第104話 悪夢の警告
二晩続けて飲むほど自分は酒に強い訳ではないと自覚しているので、出来るだけ控えようと思っていた。だが、その場にソルダードがいたのがまずかった。
「我々は同士だ!」
提携という形を取ったので、協会の支部は傭兵団の建物内の一画を借りることとし、新たに学校を作る事までは決定している。教材を渡すと、ソルダードは笑顔で教師を集めると言ってくれた。ある程度は任せても大丈夫だろう。
そして酒豪らしい彼にドンドン酒を注がれ、気が付けばベロベロに酔っていた。
「……へ……部屋に戻ります……」
足元が覚束なくなったのに気付いた他の連中がソルダードを止めてくれ、ホッとして部屋に向かう事にする。
「ああ、それからレイモンド殿。この村で仕事をするには、長老に挨拶した方がいいぞ。渡りを付けておいてやろう」
「あ……はい。お願いします……」
ソルダードの声に頷き、レイモンドは椅子の背を渡りながらなんとか食堂から退出した。
「……くっ……ここの酒は強すぎるんだ……きっと……!」
口当たりが良くて飲んでしまうが、後であり得ないほど酔ってしまう。レイモンドは壁を伝いながら部屋に向かった。
「……ヤバいな……」
妙に頭が冴え渡っているような気がするが、自分の身体が完全に言う事を聞かない。ガクガクと膝が笑っているのが分かる。こんなに酔ったのは初めてだ。
レイモンドはなんとか部屋に辿り着いた。持って出ていた鍵で扉を開けようとするが、鍵穴に鍵を差し込めず、何度も鍵を取り落とした。
「……あ……開いた……」
ようやく解鍵に成功してホッとする。結局、ティアナも同室だ。彼女は衝立の向こう、一番奥の窓際の寝台で寝ている筈だ。
部屋に入って扉を閉め、そのまま寝台に倒れ込もうと思っていたら、呻き声のようなものが聞こえてきた。
「……え……?」
隣の寝台ではモトロが相変わらず微動だにせずに眠っている。声は衝立の向こうから聞こえているようだ。
「……ティアナ……?」
フラフラと壁に寄りかかりながら部屋の奥に向かい、衝立の向こう側を覗き込んだレイモンドは目を見張った。
苦悶の表情を浮かべ、汗びっしょりになったティアナが両手を振り乱してうなされていた。
「……ティアナ……!」
レイモンドはガタリ、と衝立の隙間に身体を割り込ませ、ティアナの両手を掴む。
「大丈夫か!」
「あ……イヤッ!」
うなされたティアナに腕を振り払われて、レイモンドはバランスを崩した。
「うわっ!」
普段であれば踏み留まれたが、泥酔状態のレイモンドはそのままティアナに覆いかぶさるように倒れ込んでしまった。
「……あ……」
レイモンドは高鳴る鼓動に目を瞑り、女性としてはまだ未成熟な細い身体を感じてゴクリと唾を飲み込む。
思わずその身体を抱き締めて、甘い匂いを吸い込んだ。酒に酔った頭の芯がボウっとして、押さえ込んでいた感情が揺さぶられる。
「……え……?」
驚いて目を覚ましたティアナは一瞬何がどうなっているのか分からず、頰に触れる柔らかい茶髪にハッとした。
「……レイ……」
「わ……悪い……!」
レイモンドは慌てて飛び起きようとするが、膝が砕けてまたそのまま倒れ込みそうになり、咄嗟に手をついて身体を支えようとしたのだが……。
「……や、ち……違う……」
身体を支えようとしたレイモンドの手に膨らみ始めた胸を掴まれ、ティアナは真っ赤になって唇を噛み締めた。あまりの出来事に声が出せず、目に涙が浮かぶ。
「どうしたんですか?」
物音に目覚めたモトロが衝立から覗き込み、二人の姿を見てピキリと硬直した。
「……レイモンド……貴方は……酔った勢いで何て事を……!」
ティアナが大人になった途端に手を出すとは。モトロはアルスから言われていた事を思い出し、むんずとレイモンドの襟首を掴んで乱暴に引き剥がす。
「僕は貴方からティアナ様を守るように言われてるんですよ」
ヒュウっと冷たい風で頰を撫でられ、モトロの細腕で釣り上げられたレイモンドはジタバタともがいた。
「なっ! 誤解だ! うなされてたから様子を見ようと思っただけで……」
一瞬よこしまな感情が沸き起こったのは事実だが、それに触れる訳にはいかない。レイモンドは必死に弁明する。
モトロは乱暴にレイモンドを床に放り出し、震えるティアナを起こして肩に上着を掛けた。
「……何もされてませんね。良かった……。アルスさんに殺されてしまう所でした……」
モトロの言葉にレイモンドはギョッとして息を飲む。
「レイモンドも命知らずですね。合意の上ならともかく、ティアナ様を襲ったりしたら、アルスさんに間違いなく殺されますよ。守れなかった僕も殺されてしまいますけどね」
ブンブン、と頭を振り、レイモンドは無実を訴えた。
「だから、誤解だって! ティアナ、すげぇうなされてただろ? ちょっと足元がヤバかったから……悪かった!」
レイモンドに言われ、ティアナはハッと我に返った。
「そ……そうよ。あれは……夢……? 違う……」
あの空間でデュカスに触れられた感触が蘇り、ブルリと身震いする。あれに比べたら、レイモンドに触られた事など些細な事に思えてしまう。
「……デュカスに……会ったわ……」
「……え……」
床に尻餅をついたまま、レイモンドが驚いてティアナを見上げると、ティアナは見てきた事を二人にポツリポツリと語り始めた。
「つまり、フィアードさんとサーシャさんは動けないのに、デュカスは動いていたんですね、その空間で……」
モトロの言葉にティアナは頷いた。
「どうしてかは分からないの。今まで、やり直しをする時に見た事がある風景だったんだけど、他に動いてる人がいたのは初めてで……」
思い出しただけでもゾッとする。あんな風にあちらから接触してきたのは初めてだ。あの土地が近付いているからだろうか。
「ただの夢……という訳ではないんですね?」
「そうね。ただの夢ならこんなにハッキリ思い出せないわ。もし夢だとしても、充分警戒するべきだと思うし……」
夢で接触する事は漆黒の欠片持ちならば然程難しい事ではない。問題なのはそれを時空の狭間から行ってきたという事だ。
モトロはレイモンドの酒気を取り除きながら、ふむ、と考え込んだ。
「時空の狭間……と言っていましたよね。時間が止まっているという印象ですか?」
「多分……。サーシャは動けてもおかしくないのに……」
時間を操るのは白銀と漆黒の能力だ。サーシャはあの封印で魔力を使い果たしてしまっていたのかも知れない。
「つまり、兄さん達を解放しても、最初に動けるのはデュカスの可能性が高いんだな……」
レイモンドの言葉にティアナが頷くと、彼は舌打ちした。
「で……何で花嫁なんだよ……。何考えてるんだ、デュカスの野郎は」
「分からない……。それに、多分……デュカスっていう名前は偽名だわ……。名前を知られると不利なのは向こうも同じだから……」
名を呼んだ時の反応が薄かった。向こうもこちらの名を知らないから何とかなったようなものだ。
「……じゃあ、ティアナも名前を伏せておかないといけないって事か……」
「ええ。だから『ダイナ』って呼んでくれたらいいわ。それなら違和感無く反応できるから……」
捨てた名前を再び名乗る事になるとは。ティアナは小さく溜め息をついた。
「……この村に名付けをすれば、この土地にいる限り、あちらからの接触は断てるんじゃないですか?」
モトロの提案はもっともだった。魔力も高まるし、やはり名付けを急いだ方がいいだろう。
「それから、今現在、ザイールがどうしてるか確認しておこう。もし、デュカスが火の国の連中に夢で接触しているなら、国ごと奪うのが難しくなるしな……」
レイモンドは頭痛に顔を顰めながら、自分の中で決めていた方針に修正を加えていた。
ザイールがもしデュカス側に戻っていれば、火の国は敵地という事になるのだ。
夜が明けて、窓の外がほんのりと明るくなってきた。
ティアナは当然のように木剣を手に取り、寝台から立ち上がった。レイモンドも同じように木剣を手に取ろうとした時、モトロの冷ややかな声が響いた。
「ティアナ様……やはり部屋は分けた方がいいですよね……」
モトロの言葉にティアナは苦笑する。
「別に同室でもいいわよ。これからはちゃんと結界張っておくから……。こんな事でアルスの手を煩わせたくないしね」
「だから、誤解だって言ってるだろ!」
二人で賑やかに部屋を出て行く姿を見送りたくなくて、モトロは窓の外に目を向けた。
◇◇◇◇◇
風の魔法で操る鳥は火山地帯を越えられない。山頂付近は七年前の噴火の後、より一層濃い噴煙が立ち込めているからだ。
「やっぱり、直接向こうに行かないと駄目か」
「そうですね。通信機も風の魔法の応用ですから、多分使えないかと思います」
朝食後、登山口までやって来たレイモンドとモトロは黒く染まった山頂付近の上空を睨み付ける。
「……ん……やっぱり無理ね。ここに名付けないと向こうまでは転移できないわ。私一人でも無理ね……」
ティアナは瞑っていた目を開けて、二人を見上げた。一度足を踏み入れた土地であれば転移可能だが、火山地帯を超えるには魔力が足りないらしい。
神族の村や湖畔の村であれば、転移先からも魔力を供給して二人を連れて転移する事も出来るのだが……。ティアナは憎々しげに火山を見上げていた。
「悔しいな……前よりも噴煙は濃くなってるし……」
「名付けたら行けそうか?」
レイモンドは腕を組み、登山口がから山道の様子を確認する。噴火後、この道を通った者は少なく、その者達との連絡もままならない状況だという。
出来れば慣れない登山は遠慮したい。ティアナに転移で連れて行って貰いたいものだ。
「……私一人ならなんとか行けるかもね。でも、二人を連れて行けるかは怪しいわね……。しかも、向こうから戻れるか分からない……」
あちら側で名付けを行わなければ、戻るのはきっと不可能だろう。ティアナは唇を噛み締めた。
「前はどうやって行ったんですか?」
「フィアードが私の魔力を引き出して、山を貫通する穴を開けたのよ」
「ぶっ……! 何て荒っぽい事してるんだよ、兄ちゃんはっ! それで噴火したんじゃないのか?」
我が兄ながら、とんでもない事を考えるものだ。レイモンドは驚くと同時に呆れてしまう。
「敵を巻く為には仕方なかったのよ。噴火は関係ないわ。私達がここに来なくても噴火したもの。でも、噴火で穴が塞がっちゃったから、また穴をあけるにも魔力がいるわね……」
結局、魔力が足りないという事か。三人はうーむ、と考え込んだ。
「名前の候補はあるんですか?」
「ううん……どうしても温泉か火山になっちゃうのよね……」
モトロの質問にティアナは渋面になる。数多の土地の名付けを行ってくると、ネタが尽きてしまう。拠点となるような土地にはそれなりの名を付けたくても、中々思い付かないのが現状だ。
火山地帯の麓にはここ以外にもいくつか集落が存在しており、火山も温泉も使えそうな名前は使い果たしてしまった。
「土地の人達からは話を聞いたのか?」
「あんまり……」
レイモンドの言葉にティアナは苦笑する。きっと村人と一番溶け込んでいるのはレイモンドだ。ティアナは宿を少年として取っているので、女戦士の姿でうろつく事も出来ない。
「……長老って呼ばれてる盲目の婆さんがいるらしい。これから挨拶に行く事になってるから、一緒に行くか?」
「うん。ありがとう」
盲目であれば、自分が同行しても問題ないだろう。そう思ってティアナは気軽に頷いた。




