第119話 動き出した時
「……異国か……神話にそんな続きがあったなんて、知らなかったな。しかも……生き証人がいるとは……」
フィアードはレイモンドから聞いた話を整理しながら、深い溜め息をついた。
「……大丈夫か……? いきなりこんなに情報を突き付けられて……」
七年分の出来事を数分で語り尽くせるはずもない。取り急ぎ必要と思われる内容を次々と話すだけでも大変な事だ。
「いや、順を追って話されるより分かりやすい。当面はその異国に関する事とデュカスに関する事を中心に考えないといけないしな……」
フィアードは膝にティアナを抱いたまま、レイモンドはサーシャを抱いたまま、荷車に向かい合って座り、話をしている。その姿は一見滑稽でもあるが、とにかく情報の共有が急務である以上、致し方あるまい。
御者台に乗り、金色の犬をロバ達に並走させながら、モトロは二人のやり取りを聞いていた。
この辺りの魔物は先ほど殆ど倒してしまったらしく、特にあれ以上襲われる事なくすんなりと砦に到着した。
「おお! 戻ったか!」
砦に到着した一行を出迎えたザイールはまさに一戦交えた後の出で立ちで、いつになく活き活きとして見えた。
「ザイール殿、やはりこちらにも魔物が来ましたか」
荷車を片付けながら、モトロが確認すると、ザイールは頷いた。
「いや、手応えのない奴らじゃったな。煙のように消えてしまって……。あれは何じゃったんじゃ?」
「……神話の世にあった魔物達が……復活してしまったのです。デュカスの策に嵌りました……」
キリ、と唇を噛みしめる。まさかこんな大規模な罠を仕掛けてくるとは思いもしなかった。
「しかしまぁ、煙になるならそのうちに果てるじゃろうて」
ザイールは笑い飛ばし、ティアナを抱いてこちらに歩いてくるフィアードに気付いた。
「……お久しぶりです」
彼の中ではザイールはつい先ほどまでデュカスに操られてアルスと戦っていた印象だ。レイモンドの説明が無ければ身構えてしまったかも知れない。
「おお、戻ったか、小僧。ほぉ、少しはマシな面構えになったじゃないか」
フィアードはその呼ばれ方に思わず顔を顰めた。相変わらずの子供扱いに溜め息が出る。
レイモンドは勝手知ったるといった感じで、サーシャを抱いたまま砦の中に入って行ってしまった。
フィアードはそれを目で追いながら、チラリと腕の中のティアナに目線を落とす。
「まずは……ティアナを休ませてやりたいのですが……」
「うむ。……お主がついておる方が良いのではないのか……?」
ザイールは想い人の腕の中でスヤスヤと眠る孫娘を愛しげに見つめ、フィアードにニヤリと笑い掛ける。
「……色々と確認したい事もありますので……」
フィアードはその意味深な笑みに顔を引きつらせ、なんとか心の動揺を押し隠した。
すぐ側に控えていたモトロが肩を竦めながら一歩踏み出した。
「じゃあ、僕がお部屋にお連れしましょうか」
「ああ、頼んだ」
フィアードは頷き、白髪の少年にティアナを託す。
彼は大切そうにティアナを抱きかかえ、彼女に与えられている部屋に向かった。
「ふむ……」
二人を見送ってから、ザイールはフィアードに向き直った。以前会った時に比べて随分と落ち着いている。
七年の時を越えたというより、もっと長い年月を漂ってきたかのような、妙な存在感がある。
「……七年分の溝を埋めるのは厳しいじゃろうが、お主の弟は本当によく出来る。ゆっくり話をする事じゃな」
「……はい……。それから、サーシャの事ですが……」
レイモンドが砦の一室から出て来るのを見て、フィアードは口を開いた。
「恐らく……もし目覚めたとしても……もともと、ダルセルノによって歪められた記憶を植え付けられていましたので、現状を理解できるか分かりません」
「ふむ」
「ザイール様は確か、サーシャとは知己だと伺っていますが……」
レイモンドはそのまま、砦の兵士達に指示を出し、忙しそうに動き始めた。
「ああ。昔、剣を見てやったことがある。中々筋がいい剣士じゃったから、長男の嫁にしてやろうかと言って断られたわ!」
ザイールはカカカ、と笑った。当時の彼女は仮面をしていて、欠片持ちだとは分からなかったのだ。今となってはなぜ断られたのか分かるが、当時はかなり立腹したものだ。
「……それで……あの、もしよろしければ、この砦で彼女を診ていただけないでしょうか。多分……、再建された村や我々の姿を見ると、かえって混乱を招くと思いますし」
フィアードの提案はもっともだ。よく知る人物の変貌が一番混乱を招く。むしろ、付き合いの浅い彼が近くにいる方が問題はないだろう。
「ふむ。じゃが、この砦は防衛の要。平穏な暮らしは望めんが?」
「構いません。恐らく……彼女は戦っている方が気が紛れると思いますので。……これはレイモンドと決めた事です」
「成る程な。じゃあサーシャ殿は砦の戦士として預かっておこう。……して……約束の地へはいつ出立するのじゃ?」
「……ティアナが目覚めてから相談します」
咄嗟に地名に反応できず、少し考えてから、その名が火山の麓の温泉地である事を思い出す。
その地には確か、黑の長老がいるという話だったか……。
フィアードが眉間に皺を寄せて膨大な情報を整理する姿を見て、ザイールは申し訳なさそうに肩を竦めた。
「そうじゃな。あまり無理はするな」
「すみません……」
「弟達と同じ部屋がいいか? それとも一人の部屋が必要か?」
ザイールの申し出にフィアードのハシバミ色の目が揺れる。
「……そうじゃな、客間を一つ用意しよう。お主は今晩はそこに泊まれ。……ゆっくり眠るといい」
「……ありがとうございます……」
フィアードがホッと肩の荷を下ろす様子に、ザイールは目を細めた。
わずか数時間で七年間の出来事を理解しろという方が無理な話だ。だがレイモンドは、今まで背負ってきた荷を早く兄に渡したくて仕方がないらしい。
せめてゆっくり眠らせてやらねば、フィアードの精神がもたないだろう。
フィアードに案内の兵士を付けさせ、ザイールはサーシャが寝かされている部屋に向かった。
◇◇◇◇◇
ハシバミ色の目がこちらを見つめている。言葉にするよりも早く、自分の意を汲んで動いてくれる。当然のように寄り添って、一緒に魔力を放つあの感覚は……忘れようもない、かつての輝かしい記憶。
「ダイナ様」
「陛下」
「ティアナ」
同じ声……だが込められた想いは異なる響きで、そして異なる呼び方をする。それでも……彼は彼だった。
「……フィアード……」
やっと……会えた。
始めて、彼の隣に胸を張って立てる自分になれたと思った。与えられた力ではなく、自ら鍛え上げた力。それは誇りとなって魂を輝かせてくれる筈だ。
「私を……見て……」
会えば、すぐに距離が縮まると思ったのに。どうしてこんなに不安なのだろう。
手を伸ばせば届く所に彼がいるのに、怖くて手を伸ばせない。
それでも、一緒に戦えた。寄り添ってくれた。かつてのあの記憶のように。嬉しくて、無我夢中で力を放った。そして、彼の匂いに包まれて眠りに落ちた。
「……ん……」
軽く寝返りを打つと、軽く弾力のある感触と、サラサラとした肌触りを感じ、いつの間にか寝台に寝かされていた事に気付く。
ぼんやりと目を開けると、心配そうに自分を覗き込んでいる水色の目に気付いた。これは……あの皓の魔人の少年……モトロの目だ。
「ダイナ様、大丈夫ですか?」
咄嗟に反応できず、ティアナはゴクリと息を飲んだ。ここは……何処だ。今は……何時だろう。彼は一体どのモトロだろう。
「くぅ……ん」
寝台に擦り寄る金色の犬を見て、カチリと記憶が嵌まるような感覚が起こった。ディンゴの手前、「ダイナ」と呼んだのか、と思い当たりホッとする。
「おはよう……モトロ。みんなは?」
フィアードは? と聞けなかったのは、あれが夢かも知れない、と思ったから。
「まだ真夜中ですよ、ダイナ様。お昼からずっとお眠りでしたからね。何か食べる物を運ばせましょうか」
「ワン!」
ディンゴが尻尾を千切れんばかりに振りながら部屋を出て行った。すっかり犬が板に付いてしまっているが、本当にあれでいいのだろうか、と苦笑していると、モトロがティアナの肩に上着を羽織らせた。
「フィアードさんは大分お疲れのようだったので、早めにお休みになられました。レイモンドは引き継ぎの書類を作ると張り切って、まだ起きていますよ」
「……そう……。ありがとう」
夢じゃなかった。ティアナの胸が早鐘を打つ。
「ティアナ様、大分無茶をされたのではないですか?」
「仕方ないわ……。これでもその場しのぎにしかならないし……」
各地に魔力を還元して、魔物から守る為の結界を張る。そんなとんでもない荒技のお陰で、その身から溢れ出していた魔力はすっかりなりを潜めてしまった。
「これで本来の魔力よ。これ以上はいらないわ」
ティアナが笑うが、モトロはキリリと唇を噛む。
「……嘘はいけませんよ、ティアナ様。子供の頃の貴女でさえ、今の貴女よりも魔力が溢れていました」
「……怖いわね……」
モトロの顔は真剣そのものだ。
「魔物を抑え込むのは勿論重要な事ですが、ご自分の身を守れる程度の魔力は残しておいていただきたい。それでは僕とあまり変わらないじゃありませんか」
「充分でしょう」
ティアナが言うと、モトロは更に厳しい顔でティアナを睨みつける。
「またあの男が何か仕掛けてくるかも知れないんですよ?」
ティアナは肩を竦めた。モトロが本気で心配してくれているのが分かるだけに、邪険にも出来ない。
「……分かってるわ。大丈夫よ。もう少し休めば、それなりには回復する筈だから……」
「……それならいいのですが……」
各地に結界を張るために、かなり時間を止めてしまった。意識して時間を止めたのは始めてだったので、それで消耗した魔力がどの程度で回復するのかは分からない。
フィアードであれば何か分かるのだろうか。
「……フィアードの様子はどうだった?」
「思った以上に落ち着いておられたので……それに驚きました」
「そうなのよね……」
気がつけば七年の月日が流れていたのだ。その割には驚きや戸惑いが少なすぎて不思議に感じた。
「デュカスを時空の狭間に封じ込めるという作戦を考えられたのですから、ある程度想定の範囲内だったのでしょうか……」
「そうね……」
ティアナは首を傾げた。彼女の記憶が確かならば、この時代のフィアードはそれほど冷静沈着という感じではなかった筈だ。あの様子はまるで……そこまで考えた時、扉を叩く音がした。
「ダイナ様……」
人型のディンゴが食事を運んで来た。肉と野菜を煮込んだ美味しそうな匂いに食欲を刺激され、朝から殆ど何も食べていなかった事を思い出した。
「ありがとうディンゴ。いただくわ」
ティアナは考える事を中断し、目の前に置かれた夜食に手を伸ばした。




