第115話 海上の華
帆船が近付いてくると、一斉に大砲がこちらを向いた。
少しでも近付くと、容赦なく弾が飛んでくる。
「……ううむ……これでは交渉どころではないな……」
すぐ近くで水柱が上がる。ザイールは両手を挙げ、敵意がない事を示すが、どうやらそれでは通じないようだ。
仕方がないので、舟に同乗させた捕虜を矢面に立たせておく。
「ランドルフ、交渉に来たのだと伝えさせろ」
「はい。分かりました」
ランドルフは捕虜に向き直った。
『我々は攻撃を加えるつもりはありません。お互いの為に交渉に臨んでいただきたい。その旨をどうすれば伝えられるのだ?』
ランドルフが問うと、捕虜は後ろ手で縛られたままギロリと彼を睨み付けた。
『野蛮人が! 我らがお前達と対等な立場で交渉などすると思うか!』
言い捨てると、ペッとランドルフに唾を吐きかけた。
「……成る程……交渉する気もないのか……」
ザイールは捕虜の腕をひねり上げる。
「おかしいですね。弾薬はともかく、食料はどうしているのでしょう」
ランドルフは冷静に唾を拭き取ると冷ややかに帆船を見上げた。
「お前達も乗っていたのだろう? 何か特殊な食材とか出なかったのか? 船内で何かを栽培しているのかも知れん」
ランドルフは首を傾げた。捕虜であった彼等の食事は穀物と干し肉ばかりだった。船内で栽培出来るような芽野菜などは無かったはずだ。
『お前達は何を食べているんだ』
純粋に疑問を抱いて問いかけた。
『くくく……! そんなもの、役立たずになった奴隷を喰えば済む話だ。我らの国には人なら掃いて捨てるほどいるからな』
ランドルフは耳を疑った。あまりにおぞましい事を聞いて、血の気が引いていく。
そういえば、出港時に多勢いた奴隷が大分減っていた気がする。それではあの干し肉はもしや……!
「……どうした。顔色が悪いぞ。こやつは何を言った」
ザイールか眉を顰める。どうやらこの捕虜には品性が見受けられない。人選を間違えたな、と舌打ちする。
「……人を……喰っていると……」
言いながら、ランドルフの喉が妙な音を立てる。今にも吐きそうになり、片手で口を覆った。
「……成る程な。お主らも残っておったら喰われとったかもな……」
ザイールは目を細め、捕虜を乱暴に座らせた。舟が揺れ、ザプンと海水が舟に入ってくる。
「あっぶねぇな! おい、舟を沈めないでくれよ! これ以上進むのもごめんだ。魔人はどうした。奴らがいれば大丈夫だろう?」
漁村の長である船頭が舵を操りながら、ザイールに抗議する。
「すまんな。これでは交渉にならんな。魔人を乗せなかったのは敵意が無い事を表すためじゃったが……。やはりあやつに立ってもらわねばならんか……。戻るぞ」
ザイールの合図で舟は漁村に引き返し始めた。
「……交渉決裂ね……」
「そもそも、交渉する気も無いって事だろ?」
「そうね」
ティアナの言葉に望遠鏡から目を離してレイモンドが補足を入れる。
こちらに戻ってくる舟に大砲が向けられたままなのがそれをハッキリと示している。
「それでは、貴女が直接出向く事になるんですか?」
「そうなるわね」
ティアナは肩を竦めた。ここはザイール達だけで何とかして欲しかったが、どうも一筋縄ではいかないらしい。
あの船が残ってこの漁村に睨みを利かせている以上、封印を解く事は難しいだろう。
「彼等があそこに停泊しているのは何故でしょう……」
「そう言えばそうね」
モトロの意見にティアナは頷いた。二ヶ月もの間、あの船はあの場所から動かないらしい。
「故障してるか、座礁してるか……。誰も降りてきていないようだが……」
「はい。ずっと見張っていますが、船を降りる人影は見受られません。あの辺りは岩礁になっているので、座礁も考えられます」
オセロットの言葉を受けて、レイモンドは冷静に望遠鏡で船の様子を見る。砲台の影にチラチラと人影が見える。
他にも船内に人が動いているので、船を乗り捨てるつもりもないようだ。
「仲間の船が近付いている可能性もあるな」
ポツリとレイモンドが呟くと、ティアナは大きく頷いた。
「……さっきもやけに強気に威嚇してきたものね……」
捕虜を乗せて交渉に向かう舟に容赦なく砲弾を撃ち込んでいた。弾薬に余裕があると見せたいのだろう。
「遠くの仲間と連絡を取る、私達の知らない手段があるのかも知れないわ」
ティアナは爪を噛む。何と言っても異国の文化の発達ぶりは彼女達の想像を超えている。
「もし仲間が近付いているなら、早い内にあの船をなんとかした方がいいでしょうね」
「そうね。……お祖父様達が戻ったらすぐに名付けを済ませ、明朝、私があの船に向かうわ。それでいい?」
「はい」
ティアナの決定に三人は頷き、ザイール達を乗せた舟が戻るのを待った。
◇◇◇◇◇
漁村は海門の村と名付けられた。
翌朝、ティアナは村で一番小回りの効く舟にモトロと二人で乗り込んだ。ランドルフが体調を崩したので、交渉にはレイモンドとザイールも同席させる予定だが、それ以前に、彼等の頭を引きずり出さなければならない。人肉の件を聞き、交渉を急ぐことにしたのだ。
場合によっては力技でねじ伏せる事もやむを得ないだろう。
「じゃあ、頭を見つけたら、連れて転移するわね」
「無理はするなよ」
レイモンドは転移された敵を素早く捕獲できるように準備を整えながら厳しい顔でティアナを見る。
「勿論。こんな立ち回り、久しぶりね。少しワクワクするわ」
「それが心配なんだがな……」
彼女は時々やり過ぎる事があるからだ。
レイモンドの心配をよそに、ティアナは腰の剣に手を添えて停泊している帆船を見遣った。目を細めると、遥か彼方に同じような船影が見えるが、恐らくそう簡単に合流は出来ないだろうと思い、レイモンドとモトロ以外にはその事を話していない。
「じゃあ行くわよ、モトロ」
「了解しました」
モトロが舟を進めようとしたその時、海岸を駆けてきた金色の影が舟に飛び乗った
「あっ!」
居残り組が全員息を飲むが、舟はものすごい勢いで帆船に向かって滑り出していた。
動いている舟の上に難なく着地した犬を見て、ティアナは目を丸くした。
「……クゥン……」
「ついて来ちゃったわ……」
ティアナは叱らないで、と言いたげに足元にまとわりつく金色の犬を困った顔で見つめた。
「困った犬ですね。……自分の身は自分で守ってもらいましょう」
「ワンッ!」
相変わらず、言葉が通じるようなタイミングで吠える犬である。
二人は肩を竦めてすぐに視線を帆船に戻すと、大砲がこちらに狙いを定め始めたところであった。
「来るわよっ!」
ティアナは念の為に強固な結界を織り上げて舟を包み込んだ。
「了解っ!」
モトロは魔力を高め、大砲の向きと自分達の位置関係を冷静に分析する。
ドォーン! ドォーン!
大砲が一斉に火を噴き、大きな鉄球が次々と降ってくる。
モトロが水を巧みに操り、その隙間を縫うように舟を滑らせるので、ティアナ達のの左右で次々と水柱が上がった。
水飛沫は結界に阻まれて届かない。
「上手いっ! 流石ね!」
「無駄口はやめて下さい!」
ティアナの言葉にモトロは少し照れながら、それでも冷静に水を操り続ける。
大砲は一定のリズムで次々と火を噴く。昨日、一旦舟が近付いたことで、攻撃の準備の時間を与えてしまったようだ。
ジグザグと海上を滑り、水柱を次々と上げながら、舟はジワジワと帆船に迫った。
帆船を見上げる程近付くと、モトロは進路を大きく変え、船の周りをぐるりと一周する。
兵士達はそのあまりもの速さに甲板を右往左往して必死で砲台を操作して砲弾を放つが、余りにも近すぎる的にかする事もできない。
そんな彼らの中央で顔を真っ赤にして怒鳴り散らしている男がいる。あれが恐らく頭だろう。
「この辺りは大分水深が浅いわね。やっぱり座礁してるのかしら」
近付いて見ると、帆は舵と繋がっておらず、ただ風に任せてその布に空気を孕ませているだけである。
やがて、砲弾の数が減り始め、砲撃が止んだ。砲弾が尽きたのか、砲台が限界を迎えたのかは分からないが、それが合図になった。
「行くわよ」
ティアナが言うと、モトロは魔力を一気に解き放ち、舟の周りの海水を凍らせ、それを持ち上げるように大きな氷柱を出現させた。
海上に大きな氷の華が咲き、その先端から舟がふわりと浮かび上がった。
太陽の光を背にキラキラと輝く氷の華と、その上に浮かぶ舟を見て、兵士達は目を疑った。
『な……何だっ!』
『お……女……?』
『空飛ぶ舟だっ!』
乗組員達が腰を抜かして舟を見上げ、そして舟上の人影に息を飲んだ。
薄緑色の髪をふわふわと舞い上げ、彼等を見下ろす二色の双眸。その色は左が光そのものを宿したかのような白銀、右は闇を写し取ったかのような漆黒。
そのような色彩を持つ存在を、彼等はお伽話として聞いてきた。
舟が甲板の上にゆっくりと着地する。
『か……神の……』
腰を抜かし、甲板に座り込む乗組員達の前にその存在は優雅に降り立った。
『私の声が聞こえますか?』
乗組員達は自国語で神の化身が喋り出した事に度肝を抜かれた。
伝説によると、化身が生まれるのはこの大陸の筈。何故異国の言葉を喋れるのか。
そして、言葉の壁すらものともしないその事実こそが、彼女が本物の神の化身であると結論づけ、その場に次々と平伏したのである。
『貴方がたの中心となる者はどなたですか? 私はその者とゆっくり話がしたいのです』
化身の両脇には乳白色の髪の少年と金色の毛の犬が佇んでいる。
乗組員達はオロオロと自分達の命運を握る頭の方を見遣った。
『なんだ……この女……! どうやったか知らんが、見事に神を再現しやがって……罰当たりな奴だっ!』
先ほどから兵士達を怒鳴り散らしていた髭面の山のような体躯の男が腰の段平を抜いて一気に床を蹴った。
手入れされていない段平の刃にはおびただしい量の血が黒くこびりついていて、そのあまりもの禍々しさと生臭さに思わずティアナは目を見張った。
触れただけで病気になりそうなその段平の刃が振り下ろされ、ティアナの身体を切り裂こうとしたその刹那、
「ダイナ様っ!」
モトロが氷の刃を放つより一瞬早く、炎の鞭が男の段平を捕らえ、こびりついた脂に引火してメラメラと燃え上がった。
「ぐおおっ!!」
男の身体は炎の鞭に弾き飛ばされ、甲板の上に叩きつけられた。段平から袖口に火が燃え広がり、男が汚らしい悲鳴をあげる。
「……大丈夫だが?」
「……え……?」
ティアナを守るように立っていたのは鮮やかな緋色の髪の青年であった。
「……ディンゴ……!」
ここにいる筈のない魔人の登場に、ティアナもモトロも驚きを隠せない。そして、あの金色の犬の姿が見えない事に気付いた。
「後で……説明すド……」
男の段平はまるで飴のように溶け落ち、男は全身を炎に包まれてのたうちまわり、やがて動かなくなった。
『あ……お頭が……死んだ?』
『や……やったぞ!』
乗組員達は涙を流して手を取り合って喜び、ティアナを讃え始めた。
『おお……神よ! 我らを悪よりお救い下さり、誠にありがとうございます』
船はやはり座礁していた。それを大陸側に知られて大砲を奪われるのを防ぐ為に、だれも船から下りる事を許されなかったらしい。
軍事国家を築いていたのは人肉をも厭わずに食する一族であったらしく、兵士達はその存在を恐れて言いなりになっていた。
実際に奴隷を手に掛けて食料としていたのはかの一族だけで、他の者達はこっそりと魚を捕らえて食い繋いでいたらしい。
ランドルフはそれを聞いて気が抜けたのか、しばらく高熱にうなされていた。
離れて様子を伺っていた船はランドルフ達が世話になった商船であり、隙を突いて大砲を奪うつもりだったらしい。
紅白の魔人を従えた神の化身の少女はこうして歴史の表舞台に颯爽と現われたのであった。




