第124話 死霊の呻吟
ディンゴは金色の軌跡を描きながら獣の群れを縦横無尽に走り回る。
そこかしこから獣の悲鳴と血飛沫が上がり、戻ってきたディンゴは人型に戻ってすぐに炎の鞭を放った。
ゴウッと音がして、赤い舌が獣達を包み込み、あっという間に決着が着いたかと思ったその直後、燃え盛る火炎から角のある獣達が飛び出してきてディンゴに襲いかかった。
「なっ!」
普通の生き物ならばあり得ない事だ。その場の男達は全員息を飲んだ。
ディンゴは紙一重でその牙から逃れ、驚きに目を見開いたまま、炎の鞭を振るうが、獣に触れた途端に黒煙となって消えてしまった。
「魔石の力かっ!」
フィアードが風刃を放った。
バチィッ!!!
だが、風刃は獣の身体を切り裂くことが出来ず、吹き飛ばすに留まった。
「ならばっ!」
同時に放たれた氷の刃も獣の身体を刺し貫く事が出来ず、砕けてキラキラと宙を舞った。
モトロはその光の粒を呆然と見て、ギリリと奥歯を噛み締める。
「……魔術に対する……耐性があるんですね……」
「ってことは、俺かっ!」
レイモンドが剣を構えて駆け出すと、モトロがティアナの近くに戻り、防御を固める。
「……ッチ……楽には勝たせてくれなさそうだな……」
迫り来る獣達を振り払う事は出来ても、魔術では傷を負わせる事が出来ない。
モトロとディンゴの攻撃から逃れた獣達をレイモンドの剣が次々と斬りつけるが、恐ろしいほどに頑丈な毛皮に阻まれ、致命傷は負わせられない。
「おいっ! 恐ろしく硬いぞ! こんなに強くなるものなのか!」
斬りつける手がジインと痺れるほどの衝撃に驚き、レイモンドは舌打ちした。
「レイモンド、一旦下がれっ!」
フィアードの鋭い声に、レイモンドは即座に反応し、飛びすさって獣達から距離を取った。
その直後、目に見えない速度で放たれた何かが、獣達の身体を次々に貫いた。
「ギャウン!」
一瞬にして蜂の巣のようになった獣達は朱に塗れ、吹き飛ばされてそのまま地に伏した。
「……ふぅ……」
フィアードが構えていた杖を下ろし、生き残りがいないか確認しているのを、モトロとディンゴは畏怖の目で見つめる。
「……すっげ……、何を打ったんだ?」
誰よりも間近でそれを見たレイモンドは、血に染まる獣達の死骸を見下ろしながら呆然と兄に振り返った。
「土魔術で作った石礫を、水魔術で水蒸気爆発を起こして、風魔術で空気抵抗を無くした空間をすっ飛ばしただけだ」
あまりにも簡単そうに言われて納得しかけたレイモンドは、モトロとディンゴの様子を見て顔を引きつらせた。
複数の魔術を組み合わせての攻撃だったのだ、と思い当たり、今更ながら兄の魔術の凄まじさを思い知った。
流石に魔術を複雑に組み合わせて使った為か、疲労を隠せないフィアードは、額の汗をぬぐいながら肩の力を抜いた。
「……別に複数の魔術を組み合わせなくても、もっと強力な魔術は編み出せるはずだ。これからはこんな奴らが増えるんだから、もっと研究しないとな……」
「……はい。その通りですね……」
モトロは自嘲気味に笑った。生きてきた時間を考えると明らかに自分よりも経験不足の筈のフィアードが見事に三種類の精霊を使いこなしているのだ。いくら彼が魔族総長だからとはいえ、心中穏やかではない。
「それから、この角や牙、爪を加工すれば武器に出来そうだな。次は毛皮を傷付けずに倒す方法を考えよう」
フィアードの言にレイモンドは肩を竦めた。
「転んでもタダじゃ起きねぇな。随分としたたかになって……」
「うるさい。とりあえず麓まで送っとくぞ」
フィアードが獣の死骸を転移するのをモトロとディンゴは呆然と見つめていた。
そして、モトロの意識がフィアードに向いたその時、彼が守るべき存在に異変が起きていた。
◇◇◇◇◇
外野が騒がしいが、とにかく呪いを解かなければならない。
ティアナは足元に蠢く様々な気配に探りを入れていった。
緋の魔人と黑の魔人が戦っている現場を収めるために放たれた死霊の楔。それはこの溶岩溜まりの奥深くに今もなお突き刺さったままである。
死霊を解放すると、今現在は地中に向けられている火の精霊と大地の精霊が方向性を失って暴走する恐れがある。
ティアナは火口全体を覆う巨大な結界を練り上げながら、一抹の不安を感じていた。
ーーこれだけで防げるかしら……? それに、ちゃんと鎮まるかしら……。
永きに渡って荒ぶり続けた精霊を鎮める事が出来るのか。しかし、鎮めなければ永遠に岩は溶け続け、噴煙は途切れず、時として溶岩が吹き出すだろう。
方向性を失って暴走する精霊がどのような動きをするのか全く予想が付かない。
咄嗟に時間を止めて対応できるかどうか。ティアナは腰の細剣に手を添えた。
神の力を恙無く行使するには、この七年間鍛えてきた人間としての精神力が問われる筈だ。
ーーアルス……私に力を……!
強く念じながら両手を合わせ、解呪の力を高めると、一気に楔に向けてその力を放った。
ズゥン……という地響きに、その場の全員の緊張が高まった。
「噴火かっ!」
レイモンドは青ざめて火口の方を振り返った。
モトロは咄嗟に全員を覆うように氷の障壁を築き、ディンゴは犬の姿で火口ギリギリまで駆け付け、ジリジリと後退りする。
火口を覆う巨大な結界が大きく膨れ上がるのに気付いたフィアードは目を見張り、慌ててティアナの傍らに駆け寄った。
「ティアナ!」
「ちょっと……黙って!」
汗をポタポタと垂らしながら、ティアナは厳しい顔で魔力を放出し続けている。
結界の中には解き放たれた死霊と炎の精霊、大地の精霊がせめぎ合っている。
パチパチと雷光のようなモノが煌き、所々で爆発が起き、死者のくぐもった声が響き渡っている。
ティアナはそれらを押し込めている結界を解き放つタイミングを計っていた。
「待て! 危険だ!」
フィアードの言葉にティアナは首を振る。
「途中で止められないわ!」
このまま解き放てば、行き場を失った三者が暴れ回るのが目に見えている。噴火どころの騒ぎではなくなるだろう。
「……分かった。俺が精霊を受け止める。お前は死霊をなんとかしろ」
「フィアード?」
「俺しか出来ないだろう?」
ティアナはゴクリと息を飲み、眼下を見下ろした。
モトロでは話にならないが、ディンゴならば火の精霊は受け止められる。だが、大地の精霊には敵とみなされ、生きては帰れないだろう。
魔族総長であるフィアードならば、火と大地、どちらの精霊をも受け止められる筈だ。だが、まだ加護を受けた訳ではないから、ただその身に同時に精霊を引き受ける事になり、制御できるとは到底思えない。
「……無理よ……」
「他に方法は無いだろう? だから、俺を解放するまで呪いを放置してたんじゃないのか?」
ティアナは言葉を失った。そんなつもりは無かった。現に、この状況は今初めて知ったのだ。
「……俺を結界の中に入れてくれ」
「フィアード……」
結界は大きく膨らみ、今にもはち切れそうになっている。
爆発音、破裂音、地の底から湧き上がるような声がより一層大きくなり、すぐ隣のフィアードの声すら聞こえにくくなってきた。
ポタリ、と汗の雫が地面に落ちてジュッと蒸発した。地熱が上がっている。
「ティアナ! このままだと、火山の別の場所から全てが噴き出すぞ!」
出口を塞がれ、暴れ回る精霊や死霊は溶岩を巻き込み、その体積を大きく膨らませている。
このままでは噴火どころではなく、火山そのものが爆発して吹き飛んでしまう。
ティアナはギュッと目を瞑り、フィアードの身体に触れた。
「お願いっ! フィアード!!」
「……任せておけ……」
フィアードはハシバミ色の目に満足気な笑みを浮かべ、火口に飛び込んで行った。
◇◇◇◇◇
「兄ちゃんっ!」
フィアードが火口に身を躍らせるのを見て、レイモンドは慌てて駆け寄った。
「ティアナ! これはどういう……」
「レイモンド、肩を貸して」
ティアナは自力では立ってはおれず、レイモンドに縋り付いて火口を睨み付ける。
「……ティ……」
「黙って!」
大陸を分断するほどの力だ。そう簡単に収まるとは思わなかった。
「これは……私達じゃなきゃ無理よね……!」
フィアードが結界の中の精霊達を次々と体内に取り込んでいるのが分かる。抑え込めるかどうかは彼次第だが、彼を信じるしかない。
ティアナは暴れ狂う死霊に焦点を絞り、一気に漆黒の力を解き放った。
精神体である死霊そのものを一旦支配して縛り付ける為に……!
モトロは燃え始めた大地を広範囲で冷却していた。
そこかしこからもうもうと水蒸気が湧きあがり、遠くから見れば山頂付近は白い雲で覆われている事が容易に想像できる。
「ディンゴ! 火の精霊を抑え込めないんですか!」
「無理ダス。ここにはいなァ」
どうやら精霊はティアナの結界に閉じ込められているようだ。
しかも、ここで下手に火の精霊に手出しをしたら、均衡が崩れてとてつもない被害が出るだろう。
モトロは舌打ちしたい気分でこの遥か歳下のいけ好かない魔人を睨み付ける。
「じゃあ、とにかく麓に迷惑が掛からないようになんとかして下さい!」
「分がった」
モトロは変身すると、素早く火山を下って行った。四つ足で山を下ればすぐに麓だ。避難を促してくれる事を期待しよう。
「頼むから……火口以外から噴き出させないでくださいね……」
これほど広範囲を冷却した事はないので、だんだん朦朧としてくるが、倒れる訳にもいかず、モトロは額にビッシリと汗を浮かべながら必死で溶け落ちそうな足元を冷やし続けた。
死霊に精神支配が有効かどうかなど考える余裕もなく、ティアナは全身全霊を込めて死霊達に平静を呼びかける。
次第に声が聞こえなくなり、膨張していた結界も元に戻ってきた。
「……いいわね……解き放つわよ……!」
ティアナはレイモンドに抱きかかえられたまま、両手を高く掲げ、一気に結界を解き放つ。
火口からはおびただしい白い陽炎のような物が湧き上がり、空高く舞い上がった。
「魂の流れの中に……還れっ!」
ティアナの凜とした声が響き、舞い上がった陽炎はそのまま霧散した。
ティアナはぐったりと力を失い、レイモンドの腕の中で意識を手放してしまった。
空を見上げ、震える膝を叱咤しながらティアナを抱き上げたレイモンドはまるで夢見心地でポツリと呟く。
「……すっげぇ……」
ヒュウッ……と、冷たい風が頬を撫で、レイモンドは眉を寄せた。
「……え?」
急に気温が下がった。火山に何かあったのだと思い当たり、恐る恐る火口を覗き込み、レイモンドは目を疑った。
先ほどまで赤々と燃え盛り、眩しくて直視できなかったその大きな穴が、今は地の底まで続きそうな何処までも真っ暗な闇に閉ざされていたのである。
「……え……? 兄ちゃん……?」




