第116話 好敵手
「……申し訳ありません。ディンゴは……その……子供の頃から変身した姿で暮らす時間の方が長く……言葉が不自由なのもその為なんです……」
全てが落着して砦に戻り、気が付けばまた犬の姿でつきまとうディンゴに戸惑うティアナに、オセロットが説明した。
「……そうなの……」
ティアナは赤面しながらディンゴを見る。犬だと思っていたので、普通に寝室で一緒に眠っていた。流石に寝台には入れなかったが、寒い夜なら招き入れていたかも知れない。
「……あの、実際の年齢も十歳程なので、お気になさらず……」
「はぁっ?」
ティアナは人型のディンゴを思い出し、眉を寄せた。どう見ても二十代の青年である。
「我々は他の魔人よりも成長が早いのです。七歳ほどで成人の体格になります。寿命は人間より少し長い程度です。火の精霊の影響でしょう」
「そうなんだ……」
自分を含め、多くの魔人達との付き合いで、外見と年齢が当てはまらないのには慣れていたが、まさか精神年齢が子供で身体が青年だとは。
「……じゃあ、犬の姿でいてもらった方がいいかも……」
「ワンッ!」
心得た、と返事をしてティアナの前に座る姿は凛々しくて毅然としている。その見事な金の毛を思わず撫でかけて躊躇してしまう。
「クゥン……」
ディンゴが自分から身体をティアナの手に擦り付けると、そのフカフカとした毛並みにウットリとしてしまう。
「……うう……可愛い……」
本当ならばギュッと抱き締めて、そのフカフカモフモフに顔を埋めたいが、モトロとレイモンドが少し離れた所から冷ややかに見ているので、グッと堪える。
「……便利な変身能力ですね……日常生活が送れるのは羨ましいです」
ディンゴを見下ろすモトロの目が怖い。皓の魔人は魚の姿で水の中を自在に泳げ、碧の魔人は鳥の姿で空を飛べるが、その姿で眠る事は出来ない。
魔人に変身能力がある事は分かっていたが、普通に寝起きしている犬がディンゴだなどと気付く訳がない。身体の構造があまり変わらないからこそ、日常生活が送れるらしい。
「何度も申し上げようとしたのですが……、本人が言うなと申しまして……」
オセロットが恐縮している。あんな事があった直後だっただけに、もし犬の正体を知っていれば、早々に叩き出されていただろうが。
「まあ……お陰で助かりましたけどね。僕は魔力を大分使った後でしたから……」
まさかティアナがあんな下衆に遅れをとるとは思わなかったのだ。
それでもモトロはディンゴにティアナを助けられた事を腹立たしく思っている。
「ごめん。自分の武器をあんなにひどい状態で使い続けられるなんて信じられなくて……」
毒を塗った剣や、錆び付いた剣、血に染まった直後の剣であれば簡単に避けられたのだが。
ティアナは苦笑した。まあ、剣戟の結界を張っていたので、なんとかなったとは思うが、身体が竦んだのは事実。ディンゴに助けられたのも確かだ。
「ありがとう……ディンゴ」
「ワンッ!」
得意気に胸を張る犬を蹴りつけたい衝動を抑えつけながら、モトロはオセロットに向き直った。どうもディンゴとは相性が悪そうだ。
「オセロット、僕とディンゴはダイナ様の側近として彼女をお守りする事になるかと思いますが、構いませんか?」
「もとよりそのつもりです。本人もそのつもりで、より機敏に動ける姿を取ったものと思われます」
オセロットは頷き、レイモンドに促されて着席した。
神の化身はもう姿を現してしまった。これからは様々な思惑が彼女を狙ってくる。それらから彼女を守る為に、全員の行動を明確にしなければならない。
ティアナを始め、ザイール、レイモンド、モトロ、オセロット、ディンゴ、ランドルフは砦の会議室に集められた。
「それでは、この後の皆様の行動を確認しておきます。まずはダイナ様」
この場を議長として取り仕切っているのはレイモンドである。女帝としての仕事はダイナの名でこなすことにしたティアナは頷いて全員をぐるりと見渡した。
「取り急ぎ、フィアードの解放を行います。彼には内政と魔術の研究を取り仕切って貰うことになります」
「そうですね。それでは、砦はザイール殿、オセロット殿にお任せし、内政はランドルフが中心に下地を整えて下さい」
レイモンドが慣れた様子で次々と指示を出す。能力も目的もバラバラな冒険者をまとめるのに比べると、ティアナという旗印とザイールという後ろ盾があるので、人員配置は格段に楽だ。
レイモンドは更に三名に向き直り、様々な資料を片手に細かな確認を始めた。
ティアナはその様子を見やりながら、モトロと犬の姿のディンゴに語り掛ける。
「じぁあ……明日、封印を解きに行くのは、私、レイモンド、モトロ、それからディンゴ……ね」
「ワンッ!」
ノリノリのディンゴを睨みつけながら、モトロは頷き、こそりとティアナに耳打ちする。
「デュカスに名を知られているのは誰ですか?」
「彼は火の国にいたから……ディンゴね。それから、サーシャからレイモンドの名がバレるかも知れないわ」
「レイモンドも……ですか……それは厳しいですね」
確実に名を知られていないのはモトロだけだ。ティアナは奥の手を使うかどうかまだ悩んでいた。
◇◇◇◇◇
深夜、寝付けないレイモンドが砦の屋上に向かうと、ティアナがぼんやりと佇んでいた。
「……どうした?」
「あ……レイモンド……」
「眠れないのか……」
無理もないだろう。ようやく封印を解けるのだ。
レイモンドはティアナの隣に立ち、満天の星空を仰いだ。
「ねえ……レイモンド……この間言っていた事なんだけど……」
「……ああ……」
デュカスに名を奪われる前に、ティアナの支配下に入っておく、という話だろう。レイモンドはゴクリと息を飲んだ。
「……貴方はね……対等だった……。女帝の私に食って掛かったの……」
小首を傾げてクスリと笑うティアナの目は、彼を通して少し遠くを見ているようだった。
「ティアナ……?」
何の話をしているのか全く見えず、レイモンドは眉を顰める。
「だからね、本当は……ずっと対等でいて欲しい。貴方が私も含めて誰かの配下に入るなんて……耐えられない……」
「お前、何言って……」
女帝たる者の言葉とは思えない。レイモンドは戸惑いながら、すっかり見慣れたティアナの色違いの双眸を見つめる。
「私、多分……貴方と向き合う機会が欲しいのかも知れないわ」
好敵手として……。言外に言われて、レイモンドは肩を竦めた。
「俺はお前と敵対する気は無いぞ?」
「私と貴方、どちらが為政者に相応しいか……。私、貴方が世界を統べるべきだと思ってたの」
「おい!」
とんでもない台詞だ。誰かに聞かれたら自分の身が危うい、思わずレイモンドはキョロキョロと周囲を見渡した。
「ごめんなさい」
ティアナは溜め息をついた。
「意味が分からん。俺がどうするって? お前が世界を治めるんだろ? 俺はその補佐として影で冒険者をまとめる。それじゃダメか?」
「多分ね……貴方を抱え込むのは、私にとって諸刃の剣なのよ……」
反対勢力がレイモンドを担ぎ上げる可能性は高い。そうなった時、自分はどうするだろうか。ティアナは青緑の目をジッと覗き込んだ。
「俺にとってお前は大事な預かり物だ。俺の弟子で、一族の旗印で、それから兄貴とアルスさんの宝だろ」
「レイモンド……」
ティアナは大きく息を吐いた。彼が大切な存在なのは間違いない。そして、彼がデュカスにいいように操られるのは困る。
「デュカスはね、操るというより……負の感情を刺激して、目的を狂わせる感じらしいわ。本人は操られている意識が無いの」
あの会議の後、実際に操られていたザイールに確認した話だ。それを聞いてレイモンドは苦笑する。
「それは……厄介だな」
ティアナ、フィアードに対する負の感情に心当たりが多すぎるレイモンドは、付け入る隙だらけではないか。
「フィアードは、私と水晶で繋いで、自分で自分を支配して逃れていたわ」
ティアナは七年間ずっと身に付けてきた水晶の首飾りに触れる。彼を解放すれば、また繋がるはずだ。
切なげなその表情を見ると、ズキンと胸が痛む。
レイモンドはその負の感情とやらがムクムクと頭をもたげるのを抑え込めなかった。
「ティアナ……ちょっと……いいか?」
「な……?」
答えるより先に、レイモンドの唇がティアナの唇に重なった。
ほんの一瞬、かするような口付けに、呆然とするティアナを抱きすくめ、レイモンドは耳元に囁いた。
「あんまり期待させるなよ。どうせ兄貴が戻って来たら、お前の横に俺の居場所は無くなるんだから……。操ってでも好きにこき使えばいい」
「レイモンド……」
「こんな邪な奴、付け込まれたら最後だぞ。デュカスに襲われたら抵抗できるくせに、俺が襲ったら泣きながら受け入れそうだもんな……お前……」
抱き締められたまま、抵抗をしないティアナに呆れたレイモンドが溜め息をつく。
「おい、本当に襲うぞ。いいのか?」
「良くないよ……。だけど……信じてるもん……」
ティアナの言葉に、レイモンドは空を仰いで、ゆっくりとティアナを解き放つ。
「ひでぇな……。最強の殺し文句だ」
「うん。だから、レイモンドはそのまま……変わらないでいて欲しい。誰の支配も受け付けない……そんな人でいて欲しい。それが私のお願い……」
ティアナは精一杯の魔力を言霊に乗せて、レイモンドに対する精神支配への耐性を植え付ける。これでレイモンドもアルスと同じように、誰の支配も受け付けない勇者となった筈だ。
レイモンドは自分を取り囲む言霊の守護にゴクリと息を飲んだ。ハッキリと自分が守られているのを感じる。
「レイモンド……明日は宜しくね。多分、デュカスと戦えるのは貴方だけだから」
敵は魔術のみならず、高度な剣術も操る。フィアードでは話にならなかったのだ。レイモンドならばいい勝負だろう。魔術抜きの場合であるが。
「私が魔術面で対処するわ。だから貴方が正面に立つことになる。お願いするわね」
「兄貴を解放するのは、俺にとっても悲願だからな。むしろその後の方が心配だけどな……」
「解放後……ね。デュカスがどう出るか……何か企んでると思うけど、全く予想が付かないから……」
「すぐにデュカスだけ封じ直せるのか?」
「それも……その時にならないと分からない。行き当たりばったりになってしまうけど……、貴方なら……それも得意よね」
ティアナが試すような目線を投げかけてくる。
「……まあな……。なんか、お前に支配された方が気楽だった気がするけど」
「だから、貴方は私の好敵手なの。そんな楽はさせないわよ!」
諸刃の剣を抜き身のまま、近くに置く。ティアナは本人との絆を信じ、敢えて懐に取り込まない道を選んだ。
この選択こそが、後に帝国と勢力を二分する冒険者協会の対立を招くことになるのであるが、それはまだこの二人にはあずかり知らぬ事であった。




