第102話 傭兵団
村人達にすっかり気に入られてしまい、レイモンドはそのまま宿屋の食堂での酒盛りに付き合わされる事になってしまった。
「あんちゃん、もうしばらく滞在するんだろ? 明日も飲もうぜ!」
酔っ払った男に絡まれながら、レイモンドは愛想笑いを浮かべて適当に受け流す。
男達は深夜だというのに大声で歌いながら家路についた。夜通し飲まないだけましだな、とレイモンドは溜め息をつき、その息の酒臭さに顔を顰めた。
部屋に戻ると、ティアナとモトロは何事も無かったかのように隣同士の寝台で眠っていた。
「……なんなんだよ……」
心配した自分が馬鹿みたいだ。レイモンドはがっくりと肩を落として一番手前の寝台に身を投げ出した。
村人から聞いた話によると、傭兵団を率いている人物はどうやら以前は火の国で神族に仕えていたらしい。
その神族がデュカス、もしくはダルセルノであるのは間違いないが、これは上手く利用するとその集団を丸ごと協会に組み込む事が出来るかも知れない。
「……そろそろ……か」
神族の村での航海準備は予定より少し遅れ、あと二年くらいだ。それまでにティアナがこの大陸の王者となっておかなければならない。
聞くところによると、デュカスは火の国で帝国の基礎を築き、自らを皇帝と名乗っていたらしい。もしその体制が残っているならば、そっくりそのままいただいてしまえないだろうか、と目論んでいる。
「……封印を解く前に……押さえておかないとな……」
ここで一番の懸念事項は、封印を解いた為に火の国が再びデュカスの手に落ちる事だ。それを阻止する為には、ティアナが先に火の国で名付けをする事。封印を解くのは後回しにせざるを得ない。
「出来れば兄さんに任せたかったんだけどな……」
神の化身の補佐は自分には荷が重い。ただでさえ、増え続ける冒険者を預かる責任者として、方々からの定時連絡に頭を痛めているというのに。
単純にティアナを守り、鍛えるだけならばどれだけ楽だっただろう。
酒のせいで身体はフラフラだが、頭は妙に冴えている。これでは質のいい睡眠など取れやしない。
アルスはよく浴びるほど酒を飲んで、翌朝何事も無かったかのように剣を振っていたが、とても真似出来るとは思えない。やはり彼は神話に記載された通りの「勇者」だったのだろう。
レイモンドはゆっくりと体を起こした。頭がガンガンする。ずっと考え事をしていて眠ったつもりもないが、何となく外が薄明るい気がするので、少しは眠っていたのだろう。
練習用の木剣を引っ張り出し、ティアナは今日は訓練しないだろう、と思って一番奥の寝台を見やる。
綺麗に整えられた寝台の上に毛布が畳まれていた。
「……え……?」
隣の寝台ではモトロが微動だにせずに眠っている。
「……ティアナ?」
昨日のあの様子では、とても起き上がれないと思っていたのに、訳が分からない。レイモンドは木剣を持ったまま、部屋を飛び出した。
◇◇◇◇◇
変な時間から寝てしまったから目が覚めてしまった。
ティアナは下着の不快感が我慢できずに寝台から降りてぐるりと周りを見回した。
隣の寝台ではモトロが眠っていて、一番扉に近い寝台にはレイモンドが眠っている。部屋が酒臭いのはレイモンドのせいだろう。
「……飲んできたのね……」
地元との接点を作るのが彼の役割なのでやむを得ないが、やはりあまり気持ちのいいものではない。
水の魔法で身体を清めて空中から取り出した服に着替えて木剣を掴むと、二人を起こさないようにそっと部屋を出た。
まだ日は昇っていない。ヒンヤリとした空気を味わいながら、ティアナは村外れで素振りを始めた。
レイモンドは村外れに一人の女戦士が佇んでいることに気付いた。
「……サーシャ?」
朝日を浴びているので髪の色は分からないが、背中まで届く髪を束ねて軽鎧に身を包んだ姿は美しく、よく知る同郷の女戦士を彷彿とさせる。
記憶にある女戦士よりずいぶん若いが、手に持っているのが練習用の木剣なのが不思議に思えて、レイモンドは眉を顰めた。
「……あ……おはよ」
女戦士がこちらを見てニコリと微笑んだ。その声に聞き覚えがあり、レイモンドはゴクリと息を飲む。
「……え……ティアナ……?」
「他の誰だと思った?」
ティアナはレイモンドの様子に苦笑した。
「いや……サーシャかと……。どうしたんだ、その鎧……」
「前に神族の村に帰った時、お母様が用意してくれてたの。そろそろ男装も限界ねって……」
「そ……か……」
「隻眼の男装の女じゃ目立ちすぎるものね。普通の女戦士の方がマシでしょ?」
髪は赤毛に、目は両目とも赤銅色に染められている。かつて纏っていた色ではなくアルスの色だ。レイモンドに気を遣ったのだろう。
「なんだ、起きてくるんだったら待っておけば良かった。……随分飲んでたみたいだったから……」
ティアナは肩を竦めてレイモンドを見つめる。
「……ああ……。ちょっと傭兵団について聞いてたんだ。その事を起きてから話そうと思ってたらお前がいないから……。もう大丈夫なのか?」
「うん。身体を動かしたら少しマシになった。リュージィが念の為に持たせてくれてた丸薬があったからね。鎧とまとめて馬車の荷物から取り出したの」
「なんだよ……こうなるの、分かってたのかよ……」
流石年の功と言うべきか、女性ならではの気遣いであろう。同行者二人が役に立たない事までお見通しか。
レイモンドは自分が情けなくてティアナから目を逸らす。
「私、先に戻るね。お腹すいちゃったし……」
そう言えば夕飯を食べずに眠ってしまったんだった、と気付き、ティアナは照れ笑いを浮かべる。
「昨日の夕飯が取ってあるぞ。それでも食っておけよ……、それから……兄さんに分かるように前の色でいいと思う……」
レイモンドの一言でティアナの表情がパアッと明るくなる。
「ありがとう!」
少女は嬉しそうに言ってスッとその場から掻き消えた。
「……悩んでた俺……馬鹿みたいだよな……」
ティアナは自分で結論を出していた。まだ幼い少女だと思っていても、人生経験は豊富なのだ。兄はこんな思いをしながらもっと小さい彼女の世話をしていたのかと思うと、同情してしまう。
「すげー無力感……」
剣術の腕前もかつてのサーシャと同程度。この地への名付けはまだだが、魔力も高まっているので向かうところ敵無しである。一緒にいる意味があるのか、と少し切なくなる。
「もう少し、頼ってくれてもなぁ……」
二日酔いと無力感に肩を落とし、何も考えずに身体を動かしてスッキリしよう、と日課の素振りに没頭した。
◇◇◇◇◇
ティアナが部屋に戻ると、モトロが昨晩の夕食を温めて待っていた。
「おはようございます。今朝は大分調子がいいみたいですね」
「おはようモトロ。リュージィがくれた丸薬が効いたみたい。心配掛けてごめんね」
「その鎧、よくお似合いですよ。動きにくくありませんか?」
「うん、大丈夫だったわ」
流石魔人である。モトロは外見の変化には惑わされない。髪を淡い金髪に変化させ、目をハシバミ色にすると、モトロは小さく頷いた。
「やはりその色にするんですか?」
「レイモンドがフィアードに分かるようにって言ってくれたから……」
ティアナの言葉にモトロはニコリと微笑んだ。
「そうですね。その方がいいと思います」
いつもと変わらないモトロに促されて椅子に座って、昨夜のシチューに舌鼓を打った。
「食堂の朝食までまだ時間がありますね……。ここの宿は朝はゆっくりなんですね」
「レイモンドは遅くまで飲んでたみたいだったから、夜は遅くまでやってるんでしょ?」
「ああ……それでお酒の匂いが残ってたんですね」
二人は顔を見合わせて苦笑する。よく考えてみると、この一行で一番年長に見えるレイモンドは人生経験においては一番年少だ。そんな彼にそれぞれの土地で人付き合いを全て任せきっている。冒険者協会だけでも大変なのに、相当な負担を掛けていると思うと申し訳ない。
「ティアナ様、それで……これからはそのお姿で?」
モトロの言葉にティアナは手を止めて少し考え込む。
「とりあえず……この宿は男の子で取ってるから、この姿ではウロウロしないわ」
「そうですか。じゃあ、後の事はレイモンドの報告を聞いてから……ですね」
「ええ。そうね」
ティアナは早めの朝食を終え、机の隅に置いていた異国の本を開いた。
◇◇◇◇◇
その日の夕方、三人は村で一番大きな建物の前に到着した。立派な石造りの三階建ての建物だ。以前訪れた時には無かった筈だ。
「……ここが……」
「傭兵団の事務所らしい……」
レイモンドが入り口に立つ武装した男に会釈すると、男は待ってましたと両手を開いて笑い掛けてきた。
「ああ……昨夜はどうも。団長には来客の旨を伝えてありますので、そのままお入りください」
「ありがとう。助かる」
どうやら昨晩飲んでいた中にこの男も混じっていたらしい。ティアナはレイモンドの手回しの良さに感心しながら、彼の後を追う。
建物の中は雑然としていて、掲示板を見ながら傭兵達が集まって談笑していた。協会の会館と同じような雰囲気だ。
見張りの男が便宜を図ってくれたお陰で、三人はすんなりと三階の団長の部屋へと案内された。
「……失礼します、お客様です」
案内役が扉を叩くと、やや掠れた男の声が聞こえてきた。
「ふむ。通してくれ」
案内役が扉を開け、三人は書架と机だけの簡素な部屋に通された。書類が山と積まれた机の向こう側で一人の男性が何やら片付けを終えて立ち上がった。
レイモンドは軽く一礼して一歩進み出した。
「初めまして。冒険者協会の責任者をしているレイモンドと申します。以後、お見知り置きを……」
「貴殿が各地で様々な働きをしている冒険者という連中の元締めか。会って話をしてみたいと思っていた」
男は机を回り込み、レイモンドの方に近づいてきた。
扉近くに控えていたティアナはその男が近付くにつれ、動悸が激しくなるのに戸惑った。何だろう、自分はこの男を知っている気がする。
とりたてて特徴のない男だ。だが、何かが記憶の隅に引っかかる。
「傭兵団の取りまとめをしている、ソルダードだ」
男が名乗りながらレイモンドに手を差し出した瞬間、ティアナの脳裏に血に染まった手が蘇った。
「……あっ……!」
『……お願いです……!家族を……家族を助けて下さい!』
自分に万能を求め縋るような目を向けられたあの時の無力感、恐怖が蘇り、ティアナの身体が小刻みに震える。
「……ティアナ様?」
隣に立つモトロが異変に気付き、倒れそうになるティアナを抱きとめた。
「大丈夫ですか?」
「……あの人……」
顔が真っ青だ。モトロはただ事ではない反応にゴクリと息を飲み、ティアナの身体を支えたままレイモンドとソルダードを見やった。
「……火の国ご出身と伺いましたが」
「うむ。およそ七年前の噴火で故郷を追われ、この地に来た。仲間を募り、復興をする為にこの集団を立ち上げたのだ」
ソルダードは丁寧に答えた。既に巨大組織となっている冒険者協会をまとめているレイモンドに敬意を払っているのが伺われる。
「貴方が立ち上げたんですか?」
「いや、復興が進んだので、設立者は火の国に渡ったが、私は残ったのだ」
ピクリとレイモンドが眉を上げた。
「それは何故ですか?」
レイモンドの疑問にソルダードは遠い目をして微笑んだ。何かを達観したような雰囲気にレイモンドは息を飲む。
「私はこの地で奇跡を見た。またその奇跡に出会える事を信じ、この地で待っている……」
『家族が……国が……火の海で……! お願いです! 助けて下さい!』
耳に焼き付いた言葉が蘇り、ティアナは両耳を塞いでギュッと目を瞑ってモトロの胸に顔を埋めた。




