を申し訳なさそうに覗き込んでいる。
「あいつは族長の息子や。村で一番強いな。魔術はうちの方が得意やけど、実戦となるとあいつには叶わへん」
「もし、最初から使い魔が狙いだったとしたら、それだけ用心深いってことか」
戦いの巻き添えで使い魔が消えたと思えば、碧の魔人は彼等に敵対していると思わせたまま行動できるし村の情報を守ることもできる。ツグミは面白くなさそうに頷いた。
「うちらはまんまと騙されたっちゅうことやな……」
「敵を欺くにはまず味方から……って言うしな」
遠見や使い魔による監視を徹底的に排除しようとするその姿勢には頭が下がる。
フィアードはどうやら彼が敵ではないと分かって本当に良かったと思っている。正直、あの風刃に真っ二つにされていてもおかしくなかったのだ。
素早い動きで二刀流の短剣を使い、更に魔術も織り交ぜる、などと器用な戦い方に流石のアルスも手こずっていた。
「そう言えば、アルスのことも知ってたみたいだったな」
そんなやり取りが聞こえたような気がしたので話題にしてみると、アルスは得意気になった。
「俺はそこそこ有名だからな。ま、そんな俺が守ってやるんだから、二人ともゆっくり休め」
そう言われて、大魔術を使ったツグミと負傷したフィアードは、地に足が着いていると本当に頼もしいこの男に背中を委ねることにした。
◇◇◇◇◇
翌日、予定通りにペガサスに乗って山を越えた。
山を越えた途端、眼下に広がる景色が変わり、フィアードは思わず歓声を上げた。土の色が違う、生えている植物が違う。
「すっげぇ。こんなに違うのか」
「そやな。この辺は住んどる動物もちゃうしな。鉄が取れるよって」
「鉄か!」
ようやく上空に慣れたアルスが嬉しそうな声を上げた。鉄は優れた武器になるが、加工が難しい。殆どの武器は加工が楽な青銅製である。地域によってはまだ石器を使っているらしい。
昨日の戦いで、アルスの愛剣はかなり損傷してしまっている。
「落ち着いたら鍛冶屋、探してもいいか?」
「あぁ、確かに。修理するにしても新調するにしても、鍛冶屋がいないとな」
アルスの言葉にフィアードは頷いた。フィアードの剣は鉄製であるし、どうやらかなりの業物だが、儀式用として保管されていたので手入れが行き届いているわけでもない。
一度ちゃんと調整してもらう方がいいだろう。
「鍛冶屋か……うちらの村にはおらんけど、ノスリなら知っとるかもな」
「おう。聞いてみる」
昨日の敵は今日の友……アルスにとってはそんなものなのかも知れない。やはり単純である。不意打ちをくらったフィアードとしては複雑であった。
「もうすぐや。降りるで」
ペガサスは大きく羽ばたくとゆっくりと下降を始めた。




