第101話 気持ちの天秤
身体をくの字に曲げて苦しんでいるティアナを見ながら、レイモンドはどうしたらいいのか分からず、ただオロオロと何か薬は無いかと荷物を漁り始めた。
「……どうしましたか?」
モトロは部屋に入るなり、その異様な空気に息を飲み、ティアナに駆け寄った。
「……あ……」
すぐに何か思い至ったモトロは何か言いかけて口籠った。
「おい、怪我してるのか? なんとかしろよ」
レイモンドが詰め寄ると、モトロは真っ赤になってポソリと呟いた。
「……違いますよ……あの……だから、月の物です……」
「えっ?」
レイモンドはハッとしてティアナを見る。そう言えば、すぐ下の妹のルイーザもこのくらいの歳で初潮を迎えたと言っていたかも知れない。
「……怪我じゃ……ないのか……」
ホッとするが、それにしてもティアナの苦しみ方は尋常ではない。
「こんなに……苦しむ物なのか?」
「分かりません。重い人は苦しむ事があるとは聞きますが……」
年頃の女性と接点の無かったモトロも事情には疎い。病気ではないので治癒術師の出番でもない。
「だ……大丈夫よ。何とかするから。久しぶりだから……ちょっと辛いだけよ……」
ティアナはうずくまったまま、オロオロしている二人に話し掛ける。この二人に何か期待できるとは思えない。
「悪いんだけど、一人にしてくれる……?」
「ああ……。何か必要なものがあれば……」
「自分で何とかするから……」
レイモンドの申し出をさらりと断り、ティアナは青ざめた顔を上げて無理やり微笑んだ。
「ティアナ様、汚れた服は後で洗浄しますから……。後、痛みを和らげる事くらいならお役に立てますので……」
「うん。ありがとう……」
自分達に今出来ることが無いと突きつけられ、二人の男は肩を落として部屋を後にした。
扉が閉まったのを確認し、ティアナは再びうずくまった。こんなに辛かった事は今までには無かった事だ。
鍛えている事が裏目に出たのか、予定よりも少し初潮が遅れた。その分重くなってしまったのかも知れない。温泉が引き金になったのか、急に異性を意識したからかは分からないが、フィアードを救出する前で良かったかも知れない。
すぐにでも寝台に倒れ込みたいのをこらえ、なんとか汚れた着衣を脱いで身体を拭き清める。
下履きと綿、布を空中から取り寄せる。綿をほぐして布で包みこみ、下履きにそれを当てがって身に付ける。
ホッと一息ついてから新しい服を出して着替えていると、少し痛みが和らいできた。
「……あ〜、やっぱりダメね……」
ただでさえ下半身が女らしくなっているのに、綿で膨らんだ下履きの形がハッキリと出てしまう。
「みっともない……」
目くらましで誤魔化すこともできるが、これでは動きにくい。やはりもう男装も限界という事だ。
仕方ないので寝間着に着替え、水の魔法で着衣や椅子の汚れを洗浄してから寝台に潜り込んだ。
鈍い痛みは落ち着いたが、下半身に重りを付けられたような感じだ。頭の芯もボンヤリしてきて、抗い難い眠気が襲ってくる。
「……これと毎月付き合うのか……嫌だなぁ……」
ティアナは旅の疲れと体調の変化であっという間に泥のように眠ってしまった。
◇◇◇◇◇
宿の食堂で二人の男が黙りこくって向かい合い、ただ酒を飲んでいた。
「……何か召し上がります?」
女将が気を遣って声を掛けると、白髪の少年が曖昧に頷いたので、宿で作っている漬物を適当に切り分けて小皿に入れた物を運んだ。
「……どうぞ……」
「……どうも……」
つい先ほどまでは気さくに応対していた茶髪の青年も、まるで女将が目に入っていないかのように曖昧に返事をする。
「……どうしちゃったんだろうねぇ……」
女将は首を傾げながら、夕食の仕込みをしている料理長に話し掛けるが、料理長は肩を竦めるだけだ。
宿屋を長く経営していると、色々な訳ありの客が来る。あまり深入りしない方がいい。
「まぁ、気にしない方がいいだろう……」
「そうだけどねぇ……」
白髪の客はあの噴火の少し前を思い出す。あれは女性だったが、連れも女戦士であったため印象深い。今回の客に何か関係があるのではないかと、余計な詮索をしてしまう。
「……見られてるぞ」
「そうですね」
ポツリとレイモンドが呟くと、モトロが頷いた。流石に食事時でない時間に食堂で二人向き合って座っているのは不自然だった。
「……レイモンド、やっぱり部屋を分けましょう」
モトロが少し俯き気味に言うと、レイモンドも考え込む。
「……あいつを一人にするのか?」
「仕方ありませんよ」
モトロは声を落とし、周りを気にしながらレイモンドに顔を近づける。
「三人一緒なら何かの時に対応できるだろ」
「彼女ならご自分の身はご自分で守れます……」
「それはそうだが……」
「部屋をもう一つ取ってきます……」
立ち上がり掛けたモトロの腕を掴み、無理やり座らせる。
「待てよ……。何で急にそんな事言うんだ? 馬車でいつも一緒に寝てるだろうが」
「……それは……」
モトロの顔に朱が刺すのを見て、レイモンドは眉を顰めた。
「なんだよ……何があった……?」
モトロは頬を赤く染め、目を泳がせている。いつも微笑をたたえ、冷静沈着な彼がこれほど取り乱すとは。恐らく自分が帰る前に何かあったのだろう。
レイモンドは腕組みしてモトロをジロリと睨み付ける。
「……今まであまり気にしていなかったんですが……。いい切っ掛けかも知れませんし……」
「確かにな。そろそろ男の格好をさせるのも厳しいとは思ってたんだ……。兄さんを解放するまでなんとか出来ればいいんだがな」
モトロも考え込み、深い溜め息を漏らした。
「とりあえず、出血が落ち着くまでは外出を避けて、今晩どうするかご本人に確認して貰えますか?」
「何で俺に振るんだよ。お前はあいつの主治医だろうが」
彼女の健康管理は彼に一任してきたのだ。ここも彼が指導すべきだろう。レイモンドはモトロの胸ぐらを掴んだ。
「貴方が僕達のリーダーですよね」
モトロは簡単にレイモンドの手を振りほどき、ジトリと睨み付けた。
「……お前……都合の悪い時だけ押し付けるなよな」
二人はしばらく睨み合い、先にモトロが溜め息をついて立ち上がった。
「……仕方ありませんね……」
レイモンドも重い腰を上げる。
「二人で行くか……」
◇◇◇◇◇
結局、食事も摂らずに眠ってしまったティアナの為に夕食を部屋に持ち帰り、三人で同じ部屋に宿泊する事になってしまった。
「……こんなに辛そうなもんだったかなぁ……」
レイモンドは母や妹の事を思い出すが、寝込んでしまうような事は無かったような気がする。
モトロはティアナが自分で全て処置してしまった事に少しホッとしながら、眉根を寄せて眠るティアナの顔を覗き込んだ。
「……個人差があるらしいですからね……」
少しでも楽になるようにとティアナに治癒を掛けていると、徐々に髪から赤い色が消え失せ、本来の薄緑色の髪がサラリとこぼれ落ちた。
「……長さも……目くらましで変えられるんですね……」
ある程度魔力が安定したので、数年前から染料で髪を染めるのを止めていたのは知っていたが、まさか長さまで誤魔化されていたとは。モトロはティアナの魔術の奥深さに舌を巻いた。
肩に届くかどうかという長さだった髪は、背中まで届く長さとなっていた。
「……もう限界かもな……」
レイモンドは溜め息をついて本来の姿で眠るティアナを見下ろし、深い溜め息をついた。これから彼女はどんどん女らしくなるだろう。いつまでも男装を続ける訳にはいかない。いずれは本来の姿で人前に立たねばならないのだ。
気持ちを切り替えるように首を振ると、レイモンドは荷物から着替えと手拭いを出し、腰の剣を壁に立てかけた。
「俺は温泉に行ってくる。この時間なら地元の村人も利用するらしいからな……ティアナのこと頼んだぞ」
「……はい……」
レイモンドが扉を閉める音を聞いて、モトロは震える手でティアナの髪をすくい上げた。さらりとした手触りに胸がドキンと高鳴る。
モトロはこの気持ちの変化に戸惑っていた。家族以外と過ごした事の無かった彼は、こういう穏やかではない感情とは無縁だった。
小さな頃から自分に懐いてくれていたティアナを妹のように思っていたら、母の連れ合いの娘と分かり、やはり妹なのだ、と認識を改めて旅を続けた。重い宿命を背負って生まれた彼女の為に働く事が自分の存在意義だと思って、まるで影のように寄り添ってきた。
だが今日、初めて彼女の肌に直に触れて急に胸が苦しくなった。彼女の髪に触れるだけで胸が高鳴る。どうしたというのだろう。
「ティアナ様……」
名を呼ぶと胸が苦しいが、えもいわれぬ幸せな気持ちが沸き起こる。それは甘い疼きとなってチリチリと胸を焦がすような痛みと共に自分の感情を波立たせる。
モトロは苦しそうなティアナにそっと治癒を掛け、その表情が少し緩んだのを確認してホッと胸を撫で下ろした。
「……あまり心配させないでくださいね……」
そうだ、彼女が心配だったのだ。そう自分に言い聞かせ、モトロはティアナの隣の寝台に潜り込んだ。
「おやすみなさい……ティアナ様……」
ティアナの寝息に誘われ、いつしか幸せな微睡みの中に誘われていた。
◇◇◇◇◇
レイモンドは温泉につかりながら、先ほどのモトロとのやり取りを思い出していた。
モトロが部屋を分けたいと言った気持ちは痛いほどよく分かるが、だからと言って彼と二人、隣室で一人寝る彼女の事を考えるのも不毛で馬鹿馬鹿しい。
それに、彼にとっては今更な話である。神族の村でティアナを意識してしまったレイモンドはとにかく賢者の気分で彼女の為に剣術の指導をし、協会と学校の為に奔走していたのだ。
「まあ……あいつは人の気持ちには疎そうだからな……」
出生から育ちから、尋常ではない半生を送ってきたモトロには感情の波が少ない。きっと自分の気持ちの変化にも気付いていなかったのだろう。
「にしても……マズイよなぁ……」
自覚してからかれこれ六年半。彼女の気持ちにブレはない。今の内になんとか兄より優位に立とうと思って来たが、とんだ伏兵の登場だ。
実父の妻の息子という関係上、ティアナはモトロを実の兄のように慕っている。仕事と剣術以外では一切信用されていない自分とは大違いだ。
何があったのかは知らないが、間違いなくモトロの気持ちに変化が起きている。これまでの均衡が崩れようとしている事に、心がざわめく。
「ったく……面倒だな……」
よく考えてみれば、今、部屋にはあの二人きりではないか。今までは人畜無害だったモトロだが、自覚したらどういう行動に出るか分からない。何と言ってもあのヒバリの息子でありヨタカの甥である。
少し不安になったレイモンドが温泉から出ようとした時、脱衣所から話し声が聞こえて来た。
「……仕方ねぇな……」
目的を思い出し、その話し声に耳を傾けると、どうやら例の傭兵団の話らしい。
こと仕事において、彼女から絶大な信頼を得ている以上、私情を優先させる訳にはいかない。
レイモンドは温泉を利用しに来た村人達の話にいかに自然に入り込むか考え、営業用の笑顔を貼り付けた。




