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第114話 女帝の犬

「……ご無事で何よりです……」


「おい、あいつは何処に行ったんだ!」


 砦に戻ると、モトロはホッとしていたが、レイモンドは姿を消したディンゴの事を探していた。


「……レイモンド、悪気があった訳じゃないみたいだし……」


 殺気立っているレイモンドを宥めながら、ティアナはディンゴの姿が見当たらない事に気付いた。


「彼はどうしたの?」


「レイモンドが斬り付けたんです」


「ええっ!」


「お前も殺す気満々だっただろ!」


 どちらかと言うと、殺気立っていたのはモトロの方なのに、ティアナの前ではそれをおくびにも出さない。本当に食えない奴である。


「レイモンドの剣で傷を負い、僕の攻撃を避けて窓から外へ逃げました。あのような姿で逃げるのもどうかと思いますが……」


「窓の向こうは……私がいた森ね……」


 あのような姿で何処かに隠れているのだろうか。しかも、傷を負っているとは。


「……申し訳ございません。恐らく……彼は、しばらく御前には現れないかと思われます……。我等で責任を持って保護いたしますので……」


 オセロットの言葉にティアナは唇を噛んだ。


「……私、悪い事をしたわね……」


「いやいやいやいや!」

「貴女は悪くありません!」


 二人が同時に首を振ふる。


「そもそも、男と女では訳が違います。同じようにしようとする時点で大問題です!」


「そうだ。怖い思いをしたのに、庇う必要はないんだぞ!」


 レイモンドに言われ、ティアナは小麦色の肌を思い出し、ボンッと一気に顔を赤らめた。

 真正面から見てしまったのだ。あんなにハッキリと男性の裸を見たのはこれまで(・・・・)にも無かった事だ。


「……だ……大丈夫よ……」


 ティアナは動揺を隠すために寝台に残る血痕と壊れた窓に手をかざし、元の状態に戻した。


「クゥ……ン」


 部屋を元の状態に戻し終えると、いつの間にか部屋まで上がりこんでいた金色の犬がティアナにすり寄って来た。


「なんだ、この犬……」


「森で怪我してる所を治してあげたら、懐かれちゃったみたい」


「立派な犬ですね」


 二人がその立派な金色の毛並みに感心していると、犬は得意げにティアナの前に座り、ゆっくりと身体を伏せた。


「……大人しい犬ですね。賢そうですし……」


「丁度いい。こいつに番をしてもらえよ」


 もう夜も更けた。今から外に出しに行くのも面倒だ。


「……それもそうね」


「……宜しいのですか?」


 オセロットだけが眉を顰め、その犬を睨み付ける。

 犬も耳をピンと立ててオセロットに向き直って牙を剥き出しにして威嚇する。


「ちょ……ちょっと……!」


 慌ててティアナが背中を撫でてやると、犬は落ち着きを取り戻した。どうやらオセロットとこの犬はあまり相性が良くないらしい。


「……何か不都合があるのかしら? 飼い主の許可がいる?」


 ティアナはこの賢そうな犬をとても気に入ってしまった。今更返せと言われても寂しいので、出来れば今夜ぐらいは一緒にいてやりたい。


「いえ……ダイナ様の御心のままに……」


 結局その日の晩、金色の犬はティアナの部屋の寝台の下で眠った。


 翌朝になって砦の兵士達に聞くと、誰の犬という訳でもないらしい。時々砦にやってくる聞き分けのいいとても賢い犬だと皆が口を揃えていた。


 犬はティアナにベッタリで、常にその半歩後ろを付き従って歩くようになった。

 そうなってみると、ティアナは漁村に行ったり封印を解いたりするのに邪魔になるのではないかと心配し始めた。

 だが、モトロは探るような目つきでその犬を見つめて言った。


「……猟犬のようにも見えますね……。まぁ、連れていても問題はないんじゃないですか?」


「自分の身は自分で守れるだろ」


 しっかりした体躯の犬だ。その強さは恐らく狼にも引けを取らないだろう。レイモンドはその見事な毛並みに感心する。


「でも……怪我をしてたわ」


 傷はそれほど深くなかったが、出血が酷かった。刃物による傷に見えたが、何故あんな傷を負っていたのだろうか。

 森の中で盗賊にでも斬り付けられたのだろうか、と考えると心配になる。


 ティアナは動物が好きだ。移動手段として旅を共にしてきた馬やロバはもちろん、様々な村で出会った犬や猫ともすぐに仲良くなり、旅に同行させたいと常々思っていたのだ。

 だが、動物を飼うには状況が悪すぎる。


「この先はデュカスも絡んできて、今までより危険だから心配で……」


「まあ、どうやらこの犬の意思でティアナ様のお近くにいるみたいですし、誰の犬という訳でもないならば構わないと思いますよ」


 モトロの言葉を聞きながら、ティアナは厳しい顔で犬の頭を撫でた。それは分かっているが、自分の身を守れるか分からない時に、この犬を守れるか自信がないのだ。


「仕方ねぇな……」


 煮え切らないティアナの態度に溜め息をつき、レイモンドは犬の前にしゃがみ込んでジッとその金色の目を見つめた。


「おい、お前。俺達の手を煩わせないって約束できるなら、一緒にいてもいいぞ。もし、足手まといになれば、この砦に置いて行く。いいな?」


「ワゥッ!」


 犬は元気に吠えた。まるで言葉を理解しているような顔に、レイモンドは小さく頷く。


「ま、これで約束したからいいだろ。足手まといになったら即退場だ」


 レイモンドが立ち上がると、犬は元気に尻尾を振ってティアナの手をクイっと持ち上げた。


「……約束するって……言ってるみたい……」


 犬はその場に座り、キラキラと輝く目でティアナを見つめた。


 ◇◇◇◇◇


 漁村に到着すると、ティアナはその濃い潮の香りを目一杯吸い込んでグルリと村を一望した。


 海岸には網を積んだ船が何艘か繋がれており、海の上は張り出した高床の船屋と思われる建物が立ち並ぶ。

 その一部は現在修復中で、異国からの襲撃があった事を思い起こさせる。


 海辺では女達が網の手入れをしたり、海藻や開いた魚を天日干ししていた。


 漁から帰って来た漁師が桶に入った魚を運び、こぼれ落ちた魚を物陰から見ていた猫や海鳥が掠め取って行く。


「あの舟を借りて帆船に近付き、攻撃したのです」


 オセロットが説明しながら、一際大きな舟屋の階段を上り始めた。


「満潮になれば、舟屋の一階は海と繋がります。この漁村の長はその時に帰ってきますので、中でお待ち下さい」


 オセロットの案内で三人は階段を上る。当然のように金色の犬も階段を上ろうとして、オセロットに睨み付けられた。


「……貴方は外で待機していなさい」


 犬は耳を倒し、尻尾を下げ、スゴスゴと後退って舟屋の脇に座り込んだ。


 オセロットはそれを見て溜め息をつくと、三人に続いて舟屋の階段を上った。



「中は案外広いのね」


 仕切りの無い室内は広々としており、三人は床に敷かれた毛皮の上に直接腰を下ろした。

 大陸中を旅した三人は、名付けの第一歩として、その土地に応じた風習にいち早く馴染む事を大切にしてきた。その結果、自分達の常識に囚われずに行動できるようになっていた。


 遅れて入って来たオセロットは窓際から鉤付きの長い棒を取って来て、部屋の中央にツカツカと歩いて来る。


「……何?」


「失礼します」


 首を傾げるティアナに頭を下げると、天井の金具にその棒の先を引っ掛けてカチャリと引き下げた。


 天井の一部が扉のようになっており、パカリと内向きに開いた。そしてその奥にある金具に鉤を掛け替えて引き下ろすと、複雑に折り畳まれた木材がそれぞれ噛み合いながらゆっくりと床に降りてきた。


「まあっ! 凄いわ!」


 何もなかった部屋の中央に人一人が上れる程度の幅の階段が現れたのだ。

 ティアナは目を輝かせてその階段の先を見上げた。


「ダイナ様、この上が物見櫓となっております。望遠鏡もございますので、帆船の様子をご覧になりますか?」


 そうだ、今日はこの村の長が舟を出し、ザイールとランドルフが異国人との交渉に出向いている筈だ。ティアナはゴクリと息を飲んだ。

 その気になれば、望遠鏡など無くても様子を見れるのだが、他の二人にも見せてやった方がよいと考えて頷いた。


「では先に上りますので、ついて来てください。お足元にお気をつけて……」


 オセロットが先に上がり、その後に続きながら、二人に目配せする。


 レイモンドは頷いて彼女のすぐ後ろを上ろうとして、いきなりモトロに腕を引かれた。


「僕が先に行きます」


「なっ!」


 魔人の馬鹿力で引き離されるとなす術もない。

 モトロはその急な階段をティアナのすぐ後ろから飄々とした表情で上って行ってしまった。


「……何なんだよっ!」


 (あか)の魔人達を受け入れてから、モトロの様子がおかしい。妙に好戦的だ。レイモンドは人知れず肩を竦めてスタスタと階段を上って行った。



 舟屋の屋上から更に梯子を上って、物見櫓に到着した。

 櫓の端には望遠鏡と、用途の分からない大きな曲がった鏡が設置されていた。鏡の前には立派な燭台がある。


「この鏡は何?」


「この燭台に灯りを灯すと、鏡に光が反射して、海の上まで光を届けます。夜や未明の漁はその灯りを頼りに舟が帰港するのです」


「ああ……成る程ね」


 鏡が曲がっているのは、光をより強くするためだろう。ティアナは納得して海上の帆船に目を向けた。

 以前ランドルフ達を見送った時の船と大きく異なるのは、甲板に幾つかの黒光りする筒のようなものが設置されている事だろう。


「あの筒から、火の玉を打ち出して来たの?」


「はい。大砲と言うらしいです。火薬という点火すると爆発する薬剤を用いて、その勢いで鉄の玉を打ち出すんです。鉄の玉にもその火薬が仕込まれていて、ぶつかると破裂して辺りに火を撒き散らすんです」


「まぁ……!」


 恐ろしい兵器だ。ティアナは眉を顰めた。オセロットも難しい顔で村を見下ろした。


「私達で着弾後の火は無効化出来ましたが、どうしても着弾の際の破壊は止めきれず、多大な被害を出してしまいました」


「そう……。これだけ離れていると、その大砲自体を止めるのは難しいものね……」


「はい。二隻の船からドンドン撃ち込まれましたので、対処が後手後手に回ってしまい、ザイール様が一隻沈めて下さらなければ、村が壊滅する所でした」


 ティアナは頷きながら、村に残る戦いの傷跡を眺める。


「他にも、兵士が持っている鉄砲という武器が恐ろしかったです。持ち歩ける大砲の小型のもので、次々と鉛の弾を飛ばして来ました」


「まあっ!」


 ランドルフからは武器については聞いていない。面と向かって戦った者たちにしか分からない情報だ。

 ティアナはゴクリと息を飲んだ。


「つまり、離れた敵を攻撃できるのね。魔術を使えない普通の人間が……」


「はい」


 これは由々しき事態だ。弓矢以外で離れた敵を攻撃できる術があるという事だ。しかも、火薬とやらを込めれば、辺りを火の海にする事も可能だと言う。


「私達も、少し戦い方を考えなければならないわね」


 ティアナは爪を噛みながら帆船を見遣った。


「ダイナ様、望遠鏡は……」


 オセロットに勧められ、ティアナは首を振った。


「私には必要ないわ。レイモンド、貴方が見てちょうだい」


「……はい……」


 命じなれた口調に反射的に答え、レイモンドはゴクリと息を飲んだ。

 オセロットの前では彼女はもう「女帝」なのだ。レイモンドは少しチリチリと胸が痛むのを押さえ込みながら、望遠鏡に目を付けた。

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