第10話 邂逅
少女は扉の前で固まっていた。
小屋の中は見違えるほど片付いていて、暖炉の前には赤ん坊が眠り、その親と思われる男女がこちらを見ている。
「あ……すんません!」
外が嵐であることをすっかり忘れて、慌てて扉から外に出ようとすると、父親らしい赤毛の大男が焦って声をかけてきた。
「いえ、こちらこそ、勝手に上がりこんで片付けたりしてすみません!」
男の言葉に少女はぐるりと小屋を見渡す。片付いてはいるものの、見慣れたものばかり。今朝出てきた小屋に違いはない。しかし……
「こっちこそ、勝手に住んですんませんでした! すぐ出ていきますんで、とりあえず嵐が止むまではいさせてください!」
少女はピョコンと頭を下げた。
赤ん坊の親と思われる二人はキョトンとしてこちらを見ていた。
◇◇◇◇◇
碧の魔人の少女は正式にはこの小屋の住人ではなかったらしい。たまたま見付けた空き小屋に住み着いて半年だという。
「じゃあ、あんたらはここの持ち主ちゃうねんな?」
「今晩泊めていただくために、勝手ながら片付けさせてもらいました……。まさかこんな……女の人が住んでたなんて……」
アルスは気まずそうに鼻の頭をこすった。あの惨状から、女性の生活は一切想像できなかったからである。
「あ~、片付けてもろて、ホンマおおきに。めっちゃ助かったわぁ」
少女は全く気にすることなくアルスに会釈した。そしてフィアードに目を向けて、そのまま腰の剣に目を止めた。
剣を見て、フィアードの顔を見て、また剣を見て、一歩、二歩、と近付いてくる。その顔は若干興奮していた。
「あ……! あんた……もしかして、ガーシュの……!」
にじり寄る魔人の少女の口から出た思いがけない名前にフィアードはドキリとした。もしかしたらこの少女が……
「娘か! じゃあ、あの赤ちゃんは………孫~!?」
更に至近距離まで近付いてきて、大喜びでフィアードの両肩を両手でバシバシと叩く。
そのあまりにも友好的な態度に、フィアードは一瞬どう接していいか分からなくなった。歓迎されているようだ。
「ええと……こんな姿ですが、息子のフィアードです。あの子は縁あって引き取ったので娘ではないんです。
それよりも、父をご存知なんですか?」
最早訂正するのも面倒だが、父を知る魔人に説明しない訳にはいかない。
「は……? 男……?」
何を思ったのか、少女はその空色の目を大きく開いてフィアードを至近距離で観察し始めた。目が悪いのだろうか。
「あの……顔、近いです。顔……」
至近距離に美少女の顔が近付き、思春期の少年らしい反応として、フィアードの動悸が高鳴る。
ツンと上を向いた鼻、大きな目は若干目尻が下がっていて印象を幼くしている。少女は少し距離を置いて、ふっくらとした唇を尖らせた。
「へぇ、子供が産まれるって言ったきり、連絡が途絶えてたんやけど……あんたが……」
魔族の知り合い……しかも連絡を取り合うような関係……そんな付き合いがあったとは聞いていない。
フィアードの頭に警鐘が鳴り響く。スッと熱が引いた。この魔人はなんだ?誰だ?何故他の仲間と離れて、こんな所にいるのだろう。一歩、後ずさる。
そして、とりあえず気になっていたことを口にしてみる。
「もしかして、父を弔って下さったのは貴方ですか?」
「おい、いきなり過ぎるだろ!」
フィアードの質問にアルスは焦った。いくらなんでも出会ってすぐに聞くことではないだろう。
思った以上にフィアードは少女を警戒している。魔人に対する先入観が強い。
「鍵が産まれたって噂が流れてな、気になるから何人かで村まで行ったんや……。まさかあないなことになってるなんて思わんかった。もっと早うに行ったらよかったんやけど……」
やはりこの少女はあの時村にいたのだ。もっと早く来て、鍵をどうするつもりだったんだ?
フィアードは目を細める。相手はまだこちらを警戒していない。
「鍵を……どうするつもりだったんですか?」
いきなり核心に迫った。自分たちの目くらましが解けていないことを確認する。何故、父を知る魔人が村を訪れたのか……。
二歩、三歩、と距離を取る。
「あれ? ガーシュの息子やろ? 聞いてへんの?」
少女の顔に初めて警戒が宿った。やはり、何かある。村に行く前でよかったかも知れない。相手が一人ならば自分一人でもなんとかなるかも知れない。
そしてこの反応、父と魔族が繋がっているというのは嘘ではなさそうだ。
少女の目がフィアードの顔から腰の剣に向けられる。先ほどまでの友好的な態度が一変した。少女の口もとからは笑みが消え、ピリピリと敵意が肌を刺激する。
「その剣は……どうしたんや? どこで手に入れた……?」
空色の髪が舞い上がる。彼女の魔力に反応して風の精霊が集まってくるのが分かる。フィアードも身構えて、敵意を剥き出しにしている。
「おい……、フィアード……!」
フィアードにはアルスの声は聞こえていない。こんなに好戦的な彼は初めてだ。
アルスは舌打ちして咄嗟にティアナの前に移動した。神族と魔族の闘い方は分からないが、とにかく盾にはなれるだろう。
フィアードは精霊の流れを感じていた。魔術書にあった魔族との闘い方の項目。碧の村を訪れると決めた時からもしかしたら必要になるかも知れない、と何度も読んでイメージしていたのだ。
「父と貴方がたが何を企んでいたのかは知りませんが、俺達には俺達の使命があるんです」
「ガーシュの息子なのに、うちらを裏切るんか!?」
その言葉が決定的であった。
父は魔族と通じていた。神族の長である父が! こんな裏切りがあるだろうか! 激しい感情が渦巻く。魔力を練り、素早く編み上げた。
少女の周りの空気が流れを変え、奔流となってフィアードに襲いかかろうと膨らんで……何かに阻まれて瞬く間に力を失っていった。
少女は周りから精霊の気配が消えていることに愕然とした。
「何やて……!? 遮断結界!?」
そして、あり得ない出来事に目の前の少年に釘付けになった。
「薄緑……!!」
淡い金髪に見えていたその髪が、薄緑色の色彩をたたえている。その意味するところに、少女はギリっと唇を噛んだ。精霊と切り離されてしまったので、風を使うことができない。
魔力を瞬発力に変えて思い切り床を蹴る。一瞬にして少年の懐に入るが、突如として目の前に現れた魔力の塊に弾き返された。
大きく吹き飛ばされながらも体勢を立て直して猫のように着地する。口もとを乱暴に拭い、フィアードを睨みつける。
「なんで、薄緑の欠片持ちがガーシュの剣を持っとるねん!」
近くに立て掛けていた槍を後ろ手で掴み、ブンッと振りかざして構える。フィアードも剣を抜いて構えた。
「地下室から持ってきた。次の誕生日で成人すれば身に付けられる筈だったからな」
フィアードは剣を抜いたことで冷静さを取り戻してきた。外は嵐だ。小屋を壊したら洒落にならない。力の使い方を気を付けなければ。
二人は互いに武器を構えたまま、ジリジリと間合いを詰めていく。
「父さんはあんたの知り合いで、でも欠片持ちはあんたの敵なのか?」
「……あんたはホンマにガーシュの息子なんか? 欠片持ちなのに……?」
二人の言い分は平行線を辿っている。間合いを保ち対峙している二人の耳に突如として第三者の声が響いた。
「……ていうか、なんで戦ってるの?」
突然のことに毒気を抜かれた二人は顔を見合わせた。声の主は赤毛の大男の腕の中で呆れた顔をしていた。
◇◇◇◇◇
「えーと、どうしてこうなったのかしら? 説明してくれる?」
偉そうにふんぞり返る赤ん坊は、自分の貴重な睡眠を邪魔した二人を交互にその色違いの双眸で睨みつける。
武器を収めた少女はその色彩に完全に萎縮し、顔を真っ青にしている。身体が小刻みに震えているのは見間違いではないだろう。
「あのねぇ、こんな狭い小屋で戦うってどういうつもりよ。外は嵐よ!? 貴方たち馬鹿じゃないの!?」
その額に青筋を立てて小さな暴君は騒ぎの元凶二人を怒鳴りつけた。
「……悪かった……」
フィアードは素直に謝る。喧嘩腰にならずとも、話し合えば良かったのだ。いきなり父親の名前を聞いて、動揺してしまったことは否めない。
フィアードの素直な反応にティアナは少し機嫌が良くなったようで、ニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
「ま、喧嘩するほど仲がいいのは結構だけど、時と場合を考えてよね!」
「……は?」
「ツグミ、貴女もね」
少女の肩がビクンと震える。どうやらティアナは彼女のことを知っていたようだ。
「なんで……うちの名前を……」
「私が何者かは分かるんでしょ? それでいいじゃない」
余りにも高圧的な態度に、彼女を抱えているアルスが居心地悪そうにしている。未来に何かあったのだろうが、それを相手に押し付けるのは気の毒だ。
「ティアナ……、俺が悪かったんだし、そんなに怒らないでくれよ」
「……へぇ~、フィアードはツグミの肩を持つわけ? あー、何だか腹立ってきた。寝る! 話し合いは私抜きでしてね、後で説明してもらうから。おやすみ! 奥に寝台あったから借りるわよ! アルス、一番いい毛布掛けてよね!」
アルスはオロオロと暴君を抱いたまま、小屋の奥に小ぢんまりと置かれている寝台にティアナを寝かせに行った。
「……なんなんや……、鍵ってあんなんなん?」
「……今日は特に酷い……」
残された二人は、先ほどまで戦っていたことなど忘れたかのように呆然と赤毛の男の背中を見ていた。
「けどまぁ、ガーシュが連絡でけへんかった理由がやっと分かったわ」
「ところで、父さんとどういう関係なんだ?」
二人同時に話し出す。
「えーと、何?」
「いや、そっちからどうぞ……」
フィアードに譲られて、ツグミは向き直った。
「ガーシュはあんたが薄緑の欠片持ちやったから、うちらへの連絡が出来なくなったんやなって……」
「……その、父さんが連絡するってのは、どういう意味なんだ? どういう連絡だ?神族の村長である父さんが魔族と通じてたってことか?」
「あー、そこんとこ聞いてへんのか……。欠片持ちやったらしゃあないなぁ。ガーシュも災難やったなぁ……。まさか、跡取りが欠片持ちやなんて……」
ツグミの言葉にフィアードは眉を顰めた。意味が分からない。まるで自分が悪いかの言われようだ。
「事情が事情やから……うちから話す訳にもいかんねんなぁ。明日村に案内したるから、詳しいことは族長に聞いて」
なんだか腑に落ちないが、碧の村に案内してもらえるのであれば納得するしかない。憮然としてフィアードは口を開いた。
「じゃあ、俺の質問だ。父さんとはどういう関係だ? 見たところ俺とそんなに歳が離れてるとは思えないんだけど……?」
フィアードの言葉にツグミは吹き出した。
「あぁ、魔人に会うの初めてやねんな!」
笑った顔はとても愛らしい。可憐な美少女と言えるだろう。
「うちはガーシュの魔術の師匠や。これでも86歳やで」
「え……?」




