第0話 生誕
アクセスありがとうございます。
設定などをはっきりさせて欲しいというご意見をいただきましたので、神話〜ヒロイン生誕までのエピソードを第0話としてアップします。
ここから本編へと続きます。
太古の昔、世界は漆黒の闇に閉ざされていた。
そこに一条の白銀の光が差し込み、緑なす大地が生まれた。
その偉業を行った者を後の世の者達は『神』と呼んだ。
『神』の姿については何故か、どの口伝でもその色彩が共通している。
ーー薄緑色の髪、漆黒の右目、白銀の左目ーー
そしてその色彩を持つ者が稀に生まれてくる事がある。
人はその色彩全てを持つ者を『神の化身』と呼び、色彩の一部を『欠片』と呼んだ。
彼等は神に通づる異能を持ち、それらを生み出す事のある一族は『神族』と呼ばれる。彼等は他の人間達とは離れた山奥の村に暮らしているという。
一方、神と共に世界を統べる者として『精霊』がいる。
風、水、火、地、を司る精霊達は、その依代として、人間と似て非なる生き物を選んだ。
その者達は精霊を使役して人間にとって不思議な術『魔術』を使うので、いつしか『魔人/魔族』と呼ばれるようになった。
彼らは纏う色彩により、碧、皓、緋、黑に部族が分かれ、独立して暮らしているという。
創世より幾星霜ーー世界中に人間が溢れ、各地には集落や村ができた。
人間達は動物を狩り、木々の実りを採り、そして時には田畑を耕して暮らすようになっていた。
◇◇◇◇◇
村の中では唯一の石造りの屋敷の一室、二人の人影が向かい合って座っていた。
栗色の髪の女性の白銀の目が水晶玉を覗き込んでいる。
「……見えたか?」
水晶は魔力の媒体として彼女の魔力を高め、術の精度を上げる事ができる。
彼女は定期的に村の未来をこの水晶玉で見て、今後の村の方針を定める巫女のような役割を担っていた。
「……お……おお……!」
水晶玉に映し出された光景を見て、女性は思わず唸り声を上げた。
その目は驚愕に見開かれている。
「どうした」
村の長たる男が、その異様な反応に顔色を変えた。一体、村に何が起こるというのだろう。
「か……鍵が……」
「何……?」
「我が姉上の腹の子は……鍵です……!」
「なんと……!」
男は目を見張る。『鍵』とは神族の間で神の化身を表す隠語である。今まで『鍵』が生まれたという記録はない。それが、間も無く生まれるというのか。
「次の満月の夜……姉上は産気づき、鍵たる女の子を産み落とします……」
巫女はゆっくり噛み締めながら言葉を紡いだ。
「この事はダルセルノには……」
男は少し顔を顰める。伝えないという選択肢は無いが、少し間を置いた方がいいのではなかろうか、と不安が胸をよぎる。
「早急に伝えねばなりませんね。鍵の父となるお方ですから……」
巫女は当然のように言った。
「……うむ……」
「では私がお知らせしても……」
「いや、わしが伝える。お前はフィーネに伝えてやれ」
無難に役割を振る。しかし、巫女は首を振った。
「……姉はあまり体調が優れません。あまり前もって教えない方が良いのでは無いかと……」
「何? 体調が悪いのか! ……それは良くないな。薬師を呼ぼう。産婆も呼んでおかねばならぬな……」
村長が思案すると、巫女も少し考えてポツリと呟いた。
「義兄上に伝えると、姉上に余計な圧力を掛けるかも知れませんね……」
「フィーネは感じやすい娘だからな……」
まだ娘と言っていい年頃でありながら、自分と同年代の男に妻合わされて子を宿し、ずっと塞ぎ込んでいると聞いている。
「はい。初めての出産を控えて、それだけで体調を崩しています……。もしその子供が鍵だなどと知ったら……」
「……ダルセルノは欲深い。子が鍵と知って、何か事を起こすかも知れん」
「確かに……そうですね……」
何度も言い寄られた経験のある巫女は唇を噛み締めた。
あまりにもしつこく口説くので、妹を不憫に思った彼女が彼と結婚する事で場を収めたのだ。
「この事は内密に。万が一に備えて、我々だけで守りを固めておこう」
「分かりました。……ご子息はどうしますか?」
「うむ……。あれはまだ欠片持ちとしても未熟者。守りには向かないが……、逃走の手助けならば出来るだろう」
「そうですね。では、万が一には私が囮となります」
巫女は颯爽と立ち上がり、腰に剣を帯びた。
「すまんな。せめて、薄緑の欠片持ちがもう一人いてくれれば、守りも固められたのだがな」
「それでは、私はこれで……」
水晶玉を丁寧に布で包み、腰の袋に入れる。握り拳よりも小さなそれは、歩くのに然程邪魔にはならないだろう。
「うむ。では、次の満月までに支度を整えておこう」
「お願いいたします」
巫女は一礼して部屋を辞した。
◇◇◇◇◇
一年で一番月が美しいと言われる季節、澄み渡る夜空に月が真円を描いていた。
産屋となったダルセルノの小屋には、五人の出産経験を活かし、産婆として村長の妻も訪れている。
小屋の前では黒髪の男が落ち着きなく座り込み、焚き火で暖を取っていた。
「母さん、お湯が沸いたよ!」
手伝いに来ている薄緑色の髪の少年は、焚き火から炭を掻き出して湯を沸かしていた。
「ありがとう。もっとお湯を沸かして頂戴!」
鍋の中を桶に受けながら、少年によく似た女性が指示を出した。
女性は桶を持って小屋の扉に手をかけた。
「サブリナ殿、如何ですかな?」
「……ええ、陣痛が始まって大分たってるんですけど、中々出てこないんですよ。フィーネも頑張ってますけど……」
サブリナの言葉を聞いて、座っていたダルセルノが舌打ちをした。
「だから、丈夫な娘が良かったんだ……。これ程気を揉まずに済んだのに……」
その微かな呟きは扉の向こうのサブリナの耳には届かなかったが、少年の耳にはハッキリと聞こえていた。
「……」
少年は父である村長からこれから生まれてくる子供の事を聞いている。そしてそれは父親に伝わっていないと言うことも聞いている。
これでは事前に伝える気にもならないな、と冷ややかに男を一瞥し、井戸に向かった。
鍵が生まれる事を知っているのは、村長である父と白銀の欠片持ち、そしてまだ未熟ではあるが薄緑の欠片持ちである自分である。
使い魔などが偵察している可能性も無くは無いので、今から充分に警戒しておかなければ。昨夜、魔術書を読みながら練習した消音の結界で小屋を包み込んだ。
父親から聞いている事を反芻しながら水を汲む。
今、村には余所者がいない。鍵が生まれた後、その事実を決して余所者に知られてはならない。
万が一にも知られてしまったら、十中八九、村は襲われるだろう、と。
襲われた時にどうするのか、何度も打ち合わせをしている。
実戦経験のない自分に何処まで出来るか分からないが、ただ漠然と欠片持ちの勉強をしていた日々に比べると、格段にやる気が出てきたのは確かだ。
自分の能力は鍵を守る為にある。そして鍵はやがて神として世に君臨するのだ。自分はその傍らに立つ資格を与えられたのだ。
責任感と重圧がのしかかるが、それを補って余りあるやり甲斐。
少年は鍵の誕生を今か今かと待ちわびていた。
◇◇◇◇◇
「フィーネ、頑張って!」
何度目になるか分からない励ましの言葉を、栗色の髪の妊婦は朦朧とした状態で聞いている。
巫女を務める妹とよく似ていながら、彼女よりもか弱いこの姉は、長く続く陣痛に耐えられなくなっていた。
「もう……お願い……」
どれだけ息んでも出てこない。
身籠もってからずっと塞ぎ込み、ろくに動かなかったツケが回って来ているのだが、そんな事は本人には預かり知らぬ事である。
「助けて……」
全身汗だく、息も絶え絶えの状態で知己に手を伸ばす。サブリナはその手を握った。
「フィーネ、お腹の中の赤ちゃんも貴女と離れたくないのかも知れないわ。……甘えん坊なのね」
「……そうなの?」
サブリナの言葉に妊婦の緊張が緩む。
「でもせっかくだから、ちゃんと顔を見てあげたいでしょ? その可愛い身体を抱いてあげたいでしょ? ね、フィーネ、赤ちゃんと一緒に、頑張って!」
「……うん……」
フィーネの意識がまだ見ぬ我が子に向いて行くのを感じ、サブリナは友人の手を強く握った。
「一人で産もうと思わないの。赤ちゃんの動きをちゃんと感じてあげて……そう、そうよ!」
「見えたよ!」
フィーネの足元にいた産婆が喜びの声をあげる。
「大丈夫よ! 頑張って!」
友人の励ましの声を受けて、フィーネは瞑目したまま頷いた。呼吸を整えて一気に力を掛ける。
ズルリという感触と共に、腹部を圧迫していた力が抜ける。
「オギャー!」
「生まれたわ! 女の子よ!」
元気な産声に産屋は一気に活気付いた。
産婆は手早く後産の処置を済ませ、サブリナに生まれたての赤ん坊を渡した。
彼女は湯に浸した布でその小さな身体を拭っていて、あることに気付いた。
「あ……この子は……」
薄緑色の髪。自分の息子と同じ髪色だ。
ドキリ、として母になったばかりの友人を見る。
「サブリナ、どうかしたの?」
フィーネは我が子を早く抱きたい、と手を伸ばしてきた。彼女の友人は少し困った顔でその胸の上に嬰児を抱かせた。
「……あ……」
フィーネの目がその髪色に釘付けになる。その目に一抹の悲しみが浮かぶ。
欠片持ちは神族の象徴である。個人としての扱いは殆ど受けられない。
初めての我が子を欠片持ちとして取り上げられたサブリナにはその気持ちがよく分かった。
フィーネにとって大切な妹は、彼女だけのものではなかった。
一緒の食卓で食事をすることもあまり無く、幼い頃に遊んだ記憶も無い。
「そんな……」
フィーネが震える手でその薄緑色の髪を撫でた時、扉が開いて夫が入って来た。
「生まれたか!」
産屋の片付けもそこそこの室内にダルセルノはズカズカと入り込んで来て、妻の胸に抱かれている我が子を見た。
「おお……、欠片持ちか! でかしたぞ!」
「……あなた……」
いきなり抱き上げようとするその手をサブリナが制した。
「まずは手を清めてからです。生まれて間もない子を触られたことは?」
サブリナの迫力にダルセルノはぐっと息を飲み、手水で手を洗いながら首を振った。
「まだ身体が小さく、首も座っていないのよ。いきなり掴むように抱き上げたら死んでしまいます!」
サブリナはそっと赤ん坊を抱き上げ、清潔な布でその身体を覆う。
「両手を前に出して、手の平は上……。そうです」
サブリナに言われるがままに両手を差し出したダルセルノに、布に包まれた赤ん坊が手渡される。
「……お……案外……重いものだな……」
サブリナがダルセルノの手を動かし、赤ん坊が楽になる姿勢を取らせてやる。
「おめでとうございます。女の子ですよ」
ダルセルノがその顔を覗き込んだ時、赤ん坊がゆっくりと目を開けた。