第106話 約束の地
宿に戻ったティアナは、老婆から聞いた話をモトロに話しながらその内容を忘れないようにと書き綴っていた。
「……この異国の神話と同じ話を、まさかこちらの大陸側で直に見ていた人物に会うなんてね……」
そう。老婆が話した内容は、異国の神話に描かれている出来事と同じ事であった。
「中々興味深い話ですね。それでは、緋と黑の魔族は異国の地で散り散りになっているのでしょうか」
「あり得るわね」
ティアナは異国の神話の頁を捲る。この六年半で殆どの文章は読めるようになった。
この大陸と共通の内容である世界の誕生の章があり、その次の章は天変地異について描かれている。そして更に次の章は神の化身の誕生に触れられている。
天変地異とは、広大な大地が盛り上がって山となり火を噴いて、その直後に大洪水が起こって海となったという話だ。この神話によると、こちら側の大陸は海に沈んだ事になっている。それが恐らく老婆が語った出来事だろう。
「これは切り離された地にいた人間が記録したのね。きっと……。魔人達がどうなったのかは分からないわ……」
そして、こちら側では神話は口伝でしか無かったのに対し、異国では記録として残っているという事実。
「……切り離された大地が、独自に発展したのね……」
緋と黑の魔族を擁するのだ。金属の精製や細工などが容易に行えるのだから文明が発達するのは当然とも思える。
「なんだか……悔しいですね……」
モトロは苦笑しながら手元の水晶を加工している。水の魔術は石の加工には向くが、金属の加工には向かない。特に鋳造などは不可能だ。精密な魔道具は作れても、大掛かりな機械などを作る事は出来ない。
「結局、神族の村でも船舶の製作に手こずってるからな……」
異国の船を参考に作っているが、部品を揃えるのが難しい。鋳造技術が未熟なので、同じ形に加工された複数の金属部品を用意するのが大変なのだ。
「まぁ、宿泊できる船室があれば、後はモトロに任せて航海しても良かったんだけどね……」
「よく言うぜ。お前が相応しい船でとか言ったから皆苦労してるんだぞ」
レイモンドにコツンと頭を小突かれ、ティアナはペロリと舌を出した。確かにそう言った。足元を見られるのは嫌だったし、舐められたくなかったのだ。
「基本的な取引相手は人間ですからね。魔力の多寡など分かりませんし、手っ取り早いのは見た目ですよ。仕方ありません」
モトロの言葉は若干棘がある。この旅の間、いつも見た目で損をしている彼ならではの言葉だ。
「それで、この村の名前はどうするんだ?」
「うん。約束の地なんてどうかな……」
老婆の話を聞いて、それ以外に名前が思い付かなくなった。今はまだ約束を果たす事は出来ないが、神の力を取り戻した時には真っ先に約束を果たしたい。
そうすれば火山の噴火は収まり、この周辺の恐怖は取り除かれる。そして風の魔術による連絡なども可能になるのだ。
「約束通り、火山の噴火を鎮静化出来れば、この大陸は一つになれるわ」
ティアナは窓から噴煙を見上げる。噴火の恐怖は拭いきれず、日常的にもこの地域では洗濯物を外に干す事すら出来ない。
難しい顔で考え込んでいたレイモンドが目を細めた。
「なあ……デュカスって、長生きだって聞いたんだけど……。長老と約束を交わしたのがデュカスである可能性は?」
「……ゼロではないわ。この村に来てから、彼からの接触が始まったのは偶然とは思えないし」
「この土地との繋がりが強いのかも知れませんね……」
モトロの言葉に頷きながら、ティアナはゆっくりと本を閉じて立ち上がった。
「考えても仕方ないわ……。名付けをしに行きましょう……」
「……そうだな……」
名付けに問題が起こりそうな時は、屋外に出ることにしている。土地からの祝福が得られない名付けをしようとすると、地震や竜巻など、様々な方法で反発されてしまうのだ。
レイモンドとモトロが表から宿を出ている間に、ティアナは窓からコッソリと外に出て、ヨタカの墓近くに集まった。
何かあった時にヨタカが守ってくれるとは思えないが、他の場所よりは縁があると言えるだろう。
ティアナが深呼吸して瞑目すると、村の様子が一気に頭の中に流れ込んできた。
凄まじい情報量に眩暈を覚えながら、村の境界を確認する。
「……この地の名を約束の地とします!」
ティアナが言霊に名を乗せると、今までに感じた事がない程の圧倒的な力が大地を揺るがせた。そして地中から陽炎のような人影がわらわらと湧き出し、ティアナの身体に襲い掛かる。
「……ティアナ!」
「レイモンド! あれは死霊です! 空を統べる精霊よ……!」
モトロが風魔法の詠唱を始めたが、死霊が妨害して中々続きを口に出来ず、舌打ちした。
「チッ!」
凄まじい数の死霊が四方からティアナの細い身体を抱き締めるようにまとわり付く。なんて荒っぽい祝福だ。抱き潰されて、呼吸もままならない。
だが、名付けに反発する訳では無く、興奮して我を忘れたような振る舞いだ。害意が無いのが伝わってきた。
ティアナは今にも死霊達を蹴散らしそうなレイモンドとモトロを制し、心の中で死霊達に語りかけた。
ーー待たせてごめんなさい。貴方達との約束……、もう少しで果たせるから。
ティアナの目の前に、無数の顔が浮かび上がる。きっと、呪術師が束ねた死霊の生前の顔だろう。
彼らは呪術師の呪いによってこの地に縫い止められ、転生の輪に戻る事を許されなかった哀れな魂だ。
ーー貴方達を解放する為にも、力が必要なの。だから、お願い……!
ティアナが強く念じた瞬間、フッと自分を拘束する力が消えた。
「……え……?」
まただ。この感覚は……。
色彩を失った世界。レイモンドとモトロが心配そうに見守る中、ティアナの目の前にはデュカスが立っていた。
「……やあ。中々味な真似をしてくれるね。こうして力を蓄えていたのか」
「……デュカス……」
もう遅れを取るわけには行かない。ティアナは腰の細剣に手を伸ばした。
「あれ? 僕とやるの?」
「ここで貴方を片付けておけば、後が楽だわ」
スッと剣を抜くと、デュカスは目を丸くした。
「凄いね。君が剣士になるなんて……驚きだ」
デュカスは剣を抜く素振りを見せず、嬉しそうにティアナを見つめている。
「そうか。身を守る術を身に付けざるを得なかったからか……。健気だね。ますます欲しくなるよ……」
ティアナはイライラしながら剣を構えるが、デュカスは全く相手をする気がない。だからといって、一方的に仕掛けて何とかなる相手では無いのは分かっている。
「貴方は……誰? この地で長老と約束を交わしたのは貴方?」
「……ご名答……。三百年ほど前だったかな。まだ僕が若い頃、たまたまこの土地に来たら、あのお婆さんに捕まっちゃったんだよ」
長老は盲目だ。呪術師が欠片持ちと気付かなかったのかも知れない。だが、彼女は呪術師の末裔、と言った。それでは、祖先の呪術師も神族だったのだろうか。
「……大地を割った呪術師は?」
「それは僕じゃないよ。でも……僕……とも言えるね」
デュカスは肩を竦めた。
「……前世って……知ってるかい?」
ティアナはゴクリと息を飲んだ。各地を巡ると、色々な伝承を耳にする。転生を繰り返して出会った運命の恋人などのお伽話が語り継がれる地域もあった。
「漆黒の欠片持ちとして生まれちゃったからさ……、ふとした切っ掛けで自分の前世を知りたくなっちゃったんだよ」
「……じゃあ……」
ゴクリ、と喉がなる。デュカスが長い年月を生きてきた事は知っていた。だが、そんな大それた事を成した存在だとは思いもしなかったのだ。
「君も興味があれば自分で調べたらいい。まぁ、やり直しの記憶だけでも苦しそうだから、壊れちゃうかもね……」
クスクスと笑いながら、デュカスは悠然と構える。
「君は世界を作った神の力を宿す化身。僕は世界を割った呪術者の生まれ変わりで、欠片持ち。ホラ、こんなにお似合いの二人っていないだろ?」
「……冗談じゃないわ……!」
ティアナの切っ先がデュカスの鼻先に突き付けられる。
「……怖いなぁ……。でもさ、僕としても、この土地の火山を鎮めるのは賛成なんだよ? この火のお陰で、転移するのに余計に魔力を使うしね」
「……何が言いたいの?」
「君はフィアード達を解放したいんだろ? 僕はしばらく邪魔はしないから、好きにしたらいいよ。ちょっと面白い事に気付いちゃったし……」
クックッと楽しそうに笑い、デュカスはティアナの剣先を摘んだ。
「君を手に入れるのはもう少し先にするよ。さっきは悪かったね。ちょっとからかうつもりが、あんまり可愛かったからつい……ね。邪魔が入って残念だったなぁ……。ま、この空間で君を無理やり手に入れてもつまらないから、今度はちゃんと申し込ませてもらうね。僕はフィアードと違って一途だよ? 生まれる前から君の事しか考えてないんだからね。……本当に、君が可愛い女の子として生まれてくれて良かったよ……」
剣先を摘んだまま近付かれて耳打ちされ、ティアナの背筋にはゾクリと悪寒が走った。
「……貴方の目的は何?」
「面白い事を聞くね。じゃあ、君の目的は?」
改めて聞かれ、ティアナは言葉に詰まった。
「それは……」
フィアードと共に魔法を開発して、レイモンドが基礎を作った学校で魔法を広める。冒険者を支援して未開の地を開拓させる。リュージィを支援して醫学を一般的に普及させる。貨幣価値を統一して地域間の不平等を無くす。
今思いつく事を整理しても、上手く言葉で表現できないが、あえてこの男に言う必要もないだろう。
「……貴方には関係のない事だわ」
剣を振ってデュカスの手を振り払い、二歩、三歩と後退る。
「ふぅん……。場合によっては協力してあげようと思ったけど……や〜めた」
デュカスはつまらなさそうに肩を竦め、パチンと指を鳴らした。
「さ、これでこの土地の死霊達は僕の支配下から外れたよ。まだ解放は出来ないけど、君の好きにしたらいい」
「……!」
瞬時に懐に入り込んだデュカスの唇がティアナのそれと重なる。
ただ触れるだけの口付けだったが、混乱したティアナが呆然と目の前の整った顔立ちを見ていると、スウッと溶けるようにその姿が消えて行った。
デュカスの身体が完全に見えなくなると共に、世界の色彩と音が蘇り、それまで動かなかった二人が弾かれたようにティアナに駆け寄って来る。
「ティアナ! 大丈夫か!」
「ティアナ様! ご無事ですか!」
「……ええ……」
彼女を取り囲んでいた死霊の姿は消えていた。
土地から溢れんばかりの魔力を注がれながら、ティアナは震える手の甲で乱暴に己の唇を拭う。
「……大丈夫……よ」
ギリリと奥歯を噛み締め、ティアナは噴煙を睨み付けた。




